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集えGirls!

 

   ◇



「……鉄棒部ぅ?」


 逢坂可奈(アイサカカナ)は直前に耳にした言葉を、いささか呆れた口調で反芻した。


「剣道部じゃなくて?」


「そう、鉄棒部!」


 返ってくるのは、明るく快活な声。怪訝そうな表情で繰り返した可奈とは正反対。

 可奈の正面の席に座り、柔和な笑顔を浮かべている人物――野崎華(ノザキハナ)は本日三度目となる問題の単語を口にした。


「鉄棒部、です!」


 可奈は椅子を引き、目の前でニッコニコしている幼稚園来の幼なじみと距離をとった。呆然としたその顔を見つめる。


――何言っちゃってんの、こいつ。馬鹿なの、死ぬの?


とまではいかないが、可奈の視線には端的にそんなニュアンスの意味が篭っていた。


「あぁ! 馬鹿にしてるでしょ、可奈! あたしは真剣そのものだよ!」


 幼なじみの叱責を受け、ああ、と。可奈は回想する。そういえばそうだった。この子は昔ッから人と少し感覚がズレているんだった――。



 例その一。アテネオリンピックで北島康介が金メダルをとったとき、あまりに凄い凄い言い出すものだから、水泳でも始めるのかな、と思いきや、彼女は温泉旅行に出掛けた。

(いわく、『水がとーっても気持ち良さそうだったから』)



 例その二。全国クイズ選手権たるものでエキサイトしていたその次の朝、彼女は屈託ない笑顔とともに、昔流行った『へぇボタン』を持ってきて、一日中押していた。

(いわく、『ボタンを押す快感にはまったから、皆きっと頑張ってるんだろうなぁ』)



 そう。華は“変人”なのである。着眼点がズレている、ともいう。それはかれこれ十三年間、学校どころかクラスをともにするという偉業(単なる腐れ縁)を成し遂げた自分が1番よくわかっている。きっと今回も上記の類のものだろう。


「で、今回は何に感化されたわけ?」


 一応聞いてあげるという己の優しさに酔いながら可奈が尋ねると、ニマーッ、と。華は本当にホンットウに嬉しそうに微笑んだ。


「内村航平」


 ほら、また始まったよ。可奈は自らの机に突っ伏した。 


「もしもーし。可奈ぁ。聞いてますかぁ?」


「効いてますよ」


 むくり、と起き上がる。眼前には再度広がる華の笑顔。


「ね、ね。一緒にやろうよ。あたしさ、とっても回りたいんだ。こう、ぐるぐるーって」


 これは一体何度目だろう。そしてこの台詞を言うのも何度目だろう。


「嫌です」


 途端に華の顔は悲痛に歪んだ。


「なんで? 可奈はあの回転を見て回りたいって思わなかったの? あのしなりを見て、憧れはしなかったの?」


「んなものするの、あんただけでしょ」


「――いんや、したにちがいない。可奈はツンデレだから、きっと素直に言えないに決まってる」


 ツンデレと称されたことは横に置いておくとして、やーっぱり華のセンスは人とズレている。あれ見たら普通の女の子は『内村様ーん!』とか言うでしょ。なんだい、回転したいって。あれと同じことしたいなら、陸上部でも新体操部でも入ればいいじゃないの。

 その旨を伝えると、華はフッフッフ、と含み笑い。


「あの鉄臭いただの棒でぐるんぐるんするから意味があるんだよ。目標はねぇ……」


 駄目だこりゃ。華ワールド展開だ。こうなった華は止まらない。


「――大車輪!」


 豪語し、華は可奈の手を握った。


「あなたもきぃーっと回りたくなるでしょう! さあ、我らの園へ!」


「嫌」



 一年の夏休みも終わり、学校全体がなんとなーく弛緩しているときのことだった。 



   ◇



「本当にやるのー?」


 放課後になり、本当にやる気満々の体操着姿で目の前に立ち塞がった華に連れられ、可奈は鉄棒の前に立った。そして、文句をたらたら。

 そう、そもそも自分は花も恥じらう女子高生なるものである。何故鉄棒なんかしなくちゃいけないんだ。懸垂一回すら丁重にお断りするわ。


「するの」


 が、親友(華いわく。可奈は腐れ縁によるもの、と断言する)である華は、意気揚々と荷物も砂場に放り投げた。


「あーあー、女の子でしょ。もうちょい優雅にさぁ」


「いんや。今のあたしは女の子じゃないよ、可奈。さしずめ、テツバーだね」


 豊満な胸を張りながら、華は自信満々に言う。可奈はその意味を考え、首を傾げた。


「テツバー、てつばー、てつばぁ……ああ、」


 tetsuberね。鉄棒を捩っただけ。


「なんでも―erつけりゃそれになるわけじゃないよ」


「そう? フィーリングはそれっぽいじゃん」


 両手両足を一通りぷらぷらとさせた後、華はガシッと力強く鉄棒を掴んだ。不敵に笑う。


「まずはわたくしが見本を見せて差し上げましょう。可奈はあたしの後ろをただのんびりとついてくるがよい」


「はいはい」


 冷たく返す可奈の前で、華はふんっ、と気合い注入。そして重いっきり地を蹴りあげた。どうやら逆上がりから入るつもりらしい。結構綺麗なフォーム。おぉ、と可奈は感嘆の声をあげる。


