4話 秘めやかな純喫茶
「こんなところで、ラディリアスを見かけたと?」
「ええ、そうみたいです」
私は現在、ユアンさんとメイーナ通りのとある喫茶店を目指し歩いていた。
ソニアから話を聞いた後、ウィリーを呼び出して細かい場所を聞き出したのだ。
メイーナ通りには、私、メリダさん、ユアンさんの三人で馬車に乗りやって来た。
だが、三人で行動すると悪目立ちしてしまう。だからといって、女二人で歩けるほど安全な道では無い。
そのため、メリダさんには馬車待機を頼み、私はユアンさんと二人で喫茶店に向かっているというわけだった。
「ここですね」
幸い、夫が出入りする店は娼館と兼ね合わせたものではなく、あくまで普通の純喫茶だった。
そのことに一先ず安心した私は、ともに変装したユアンさんと偵察のため店内に入った。
『見かけたのは一度だけはないので、もしかしたらまたいらっしゃるかもしれません!』
ウィリーから聞いた言葉を思い出し、チラリと狭い店内の客席に視線を泳がせる。
ポツリポツリと客が座っているが……どうやらリアスは来ていないみたいだ。
「それにしても、ここはかなり人目につきづらい店ですね」
ユアンさんの言う通り、私たちが入ったこの喫茶はまさに知る人ぞ知るという、いかにも隠れ家のような店だった。
内装こそ、何の変哲もないところ。
しかし、誰にも知られることなく人と会うにはまさにうってつけ。そんな場所だ。
「こんなところにリアスが何度も来る理由って何でしょうか?」
「この美味しいコーヒーが飲めることとか……?」
ユアンさんはそう言って、さきほど届いたコーヒーカップを持ち上げた。
その反応を見て、まだ口をつけていなかった私も、物は試しにとそのコーヒーを飲んでみた。
「っ――!」
香りからは想像できないほど非常にマイルドで飲みやすく、驚くほど美味しいコーヒーだった。
「これなら……有り得なくはないですね」
リアスは気に入ったものは追求する癖がある。好きになったものには、とことん一途なのだ。
もしかしたら、自分でもこの美味しいコーヒーが淹れられるようにと、研究しているのかもしれない。
……本当にそうであったらどれだけいいか。
思い込もうとするにも、さすがに限界があった。
正直なところ、コーヒー目的ではない予感の方が大きかった。恐らく、ユアンさんも気を紛らわせようとしてくれただけで、本気でコーヒーのためと思っているわけでは無いだろう。
――誰にも言えないほど、危険なことに首を突っ込んでいたらどうしましょう……。
ここははっきり言って、治安のいい場所では無い。
貴族であっても、いや、貴族だからこそ、何かの事件に巻き込まれる可能性は十分にある場所なのだ。
リアスの最近の悩みようを見ていると、決して無い話ではないと思える。
何かのトラブルに巻き込まれているのだとしたら……。そんな不安が、より一層心に募ってきた。
ただ、まだリアスはここに現れていない。
だから……どうかこのまま来ないでほしい。
どうかウィリーの間抜けな勘違いだったと、杞憂に終わってほしい。
そう願ったのだが――神様は私に微笑んではくれなかった。
私たちが滞在し始めて間もなくのことだった。
カランカラン――
そんな入口のベルの音とともに、変装した姿でも隠しきれぬほどの美貌を湛えた男が喫茶店内に入ってきた。
――あれはっ……!
男性は店内に入ると、私たちと最も離れた、私の後ろ正面にあたる席に案内されて座った。
その姿を確認した瞬間、私は正面に座るユアンさんと目を見合わせた。
リアスだ! 互いの目の奥がそう叫んでいた。
リアスが大好きな私たちだからこそ、見間違いなんて有り得なかった。
「注文は?」
リアスが座っている席の方から、店員が注文を取る声が聞こえる。
何を頼むのだろうか。そうやって聞き耳を立てていると、聞き捨てならない言葉が耳に届いた。
「コーヒーを……二人分」
……二人分?
『リアスの他にも誰かいますか?』
私もユアンさんも、貴族には見えないよう完璧な変装をしている。だが、リアスは勘が鋭く見抜かれるかもしれないため、声は出さず口の動きだけで訊ねた。
すると、私の正面に座りリアスの全貌が見えるユアンさんは、焦燥漂う表情で小さく首を横に振った。
そのときだった。
再びカランカランと、喫茶の扉のベル音が店内に鳴り響いた。
「あら、待たせちゃったわね。ごめんなさい」
謝りながらも、決して悪びれた様子を感じない艶やかな女性の声が耳に届く。この中にいる誰かと待ち合わせしていたのだろう。
――やはり、この店は待ち合わせ場所にも使いやすいところなのね。
なんて考察をする私の耳に、カツンカツンと女性のヒール音が響く。そして、数歩分の足音が聞こえたところで、その甲高いヒール音は鳴り止んだ。
女性はどうやら、目的の席に辿り着いたようだ。
まあ、そんなことはどうでも良くて、リアスのことを考えないと。
私は手に持ったカップをソーサーに置き、何気なく目の前の人物に目をやった。
するとその瞬間、顔面蒼白で一点を見つめ、カタカタと震えるユアンさんが視界に映った。
――えっ……まさか……。
ただならぬユアンさんの形相を見て、全身から体温が抜け落ちていくような感覚に陥る。
まだ確信はしていない。しかし私の心は、いまだかつてないほどの胸騒ぎを覚えた。
ユアンさんの目線を辿り、バレないよう、ゆっくりと慎重に背後へと目を向ける。
「っ……!」
ほんの一瞬で、頭が真っ白になった。
さきほど店内に入ってきた女性が座っている場所、それはリアスの正面の席だったのだ。