ガラクタにも五分の霊
たったったっ、と人の合間を縫って一人の少女が駆けてゆく。
それは資料を抱えたスーツの男性だったり、彼女とは異なる制服の女性だったり。ちょっとごめんよ、と断りをいれつつ、速度は下げない。声に反応して避けてくれる者もいれば、逆に驚いてその場で固まってしまう者もいる。そんな人々を辛うじてぶつからないようにして、この建物の一階の廊下の一番奥にある部屋へと向かう。高くひとつに結わえたポニーテールがなびいていた。
勢いがつきすぎたため、足を踏ん張り床との摩擦を生じさせて、ドアの前に止まる。
「ギリギリセーフ!」
「なにも間に合ってない」
バンと大きな音をたててドアを開けた少女に、間髪入れずに容赦のない言葉が返った。
「十分も遅れておいて、よくそんな楽天的な解釈ができるな」
「相変わらず可愛げのねぇガキだな」
粗暴な口調で少女が悪態を吐く。その彼女よりも幼くみえる少年はにこりと笑みを湛えた。
「君より余程あると思うが?」
反論ができず、少女は口を引き結ぶ。この少年、睫毛の長さをはじめとして彼女より圧倒的に優れているのだ。十にいくかいかないかにみえる彼は、透き通った肌とさくらんぼのような唇で、艶やかな白髪とサファイヤのような蒼い瞳をもつため人形のように容姿の整った美少年であった。造作が整いすぎていて中性的にも、人外にも映る。
黙っていれば目の保養になる少年は、少女に容赦がない。
少女、紗渡みちるはいつものことだと、どうにかこみ上げる怒りを堪える。歳下とはいえ、彼は一応上司なのだ。
「どうせ掃除ぐらいしかすることがないんだから、大目に見てくれたっていいだろ」
「その掃除すら満足にできないバイトの分際で言えることか。遅れた分の時給はないぞ」
時給制で学生のバイトとなると、十分の差は大きい。口惜しく感じつつも、みちるは入ってすぐにあるタイムカードで打刻した。旧型のカードを上から差し込むタイプのものだ。今ではパソコンやタブレットで打刻することが一般的なのに、この部屋だけは前時代的な様式のままである。しかし、仕組みがシンプルなので慣れれば楽だ。
上司である少年は、弥珠ツクモ。この部屋、骨董取扱課の主である。狛抓署の資料室より奥にある人の寄り付かない一室に、この署にしかない特殊な課、骨董取扱課はある。部屋の左右の棚には所せましと物が雑多にあり、赤べこや壊れたメトロノームなど証拠品でもないのに備品にもならない物で溢れかえっていた。
みちるは諸事情で、警察署でバイトをしている。なぜあるのか分からない物たち含めて綺麗にし、部屋の清潔を保つのが彼女の仕事だ。
上司であるツクモがいつからこの課に配属されているのか、みちるは知らない。だが、少なくとも彼女がバイトを始めるより前のことだ。あの幼さでなぜこんな役職に就けているのか、理由を訊いたことはないが、ギフテッドとかいうもので海外で飛び級したのではないかとみちるは踏んでいる。それぐらい、彼は上から目線でものを言うのだ。そして、実際、みちるより頭がよい。
口では敵わないと、みちるは自身の仕事にとりかかる。はたきを手に、棚のうえから埃を落としてゆく。日々の業務が掃除なので、ひどく舞うことはないが、物が多いのでみりん埃は知らず付くのだ。
みちるが掃除をしていると、ドアがノックされ、婦警が訪れた。ガラクタ課の案件で訪問があることはごく稀だが、時折、交通課の婦警などはこうして顔だけだす。
「ツクモくん、シュークリーム買ってきたの。よかったら食べない」
「わぁ、ありがとうっ」
そう、目的はツクモだ。仕事柄、険しい顔をした男性が多い狛抓署で、ツクモは婦警たちのアイドル的存在になっている。そのため、こうして貢物をもってくるのだ。すべては渡すときの彼の笑顔を拝むため。
「でた。猫かぶり」
「化かしてる、と言ってもらいたいな」