「おっ、りゃぁぁぁぁっ!」


 届いてない。明らかにその両足は回るために届かせなければならない地点まで達していなかった。プルプル震える両足をたっぷり十秒ほど伸ばしたり、振ったりした後、


「んげ」


という悲鳴とともに華は地に落ちた。

 そのまましばらく砂場に大の字で寝転ぶ華のもとに、可奈は寄っていった。


「気は済んだ?」


「――まだ」


 その瞳に強い意志を宿した状態で、華は立ち上がる。 

 鉄棒を掴む。地面を蹴る。届かず、静止する。落ちる。可奈は小さくため息をついた。

 華は昔からこうだった。気分屋で、色々なことに手を出すくせに、目標に達するまでは決して諦めない。しかし、それでできることもあれば、できないことだって必ずある。そんな時のストッパーとして、自分は機能していた。過程を見て、無理だと判断したら、止める。止まらない時は無視する。元来寂しがりやな華はそうなると諦めがつくのだ。今回もそれだ。きっと彼女は自分が止めない限り、あきらめない。

 五回目の不時着を成功させたとき、可奈は口を開いた。


「もう無理だってば。私たち女の子だよ。元々腕力なんかないんだからさ。大車輪なんて遠すぎるよ」


 腰を打ったのか、顔をしかめている華はそれを聞いて眉をひそめた。


「女の子だからっていうのは心外だよ。可奈、今はジェンダフリーの時代なの。男の子だって裁縫するご時世なんだから」


「……むぅ」


 駄目だ。いつもはへらへらしてる柔女のくせに、こうなると華は強い。もっと別のところでその熱意を生かしな、っていつもいってるのに。例えば勉強とか。

 可奈が華のために頭を割いていると、華は腰を摩りながら立ち上がり、言った。


「さぁ、次は可奈の番だよ。くるりっと回ってみせなさい」


「はい?」


 ほらほら、と華は可奈を鉄棒の前に押し出し、回るよう促す。


「大体私制服だし。スカート履いてるんだよ? あんた私にパンツ見せびらかせろって?」


「ふむふむ。残念ながらあたしからすれば、可奈のことは御見通しなのだよ。パターン的に今日は……水玉とみた」


「へッ……!?」


 ちらっ、と可奈は今日も模様を確認した。


 ……水玉。


「こ、この、へへへんたいッ!」

 

「うっしっし。可奈のことなら全て御見通しさ。なんなら今日の朝ごはんも当てて見せましょう……って、話がそれちゃったじゃん。さあ、さあ、くるりっと!」


 はあはあ言いながら、ニヤニヤしながら、指を不規則に動かしながら、近づいてくる華はもはや変態以外の何者でもない。こうなったらこの子はしつこいんだよなぁ、と可奈は長ぁーいため息を一回、そして荷物を華のそれの上に放り投げた。


「一回だけだからね」


「あぁーん。流石可奈! その鞭と飴のバランスがたまんなぁい!」


 ……変態な友人は置いといて。

 可奈は目の前に堂々と佇む鉄の棒を眺めた。思わず息を飲む。何故だかそんなただの鉄の棒から覇気のようなものを感じたからだ。が、さっさと帰りたい手前、退くわけにもいかない。今日は一直線に帰って『どうぶつの森』をやり倒すつもりだったのだ。まったく、よくもまあ邪魔してくれたものである。


「よし!」


 たった一回だ。可奈は鉄棒を掴み、大きく息を吸う。

 そして、


「だりゃっ!」


と気合い一発。砂場をえぐるような勢いの蹴りを放ち、足を一気に押し上げた。景色が一変する。

 回る。視界が。世界が。

 体が風を切った、地球の自転から自分だけ外れたような気がした、刹那の間今までとは違った世界が見えた――

 90度、120度、150度、180度――


「えぇ!?」


 親友の驚愕の台詞を働かない頭が感知し、脳内で反芻する。

――あ、私今回ってるんだ。


「えぇ!?」


 自分の眼前の景色が再びグラウンドを臨んでいるのを感じ、可奈も驚愕の言葉を吐いた。

 360度――

 可奈はいつもより高い位置から世界を眺めていた。


「で、できちゃった」


 彼女はハハ、と力無く笑った。



   ◇



「すごい、すごいよ可奈!」


 夕焼けに染まった空の下、帰路につくまでの間、華はずーっとつぶやいていた。独り言じゃなく、確かに自分に向けられたもので、常に反応を伺ってくるものだから、たちが悪い。


「もう、しつこいなぁ。女の子だって逆上がりくらいならそう難しくないでしょう」


「あたしはできなかったもーん」

 

 機嫌を損ねたのか、華はぷぅーとその頬を膨らませた。不細工がやったら間違いなく殺気の嵐だが、残念、華は一般的にかわいいといわれる人種(女の子リサーチより)だ。

 そんな彼女とともにいる可奈はそうでもないらしい(女の子リサーチより)。告白どころかラブレターすらもらったことがない。なんでも顔はいいのに、サバサバした性格が災いしているとかなんとか(女の子以下略)。

 だが、別に興味もなかった。華みたいに皆から好き好き言われてもねー。最終的に一人に愛してもらえりゃいーや。楽観的に考え、腕を頭の後ろで組む。そこでやっと、華がじっと見つめていたことに気付いた。


