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第九譚 神を殺せ、世界を奪え

 

 

 ドサ。

 持ち上げていた土嚢を落としたような、それはそれは呆気ない音だった。

 そんな音を、楓は、荒れ放題のリビングの片隅で仰向けになって聞いていた。

 ―――否、聞かされていた。

 もう、死臭が鼻につくこともない。

 屍となって転がっている母親に気分を害することもない。

 楓は、手を伸ばす。

 身体が激痛に悲鳴を上げた。

 けれど構わず、楓は懸命に手を伸ばして。

 トルコ絨毯からはみ出して、フローリングの床にまで広がっていた血に触れる。

 パリッと。

 血溜まりが、割れた。

 血液の凝固時間は約一五分程度。そんなことを聞いたことがある。

(お、かあ……さ―――)

 楓は負けた。

 武器のリーチとか、関係無しに楓は負けた。

 楓が繰り出した一手は、悉く読まれ、躱され、素手で受け止められ。終始弄ばれ、そして父が帰宅した瞬間にご丁寧に峰打ち。

「気分はどう?」

 少年がリビングに入ってきた。

 そしておもむろに懐から紙を取り出すと、鮮血が滴る刀身を取り出した紙で拭う。

「これで予習は完了だね」

 血糊が払われて、すっかり銀の輝きを取り戻した刀を鞘に収め、少年は黒のソファーに座った。

 本来、そこは母が座るポジションだった。

 その証拠に、母が愛用していたクッションがある。

 屈辱的だった。

「そろそろ『業者さん』来るから」

「―――業者、さん?」

「死体処理専門の業者さん。裏社会のね。昔は切り刻んで海にでも捨てちゃえば良かったし、斬り捨て御免って便利な制度があったから苦労はしなかったんだけど、今はそうもいかなくてさ。警察も科学捜査って凄い技術使うようになって優秀になってきたし、以前みたいな『曖昧な誤魔化し』は今じゃもう通用しなくて。現代いまはとっても生きにくいんだよ」

「―――捨て、るの?」

 楓は、主語を言えなかった。

「さあね。全て向こうに任せてるからさ」

 あまりの平淡さに、楓は憤怒する。

 動かない身体で、睨むしかない状況にも拘わらず、必死に。

「―――殺す」

 無意識に、こぼれ落ちた。

「殺す、あんただけは、絶対に」

 身体は動かない。

 けれど、ここで何も言わなかったらこの人殺しに屈したことになってしまう。それだけは絶対に嫌だった。

 だから、戦う。

 例えそれが無様な悪あがきに過ぎなかったとしても、戦う。

 身体が動かなければ口がある。

 それを、使えばいい。

「殺して、やる」

「遅かれ早かれ、機会はあるよ」

 意外な一言に、楓は目を丸くする。

「それにはちゃんと一人前の『追捕使』になって、人を殺す術を身に着けてからでも遅くないと思うよ。今さっき戦ってみて解ったと思うけど、実力差がありすぎるでしょ? そんな程度の力しか持ってないときに戦ったら犬死にも良いところ。―――でしょ?」

「……、」

「楓ちゃんの復讐のために協力してあげる」

 復讐される側である少年は謳うように告げる。

「復讐に必要なのは人を殺す術。教えてあげるよ、これからオレが泊まり込みでね」

 声色は変わらない。

 それが自身の命を脅かす『復讐者きたざわかえで』という存在に力を付けさせる、明らかに自身の生命を危険に曝す行為なのに、それでも少年の声色は淡々としていた。

「大丈夫だよ」

 声色は変わらずとも、看護師が喘息で入院している幼女を励ますような、そんな雰囲気で、

「楓ちゃんなら、できるよ」



     ◇◆



 楓の家族が皆殺しになって、二日。

 少年と父と母の亡骸を処理しに来た業者の偽装工作によって、いつの間にか『実は借金苦で楓を一人置いて蒸発した』ことになっていた。

 ちなみに『実は借金苦だった』という行も蒸発したことを印象づけるための方便だったのだが、楓が両親の部屋を整理し始めたその瞬間に方便ではなくなった。

 父の書斎を整理していると大手消費者金融からヤミ金業者らしい会社まで、何十枚もの督促状が出てきたのだ。嘘から出た誠とでも言うべきだろうか。

 楓はショックだった。

 何の問題もなく、極々普通の一般家庭だと思っていたのに、テレビドラマの世界だけだった借金が現実に自分の両親を蝕んでいた。そして呑気なことに楓はそのことを知らなかった。上辺だけ綺麗に塗り固められた『家庭』で楓は笑っていたのだ。何も知らず、呑気に。一緒に笑ってくれた両親は、全部虚構の『平穏』の元に成り立っていたなんて。物証に真実を宣告されて、しばらく楓が動けなかった。

 だけど、結果としてこの事実は『真実』をよりいっそう霞ませることになった。

 前もって警察の目を誤魔化すために少年や業者が仕掛けていた数々のミスリードに、嬉しい誤算である莫大な借金。『楓の通報を受けた』警察はこの一家集団失踪を『借金苦による蒸発』と判断した。