みちるの呟きに対して、小さくも冷静な声音で訂正が入る。婦警に向けた喜色ばんだ声音とは大違いだ。どちらでも大した違いはないだろうと、みちるは舌打ちをする。
「おねえちゃんと一緒に食べるね」
「いつも通り多めに買ってあるから、いっぱい食べるのよ」
「うんっ」
ツクモの素直で愛らしい反応に、婦警はにこやかに去ってゆく。ドアが閉じられた瞬間、天使のような笑顔が消えた。
そして、彼は菓子箱をみちるに渡し、茶の用意をするように指示する。みちるは、彼の変わり身の早さに呆れるが、相伴に預かる身なので黙って従う。彼女もシュークリームは食べたいのだ。掃除を一時中断して、電子ケトルで湯を沸かし、その間にコップにティーバックを入れる。この部屋で一番現代的なのは、この電子ケトルなのではないかとみちるは思う。食器類のなかには一応ティーポットもあるのだが、ツクモは彼女の技量を知っているので茶葉から煎れろとまではいわない。バイトにきた当初、茶葉から煎れさせたら加減の奇怪しい量をティーポットにぶっこんだので、濃厚では済まない味となった。ツクモは改善あるまで彼女の毒味に付き合う気はないのだ。
「バイト、三つだ」
コップの数が不足しているとツクモが指摘した直後、ガラクタ課のドアがまた開いた。今日は珍しく来訪者が多い。
自分は気付かなかったが、足音でもしたのだろうか。みちるは、彼がドアに近い自分より先に来訪者に気付いた理由に首を傾げながらも、指摘通りになったため、もうひとつコップを追加し、そこにティーバックを入れた。
「オサラギ、どうした」
険しい顔をした男に、ツクモは猫を被ることなく平然と声をかける。来訪者は、一課の警部、大佛円真。殺人事件を扱う課に似合いの強面の男だ。黙ってひと睨みするだけで周囲を威圧できる彼だが、すでに眉間に皺が寄っており、なかなかの迫力であった。
「……ガラクタ案件かもしれねぇ」
「エンマのおっちゃん、砂糖みっつだっけ?」
「おう」
室内に踏み入ったオサラギは、寄った眉間をもみながらソファーに腰掛ける。みちるは、彼の名前をもじってエンマと呼んでいた。これは、彼の人相と名前により署内の人間が呼ぶ渾名だ。しかし、本人を前に直接そう呼ぶのは恐いもの知らずのみちると、一課の同僚ぐらいのものである。
見た目からは予想ができないが、オサラギはこの場の三人のなかで一番甘党だった。湯を注いで、茶葉が充分にでたのを確認したあと、みちるは角砂糖ひとつとミルク、オサラギには角砂糖みっつとミルク、ツクモにはそのままでカップを渡した。テーブルの中央においた菓子箱を広げると、おのおの自分の分のシュークリームをつかみ取ってゆく。ガラクタ課所属の人数より一つ多いシュークリームは、強面の男の手に渡った。
みちるが幸せそうにシュークリームを食べるのを横目に、オサラギは来訪の理由を説明する。なんでも、年配の女性に困りごとがあるらしい。その内容が、事件性はないものの不可解な点もあるとのことだ。
事件性がないにもかかわらずオサラギが事情を知っているのは、交番勤務の巡査に相談されたからだ。この男、顔は強面ながら人がいい。事件のないときは交番勤めの後輩などの様子を見に行き、そのまま彼らの相談を聞いてしまうのだ。彼の人柄を知っている者は、親身になって話を聞いてくれるオサラギをつい頼ってしまう。そのため、殺人事件の発生件数が低い狛抓署で、オサラギは殺人事件以外の事件にもならない相談事を抱え込むことがままあるのだった。
今回の案件も、後輩の一人が自分では解決できないと愚痴を聞き、オサラギが話を一度預かった案件だった。
「それで、どういった案件なんだ?」
「ばぁさんのアラームが鳴らないらしい」
「アタシなんて設定してても気付かなくて学校ギリなことザラだけど」
