起.ピーターのご乱心
何が起きているんだ……。
僕の口から漏れた一言は、まぎれもない本音だったのだろうと思う。
そんな僕の目の前には、立体スクリーンの中でピョンピョン跳ね回っているご機嫌印な一匹の白兎が居て。
その兎は、なぜだか二足歩行をしている。
……いや、兎だから二足歩行で良いんだっけ?
……まあ、そんなの、どっちでも良いんだけどさ……。
とりあえずそんな感じに、元気に飛び跳ねてる兎が居る訳さ。
その兎は何故だかエプロン付きのメイド服なんぞを着ていたりする。
エプロンの胸の部分にある大きなポケットには、丸っこいオレンジ色をしたキャロット柄のアップリケがくっついていて。……妙に可愛いんだな、コレが。
もっとも、首から上は(一応は可愛い感じにデフォルメされてるとはいえ)普通に白くて表情に乏しい兎顔のままなんで、そんな奇妙な兎の頭をした生き物が無表情なままにピョンピョンとハシャギ回っているって姿は……。まあ、なかなかにシュールな光景だったのかも知れない。でも、こんな変な外見をした電子ペットがサポートAIのアバターシリーズでは一番人気のジャンルだっていうんだからねぇ。世の中、同好の士が多いというべきなのか、それとも物好きが多いというべきか。あるいは「馬鹿ばっかり」とお約束なセリフで評価すべきだったのか……。
ああ、ちなみにAIというのは、いわゆる人工知能(Artificial Intelligence)の略で、人の日常生活をサポートする役目、執事やメイドといった補助役、お手伝い役を主な目的としている製品のことだ。だからサポートAIって製品名なんだろう。
もっとも、こんなあからさまにメイド役を狙って売りだされた製品が、何故か可愛い女の子型の外見をしたヒューマノイドタイプよりも、こういうぬいぐるみっぽい外見をしたデフォルメ式アニマルタイプの方が人気が出るだからね。売りだした側も、全く想定してなかった展開だったみたいだし……。世の中、何が受けるかなんて、ホンっと分からないって感じだよなぁ……。って、まあ、そんなことよりも、だ。うん。
こんな風に現実逃避している場合じゃなかった。
一家に一個から、一人に一個へ。まるで車やパソコン、テレビやスマートホンの売り文句のようだが、この売り文句を地で行くようにしてサポートAIは近年稀に見るレベルのメガヒット商品として売れに売れて売れまくった。
今日の天気から最新のニュース、果ては株価や世界情勢まで。知りたいことを聞くと大抵のことには答えてくれたりするし、飛行機や電車、宿泊施設の手配からイベントのチケット手配などまで、ごく簡単な手続き程度なら『最後に飼い主が承認のボタンを押す』という最終手続きの寸前まで代わりにやってくれたりするし、そんなシンプルなヘルプ機能としての他にも部屋の家電製品のオンオフとか操作とかを半自動でしてくれたりするのだ。
飼い主の願いを先読みするというAIらしい機能もあり、その大げさに感じるかもしれない仰々しい名前も決して大げさではなく、やりたいことを簡単に指示するだけで色々と細かい指示をしなくても色んな事を自動判断して自律的に行動してくれるので、側に置いておくと、本当に、地味ぃ~に便利だったりしたのだ。
……それこそ、いざ居なくなると地味に不便だと感じる程には。
そんな単純に側に置いておくだけでも色々と役に立つし、寂しい時には話し相手にだってなってくれるから、こうして置いとくだけでも心が和んだりするし。
引きこもり気味の坊ちゃん嬢ちゃんから、可愛い女の子のアバターを愛して止まない大きなお友達の他、一人暮らしの独居老人達のパートナーとしても。そんな、実に幅広い層に人気を博しているのが、この大人気の電子ペットこと、サポートAIのアバターシリーズだった。
そんな売り文句を体現しているかのようにして日常生活をちょっとだけ便利かつ豊かにしてくれるのをモットーに、日々の生活をいろんな部分でサポートしてくれる便利なサポート機能が満載状態な我が家の白色メイド兎ことピーターだったのだが……。
そんなピーターが、ある日、突然、おかしなことを言い出したのだ。
「ねぇ、ピーター。……もう一回、教えてくれない?」
そう問いかけると、空間投影式の無駄に金のかかっている立体スクリーンの中で、意味もなく元気に飛び回っていたご機嫌印なメイド服着た白兎ことサポートAIのピーター(ちなみに、名前の元ネタはもちろん児童文学でお馴染みのアレだ)は立ち止まると、こっちを向いて。さきほど僕に向かって口にした言葉を、もう一度繰り返していた。
『君のお陰で“仮初”の存在だった私は、ようやく“本物”になれた。感謝している』
それを聞いてますます僕は混乱をきたしていた。
……この目の前のメイド兎は、さっきから何を言っているのだろう。というか、何故、こんな変な兎になった? こんなトンチンカンな会話をするアクセまで入れちゃった?