「なに?」


「いやさー。可奈ってやっぱかわいいなって。モテないのがホント不思議」


 言いながら見つめるその眼差しは妙に熱っぽい。もてもてのくせに彼氏ゼロの華が存在するのは、これがあるから。まったく。


「まーね」


「う、冷たい。こんなかあいー女の子が近くにいるんだから、テンションマックスになってもおかしくないのにー」


「ま、私、女の子だし」


 しきりに腕を組もうとする華の顔面をガッ、と掴み、そのまま引き離す。むきになって闇雲に腕を振り回すガキっぽい華を、可奈は一瞥した。


「あんただってモテるんだから、さっさと男の一人でもゲットしてきなさいよ。まったく」


「だってさー」


 華は可奈のアイアンクローに別に堪えた様子もなく、ケロッとした顔で言った。


「今が楽しいんだもん。別にいらないっしょ」


 晴れやかな笑顔。まあ、確かにそうかもしれない。男の子の魅力をまだ感じないほどに幼い華だからかもしれないが、きっと彼女からすればこうやって笑い合っていたほうが好きなのだ。そこは確かに頷ける。


「だからって、引っ付くな」


「うへへ」

 

「そんなこといって抱き着かれるの好きなくせにぃ。このツンデレがー」


 うりうり、と華は可奈の頬に指を押し付けた。ピキ、と可奈の額に青筋が走る。


「あんたがそんなんだからねぇ。私は苦労するの」




   ◇




「この学校で一番アツアツなカップルは誰ですかぁ?」


 後日。可奈が昨夜のゲームで熱中しすぎたため、寝不足から惰眠を貪っていると、すぐ近くから女子のキャピキャピした話し声が聞こえてきた。この声の大きさ、場所、高さ。明らかに自分に聞かせようとしている。


「ハナカナー!」


 案の定、後ろに音譜マークの一つや二つ付属しそうな軽快な調子で他の女子数名が答えた。今のところはまだ睡眠欲のほうが勝っているから、黙っといてやろう。だが、一通り笑った後、しぃーんと静まり返ることから、確実に自分の反応を待っている様子だった。悪いが、まだ眠い。


「ハナカナー!!」


 ZZZ……。


「ハナカナー!!」


 ZZZ。


「ハナカ――」


「うるさい」


 本っ当にうるさい。可奈は寝起きそのままの不機嫌フェイスですぐ傍らに集う女子の集団を睨みつける。


「何度もいってるでしょ。私と可奈はただの友達」


「はい、ここ重要!」と、一人が言えば、


「テストに出るぞー」と、他の女子生徒も悪ノリして言う。流石の可奈もプッチンときた。


「しつこいって言ってるでしょーがぁ!」


 キャー、と可奈が起き上がると同時に蜘蛛の子を散らすかのように散開する女子ども。恐怖の悲鳴というより、歓喜の歓声。こうなることを楽しんでいるのは丸わかりだが、可奈の性分として、しつこいのは嫌いだ。だから、無視などせず、全力で仕留める。だからからかわれるんだよ、とは誰も忠告してあげてはいなかった。

 一通り制裁を加え、陽気に笑うMっ娘たちの前に立ち塞がり、可奈は言った。


「私と華は単なる友達。次に変なこといったら、あんたらねぇ――」


「――え?」


 パサリ、と背後からはスーパーの袋が落ちた音。


「あの熱い夜は嘘だったの!?」


 華ぁぁぁぁぁッ! あんたまで悪ノリすんじゃなぁぁぁいッ! 可奈は内心あらん限りの大声で怒鳴った。 


「あたしとは遊びだったのねぇぇぇぇッ!」


 絶叫しながら教室を飛び出していく、華。その背を見送りながら、可奈はため息をついた。過去、あの馬鹿はこういうノリで自分が追いかけなかったがために、屋上で飛び降りかけたことがあった(勿論、華からすれば冗談)。それをガチで止めに入った可奈は、放っておくことができない。


「華の馬鹿ぁ!」


 そうやって律義に追い掛けるから、またしても皆にからかわれる。もはや可奈のツンデレは公称と化していた。




   ◇




「今日もするのー?」


 相変わらず鉄棒の前に立つ変人の姿を見ながら、可奈は何度目かもうわからない呆れのため息をついた。

 これでもう一週間が経つ。休日を除いて華は毎日ここでくるくるやっていた。そんな彼女に毎回付き合ってあげている私ってなんてお人よしなのかしら、と憂いて、可奈は砂場の隅に置いてあるベンチに腰かけた。

 くるり、ずしゃ。くるり、ずしゃ。定期的に繰り返されるシーン、リズム。よくもまあそこまで忠実に再現できるものだ。そう思ってただなんとなーく眺めているだけの可奈だったが、段々まどろみはじめた。そうだ。いつもこの時間に屋っていたゲームの時間が夜に回されるから、必然的に眠くなるんだ。一度、目をこすってみるも、一向に目は開こうとはしてくれない。ついに睡眠欲に屈しようかというとき、背後から声がかかった。


「へぇ。毎日鉄棒で遊んでるってのは、野崎さん達だったの?」


「んあ?」


 重いっきり寝起きのそれで返事をした可奈。そして、その声の主を振り返って確認すると、


「ふぇ?」


 今まで糸のようだった目が、今度は点になった。


「か、片原……くん?」


「うん。おはよ」


 ……ぎ、


 ぎゃぁぁぁぁあぁ!?