「どうも、そういうことじゃないらしい。相談を受けた奴も、最初は設定忘れや、耳が遠くなったんじゃないかと疑ってたんだが、そのばぁさん、記憶力も耳もしっかりしているそうだ」
交番の巡査も、相談を受け、年配の女性のスマートフォンで一緒にアラーム設定を確認した。数分後に設定して、動作確認も行ったが正常に鳴ったとのことだ。そして、不可思議なのは、スマートフォンに留まらず、家にある目覚ましすら設定していても鳴らないというのだ。こちらも、巡回の際に立ち寄って設定と動作を確認したが、スマートフォン同様問題なかった。
「最近は発作の薬の時間があるから、ばぁさんが困っているらしくてな」
昨年、夫君が亡くなり、一人暮らしのためアラームが頼りらしい。相談を受けた巡査も、いつも気にかけてくれる優しい女性のことを心配している。しかし、鳴らないない原因が特定できないため弱りきってしまっていた。彼は、ひとつ、新しい目覚まし時計を買って贈ったそうだが、それも必要な時間に鳴らなかったらしい。
ひと通りの経緯を聞き、ツクモは一度瞼を閉じ、ゆっくりとあげた。
「……ふむ。その女性の家に、鳴っては困る何かがいそうだな」
「そう思って、話を預かってきた」
人為的にしては目的が不明瞭で、機械自体の不具合ならば複数用意して鳴らないのは奇怪しい。
紅茶を飲み終えたツクモは、席を立つ。
「行くぞ。バイト、アレはちゃんと持っているだろうな」
確認され、みちるは首元の紐を引き、獣の牙のようなペンダントトップを見せた。
「父さんの形見をなくすかよ」
父親の形見、それがみちるがこの課でバイトをする理由だった。
オサラギの案内で件の女性の家に訪ねると、彼女は三人を喜んで招き入れた。
「今日はにぎやかで嬉しいわ。息子たちもめった来ないものだから」
息子家族は遠方にいて、お盆や年始にくればいい方らしい。それでも、居間にあるタブレットでビデオ通話をし、定期的に孫と話したりはしているそうだ。
「夫人、そのときの着信音は鳴るのだろうか」
「ええ。もちろんスマホの着信音もちゃんとするわよ」
急に訪ねたにもかかわらず、年配の女性はツクモの問いにもにこやかに答える。孫に近い歳の子供が、心配してきてくれた事実が嬉しいのかもしれなかった。
実際に本人と話してみて、みちるも彼女が認知症などで妄言を言うような様子がないと解る。温和ではあるが、自分たちを家に入れた理由は、交番の巡査の紹介があったからだ。見ず知らずの相手を不用意に信じる訳でもなく、思考がしっかりしている。
女性がお茶の仕度をしている間に、オサラギは声を潜めて、ツクモへ問う。
「匂うか?」
「住んでいる人間がそこそこ歳をとっているからな。ナリカケになりそうなものは割とある」
周囲を見回すと、思い出の品とおぼしき置物や、年季の入った家具などが目に入る。長年人が暮らしている空気が、この家にはあった。
ツクモはテレビのうえの置時計に眼を止める。時を刻んではいるが、それなりの年期を感じるものだった。ブラウン管テレビほどの奥行はないが、型落ちの液晶にはある程度の幅があった。そのため、軽いものならおけるスペースがあり置時計や、孫が作ったであろう紙粘土の人形が置かれていた。
「夫人、これは?」
緑茶の湯飲みを盆に載せた女性が戻ってきたので、ツクモが置時計について訊いた。
「ああ、それね。旦那が買ってくれたものなんだけど、目覚ましの機能だけ壊れてしまったから、寝室から居間に移したのよ」
時計の機能自体は失われていないから、もったいないので利用しているという。寝室には別の目覚まし時計が巡査が贈ったもの含め二つあるとのことだった。孫からの贈り物とともに飾られている様子から、何かしらの思い入れがあると感じられた。
「何か思い出が?」
「大したことじゃないのよ。私が早く起きて旦那を起こすより、目覚ましで一緒に起きようって買ってくれたのが嬉しくて……、だから、なるべく長く使いたいの」