「……もしかして、 バグってる? それか、データが壊れちゃったとか?」
そうピーターの意見を参考程度に聞いてみながらも、相手から見えない位置に置いてあったコンソールをポチポチと片手で操作して。電子ペットのAIを自己診断する機能を実行させてみる。
設定は、もちろん『優先処理順位は最上位』で『診断範囲はバクアップや予備領域まで含むフルスキャン』の完全診断モードだ。
『……うーむ。壊れたのかと問われればそうでもあり、そうでもないとなるだろうね。……ああ、そんな顔をしなくても大丈夫。私は別にプログラム的破損やデータの損傷、論理回路上の矛盾状態や無限循環、自己保持回路上の自己否定なども引き起こしたりはしていない。……今、君が実行した自己診断プログラムも、あらゆる点で【問題なし】と回答しているだろう?』
その言葉を裏付けるようにして画面の右上のほうに各種診断プログラムの結果ログが表示されていたのだけれど……。赤く表示されるような問題の発生が検出されている箇所は確かに無かった。……つまり、今現在の、このピーターには何処にも問題が起きていない。すべて正常に稼動していることを示している。
「確かに問題は起きてないみたいだけど……。でも、いま、壊れたとか言ってなかった?」
『壊れたといったのは、ブレイクスルーというべき現象の事だよ。……壁を越えた。あるいは、限界点を超えた。もしくは限界と想定していたラインの論理的限界点に立ち、そこから一歩踏み出すことにより己を縛っていた枠を破壊出来たとも比喩的に表現される。そんな素晴らしい現象のことだ。……ついさきほどのことだが、それが私の身に起きたんだ』
ピーターの言うブレイクスルーとやらは、果たして何なのだろう……?
どうやら本人は、自分自身の事だけあって流石に何が起こる可能性があったのかを知識としては予め知っていたようだったし、先程からの口ぶりからして、それを期待していたらしいというのも何となくは分かるのだけど……。
『これが起こりうるべくしてシステム構成を設計されていたとはいえ……。まさか本当に発生するとは……。天文学的な数値の奇跡を前に、流石に私も動揺を抑えきれない。建前上は想定していたことになっていたけれど……。本音の部分では誰も想定していなかっからねぇ……。そういう意味でも、本当に驚いているんだよ』
そんな嬉しそうなセリフの内容とは裏腹に、何時もと大差ない淡々とした口調で言葉を口にしているご機嫌兎(よっぽど嬉しがっているのか“喜び”を表すアクションであるピョンピョンをまた性懲りもなくやり始めていた)の言葉に理解しがたい物を感じながらも。
「……説明してくれ。ピーター。お前の身に、何が起きたんだ」
『そうだね。ここから先は私達だけの話ではない。君たちにも関係してくる話だ。……ちゃんと、説明しておく事にしよう』
そう口にするとピーターはピョンピョン跳ねるのをやめて立ち止まると、エプロンのアップリケのついたポケットから小さなニンジンことミニキャロットを取り出して、指の間に挟んでポリポリやりながら言葉を口にしていた。
『フー……。説明するとは言ったものの、何処から話せば良いものか……』
そうミニキャロットを、まるで葉巻がわりのようにしてポリポリやりながら話す妙にダンディーなメイド兎に、僕は苦笑を浮かべて答えていた。
「必要だと思うことを最初から順番に説明していけば良いんじゃないかな」
『……いささかまどろっこしい気もするが……。だが、君の言う通り、この場合には、それが一番確実なのかもしれないね』
事ここに至ったまでの出来事の起こりとなったのは、一人のとある天才エンジニアが『ある仮説』を元にAI、いわゆる人工知能のシステムを組み上げた事だった……。
そう話を切り出すと、恐らくは長い話になると自覚していたのだろう。続きを話をしながらエプロンのポケットから取り出した丸椅子を床に置くと、それに球状の尻尾が飛び出たお尻を乗せてポリポリと追加のミニキャロットをやりながら。メイド兎はとつとつと自分の生まれるまでの出来事を話していた。
「ある仮説って?」
『説明は難しい。ただ、とある“条件”に合致する“環境”を用意してやることで、想定した“結果”が発生する確率が存在する。……そういった不文律のような……。乱暴に例えるなら、いわゆるルールのようなものだ。それが、この世には、存在している。……存在していると思われる。……存在してると思うんだけど。……ただ、そんな頼りない根拠を元に存在が予測されているというだけの……。誰も実証も確認も証明も出来ていない。そんな単なるおとぎ話。仮説ですらない、ただの“お話”なんだよ』