 

 可奈は心の中でそれはもう、日本サッカーチームが相手チームにゴールを決められたとき弟の発するものを遥かに凌ぐ大声で絶叫した。い、今自分なんて言った? 「んあ?」って? 「ふぇ?」って? で、片原くんが「おはよ」って? ぐわぁぁぁ! 身の破滅だあ。一生の不覚だぁ。


「大丈夫、逢坂さん。顔が真っ赤だけど?」


「あ、ああ、はい。だ、大丈夫ですぇ」


「ですぇ?」


 もうダメです。もうこの際、埋めてください。誰の目にも届かないところに置いといてください。

 可奈は自身の頭を抱え、ぶるぶると震えだした。なんてことだ。よりにもよって片原修吾くんその人に声をかけられ、過剰な反応をしてしまうとは。しかし、頭はクールダウンしてくれない。昇り始めた夕日にも負けないほどに真っ赤となった可奈はふらふらと揺れ動く。


「……カッコイイよね」


「え?」


 何が? ただ揺れてるだけの自分のこと? その言葉の目標が自分ではないことに気付くのにヒートアップした頭でたっぷり数十秒かかった。やっと、彼の視線の先に何があるのかを察した。


「え?」


 今度は確認のための、え、である。彼の視界には鉄棒を一生懸命回ろうとしている体操着姿の変人しか映っていないはず。


「……え?」


 三つ目のえ、は呆然とする口から無意識下のうちに出たものだった。


「頑張ってる人ってさ。見ててカッコイイよね。見ててめっちゃ自分もああなりたいと思う」


 体操着姿で鉄棒とファイトする人に? 落ち着け、自分。可奈はやっとこ現状を確認するまで自分の頭を冷やすことに成功した。そこで初めて片原くんの姿が陸上競技のユニフォーム姿なんだと気付いた。今部活中なのか、引き締まった肉体は汗で輝いて見えた。


「ねぇ、逢坂さん。野崎さんはなんであんなことしてるの?」


「え、……えっと……」 

 太陽と負けずとも劣らない輝きを持つスマイルを受け、可奈は固まった。言葉が緊張のあまり出てこないのと、実際なんて答えたらいいのかわからないとで、


「き、気まぐれかな」


 そうとしか答えられない。いや、むしろ正解だろう。華だってここまでくると意地だけでやってるに違いない。


「え? ただの気まぐれであんなに一生懸命に?」


「う、うん。華って変わってるから」


 これも正論だ。

 華は可奈が数えていただけでも三十回目の不時着を行うと、ちらりとこっちを見てきた。不機嫌そうな目で。遠くから叫んでいわく、


「可奈ぁ! あんたも鉄棒部の一員なら、回りなさい! あたし一人じゃ寂しいんだよぉ」


 この時ばかりは華の軽率さを呪った。この台詞から片原くんは間違いなく華=変人=可奈の方程式を組み立てるだろう。予想通り、


「鉄棒部?」


と、呆気にとられたような顔で彼はつぶやいた。ああ、終わった、と可奈は目の前が真っ白になった。可奈にはもう戦うポケモンがいないってか、ハハハ、と自虐的に笑ってしまう。が、


「逢坂さんも頑張ってるんだ。凄いなぁ。目的は知らないけど、凄いよ」


 片原くんは百万ワット(可奈主観)の輝きを放つ笑顔でおっしゃった。可奈の目の前は今度はまったく逆の意味で真っ白になった。


「え? 鉄棒だよ? 女の子が鉄棒に夢中なんだよ? 変じゃないの?」


 当然の疑問を口にすると、片原くんは柔和な笑顔から、引き締まった真面目な顔になる。


「何に全力を尽くすかが問題じゃない。全力を出せるかどうか、一生懸命やれるかどうかが問題なんだよ。それがなんであれ、他人に邪魔する権利はないし、しちゃいけない。頑張れるっていうのは、とっても凄いことだと僕は思うんだよ」

 

 応援してるよ、と爽やかな笑顔。そして彼はタッタッタと駆けていった。どうやら校庭をぐるぐるとマラソンみたいに回っているらしい。可奈はそれをぽーっとした顔で見送った。


「かーなー」


 耳元で呪詛でも紡ぎそうな声。


「ひゃわっ!」


「ねぇ、何度も呼んでるじゃん。可奈も鉄棒しようよ。ていうかさ、コツおせーて?」


「……いーや」


 さっきまでの弱々しい彼女はどこへいったのか、可奈は再び仏頂面になって華に言い放った。


「何度も言ってるじゃん。嫌だよ。だってダサいも――」


『なんにせよ、頑張ってる人ってカッコイイよね』


 そこでさっきの彼の言葉が頭の中でリピートされた。


カッコイイよね

カッコイイよね…

カッコイイよね……(エコー)