ともに寝るのだから、ともに起きよう。そうして長年、今は置時計となった目覚ましの音で二人で起きていた。彼女の夫が亡くなってしばらくして、目覚ましの調子が悪くなり、修理できないか試みたそうなのだが、ベルの部分の部品を製造していた工場はもう廃業していたらしい。その際、時計の方も一度壊れたらもう直せないと知らされた。だからこそ、彼女はせめてこの置時計が刻む時間を視界に多くいれていようと、居間に置くことにした。
「なんか、分かるかも」
女性の話を聞いて、みちるは共感を覚えた。
「アタシも子供の頃から使っているお茶碗があってさ。一度割ったとき、父さんが漆で直してくれて大事にしてんの」
「優しいお父さんね」
「自分で割ったクセに、アタシがぎゃん泣きしたせいかもだけど」
年配の女性に、みちるは苦笑を返す。
自分用の茶碗を、自分で選んで買ってもらった。小花の散った愛らしい茶碗を気に入っていたが、その分はしゃいでしまい一週間足らずで割ってしまったのだ。気に入っていた分その日は泣き喚き、他の茶碗では嫌だとみちるは数日ごねていた。そんなみちるのために、父親は漆で金継ぎを依頼してくれた。完全に元通りにはならなかったが、ステンドグラスみたいでいいだろうと言われ、みちるは直った茶碗がさらにお気に入りになったのだ。
ちょっと壊れただけでは捨てられないものもある。その気持ちが、みちるにはよく解った。
「目覚ましの類いが鳴らなくなったのは、この時計を移してからでは?」
「そういえば、その頃からかもしれないわね」
不便な事象が確認された頃と、置時計を移動した時期を照らし合わせて、女性は肯定した。ツクモは、彼女の肯定を受け、あらためて置時計を見つめる。その視線には威圧的なものがあった。
その視線に耐えかねたように、置時計がカタカタと震えだす。
「やだ、地震かしら……!?」
置時計だけ動いていると思わなかった女性が身をかがめる。そんな年配の女性を庇うように、オサラギは傍につく。
「おい、ポルターガイストもどきになったりしねぇだろうな」
「ナリカケにそこまでの力はない」
置時計と対峙するツクモは冷静に返す。彼が視線を外さずにいると、置時計からゆらりと湯気のような靄がにじみ出た。しかし、それはツクモにしか視えないもので、みちるたちにはただ置時計が振動していることしか分からない。
「お前なんかしてんの??」
「鈍感もそこまでくると才能だな」
状況が分からないみちるは呑気に緑茶を飲んでいる。オサラギですら空気が張り詰めたことに勘付いて、女性を気にかけているというのに。ツクモは、嘆息をひとつ零して、彼女に指示をした。
「目を貸してやるから、準備しろ」
「はいよ」
ツクモの目にはにじみ出た靄が形をもちはじめているのが確認できた。みちるは、ペンダントを首から外し、ペンダントトップの牙をぐっと握り込む。
蒼い双眸がすぅっと金色へと変わると、みちるの右目に消えた色が移ったかのように、蒼い炎が宿る。それも普通の人間には視えないものだ。だが、みちるの右目の視界だけは一変する。
先ほどまでは視えなかった置時計に湧いた靄が、みちるの右目にも映る。その靄は、置時計のうえに立ち上り、ぬいぐるみか獣のような何かになろうとしていた。
「コレがおばあちゃんを困らせてるってコトでいいのか!?」
「そうだ」
「見えりゃ、コッチのもん!!」
みちるは、牙を握り込んだ拳で力いっぱいその靄の塊を殴った。
常ならざるものは、認識できればある程度干渉できるようになるが、みちるのように視えれば殴れるものでもない。認識と干渉に関して、手助けをしているツクモは、彼女の愚鈍なまでの素直さに呆れる。父親が、干渉のための道具を彼女に託したのは正解ではあるが、こんな用途のためにツクモは道具を彼女の父親に渡したのではない。
