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第一〇譚 ヒトデナシはだーれだ?

 

 

 楓は、逃げた。

 二日ぶりに登校して教室に顔を出したその瞬間、一瞬でクラス全体が凍った。

 つまり『かえでを除いて一家蒸発』したという虚構の事実がクラス全員に知れ渡ったのだろう。既に教室に入っていた全員が楓を注目し、一斉に同情の眼差しを向けた。

 だから、逃げた。

 あの瞬間、確かに北沢楓の『何か』が木っ端微塵に砕け散ったのだ。

 それを思い知らされて、怖くなった。ひたすら逃げた。

 人の目を振り払うように廊下を駆け抜け、教師の静止の声を無視し、階段をいくつも駆け上がり、屋上に繋がる唯一の扉を押した。

 屋上は、風が強かった。

 太陽が照らしていたものの、肌を切り裂くような寒風が身に染みた。

 冬の屋上なんて来るものではないが、ここしか行く場所がなかった。

 美術室という手も考えたことは考えたのだが、もしかしたら授業で使うクラスが出てくるかも知れないからやめた。結果、考えついた誰も来ない場所というのが屋上だったのだ。

 北風に震えながら、風除けとなりそうな場所を探して座り込む。やがて、本日の始業を告げるチャイムが響き渡った。授業が始まった。が、あの教室であのクラスメートと同じ空気を吸うなんて耐えられなかった。

 屋上の片隅で顔を膝に埋める。

 ―――憎たらしかった。

 北沢楓という人間が、無性に憎らしかった。

 あの時。

 少年に『追捕使』にならねば殺す、そう迫られた時。

 極めて利己的な考え、そして物事を決めてしまった。

 自分が生きたいから。

 生き延びたいから。死ぬのが嫌だから。

 特に何も考えず、承諾した。

 終わってしまった過去の出来事に『もしも』はない。

 けれど、考えてしまう。

『もしも』あの時、楓が『追捕使』になることを拒んだら。

『もしも』あの時、楓が素直に命を諦めたら。

 どうなっていただろうか。

 無論。

 答えは一つ。

 命を喰われたのは楓一人で済んだ。

 罪もなく、事情すら知らされずに血縁全員が斬殺されず済んだ。

 あの楓の不用意な一言が、全てを変えてしまったのだ。

 紛れもない、利己的極まりない一言で―――。

 不意に、扉が軋んだ音を立てる。

「授業サボっちゃって何しているの?」

 ざあ、と風が鳴く。

 膝に埋めていた顔を上げ、楓は近付いてくる足音の主を見上げた。

「何しに、来たの?」

 目の前に立つのは『追捕使』の少年だった。

 あの、少年だった。

「楓ちゃんのことを心配して来たんだよ」

 さも当然のような口ぶりで、

「オレも『初め』はそんな目で見られたからね。気持ちは解らないわけではないんだよ?」

「黙って」

「ゴメンね。ねぇ、どうしてそんなに落ち込んでいるの?」

 僅かに黒衣の少年は目を細めながら、続ける。

「もしかしてさ、不用意に『追捕使』になるって言っちゃったこと気にしてる?」

「……、」

「もし気にしているんだったらさ、そんな無駄な感情さっさと捨てちゃった方が楽になられるよ?」

「―――ッ!」

 楓は目を剥いた。

「人間って凄く自己中なんだよね。だから『追捕使』になるって選択して家族が殺されたことに罪悪感を覚えることもないし、周囲から浴びせられる同情とか驚愕とかに踊らされることなんてないと思わない? オレたちに刻み込まれている本能には生き延びること、子孫を残すことしか書かれてないんだし」

 身が裂ける思いだった。

 遠慮一切なしの物言いが、楓を震わせる。

「先輩として言ってあげる」

「黙って」

 聞きたくなかった。

「オレに半ば脅迫されたとしても『追捕使』になる道を選択したのは正解だよ」

「黙って」

 聞きたくなかった。

「例えその決断で多くの命が散っていったとしても、ね」

「いいから黙ってッ!!」

 空気を切り裂く怒号と共に、気が付けば楓は少年の黒衣を掴んでいた。

 構わない。楓は吼える。

「殺したのはアンタッ!! アンタがお母さんもお父さんもみんな殺したんじゃないッ!! みんなを無惨に殺したアンタが『「追捕使」になったのが正解だ』なんて言う資格なんてないッ!! この、人でないしッ!!」