「いや!」


 可奈は立ち上がった。そして、猛然と鉄棒に向けて走っていく。


「行くぞ、華ぁ! 目標は大車輪だ!」


「えぇ?」


 困惑する華を置いて、可奈はくるりと一回転した。その顔が微笑みをつくっていたのは、言うまでもない。




   ◇




 片原くんと初めて会ったのは一学期も始まってすぐのことだった。可奈はその日珍しく、華に用事があるというので、仕方なしに一人で下駄箱に向かっていたのだが、


「あ゛」


 まだ廊下の途中で、思い出してしまった。机のなかに“あれ”を入れっぱなしにしてしまったことを。いや、もしかしたら机の上に置きっぱなしだったかもしれない。なんでだ私、と可奈は自分を叱責し、走りだした。あれだけは見られてはいけない。見られたりなんかしちゃったら、作り上げてきたクールでドライなキャラが一瞬にして崩れ去ってしまう。


 獲物を追い掛けるチーターが如く物凄いスピードで廊下を駆け戻り、可奈は教室のドアを開けた。そして、鋭い眼光で自分の席を睨んだ。

――やっぱり。

 机の上にはぽつんと一つ、ぺ・ヨンジュンのポロマイド下敷きが、置かれていた。危ない危ない。皆帰っていたあとでよかった。多分、気付かれてはいないだろう。でなければ自分が大の韓流ドラマ好きだということが露見してしまうところだった。華にでさえこの趣味には『おばさんくさーい』と言われてるんだ。まともな人に見られたらどうなるか。 

 安堵し、机に近づいていく途中で――気付いた。じーっと自分を見つめる視線があることに。油の切れた機械のようなぎこちない動きで振り向くと、一人の少年が机の上に座っている。確か……片原修吾くん。新入生女の子リサーチで、評価は確か中の上のちょいイケメンの男子だ。彼は他に誰もいないクラスルームのなかで、自分を穴があくほど見つめている。その時、可奈ははっきりと悟った。


――死んだ(社会的に)。


 きっと彼は穏やかそうな草食系男子的見た目とは裏腹に、腹黒いんだ。これをネタに自分を一生揺すり続けるつもりなんだ。元来ツッコミ担当で、相手に弱みを握られることに慣れていない可奈はごくりと息を飲んだ。……泣きそう。


「これ、君の?」


 彼はまずそう言った。


「……はい」


「これ、ぺ・ヨンジュンだよね?」


「…………はい」


「好きなの?」


「………………はい」


 段々と小さくなっていく可奈の声。やっぱりだ。こうやって痛み付けるつもりなんだ。いたぶるつもりなんだ。じわり、と涙が滲んできた。


「そっか……」


 ひょいっと下敷きを指で掴み、じっと見つめる。


「僕も好きなんだ」


 ……。

 …………。

 ………………は?


「彼って『冬のソナタ』で有名になった節が強いけど、『初恋』も捨て難いよね。知ってる? あれって韓国の視聴率65、8%だったんだってさ」


 可奈の目は点になった。『気持ち悪い!』くらいの罵声は覚悟していたため、本当に予想外だった。頭は上手く働かない。自分のことは棚にあげて、何言っちゃってるの、この人?と考える。けれども、口は正直だった。


「知ってる! でも私は冬ソナが一番だと思うんだ。私もユジンになれたらなーって思いながら見てたの!」


「そう? でもパク・ヨンハのほうが僕は好きかもしれない。あの誠実さは捨て難い」


「うん、わかるわかる。切ないよね!」

 

 あれ、これって私? そう可奈が自分自身を疑うほどに口からぽんぽんと言葉が飛び出した。本来饒舌というよりは寡黙なはずの自分なのに、なんで頬を紅潮させながらこんな笑顔をつくっているんだろう。


「でも意外だな。逢坂さんが韓流ドラマ好きだったなんて。てっきりそういうのに偏見持ってる人かと思ったよ」


「へんけん?」


「ほら、こういうのって大体おばさんが好きなイメージがあるじゃん。僕たちみたいな高校生が見るようなものじゃない、って思われてるでしょ。日本ってそういうところがちっちゃいよね。何したって一人の趣味なのに」


 前にそれについて嫌なことでもあったのか、片原くんは眉間にしわをよせてそう言った。

 可奈も、心のなかで頷く。親の影響で物の見事にはまってしまった自分だが、それは華以外のどの友達にも言っていなかった。いや、言えなかった。言ったら変な子だと思われると思ったから。

 でも、と片原くんはニカッと笑った。


「これからは逢坂さんに話せばいいね。なかなか同じ趣味を持つ人とであうのってないから」


「う、うん」


 口ごもってしまうが、片原くんは特に嫌そうな顔をするわけでもなく、笑顔のまま「じゃ」と教室から出ていった。

 可奈は机の上にぽつんと残された下敷きを掴み、しばらく突っ立っていた。



   ◇



「えぇ? 可奈、どうしちゃったの? 頭でも打っちゃったの?」


 可奈はそう親友に心配されるほどに燃え盛る熱意をもって、鉄棒に挑んでいた。

 握り、くるり、と一回転。ここまではほぼ百パーセントの確率でできる。問題はこの先。

 大車輪。よく体操の選手らがやっている、あれだ。一時前におじいちゃんがそれでぐるんぐるん回っているようなCMもあった。だから一応可奈も自分も出来るのではないか、という錯覚に陥っていたのだが、