彼女の父親ゆうは、渡した道具を常ならざるものへ声を届けるために使った。みちるの父親は、亡くなる前まではガラクタ課に所属していた。みちると違い、ツクモの手助けがなくとも常ならざるものを認識できたので、彼の助手を務めていた。ゆうが亡くなったあと、まさか遺言で常ならざるものが視えもしない娘を寄越すとは、ツクモも思っていなかった。
仕方がないので、こうしてツクモの視界を貸すことで助手をさせている。
殴られた靄は、ぶっ飛ぶようなことはなかったが、その衝撃でぽんとヒヨコのような小動物へと姿が固定された。普通のヒヨコと違うところは羽も使わずに浮遊していることだろう。
「っく、殴られたくないからって卑怯だぞ!」
「単に僕の妖力で姿を得ただけだ」
古来より百年の年を経た物は付喪神になるという。しかし、家一軒が百年もつのも難しい現代で付喪神になるほどの年月を経験する物は少ない。それでも、人の想いとともに時間が経過したものは、時に常ならざるものへと変異することがある。それが付喪神になるよりも未熟なナリカケだ。
ナリカケは、物に込められた想いに応じて特性をもち、一定条件下で事象へ干渉できる。それが場合によって、今回のように持ち主を煩わせることとなる。ガラクタ課はそんなナリカケの起こす事件にもならない事件を解決する課だ。
ツクモが事象の原因を特定し、問題がある場合はみちるが対処する。みちるに殴られたことで置時計とは別の形を得たヒヨコもどきは、ピィピィとツクモに向かって鳴いた。
「ふむ。時を報せるのは自分がしたくて、他の目覚ましの類いを妨害していたらしい」
「スマホまで音止めるなんて、最近の妖怪はハイテクだな」
ヒヨコもどきの主張を、ツクモが通訳すると、オサラギが妙なところで感心した。ツクモからすれば、電子機器であろうと道具であることでは変わらないが、人間からすると別の種類に思えるようだ。オサラギは妖怪と一括りにするが、ナリカケは付喪神ともいえない存在のためツクモとしては妖怪に区分できない。きっとそれと同じことなのだろう。
「んで、このピヨ助どうすんの?」
正体を特定したあとの処遇について、みちるはツクモに訊ねる。このままこの家にいると、ヒヨコもどきはきっとまたアラームの妨害をする。ナリカケは、ただ自身のもつ特性を発揮することに忠実なだけだ。善悪の概念を持たない対象に、それを諭すことは困難である。夫人の発作のことを考えると、アラームが鳴らないことで問題が悪化する恐れがあった。
ツクモは、みちるの父親を思い出す。ゆうは、善悪で説得をせず、ナリカケの特性をそのままに役割を与えることで解決を手伝っていた。
「よし、お前にまた役目を果たさせてやろう」
「……あら? もう地震は収まったの?」
「夫人、この置時計を譲っていただけないだろうか。そうすれば、アラームは直る」
置時計の振動が収まったことで、怯えていた女性が顔をあげる。ツクモは、事態の把握ができないでいる彼女に置時計の譲渡を提案した。
年配の女性は、主人との思い出のつまった品を譲ることにためらいを覚える。しかし、アラームが鳴らないことで困っているのは事実。目の前の少年がいう通り、置時計を手放すことで改善するなら助かることだ。
「大事にしてくれるかしら……?」
譲る条件はそのひとつだった。機能の欠けたガラクタであっても、彼女にとっては大切な品だ。ツクモは泰然と笑む。
「もちろん。夫人の寿命よりも長く使ってやろう」
確信をもった言葉に納得し、女性はツクモに置時計を譲ることを決意した。
その数日後、交番の巡査を通じて、困りごとが解決したという朗報がガラクタ課にもたらされたのだった。
さて、ヒヨコもどきがその後どうなったかというと――
「だぁっ、ピイピイうるせぇ!」