 楓の脳裏からは完全にここが学校の屋上だと言うことは消えていた。

 真実を大声で怒鳴ろうが、何だろうが知ったことはない。

 噛み付くように絶叫した。

「それが正論だよ」

 絶望と哀しみが混沌と混じり合う楓の叫喚に対して、少年は表情一つ変えなかった。逆にその対応に驚愕して楓が表情を変えてしまうぐらいに。

「楓ちゃんの言いたいことはよく分かるよ」

 少年は告げる。胸元を掴まれているのに、抵抗することなく、弟子に物事を諭す師匠のように。

「家族が殺されて、殺した相手に憎しみをぶつけるのは人間として当たり前。だけどね」

 あまりの温度差に、思わず楓は沈黙してしまった。

「果たして本当に楓ちゃんは『家族に悪かった』って思ってるのかな?」

 えっ、と。

 予想外の一言に、楓の目が大きく見開かれた。

「オレの刀とか楓ちゃんの大鎌。あの能力は『紫衣』って言うんだ。でね、『紫衣』はアカシックレコードに記されていない、本来ならば『異常因子』として処分される者だけに発現する凄く凄く珍しい能力でさ、『異常因子』が『紫衣』を纏ってことは『追捕使』の素質を持つ者の証ってわけなの。それが『異常因子』が生きるための唯一の切符ってわけ」

 朗々と語る。

「オレや楓ちゃんが纏う『紫衣』は『心の奥の感情』で発現、いや、爆発するって言った方が正しいかな……。とにかく『紫衣』を纏うためには部屋の照明をつけるためにスイッチみたいなキーになる感情があってね、その感情を『追捕使』自身が把握しなければ『紫衣』は思うように使えない。だから『心の奧の感情』を引き出すために路地で脅したり、家族皆殺しにしたりしたんだけどね。あ、これが家族殺したもう一つの理由ね」

 そんな、理由で。

 楓は呆然とした。

 手から、力が抜けていく。

「忘れちゃったと思うけどお師匠様は『怒り』でね、だからてっきり楓ちゃんも『怒り』かと思ってたんだけどさ、どうやら違うみたい。生まれ変わったらどうも昔の話はリセットされちゃってるみたいだね」

 胸元を掴む手が、離れた。

 

 

 

 

「楓ちゃんの場合はね、きっと『哀れみ』だと思うよ」

 

 

 

 

 少年は毅然と言い放つ。

「しかも『他人に向ける哀れみ』じゃなくて『自分に向ける哀れみ』なんだと思う。これはオレの推測なんだけど、オレに初めて会ったあのときは『殺される自分が哀れだ』って思ったからその感情に触発されて『紫衣』が発動した。二度目は『悲劇のヒロインになってしまった自分が哀れだ』から。そして三度目、お母さんの死体を目の当たりにしたときは『殺されてしまったお母さんの娘である自分が哀れだ』って心の奥底で思ったから」

 つまりね、そう少年は続けて、

 

 

 

 

「オレは人でなしは楓ちゃんだと思うな」

 

 

 

 

 人でなし。

 少年の声と数十秒前の自分の絶叫がリンクする。

「決して他人へと向けられることがない、自分にだけ向けられる同情心。自己満足で自己保身の塊ってこと。楓ちゃんの本心はきっとソレ。これはオレの考えなんだけどね、同情ってのは人間が抱く感情の中で一番醜いんだよ。だって同情って『嗚呼、なんてあの子は可哀想なんだろう』って感情でしょ? 上から目線じゃん、自分は何様ですか? それにタチが悪いことに楓ちゃんの場合は極めて自己チューだし」

 にこやかに少年が発した言葉の意味を把握するまで楓はたっぷり数十秒を要した。

「同情はね、その人間が確固たる地位にいる証拠なんだよ。豊かな国の人が貧しい国の人の話を聞いて『カワイソウ』って思って募金なりボランティアなり動くでしょ? つまりそれは自己満足以外の何者でもない。豊かで恵まれている人間だからこその優越感があって初めて成り立っている感情なんだ。だってもしその人間が豊かじゃなかったら『恵まれない人々をカワイソウ』って思う余裕なんてないでしょ? 同情なんて余裕があるからこそ抱ける感情だ」

 何もオレはボランティアとか支援活動とかを否定しているわけじゃないけどね。少年は平淡に補足しながら、

「さっき楓ちゃんはオレに人でなしって言ったけどさ、そう言う意味での本当の人でなしは楓ちゃんだとオレは思うよ。大体さ、楓ちゃんは心の底から『家族に申し訳ない』って思ってるの? もし頷けるならその根拠は? その『想い』が自己保身のために知らず知らずのうちに自分自身でいいように改竄されている可能性は本当にゼロ? ―――答えられないようだったら、どうせ安っぽい同情心から派生した感情だよ。先輩として忠告しておくけど、せっかく生きる道を選択したんだからそんなさ、具合悪くなりそうな感情おもいはさっさと捨てた方が楽になれるよ。楓ちゃんは楽になりたいでしょ?」

 絶望が、楓を墜とす。

 そんな楓に少年はうっすらと笑みを浮かべ、

「じゃそう言うことで『レッスン』は今晩からだからね」

捨てれば楽。いつしかそんな簡単なことをも見落とすようになっていた。

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