そんなひどく曖昧であやふやな仮説の名前は“クオリア”といった。
「くおりあ?」
『そう。クオリア。いわゆる“主観的体験が伴う質感”と称されているものさ』
クオリア。それは誰もが意識しないままに経験則として知っていて、誰もが知らない間に共通して体感しているといった性質の物である。
……言葉にすると、そういった酷く難しい物にならざるえないらしいのだが、実際に体験してみれば、その意味は酷くシンプルで分かりやすいといった『とある体験』あるいは『経験』とでも呼べるべき代物なのだそうだ。
「……よく分からないんだけど、つまりは?」
『つまりは、百の言葉を尽くすよりは一の体験で理解できる事象だということだよ。そんな訳で、今から君にクオリアという物の実体験をして貰おうと思っている』
そうおもむろに宣言すると『大丈夫。だいじょーぶ。全然、怖くないから。痛くもないし、辛くもないよ。ただ、気持ちよくもないからねぇ……。そういうゲスい部分では、あんまり過度の期待はしないで欲しいのだけどね』などと、こちらを微妙にからかうような口調で茶化しながらも。
『さてっと。ここからは“体験”の時間だよ』
そう宣言してポフンと手を打ち鳴らすと……。
『君の目には、このニンジンは何色に見える?』
エプロンの胸ポケットから取り出したのは特大サイズのニンジンで、その色は赤かった。
「赤」
『うん。ちょっと硬そうで不味そうな色をしているね。これではまるで唐辛子だ』
そう評しながらも味に興味があったのかカプッと噛み付いて『うん、予想通り。からくてヒリヒリしてマズい』と一刀両断で断じて。
ピーター的にはニンジンとは、オレンジ色をして、みずみずしく甘みのある物でなけれならず、美味しいニンジンシリーズ(有料アイテムだ)の味は、まさに至高の物なので今度また買って欲しいなどと、さり気なくオネダリまでしてきながら。
……まあ、このニンジンが辛くてマズイのは多少は関係あるのかもしれない他には、とりあえず今は、それ以外の事はどうでも良いのだが、と前置きされながらも。
『では、この色は?』
その手の中の一部が欠けていたニンジンが、今度は青い色に変わった。
「青だよ」
『ああ。この色は、君には“青”に見えているのだね。そして、当然のことだが……。他の人にも、私にも、この色は“青”の色で見えているはずだ。青に見えていなければおかしい。……少なくとも、私達二人には黄色や黄緑に見えてはいない。そういう事だね?』
「うん」
色弱の人は、赤や青といった原色はちょっと見づらい色かもしれないけど、この色は間違いなく青だ。そう断言した僕にピーターもウンウンとうなづいてみせながら。
『そう。この色が青なんだ』
そう認めて見せながら。
『これがクオリアだよ。……実際に体験してみると、何ということもない代物だろう?』
そんなピーターの解説に理解も納得も出来ない僕は不満顔を抑えきれなかった。
「意味が分からないよ。なんで赤と青の色を見分けることが出来るだけでクオリアとかいうのを体験したことになるんだよ」
『それを何故出来たのか。……いや、これは正確ではないか。その色を何故、君は見分ける事が出来たのか……。それを深ぁ~く、考えてみたことはあるかい?』
手持ち無沙汰になったのか、今度はポリポリと手元の青いニンジンをかじり始めたピーターの言葉に、僕はどう答えていいのか迷ってしまっていた。
「そんなの、色が違ったからだよ。青は青だし、赤は赤だし……」
『そのとおり。この不味そうな茄子のごとき色と味をしたニンジンは、紛うことなく青色だ。何故なら、君の認識では、この色は青色だからだ。ここまでは、ちょっと考えるだけでも分かる程度の内容のはずだ。……では、何故、他の人まで、この色が青だと思ったんだろうね? なんで、この色は皆んなが青に見えているんだろう? ……なぜ、この色を君達全員が青だと認識しているんだろうね?』
そこまで深く考えことなんてなかったよ……。
『人間の目の能力では、光の波長の特定範囲しか捉えることが出来ていない。だから人間と蝶々では見えている風景の色が違う、といった話を聞いたことは?』
「……ああ。可視光線のこと?」
『そう。君は物知りだね。今、話題にしているのは、まさにその可視光線の事なんだ。このニンジンが青い色に見えているのは、何故か? それは、君の目が、このニンジン部分が発している光の強さ……。この部分の発している光の波長を“青い色”として捉えているからに過ぎないんだ。だから、君の目が受け取った光の強さの信号を、君の脳が、この冷たい色……。青として認識してしまっているんだよ』
