1 ミドルスクール卒業
「はい、みんな、準備はいいかしら?タイは曲がってない?ブローチは付けた?」
担任のアンナが教室に行き届く声で確認を取った。生徒は「はーい」と返事する子が少数。大半は私の話が耳に入っているのかすら分からない状態で、周りの友達と談笑している。
そりゃあ、そうよね……一人で納得し、苦笑しながらアンナは教室を見回した。
大陸の端にある、あまり規模が大きいとは言えない、ファント・ミドルスクール。
その学校で、今日は卒業式が行われる。アンナの担当は卒業生のクラスで、これから会場である講堂へ向かうところだった。
一年生の時から自分のクラスで受け持っていた子もチラホラいて、卒業を目前に控えた少しだけ大人びた顔を見ていると、必然的に時の流れを感じさせられる。それは嬉しくもあり、少しだけ寂しくもあった。
この世界では10歳から15歳までの子供がミドルスクールと呼ばれる中等教育の行われる学校に通う。
そこではエレメンタリースクールで習い切れない基礎的な内容を学んでいく。
語学から始まり、数学分野、化学分野、音楽分野、美術分野、など様々な分野を幅広く学べる場所となっている。
三年生より、個々の興味のある分野へと徐々に学ぶ分野を狭めていく。そして卒業時にはハイスクールで専攻する分野を決める。
ハイスクールでの専攻はそれこそ何十にも及ぶ。
それはつまり、一つずつの専攻の狭さ、深さを表している。ミドルスクールで分けられていた各専門分野が、より枝分かれするのだ。だからこそ、ミドルスクールでの三年生からの分野選択は重要になってくる。
そして、ハイスクールで専攻したものが、そのまま将来の仕事に直結することも少なくなく、ミドルスクールでは専攻の選択への重要さを呼びかけている。
……と言っても、専攻した分野での仕事に必ずしもつける、という保証があるわけではなく、実際のところ、本人の努力次第だったりするわけだけど。
本人次第で、専攻は一つだけでなくてもいいから、同時にいくつかの専攻を進めることもできる。めったにそんなハイスクールは無いのだけど。あったとしても、学費の問題で中々いくつもの専攻を受けさせてあげられない、ということも耳にしたことがある。結局は、優秀な学生が学校からの補助でいくつもの専攻を受講することができるわけだ。
中には独学で十以上もの専攻修了試験に合格した者もいるそうだ。…ただ、それこそ秀才だとか天才だとか言われる部類のほんのわずかの人種であり、一般的な人々には到底無理だろうし、それこそまずしようとしないだろう。
ミドルスクールを卒業すると、ハイスクールへと進学する。ハイスクールへの進学は学区など特に定められていなくて制限がないため、地方のハイスクールへと通う者もいれば、中央都市部のハイスクールへと進学する者もいる。
それはつまり、ミドルスクールでの学友との別れを意味する。
ファント・ミドルスクールは地方にあるため、この土地に残る者、都市部へと出る者が両極端となる。
もう会えなくなる子もいるのか……。卒業生を受け持つのは初めてで、教え子が卒業していくこの心境をどう表せばいいのだろう。あぁ、そういえば、私も、ミドルスクールを卒業して十年になるが、ずっと顔を合わせていないクラスメイトが何人もいる。みんな、どういているのかしら。
そんな自分自身の過去にまで思考をしたところで、ふと我に返る。壁の時計に目をやると、そろそろ教室を出なくてはいけない時間だった。
もう一度教室を見渡し、ふぅっと一度深呼吸をして、目の前の生徒たちに笑顔で呼びかける。
「さぁ、卒業式の会場へ行きましょうか」
どうか、みんな、お元気で。先生はいつでも、応援しています。
卒業式後、校舎の廊下にて―――
「おい、タクト!」
タクトと呼ばれた少年が声のする方へと振り返る。
高い身長に、スラッとした手足の姿は少年ではなく、青年の方が合っているようにも思う。15という年よりもかなり大人びて見える容貌だ。
髪と瞳はどちらも鳶色をしていて落ち着いた印象を与える。
「…お前、中央都市のハイスクール行くって本当かよ」
「あー、言ってなかったっけ?」
「言ってねーよ、バカ。あータクトが行くなら俺も中央のハイスクール探せばよかった」
タクトのおどけたような仕草は、もう一人の少年には通じなかった。
そう言う少年はタクトよりもいくらか身長が低く、その言動からか、だいぶ幼く感じさせる。タクトが大人びているせいでもあるかもしれないけれど。
朱色の髪が特徴的な少年だ。
「ソーマさー…。僕のこと好きすぎ。別に一生会えないわけじゃないんだし、たった四年間じゃん」
「好き!?お前調子乗るなよ!別に好きとかじゃなくて…は、張り合う相手いねーと、やりがいがねーんだよ!」
タクトはため息をつき、そのまま歩き出す。
ソーマは慌ててそのままタクトの横にピッタリと張り付いて一緒に歩く。
その様子を見て、タクトはまたため息をついた。
「ソーマは何科に進むんだっけ?」
「はー?そんなの言わなくても分かるだろ!」
何を今更、とでも言いたげなソーマの顔を見て、タクトはボソッと呟いた。
「…剣術科」
そのまま歩き続けるタクト。その横で、ソーマは嬉しそうに笑い、タクトの肩に手を伸ばしそのままポンと叩いた。