 楓は、勿論両親が残した借金が不安だった。

 督促状の送り主を見る限りヤミ金と思われる業者もあるようだったから、当然取り立てもあるだろう。稼ぎ手が『蒸発』したとは言え、それほど世間は甘くない。どうやって金を作ろうか、その旨を告げると少年は「取り立てに来るのはどうせ暴力団関係者だろうから手回しをしておく。だから心配しなくていい」とのことだったが、心配は消えてくれなかった。

「お疲れ様。遺品整理ご苦労様だね」

 あの出来事から、二日経った。

 少年はソファーに腰まで埋め、他人事のように呟いた。

「コーヒーでよければ煎れておいたから」

「ありがと」

 意外に気が利く、そう思いながら楓は椅子に座ってコーヒーカップに手を伸ばした。

「……、」

 味は、インスタントだった。

(これからは買い物も全て自分でこなさなきゃいけないな)

 インスタントコーヒーの味を噛み締めながら、楓は漠然と思った。

(でも、何とかなる、か。料理なら何とかなるし)

 一時期、楓は料理に凝っていた時期があった。

 それは確か小学六年生くらいの夏休みで、料理に夢中になったきっかけは母の包丁捌きに憧れたから、だったような気がする。でも小六という多感な時期だったのが仇となったのか、夏休みが終わるとすぐ飽きてしまって何もかもうやむやになってしまった。尤もその小六の夏休みで料理の腕は格段に上がり、高校受験の時には勝手に有り合わせの残り物で夜食を作っていたから食事に関してあまり危機感はない。

(何とか、なる)

 コーヒーを飲みながら、楓は自分自身に言い聞かせ、そして何気なく壁に掛かっているカレンダーに視線を流した。

(―――二日、か)

 二日。

 両親が殺されてから、もう二日経った。

 楓は学校を二日間とも休んでいた。

 既に『蒸発した』ことを把握していたらしい担任は、ひとまず今後のことを考えるのを止めて今はゆっくり休みなさい、とそう告げて、欠席を咎めようとはしなかった。有り難い限りである。

「それにしてもさ、つまんないな」

「……は?」

 少年が煎れたコーヒーを口元から離して、楓は少年を見る。

「仮にも、オレは家族を皆殺しにしたんだよ? 折角武器があるんだから寝込みを襲ってきてもいいのに」

 少年は、リビングの壁に立てかけてある漆黒の大鎌を一瞥する。

「寝ているときが一番無防備なんだよ?」

「それもそうだけど」

 楓はコーヒーカップをテーブルの上に置いて、

「今は、まだしない」

 毅然と、告げた。

「確かに、殺したい。出来るモノなら今すぐにでもね。だけどアンタが言ったようにまだアンタを殺せない。私の、父親を守れなかったように、今の私じゃまだお前には届かない。きっと『寝込みを襲う』ってハンデもらってもダメ。ちゃんと自分のチカラを使いこなせるようになったら、そん時は改めて殺すから。心配しないで」

「―――やっぱり、お師匠様にそっくり。ふふふ。オレは楓ちゃんのこと好きになっちゃったよ」

「冗談。これでも腸が煮え繰り返ってるんだから」

 楓は残りのコーヒーを一気に飲み干して、椅子から立ち上がる。

「どこ行くの?」

「まだ、いろいろ片付けがあるの」

「頑張ってね」

 冷淡な少年に見送られ、楓は廊下に出、階段を駆け上がる。

 殺したい。

 少年に対して、圧倒的な憎悪が楓の心の真ん中で渦巻いていた。

 だけど、今それを開放しても良いことはないのだ。

 実力の差があり過ぎる。

 前回、あの少年に歯向かった際、能力があったのに、冷静で居られたつもりだったのに、それでも父親は死んだ。守れなかった。戦闘中は良いように弄ばれて、結果的には何も出来ずに少年に一刀の元に(峰打ちだったけれど)斬り捨てられた。

 楓には絶対的に力が足りない。

 今歯向かったところで、返り討ちに遭うのは必至だ。それにこの差は一朝一夕でどうこうなるようなモノではない。長い時間を掛けて、じっくり自らを鍛えなければ埋まらない、そんな絶望的な差が楓と少年の間にはある。

 だからこそ、埋める。

 埋める手段がある。

 少年から技術を学ぶ。その技術をフルに活用し、両親や家族の敵討ちをすればいい。一見遠回りの道のりかも知れないけれど、冷静に考えるとそれが確実でベストな選択肢だと楓は思う。

(待つ)

 階段を駆け上がって、楓は心に刻む。

 絶対に殺す。

 両親や家族の仇は絶対に討つ。

 心の中で絶叫し、楓は両親の寝室に駆け込んだ。

 駆け込んで。

 ―――駆け込んで。





 ――――――駆け、込んで。





 少年に二つ置かれていた父のベッド、母のベッド。

 父が愛用していた本に本棚、そして母が大事にしていた油絵に簡単な化粧台。化粧台の上には小箱があった。

 何気なく、その小箱を手に取って、蓋を開く。

 リングだった。

 飾り気のない、銀色の。

 それは生前父親から貰ったと、母親が大切にしていた指輪で。

 ふと、両親が存在していた残滓を目の当たりにして。

 楓は、崩れた。

 抱く考え、感情、全て丸ごとかなぐり捨てて。

 まるで迷子になった幼子のように泣きじゃくった。

獅子は笑っていた。笑って、羊に惚れ込んだ。

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