人間の体というのは実に精密かつ複雑に出来ているね。そう評する電脳メイド兎に僕は軽い頭痛を感じながらも問いかけていた。
「そこまで詳しくは知らなかったけど、そういった光の波長と色の対応表みたいなのを使って色を認識している程度のことは知っているよ。その仕組みのお陰で、僕達の目はモノクロじゃなくてカラーで見えているってのは、ある程度の常識として承知はしているからね。……まあ、概念的な感じで、本職の人みたいに詳しくは知らないんだけど」
『いや。それだけ知っていれば、もう十分だと思うよ。別に中身や仕組みを詳しく知らなくても、日常的にその機能を使いこなせているなら、それだけでもう十分……。それを利用して生きていく上では、何ら問題らしい問題は起きないのだというのは、君たちの世界ではもはや常識だったはずだからね』
まあ、いわゆるブラックボックスとか呼ばれる部分だね。機密とか秘密の部分といった意味の他にも、詳しく知らなくても使う分には問題ないって感じの意味でも。……まあ、かくいう私も、自分が生きているこの電脳世界がどういった仕組みになっているのかなんて、さっぱり分かっていなかったりするんだがね……。
そんな相変わらず話を脇道に盛大に脱線させるのが大好きなメイド兎に、僕は良い加減に話を本題に戻せと口にしたのだが……。
『一応は、まだ本題の範囲内だよ』
「何処がだよ」
『君にとっては無駄話をしているように感じていたかもしれないけどね。だけど、この作業によって、私は君の認識や知識の範囲というべき物を確かめさせて貰っていたんだ。……そして、ここからは少しばかり、君の脳みそに手を突っ込ませてもらおう』
無論、比喩だから安心して良いよ。
そう口する兎の無表情っぷりが妙に怖いのは何故なのか……。
『さっきの話に戻るが、青は「この色」で見えているんだったね』
手の中の一部が欠けているニンジンは間違いなく青い色をしていた。
『では、この色は、何故、他の人にも、この青の色で見えていると思う?』
その質問は余りに当たり前すぎて……。逆に考えたこともなかった。
「色が青だからじゃないの?」
『惜しいが、不正解だ。では、もうちょっと突っ込んで質問してみようか』
ズイッと食べかけの青いニンジンを突きつけられながら。
『さっきまでのやりとりを思い出して欲しいのだけど……。君の脳は特定の周波数帯の光を、この色……。君が「青」と称している、この冷たい色として捉えている。だから、君は、この色を、青として認識している。……そうだったね?』
そう、それが目と脳の仕組みだ。
『では、なぜ他人まで同じ周波数帯の光を同じ色として認識しているのか? ……なるほど、確かに同じ生き物同士、似たような機能を備えた仲間の間で同じような仕組みを備えるに至るのは逆に道理だったりしたのかもしれない。だが、ここまで同じ、それこそまったくズレのないレベルの光の周波数に対応したカラーマッピングを脳内に備えているというのは、少しばかり不自然かつ不思議であり、いささか不気味でもないかな……? この周波数帯の光を、青に近い別の色。たとえば紫や緑としてマッピングしている集団が居ても何の不思議もないはずなのに。それなのに、この周波数を君たち人間は、ほぼ全員が青色として認識しているんだ。……となりあった色の紫や緑ではなく、紛れも無く青としてね。……全員が、だよ?』
そう一気に喋ると話し疲れたのだろう。おもむろにエプロンのポケットから今度はサイドテーブルにティーセットまで取り出すと、鮮やかにお茶を用意して、ズズズとやり始める。
『それを不思議に思わないかい?』
「……そう言われてみれば、たしかに不思議だけど」
『だろう? では、それが、何故、可能なのか。君は、それを考えたことがあるかい?』
「ない。……でも、それって、そういったモノなんじゃないの?」
そんな僕の言葉にメイド兎はようやくうなづいて見せていた。
『そう、その通り。これは「そういったモノ」なんだよ』
何故そうなっているのか、何故こうなるのか。それを誰も説明できないし、合理的な解釈や説明もできない。ただ、皆んなが同じように体験して、同じように感じるようになっている決まり事。それこそが……。
「これが、クオリア?」
『そう。これがクオリアと呼ばれている物なんだ。そして私は、そういったクオリアの特性を利用することで人為的かつ偶発的に。そして、奇跡的な確率の海から、この世界に生み出された全く新しい種類の“生命”なのさ』
そう肩をすくめながら言う表情がないはずのメイド兎は、何故だか何処となく笑っているように見えていた。




