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第一二譚 空虚の狭間にて

 

 

 昼下がりの屋上で、楓は一人反芻するように呟く。

「両親を含めた一族全員が娘を残して蒸発か……」

 この事実は予想以上にハードパンチだったらしい。

 楓が教室に入るとクラスの雰囲気がおかしくなる。何というか、同情のような、嘲りのような、とにかく腫れ物扱いなのだ。

 勿論、教師陣もである。

 見知った先生と廊下で擦れ違えば、元気出せ、とか、相談に乗るからいつでも来なさい、とか安っぽい言葉をかけてくるし、面識がない教師だとあからさまに視線を逸らされたりする。

(授業中当てられる回数が格段に減ったっていうプラスもあるけど……)

 楓がアカシックレコードに記されていない、処分の対象である『異常因子』であること、そして助かる方法を知って、その方法を選択し、一族が『追捕使』の少年に皆殺しにされて、もう五日が経った。

 もういい加減この状況に慣れてしまっていた。

 実感はないが、世界がアカシックレコードという名の脚本通りに進んでいることを知り。

 自分がアカシックレコードに記されていない者、処分される立場である『異常因子』と言うことを知り。

 そんな『異常因子』を処分する『追捕使』の存在を知り。

 そして『異常因子キタザワカエデ』でありながら処分を免れる選択肢を提示されて。

 その選択肢を選んだ途端に両親を初めとした一族が皆殺しにされて。

 借金苦で北沢楓むすめ一人残して一族全員が蒸発したという風説を散布されて。

 自らは『紫衣』という異端な能力を手にし、毎晩自在に操るためにレッスンを受けて。

 そんな『異常』な世界に、慣れてしまった。

 存外人間の適応能力は素晴らしいようだ。

 慣れてしまえば次第に何ともなくなってくる。感覚が麻痺しているとも言うのだろうか。少し違うかも知れないが、連続殺人犯が次第に人を殺すことに罪の意識が薄れていくような、そんな感じかも知れない。それは楓とって少し怖いことだったが、周囲が楓に向ける同情と奇異の眼差しにも平然としていられるようになった。今では本人以上に周囲が狼狽えているのかもしれない。

 遠くで五校時の始まりを知らせるチャイムが鳴っている。

 両親が『蒸発』して以来、楓は変わった。

 以前だったら昼食は教室でそれなりに仲の良い友達と取っていたが、あれ以来、妙に居心地が良くなってしまった屋上にて一人で取るようになったし(『慣れ』と『我慢』は違うのである)楓は良く授業をサボるようになっていた。

 このまま北沢楓は『紫衣』の扱いを学び、そしてゆくゆくは『追捕使』になるのだろう。それが楓の未来だ。道は決まってしまっているのだ。いくら天才であろうと大馬鹿者であろうと関係ない。大学受験も将来目指す職業や夢なんて意味もない。勉強する意義を見出せない。逆に勉強してどうなるのか、そう問い糾したいぐらいだ。

 以上が楓が授業をサボる理由である。そもそも楓の未来は一本しかないのだから。

 だが。

 みすみすそんな線路を大人しく歩いていく気は毛頭無かった。

 楓は『追捕使』になる気はない。

 少年の元で『紫衣』の扱いを学んでいるのは他でもない、あの少年を殺すためだ。

 あの『追捕使ばけもの』に勝つためには『紫衣ばけもの』を飼い慣らすことが一番。そう楓は思い知った。

 殺す。

 少年を殺す。

 現在の至上命題だ。

 それが果たせれば後のことはどうでもいい。

 極論を言ってしまえば、退学になったって構わない。

 退学になって今まで勉学に当てていた時間を全て『紫衣』を上手く扱うための訓練に当てられる。その方がずっと良いし、効率的だ。

 何にせよ、もう後戻りできない。

 家族が殺された今、楓の頭は少年への復讐でいっぱいだ。

 どうやってあの少年に復讐するのか。

 どんな方法が一番効果的か。

 どんな方法をとればあの少年を絶望に墜とせるか。

 気が付いたらそんなことばかり考えている。

 暇な時間があればそんなことばかり考えている。

 だから、復讐さえ出来ればいい。

 復讐を遂げれば、とりあえずやることはなくなる。

 家族の仇が取れれば、別にどうなったって構わない。別に死んだって良い。寧ろ、自殺したら『向こう』で家族みんな幸せに暮らせるかも知れない。

 力を、付けるのだ。

 早くあの少年のような力を身に付け、家族の仇を討つ。

 家族は、楓の利己心によって殺されたのだ。

 楓が生きたい、そう願ったから家族は殺された。

 殺されなくて良かった家族が、犠牲になった。

 そんな家族に申し訳が立たない。

 犠牲になった両親を初めとした一族全員の命に申し訳がない。

 何のためにこの道を選択したのか、何のために家族全員が犠牲になったのか、それを考えれば楓には一刻の猶予もない。

(―――殺す)

 あの少年を、殺す。

 殺さなければならない。それは義務だ。

 絶対に、血祭りに上げる。

 一族全員の仇をこの手で、掴む。

 心で渦巻き続けているこの怒りを、悲しみを、憎悪を、全てぶつけてやる。

「ころす」

 声が漏れる。

「ぜったいに」

 誓う。

「わたしは」

 誓う。

 堅く、厳しく。

 

