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12話 想いにうずく

 いよいよ、出発の日がやってきた。



「ラディリアス、エリーゼ様、どうかお気をつけて。絶対に帰って来てくださいね」

「ユアンさん、ありがとう。それでは行ってきますね」

「ユアン、留守のあいだ公爵家をよろしく頼む」



 ロビンの帰宅後、私たちはユアンさんとメリダさんには、リアスの様子がおかしくなっていた理由を、隠すことなく説明した。



 ユアンさんは一通りの説明を聞くと、怒りを通りこし呆れたように「なんて馬鹿なことを」とリアスを咎めていた。



 メリダさんも、正攻法でいけただろうとリアスに呆れていた。



 だが、不倫でなかったと分かったことには安心したようで、今日もこうして快く見送りに出てくれた。



「エリーゼ、先に乗って」



 リアスはそう言って、私が馬車に乗りやすいよう手を差し伸べてきた。

 御者がいても自らこうしてくれるから、私は思わず笑みを零す。



 良く見せようという気持ちからではなく、本当に気遣って無意識でしてくれるのだから、リアスを好きにならざるを得ない。



「ありがとう」



 リアスの手を取り、いつも通り進行方向と逆向きの席に腰かける。



 すると、続けて乗ったリアスは、なぜか私の対面の、それも対角線上の位置に腰かけた。



「リアス、今日はそっちがいいの? じゃあ、私がそっちに移――」

「いや、あえてこうしたんだよ」

「え?」



――あえてって何が?