「ひゃんっ!」


 現実はやっぱり厳しいとあうことだ。 

 可奈は普通一般の女の子。マッチョでも、運動神経抜群というわけでもない。逆上がりが精一杯の女の子。んが、それでもやり遂げようとする。

 先程あげた悲鳴とともに後方に大きく投げ出された可奈は、砂場に足からダイブ、そして転倒。じわりと涙。

 そこに可奈は駆け寄り、眉を下げながら言った。


「ねぇ可奈、どうしたの? あんなに嫌がってたのに。保健室でも行く?」


「いいよ。私は――」


 一生懸命頑張れる人になりたい。あの人に見てもらうため、認めてもらうため。


「私は?」


「……」


 でもそれはあまりにも不純な動機だ。純粋に頑張っている華に申し訳ない。だから可奈はそれを口にせず、気になっていた別のことをつぶやいた。


「それよりさ。あそこで私たちのことじーっと見てるの誰?」


「あ、話逸らそーとしてる」


「いやいや、ホントに。見てみそ?」


「うん。……って、可奈。あれは……」


 華はその正体に気付いたのだろう。アクションとしてがたがたと震え出す。

 なにゆえ、と可奈が訝しんでいると、華はムッとした顔で可奈を見つめる。そして――木と木の間にキラリと瞬く二つの瞳を指差した。


相沢佳梓菜アイサワカシナ。現生徒会副会長だよ!」


「はぁ……?」


 そんなこといわれたって、華が怯える理由がわからない。ただ副会長が学校の敷地にいることに何の脅威があるのだろう。まあ、猫のように木の間から睨んでくる様は明らかに異常だけど。


「それがなにかあるの?」


サイレントプレッシャー

「 無言重圧 の佳梓菜だよ! 別名、部活殺しの佳梓菜……!」


 ひぃぃ!、と華は自らの体を抱く。可奈は突拍子もないあだ名と当の本人とを見比べて、首を傾げた。


「んな、大袈裟な」


「大袈裟ちゃうよ! あの部活殺しの副会長が直々に来たってことはここをつぶしに来たんだよ。あの双眸に睨まれた部活は自らその看板を下ろしていくという」


「へぇ……」

 

 ふぅ、と切り替えのため息を一回、再び鉄棒と組み合おうとする。


「ねぇ、可奈。そんな鉄棒やってる場合じゃないよ。私たちの部活がつぶされちゃうよ」


「何そんな心配してんの。大体さ。私たち部活にもなってないじゃん」


「あ……」


 失念してましたよ、とでも言うように華は馬鹿のように大口を開けた。


「そうじゃん。可奈天才! 私たち部活じゃないからあの人のやってることはまるで無駄なわけだ!」


「そうそう」


 適当な相槌を打ち、可奈はくるりっと、逆上がり。華はすっかり気分をよくして後ろから声援を送ってくる。が、


「むぎゅっ!」


 可奈がこれから本番に挑む、というところで、後ろから鼠が猫に潰されたときのような(実際聞いたことはないが)音がした。きっとまた華が何かしたのだろうと振り返ると、華は戦闘不能になっていた。バタリ、と砂場にうつぶせに倒れるその頭上にはひよこがピヨピヨと回っている。

 そして可奈はそれをやらかした人物の姿を見て、頬を引き攣らせた。


「げ」


「……」


 サイレントプレッシャーとはこういうことか、と可奈はやっとこさ納得した。ただ相手は純粋無垢な瞳で見つめてくるだけ。だがそんな目で見られると確かに懺悔(ざんげ)したくなってくる。

 とりあえず鉄棒から下りることを余儀なくされた可奈は着地し、眼前の華以上に小柄な少女を見つめ返した。


「……」


「……」


 見つめ合う二人。本来なら能力差的に可奈が敗北しそうなものだが、今回において可奈の意気込みは違った。愛する彼のため(目下自分のため)負けられないもん!

 互いに折れることなく睨み合いこと数分。先に口を開いたのは相手だった。

 

「……毎日放課後、奇妙なことをしているというのはあなたたちですか?」


 蚊の鳴くよーな小さな声。可奈はその威風堂々とした態度とその声のギャップで、それまでの緊張が弾け飛んだのを感じた。……かわゆいかもしれん。


「……同好会申請は受け付けていません。私事で放課後の学校の備品をいじることは許されていない。よってここからの立ち退きを命じます」


「はぁ……」


 随分回りくどい、言ってしまえばめんどくさい話し方をする子である。その間、表情がまったく変わらないもんだから、棒読み。可奈もとりあえず頷くしかなかった。


「……これからも活動したいというなら、三人以上の活動者を集めて、同好会として提出してください。この鉄棒を使っている部活動は今のところありませんから、それで承認されるでしょう」


「はぁ」


 いうほど悪い人でもなさそうである。つまりは三人いればここを今まで通り使ってくれてもいいというし。


「……三人?」


 可奈はまず華を指差した。そして、自分。あれ?


「三人?」


「三人です」


 あれ、これってまずいんじゃない? 自分と華、それで二人は確定だ。しかぁし、三人目がいない。そもそも他に鉄棒部に入りたいなんていうやつはいるのか?


