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詠う者、斬る者  作者: 杞憂涼弥
ミドルスクール
5/5

4 襲来警報


「う、そ…」


警報以外の音が一切止まった空間…――先ほどまでの通りの喧騒などさえも一切音がしない空間に最初に響いたのは、レイラさんの声だった。信じられない、といった緊張した面持ちでレイラさんはそのまま固まってしまっている。緊張している、というよりは恐怖で怯えている、といった方が的確な表現かもしれないが。


そして、その警報には聞き覚えがあった。


脳内に一気に押し寄せる記憶。



叫ぶ人。

慌てふためく人。

泣き喚く人。


そして目の前に広がるあの光景…。

目の前には、××がいて…。

僕の横には、ソーマがいて…。

そして…―――。


そこまで一気に脳内へと記憶が押し寄せてきたところで我に返った。

だめだ…ダメだ、駄目だ。今思い出すわけには、いかない。思い出したら、何もできなくなる。

目を思い切り瞑り、頭を軽く振り、目の前のレイラさんに焦点を合わせる。



「レイラさん、この警報って、襲来警報…で合ってますよね?」



僕の言葉に、何とか頷く彼女は先ほどよりも青白く、唇はかすかに震えていた。



襲来警報。

透濁物[トランスパダティ]の襲来時に鳴らされる警報。


僕の住んでいた地方でさえも1年に1回の襲来なんてなく、警報を聞くこと自体無いに等しい。…あの1回を除いて。

だからこんな都市部で襲来警報が鳴ること自体、かなりの異常事態であることは容易に想像できる。僕が生きてきた中で、都市部に透濁物が出没した、ということは聞いたことが無かった。都市部での襲来なんてニュースにならないわけがないから、おそらく僕が物心ついた頃から襲来は無かったのだろう。



今は、避難するとしても、外の状況が分からないので下手に動くことはできない。

どの規模の透濁物が襲来しているのか。

どの属性の透濁物が…。

そもそも透濁物の知識が曖昧だった。

ミドルスクールでは最低限のことしか習わない。最低限と言っても本当に最低限で、透濁物の大きさによる区分。属性がある、ということ。そして、何件かの襲来の事例。たったそれだけだ。ハイスクールで詳細を学ぶとされている。つまりミドルスクールで習った知識など価値はほぼ0である。


ここ数十年大規模な襲来がなかったということによる油断が、命取りになることもあるかもしれないというのに…。



「大丈夫であろう…。ひとまず落ち着いて、なるべく動かないようにしてくれるかの」



マスターの声に頷き、店内を見渡す。


幸いにも、今店内にいるのはマスター、そしてレイラさんと僕の3人だけで、パニックにはなっていない。


外はというと、人がいなくなっていた。先ほどまでの様子からは想像ができないほどであった。窓から見える通りは、中央の通りとまではいかなくとも、一本外れただけの通りなので人通りはあった。それが今は人影1つですら確認することができないのだ。ただ、道には台車や籠などが放置されているため、つい最近まで人がいた、ということはいやでも実感する。


レイラさんに視線を戻すと、窓の外を見たまま微動だにしない。


だが、その指先は僅かに震えていた。



「レイラ、さん…?」


「…ゃ」



呼びかけても、僕の声が耳に入っていないらしく、意識をこちらに向けようとしない。

手を伸ばしたく彼女に触れることにより強制的に意識をこちらに向けようとするのを堪える。彼女が何を見ているのか分からない状態で、僕が迂闊に動いてしまうのは躊躇われた。ゆっくりと、あまり顔を動かさないようにし、レイラさんが見ている方へと目を向ける。



「っ!」



声にならない叫び声…いや、違う。出そうになった声を無意識のうちに押し殺していた。



通りを挟んで向かい側の建物。

その屋根の上にいたのは、透濁物だった。


大きさは、おそらく1メートルほど…。

何か獣のような形をしているようにも見えるが、ここからでは断定ができない。


レイラさんがさっきから様子がおかしかったのはこのせいか。

話にだけ聞いていた透濁物の襲来を初めて受け、その透濁物を目の当りにしたら、誰でもこうなるだろう。僕が、何とか自分を保ち冷静でいられるのは、一度目の前で透濁物を見たことがあるから。



「レイラさん…動かないでください」


「…」



聞こえているかも分からない。

いや、おそらく聞こえてはないのだろう…。

完全に飲まれてしまっている。


もう一度透濁物に視線を戻す。

生物として、固定の形を保たない透濁物が、どちらを向いているのかは、全く分からない。もし、どこか他の場所を見ているのであれば、すぐにでも窓からの死角に移動してしまえば見つからずに済むだろう。


でも…――、


もしこちらを見ていたら…?