「まさか、私の隣に座らないようにしているということ?」



 リアスはこの問いかけに、バツが悪そうな顔をして頷いた。



「どうして……」

「隣に座ったら、エリーゼは俺にくっつくだろう?」



 ご名答。せっかく隣に座っているのだから、少しくらいリアスといちゃいちゃしたいのだ。



 だけど、リアスは私のその考えを見越して、言葉を続けた。



「完全に魔法が解けたか分からない状況で、俺にそういうことはできない。罪悪感でおかしくなると思う。俺のせいなのにごめんね、エリーゼ」



 リアスはそう言うと、申し訳なさそうに項垂れた。

 私はというと、リアスの言い分に納得していた。



 絶対にリアスを好きなことに変わりはない。

 だけど、本当に、本当に万が一を考えたら、リアスの言い分を了承せざるを得なかった。



――せっかく一緒なのに寂しいわ。



 そんなブルーな気持ちで、私たちの短い旅路は始まりを告げた。



 ◇◇◇



 いざ馬車が進み始めると、さきほどの陰鬱な空気はどこへやら、馬車内は意外と楽しい空間になっていた。



「このあいだ、お友達だけの集まりのお茶会があったの。そこでシンシア嬢から婚約したと教えてもらったのだけど、その話があまりにもおかしくって」



 最近楽しい話があまりできなかったため、私は思う存分リアスに控えていた世間話をしていた。



 リアスは聞き上手で、いつも好きなだけ話を聞いてくれるから、お喋りが止まらなくなる。

 一言も聞き漏らさないとばかりに、頷きながら聞いてくれるのだ。



「シンシア嬢がお兄様と散歩していたのだけれど、偶然見かけたドワイト卿がお兄様と気づかずに、誰だって嫉妬した勢いで、その場で求婚したんですって!」



 ドワイト卿は寡黙な騎士というイメージが強かったものだから、まさかそんな行動に出るとは思わず、話を聞いた時びっくりしてしまった。



 しかも、小柄でとっても可愛らしいシンシア嬢が、がっちりしたムキムキの、まるで熊のようなドワイト卿と婚約するとは考えたことすらなかった。



――偏見はなくさないとね。



 なんて思いながら、幸せそうな二人の姿を思い出し、手を口元に持っていきクスっと笑った。



 そのときふと、リアスが私に向ける、見守るように優しく細められた目と視線が交わった。



「とってもお似合いな二人だと思うわ」

「ああ。ドワイト卿は誠実な人だし、二人は互いに良い人と巡り会えたんだね」



 そう言うと、リアスは私の顔を見て柔らかい笑みを零した。

 よく離婚しようだなんて言えたなと驚くほど、それは愛を感じる表情だった。



「ふふっ、リアス。やっと笑ってくれたわね」

「えっ……」

「私、あなたの笑顔が大好きだから、その顔が見られて嬉しいわ」



 そう声をかけると、リアスは途端に気まずそうに顔色を曇らせた。



 なんて手のかかる人なのかしら。

 まあ、そういうところもリアスだからこそ好きなんだけれど。



「ねえ、リアス。笑うことに罪悪感を覚えないで。もし無理なら、私のお願いを聞いて笑ってるっていう言い訳もアリよ。分かった?」



 私のお願いと言えば、リアスも聞かざるをえないものね。



 すると案の定この作戦は成功し、しばらくすると、リアスは普通に話をしてくれるようになった。



 それにより、出発当初からは考えられないほど、私たちは和気あいあいとした雰囲気の中、旅路を進めていった。



 ◇◇◇



 半日ほど馬車に揺られると、私たちが泊まる予定の宿に到着した。



 だが、ここで一つトラブルが発生した。



「大変申し訳ございません。こちらの手違いで、ベッドが一つの部屋しか空いていない状況でして……」



 申し訳なさそうな顔をする宿屋の店主は、絶望顔のリアスにぺこぺこと頭を下げている。

 リアスはそんな店主に頭を下げるのを止めさせ、表情とは裏腹な冷静な声で訊ねた。



「ほかに空いている部屋は?」

「実は、ご予約の部屋以外も満室でして……」

「そうか」



 私はリアスとは違い、店主の言葉に心の中でガッツポーズをした。



 リアスと一緒に寝られるのなんて、何日ぶりだろうかと、ワクワクとした気持ちが込み上げる。



 というのも、リアスは様子がおかしくなってからは、書斎で夜を明かすことが多くなったのだ。

 ここ最近は仕事が忙しいと、めっきり寝室に現れなくなっていた。魔法が分かってからはなおさらで。



 だが、この状況はどう足掻いたって、同じベッドで寝るしかないのだ。



 私は心の中で感謝しながら、顔は上品な澄まし顔にして店主に声をかけた。



「大丈夫ですよ。どうか、お気遣いなさらぬよう。今晩は、そちらのお部屋に泊まらせていただきます」



 そう告げると、店主はホッとしたように晴れやかな笑みを浮かべた。そして、水を得た魚のように、意気揚々と私たちを部屋まで案内してくれた。



「では、どうぞごゆっくり」



 店主が出て行ったのを確認すると、リアスが美しい相貌に、店主よりも申し訳なさそうな表情を浮かべた。



「エリーゼ、こんなつもりじゃ……」

「え? 何も問題ないじゃない。私、むしろ嬉しいくらいよ?」

「ど、どうして……」

「だって、リアスと一緒に寝られるじゃない!」



 私はそう言って、泣きそうな顔をしたリアスに笑って見せた。だが、彼は私の言葉を聞くなり狼狽えた。



「いや、俺は椅子で寝るよ。ベッドはエリーゼが使ってくれ」

「そんなのダメよっ……。椅子だなんて、寝た内に入らないし身体に悪いわ」

「俺は慣れてるから大丈夫だよ」



 そうよね。ここ最近書斎の椅子でずっと寝ていたものね。



 だけど長旅の途中というこの状況で、私はそんなこと許すつもりはないの。



「私を守ってくれるんでしょ? それなのに、万全な状態じゃなくてもいいの?」



 リアスから視線を外さず、私はベッドに腰かけた。

 彼を見上げると、もどかしそうな顔が視界に映る。



「それはっ……」



 困ったようにリアスがポツリと呟く。その声を聞き、私は正面に立ち尽くすリアスの腕を引っ張り、隣に座らせた。



「さあ、大人しく今日は一緒にベッドで寝てね」



 リアスはそう声をかけただけで、ボンっと顔を真っ赤に染め上げる。



 だが、ふと我に返ったように、リアスはどこかに行くと丸めたタオルを持って来た。そして、なぜかベッド中央の縦方向にそれらを一直線に配置した。



「リアス、これは……」

「しきりだよ」

「どうして? そんなの要らないでしょう?」



 リアスはこの私の言葉に複雑な表情を浮かべると、かみ砕くように答えた。



「魔法が解けたと確信が得られるまで、せめて仕切らせてほしい。エリーゼが心から大切だからこそ、あとで後悔してほしくないんだ」



 リアスの気持ちは痛いほどに伝わる。私を想ってくれている気持ちも、溺れそうなほどに伝わる。



 こんなリアスの気持ちを知ってしまったからには、後悔しない……とはとても言い張れなかった。



「……」

「魅了魔法が解けた君は、俺が好きではないかもしれない。そうなれば離婚なのに、もっと好きになったら、確実に生きていける自信がないんだ」



 リアスはそう言うと、切願するように続けた。



「ごめんね、エリーゼ。後悔しない可能性もあるとは思う。だけど、今だけは俺に協力してほしい」



 私の足元に跪いたリアスは、白茶の美しい髪を揺らし、潤んだピンクブラウンで必死に私を見つめる。



 こんなことをされてしまっては、私は彼の願いを聞き入れるほかなかった。



「……分かった。魔法が解けたと証明されるまでは、そうしましょう」

「っ! エリーゼ、ありがとうっ……」



 リアスは私の答えを聞くと、それは安堵と嬉しさが入り混じった表情を浮かべた。



 こんなに喜ばれてしまっては、普通ならショックでならないだろう。



 だけど、私はこのリアスの顔を見て、やっぱり彼を好きだと思ってしまった。



――もう中毒ね。

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