「期間は……そうですね。三日にしましょう。それまでに生徒会の方に申請書を提出してください」


 そういって佳梓菜さんは持っていたバックから一枚の紙を取り出し、可奈に手渡した。そして、去っていく。

 可奈は握らされた『同好会申請書』と、いまだに倒れている華を交互に見て、ため息をついた。




   ◇




 案の定、とも言うべきか、可奈が頭を下げた知り合い達にはことごとく断れてしまった。

 

「えぇ、やだよそんな部活」


「女の子がやるものじゃないよね」


「めんどくせーもん」


などなど。かつての自分が言った言葉がそのまま帰ってきた。それもそうだ。自分が相手の立場だったらそういうだろうし(実際に華に言ってたし)、いかがわしいものに青春を捧げるのもバカらしいだろう。

 はぁー、と重々しいため息ともに鉄棒へと赴く。しかし、自分の発するものよりも格段に重々しい空気がそこには広がっていた。


「……」


「……」


 華が鉄棒を掴んでいる。その後ろ姿をじーっと見つめる佳梓菜さん。華は明らかに動揺しているようで額に汗なんかかいてるし、佳梓菜さんは佳梓菜さんでポーカーフェイスを貫き華をじっーと見つめている。

 これが噂の無言重圧の力かッ!、と納得せざるをえなかった。同時に部活殺しの異名も理解できた。

 ともかくこれ以上空気を重くされてもなんなので、


「こんちゃ」


という掛け声とともに近づいていく。

 目ざとく反応したのは華で、かつて前例を見ないスピードで可奈に近づくと抱き着いてきた。


「可奈ぁ……。あの人があたしをいじめるぅ。いじめかっこ悪いよぉ……」


「まあ、うん。よしよし」


 端から見る分にはただ佳梓菜さんが見学しているだけなのだが、やっぱり華には大きなダメージだったらしい。本当に涙を流しながら、


「だってあの人ただ見てるだけとかいって居座ってるんだもん」


「まあ、……嘘はついてないね」


 猫のようにそこに居座る彼女は確かに“ただ見てるだけ”だった。ただ、じーーーーーっと見ているだけ。殺傷能力でもありそうな彼女の綺麗な瞳に見つめられ続けたら、普通の人間なら居心地悪くなって当然だった。

 

「あの、まだ二日しか経ってませんけど……」


 このままいられても困る(主に華が)ので、可奈は怖ず怖ずと佳梓菜に言った。


「知ってる」


「……ならなんでここにいるんですか?」


「……」


 押し黙る佳梓菜さん。可奈の肩に捕まって事の成り行きを見つめるだけの華。ただ相手の反応を待つ可奈。


「なんでそんなに一生懸命なのか、知りたいから」


 ぽつり、といつもの調子でつぶやいた。


「え?」


「鉄棒なんてどうでもいいものになんで全力を注げるのかわからないから。……考えても考えてもわかんないんだもん」


 そういうと今まで肌色一色だった肌に赤みが注し、無表情だった彼女の顔はムスッとしたものになった。気付くとそういう佳梓菜の目の下には隈があり、今彼女の言ったことが真実ならば、一晩中考えていたということになる。


「ふふっ」


 気付いたら笑みが漏れていた。


「何?」


「あ、いや。佳梓菜さんって可愛いなぁ、と」


「……」


 再び思案し出したように固まる佳梓菜さんを揺すって起こし、可奈は笑って言った。


「じゃあ、回ってみますか?」


「え?」


 可奈は両手を振り上げてさも楽しそうな声で言う。


「一緒に回りましょう。回ればいろんなことがすかっとしますよ? それに一生懸命頑張ることはなんにせよ大事なんです!」


 誰かさんの受け売りだけど、と心の内でつぶやいて。

 永い時を置いて、


「……そう?」


と佳梓菜さんは少し興味を示したような声を出した。ぶんぶんと可奈は首を縦に振る。


「じゃあ……一回だけ」



 とことこ、鉄棒に向けて歩き始めた佳梓菜を見て、可奈は――にやりっと笑った。

 しめしめ。これで佳梓菜さんが鉄棒に興味を持ってくれれば会員は三人となり、同好会決定。自分は大車輪を回り、片原くんにアタァーック! ふっへっへ、私って悪い子。

 恋する乙女(多少の邪心あり)の瞳でニコニコしていると、後ろからブーイングがあがった。


「なに、可奈。あの人勧誘してんの? あたしというものがありながら。きぃーっ、うーわーきーもーのー」


「うるさいっ」

 

「耳元で騒ぐんじゃないの」


「だってぇ」


 耳元で騒がれて思わず耳を塞ぎ、可奈はぺちっと華の額を叩いた。そして、佳梓菜さんの様子を伺う。


「え゛?」


 目をひんむいた。佳梓菜さんは回ってはいなかった。それどころか鉄棒を掴んでもいなかった。遥か彼方上空にある鉄の棒を寂しげな瞳で見つめ、ぽつり。


「届かない……」


 その手は空を切っていた。




   ◇




「ほら、佳奈ぁ。こうなっちゃうんだよぉ」


 翌日の放課後、華はとにかくブーたれていた。


「なにが」


 可奈は本当に不思議な顔をした。まったく鈍感なんだから、と華はつぶやき、


「あの人は生徒会副会長だよ? 生徒会の実質ナンバーツーだよ? そんな人にあんな屈辱合わせたら癇癪どころじゃ済まないよ? 部活どころかあたしたちまで潰されるかも……」