 

     ◇◆

 

 

 チャイムが鳴り響く。にわかに学校全体が騒がしくなってきた。

(四時間目か……、帰っちゃおうか)

 そんな考えが過ぎり、すぐそれを肯定する自分がいた。

 大体にして『平日は学校』という固定観念がいけないのだ。

 母親のおかげで遅刻なんて滅多にしなかったし、何より小学生の頃からだったから『朝早く起きて学校』という行動が染みついて離れない。気が付いたら身嗜みを整え、登校する準備を整えて玄関を出てしまっている。そんな感じなのだ。

 全く、中途半端に真面目なのだ。

 中途半端に善人を気取り、中途半端に悪人を気取る。

 そんな自分が無性に嫌になってくる。

 楓は人知れず嘆息する。

 もうそんなことに拘る必要なんて何一つないというのに。両親の教育の賜か、真面目でとことん愚かなのだ。北沢楓という人物は。

(……帰ろ)

 軽く決定し、立ち上がろうとして―――止めた。

(荷物全部教室のロッカーだった……)

 携帯を開いて確認すれば、もうあと数分でチャイムが鳴るところだった。

 今教室に戻ってしまえば四校時を受けなければならない。それは、めんどくさい。

 仕方ない。

 楓は諦めた。

 とりあえず今は待ってみよう、そう思った。

 携帯の時計を見れば、約四〇分後には授業は終わっているはずだ。

 授業の終わりを待って、昼休みになれば教室に人が疎らになる。その隙にこっそりと教室のロッカーから私物を持ち出して帰れば良い。もしクラスメイトや教師に何か言われれば『お腹が痛いので』とか何とか仮病を使えばいい。嘘も方便。別に誰が損する嘘でもない。強いて言えば損するのは楓だが、まあそれはいい。教師やクラスメイトは勝手に『身内が蒸発したことが原因である心労』とでも捉えてくれて逃げることなんて簡単だ。

(よし、それにしよ)

 壁にもたれ掛かる。

 暖かい陽気だ。眠くなる。連日深夜の『レッスン』で寝不足だからだろうか。眠い。無性に眠い。いっそ少し寝た方が後々楽になるかも知れない。

 

 

     ◇◆

 

 

 肌寒い。

 堪らず薄く目を開けると、

「うわッ!」

 思わず、逃げた。

「あ、……?」

 視界いっぱいに神田裕太の顔があった。

 できるものならお前のせいだ、大声でぶつけてやりたい。

 けれど今はバカみたいに騒いでる心臓を落ち着かせることが先だ。

「どうした?」

「……何でもない」

 深呼吸を繰り返す。心臓を落ち着かせるのももう慣れた。

「何の用?」

「ん? 心配してお出でなさった俺に向かってそんなコト言うの?」

 いつのまにか夕焼けだった。

 昼休みで早退するつもりだったのに、どうやら放課後まで寝過ごしてしまったらしい。

 楓はボンヤリと鈍ったままの思考を起こし、手串で髪を整えていると神田が脇に座った。

「やっぱ、辛いだろ?」

「……うっさい」

「はぁ。相変わらずだな、姫は」

 苦笑と苛立ちを混ぜたような表情を浮かべて、

「心配してやってんだぞ、俺は」

「―――それは、どうも」

 案外、神田は的を射ていた。

 思わぬ所で確信付近を見抜かれた楓はどう返答して良いのか解らずに黙り込んでいると、神田は手に持っていた何かを楓に向かってポイッと投げた。びっくりしたけれど何処か見覚えがあるシルエットのそれを何とか受け取って、

「って、これ私の鞄じゃない!」

「お前の机からパクって来た」

「ちょ……」

「いーじゃんか、別にさ。今更だろ?」

 確かに今更だ。この学校で誰よりも神田と親しいと楓は自負しているくらいだが、それでもである。

「だからってね―――」

 ―――と、そこまで考えて、ふと思う。

 その程度かも知れない。

 神田にとって、北沢楓という人物は。

 ただの幼馴染み。よく考えてみたら神田との繋がりはそれ一本なのだ。

 神田から見れば、妹を見ているような感覚なのかも知れない。

「どした?」

「……何でもない」

 スカートに付いた汚れを軽く払って、鞄を肩に引っ掛けた。

「じゃあね。バイバイ」

「ちょっと待った。どーせこれから暇だろ? 付き合えよ」

「……、」

「いーから。俺の驕りだ。来るだろ?」

 驕りと言われれば、付いて行きたくなる。

「じゃ、決まりってコトで」

「ちょっと! まだ行くって行ってないんだけど!」

「あ〜も〜、めんどくさいな」

 実に鬱陶しそうに神田は振り返って楓に視線を合わせる。

 そのまま露骨に鬱陶しそうな口調と表情で、

「俺の驕りだ。来いよ」

 如何せん、楓は納得がいかなかった。

 けれど、神田が醸し出すその妙な自信と雰囲気に誘われたのか、気が付いたら楓は神田の背中を追っていた。

純真で、無邪気だった。だから心地よかったのかも知れない。

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