様子を伺っているのだとしたら…?


次の行動を考えれば考えるほど、何が最適なのか分からなくなってくる。


店内の空気は何分か前には想像もできない程の緊迫感で包まれていた。

僕が状況を説明したわけではないけれど、僕の行動からマスターも何が起きているのか理解をしているようだった。



「レイラさん…」


もう一度声を掛けてはみるが、当然のように返事はないし、反応もない。


「…」



透濁物から目を離そうとしない彼女は、本当は怖くて見たくもないはずだ。

だが、それ以上に目を逸らした瞬間に襲ってくるのでないか、という恐怖が勝っている。


このまま目も逸らさず見続けていたら、おそらく透濁物に気付かれるだろう。

動いて気付かれるというリスクも避けたいが、何も動けない状態で襲われるよりは、いくらかマシだろう。

そう判断し、僕はそっとテーブルの上のレイラさんの指に触れる。

ピクリという反応の後、恐怖に染まったその瞳で僕の方を見た。



「レイラさん。大丈夫ですから。だから、テーブルの下に隠れてください」


「そんなの…無理」



反応してくれたことに少しホッとした。

でも、ただ反応するだけではまだ足りない。動けなければ、意味がない。



「見ていても状況は変わりません。…むしろその視線に気付かれる方が危な」


「え!?」



危ない、と言い終わるよりも、レイラさんの反応は早かった。

それに気付き、マズイと思った時には、もう遅かった。


そこにいる透濁物が襲ってくるのに恐れ、それをずっと凝視していたレイラさんに、今の言葉は言うべきではなかった。

それに気付いたのは、レイラさんが僕の言葉に敏感に反応し、警報以外の音が一切止んでいる空間に響くような声を上げながら僕の方へと顔を向けた時で―――、


慌てて僕が顔を透濁物へと向けた時、微かに透濁物が動いた。



マズイ。



そう直感し、もう音など気にせずに椅子から勢いよく立ち上がり、テーブルを横から回り込みレイラさんへと手を伸ばす。



「レイラさん伏せてっ!!」



突然の僕の行動に一瞬呆気に取られたレイラさんだが、それは一瞬だけですぐに状況を理解したようだった。

でも、恐怖に支配された体は、そう簡単には反応して動くことはできない。


窓の外を確認する余裕すら無く、そのままレイラさんを抱え込むようにして椅子ごと後ろへと倒れこんだ。後頭部に手を回し、頭が床へと直撃することを防ぐ。


僕らが床へと倒れこむと同時、パリンなんて可愛い音では済まない窓ガラスの割れる音に加え、テーブルの上のカップが床に落ちてガシャンと砕け散った。


目を開け、ほんの数秒前まで自分のいた場所を確認する。

丁度僕がいたあたりのテーブル上にいたのは、数秒前まで屋根にいた透濁物だった。



「レイラさん、このまま角まで移動します」



レイラさんを背に隠すようにしながら、少しずつ後退し、入り口の扉とは反対の壁まできた。

攻撃されたら、一瞬で逃げられなくなる。実際には今でも逃げられない状況であるのだが、僕が倒れこんだ方向が奥の壁側だったため、窓の位置から考えても扉側に逃げる、ということは不可能だった。この狭い店内で、透濁物から距離を取るにはこの方法しかなかった。


透濁物の攻撃方法で、この後どう対処すべきなのかがいくらか絞ることができるが、この透濁物が何の属性なのかすら分からないし、分かったところで専門的な知識があるわけではないから自己判断での攻撃、ということになってしまう。


どうすれば、切り抜けられる…?



「光じゃ!直接目に浴びてはならぬ!」



突然のマスターの声に、視線をカウンターに移す、が、マスターの姿はない。



「マスター!?」



あまり大きな声を出して、透濁物を刺激するのは躊躇われるが、目の前にいる今、そこまで状況が変化するわけでもないだろう。



「カウンターの中におる。大丈夫じゃ」



おそらく、大丈夫ではないだと思う。

透濁物の攻撃が分かるということは、きっと攻撃を浴びたのだろうから。


今動けるのは僕だけ。

背中にギュッとしがみつくレイラさんは小刻みに震えている。


3メートルに満たない距離に透濁物。


魔法で、どうにかすることはできる。

できるけれど…―――、



僕は魔法を使うわけにはいかない。



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