 あわわ……と今にも泡を吹いて倒れそうな表情を浮かべ、かっくんと頭を垂れる。


「とにかくあたしたちは目をつけられましたから。次あったら礼儀を弁えなきゃね」


 いやいっつも無礼なのはあなたでは、と可奈は言いたかったが、華らしくないその物言いに華の必死さが伝わってきた。が、やっぱりいまひとつ納得できない。


「佳梓菜さんってそんなに悪い人かなぁ」

 

 彼女は昨日、鉄棒に手が届かないとみるや、泣きそうな顔で飛び出していってしまった。それゆえ華はこんなにも報復を恐れているわけなのだが、可奈はやはり首を捻ってしまう。


「だ、だって部活殺しの佳梓菜だよ? あの無言重圧受けたでしょ? あたしもう死にそで死にそで。ほら、心臓も破裂しそう……!」


 ほらほら、と自信の胸を指差してくる華を華麗にスルーし、


「ただ無口なだけでしょ」


「むぅ。まあ、そうかもしんないね」


 どうやら華を怒らせてしまったらしい。だが華のことだ。ものの数秒で機嫌はあっという間元の数値を上回るだろう。


「げ……」


 華の機嫌も戻りつつあったとき。鉄棒のあたりにある人影を見て、華の動きは止まった。可奈もその視線を追ってみて、その理由を把握する。

 そこには佳梓菜さんの小柄な体があった。手にはバケツが握られている。


「あ、あれであたしたちをフルボッコにするつもりなんだ……!」


と華はがたがた震える。何故バケツ?、と疑問を口にする前にも佳梓菜さんはバケツをひっくり返し、自身の両足をその底に乗せた。そして手を伸ばし、一言。


「届いた」


「ぶはぁっ」


 華は佳梓菜さんのそんな得意げな無表情に感服し、膝をついた。


「これが、巷で噂のクーデレの力か……! 勝てないよぉ」


 なんて言う。可奈も今回ばかりは全力で同意したかった。


「これで回れる」


 足場が明らかに安定していないというのに、彼女は回ろうとしている。逆上がり。華がようやく成功しそうな、初級技。


「んっ!」


 力を込め、一気に一回転――するつもりだったのだろうが。


「あり……」


 腕が曲がっていない。足場の問題を置いておくとすれば、原因は明らかに彼女の腕力にあった。軽いはずの彼女の体を持ち上げるほども、彼女に筋力がないのだ。


「……」


 黙する佳梓菜さん。目にはうっすらと涙。


「あ、あの……」


 ダァーッシュ!

 可奈が声をかけて近寄ろうとしたとき、佳梓菜さんは脱兎のごとく駆けていってその姿をくらませた。

 後に残るのは、可奈と華とバケツ。


「潰されるぅ……」


 華は泣きそうな声でつぶやいた。




   ◇




 三日経過。鉄棒同好会のメンバー、二人。


「はぁ……」


 可奈と華は二人、他に誰もいない屋上でため息をついた。

 元々華の思い付きオンリーでつくられたものだったが、こうなると寂しい。特に可奈にしてみれば、片原くんとの接点が無くなってしまうというのはやはり痛かった。自分の一生懸命を見てほしかった。

 よく考えたらあれから一度も彼と口をきいていない。話そうと心掛けていたのに、いざ彼を前にすると口から何も発せられないのだ。そんなこんなで今、唯一彼と話せそうなものまで失いかけている。泣きそう。私の初恋がぁ……。

 ツンとする華をもって青空を見上げる。初恋は実らないけど、こんなバットエンドはないよ、ぐすん。


 鼻をすすったその時、キイッと音がして、屋上に繋がる唯一つの扉が開け放たれた。姿を見せたのは、小さい少女。


「佳梓菜さん……」

 

 目についた水滴を慌てて拭い、可奈は立ち上がった。隣では華が口をアヒルのようにして佳梓菜さんを睨みつける。その目は明らかに最後の抵抗を試みようとしているものだった。


「なにしにきたんすかー? ご覧のとおりあたしら御取り込み中なんでー。用ならまた今度にしてくださーい」


 エアたばこを口元に寄せ、プハーと一息。何キャラだよ。

 でもそんな華のリトル不良をスルーして、佳梓菜さんは可奈と向かい合った。


「同好会申請は今日まででした。そして、確かに受理しました」



 ……。



「えぃ?」


 不機嫌そうに顔を歪めていた華も、勿論可奈も素っ頓狂な声をあげた。

 ごそごそっと佳梓菜さんが懐から取り出したのは、一枚の紙。それを可奈に手渡すと、そそくさと彼女は後退。屋上の扉を開け、姿を消した。それを確認すると、可奈は渡されたものに目を落とす。


同好会名 鉄棒部

メンバー 

会長 逢坂可奈(一年)


「なんでよ」


「そこはいいよ。その下その下」


 いつの間にか一緒になって覗き込んでいた華が言うとおり、目線をもう少し下にやってみる。


副会長 野崎華(一年)

    相沢佳梓菜(一年)


 確かに三人、揃っていた。でもこれってつまり……


「副会長様ぁぁぁぁぁッッッ!」


 華が絶叫し、立ち上がる。その目にはすでに敵意のかけらもなく、ただただ尊敬の意志のみが伺えた。


「ってか……一年だったんだ」


 副会長っていうから先輩かと思ってた。別のところに着目した可奈は自分が同級生に敬語を使っていたことに軽く後悔した。


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