「そうだよ。てか、タクトもだろ?」
当たり前、とでも言いたげなその顔を見て、思わず顔を顰めた。
一瞬口をキツく結んだが、意を決したように言葉を放つ。
「色詠[しきえい]科」
その単語を聞いたソーマはそのまま表情を固め、何を言っているのか理解できない、とでも言いたげな視線を送ってきた。
それでも次の言葉を発しようとしないタクトに、ソーマは思わず不満を漏らす。
「タクトが色詠…?おい、お前、何考えてんだよ。…確かに剣術ってタイプじゃないだろうけどさ、それでもお前の剣術の腕は俺なんかよりも上だし、剣術だけじゃない、他のだっていいじゃないか。何でわざわざ色詠なんか」
「ソーマ」
決して声を荒げたわけじゃない。威圧的な態度を取ったわけでもない。
だが、タクトの声に、ソーマは黙るしか無かった。
「僕が決めた道だし、それがソーマであっても文句は言わせないし、聞きたくないんだけど」
それだけ言うと、タクトはもう何も話そうとしなかった。
昇降口へと辿り着き、外履きへと履き替え、上履きは手に持っていた袋へとしまう。もうこの学校へも来ることはない。
「なぁタクト。お前、まだ…引きずってんの?」
突然ハッとしたように声のトーンを下げ、恐る恐る尋ねてくるソーマ。
そんなソーマに僕は冷たい視線を送る。
「…」
「別にあれはさ…。タクトのせいなんかじゃないし、そもそも誰のせいでもなかったんじゃないのかよ…」
二人の間を沈黙が流れる。
ソーマは僕の何を知ってるって言うんだ。確かに、ソーマといる時はまだマシだし、少しは力を抜いていられるから、いいけれでも。それでも、僕がいつもどれだけ気を張っていると思っているんだ。
もう何も言いたくない僕はため息をつきながら校舎を出る。慌てて僕を追いかけてくるソーマは、僕の顔を覗き込みながら、二カッと笑って言い放つ。
「お前、シエルに負けたのまだ根に持ってんのか!」
予想外のその言葉に、もう何も言葉が出なかった。
そうだよね、ソーマだもんね。気付いているはずがないよね。
「あーもー!別に、本当にそんな理由で色詠科に行くわけじゃないことくらい分かるよね!?」
「さぁ?どうだか?」
にやにやと笑うソーマに心底腹が立つ。
でも、よくよく考えてみれば、あのことは、たとえソーマだとしても覚えているはずがない。
「なーにやってんの、お二人さん?」
今この現状で、一番来てはいけない人物、シエルが突然背後から声をかけてきた。
何だよ、今日は珍しく来ないと思ったのに。なぜこのタイミングなんだ。
シエルは僕の家の隣に住んでいる幼馴染だったりする。この年でも普通に仲は良く、ソーマとも仲がいい。そんな彼女は小柄な体格で、年の割には発育もいいわけだが、とにかく剣術がすごい。
後頭部の高いところに一つにくくったその焦げ茶の長い髪を揺らしながら、迷いもなく一瞬の隙も無い、無駄のない動きで相手へと向かっていく。
と言っても、体格の差から一度の負けも許したことの無かった僕だったが、三カ月ほど前の剣術の授業での模擬試合で、クラスメイト全員の前で敗北したのだった。
負けた事自体ももちろんショックではあるが、それよりもクラスメイト全員の前で、という部分は僕に莫大な精神ダメージを負わせた。今思い出すだけでも、悔しすぎるわけだが、今考えたとしても、どうにもならない。…してはいけない。
「お~シエル、お前も今帰りなの?」
「そうよ。ね、タクト。一緒に帰ってもいい?」
「別に、いいけどさ。ソーマも帰るでしょ?」
「あー。いや、俺はいいや!じゃあ、タクト、またな!元気に頑張れよ!」
さっきまで、僕と帰る気満々だったはずなのに、一体どういう風の吹き回しだろう。
そんな思考をしている僕の隣では、シエルが何やらぶつぶつ言っていた。その顔は赤くなっていたが、僕にはどうすることもできない。
たとえ、その理由を知っていたとしても。
「ま、とりあえず、帰る?」
「うん」
いつもの帰り道。ただ、一ついつもと違うのは、僕はもうこの道を明日からは通らないってこと。
「タクトさ…?本当に、中央に行っちゃうんだよね…?」
「うん」
「また、戻ってきてね…?」
「戻ってくるよ」
「約束だからね…?」
いつもの違う雰囲気のその声に、僕は横にいるシエルの顔を見ようとした。
でも、それはシエルによって阻止される。
「今こっち見るなバカ…」
見るなと言われたからには見ない方がいいのだろう。そのまま前を見て歩きながら、僕は歩き続けた。
さっきまで真横にいたはずのシエルは、いつの間にか一歩下がったところを歩いている。でも、僕はそっとシエルの手を握ることもできないし、何か言葉をかけることもできない。
僕には人と関わる権利なんかないんだ。もういっそのこと、全てから逃げてしまいたいし、いっそのこと世界を壊してしまいたい。
でも、それを実行する気なんか本当は無くて、今もこうやって惰性で人と付き合い続けている自分に嫌気がさしてるけれども、改善する気もサラサラなくて。
だからこれからも、僕は僕のまま、自分を出すことも無く、生活していくのだろう。
シエルとはいつの間にか、数メートルも離れてしまっていた。泣いている彼女を慰めることすらできない僕は、そのまま歩き続けた。