耳元の鳴き声より大きな声量で、みちるは文句をいう。授業が終わった途端、牙のペンダントからヒヨコもどきが現れて、彼女にバイトの時間を報せたのだ。しかも、ガラクタ課に着くまで何度も急かすように鳴いてくる。スヌーズ機能まで搭載されていた。
置時計で鳴ることができなくなったため、ツクモはヒヨコもどきがペンダントを依代にみちるが姿を認識できるようにした。つまり、みちるに憑けたのだ。遅刻グセのある彼女にうってつけのアラームである。
「ほんっっっと、アイツ可愛くねぇ!」
悪態を吐きながら、みちるは狛抓署へと駆けてゆく。ちょうどそのタイミングで、ガラクタ課にいるツクモが呆れまじりに嘆息をした。
「相変わらず喧しい娘だな」
ヒヨコもどきを介して彼女の様子を把握しているツクモは、そう感想を零す。走りながら叫んで、よく舌を噛まないものだ。
「嬢ちゃん、もうすぐ来んのか」
ガラクタ課のソファで先に差し入れの菓子を食べていたオサラギが、ツクモの呟きを拾う。この課の一番の常連であろう彼に、ツクモは視線を投げる。
「オサラギのもってくるのは下らん案件ばかりだな」
「お前さんのせいで、一課がヒマなんだ。これぐらい付き合え」
「人間が魂を喰うなというから、凶気を喰うだけで我慢してやっているものを」
先ほどまで少年がいた場所に狐のような耳と尾を生やした青年がいた。その眼は金色。尾の数は八本。常ならざるその姿を、オサラギのは当然のように眺める。
ツクモは妖狐だ。九十九よりもずっと長い時を生きる存在として、現代ではその名で呼ばれている。彼は祟りを恐れ畏怖もされれば、時代には土地神と崇められる存在だ。
ツクモが暮らしていた場所に狛抓署ができた。署と彼との間で交渉があり、事件をむやみに増やさないため人の魂を喰うことをツクモに禁じている。その代わり、彼の準食糧である人間の凶気を喰うことを容認したのだ。狛抓署の管轄で殺人事件が極端に少ないのは、そういった事情によるものだった。
一見平和なこの管轄だが、オサラギには目の前の彼ほど恐ろしい存在はないと感じる。人の殺意を蓄え続けている存在は、ひとつ間違うと脅威にしかならないだろう。そんな内心の恐怖を押し隠して、彼はツクモと付き合っている。
凶気が糧になる存在だからか、ツクモは執着心が強く、一度気に入った人間には寛容だ。彼が気に入った人間は、ガラクタ課に配属される。ツクモを宥める役割として。
その役割を担っていたのが、紗渡ゆう。みちるの父親だった。彼が交通事故に遭いそうになった民間人を庇って亡くなったとき、署内ではツクモが荒れないか戦々恐々としていたが、ゆう自身が手を打っていた。
彼の忘れ形見であるみちるだ。ゆうとは似ても似つかない粗暴な少女であるが、父親の遺言でガラクタ課を訪ねてきた彼女をツクモは無下にできなかった。
気付けばなんだかんだと二人はうまくやっている。ガラクタ案件をもってきつつ監視役をしているオサラギの目にも、みちるはみちるなりに彼との関係を築いてみえる。今回、ツクモが自身の力で強化したナリカケをみちるに憑けたのがいい証拠だ。そもそもゆうから託されたとはいえ、自身の尾を媒体に作った道具の所持を許していたから、さらに優遇したといえよう。みちる本人は、その厚遇に気付いてもいないだろうが。
「……まぁ、もうしばらくは退屈しなさそうだな」
ふっと笑みを刷き、ツクモはいつもの蒼い瞳をした少年へと戻る。同時に、バタバタと騒がしい足音が近付いてきた。バタンと音を立ててドアが開く。
「セーフ!!」
「いつもこうならいいんだがな」
どうだ、といった様子のみちるにツクモは皮肉で返す。みちるの肩にのるヒヨコもどきもなんだか誇らしげにしている。
「てか、ピヨ助めっちゃうるさいんだけど!?」
「ピヨ助のおかげで遅刻せずに済んだだろう。第一、バイトの方がよほど喧しい」
「なんだとっ」
ピヨ助の呼称が定着したヒヨコもどきを発端に、口論がくり広げられる。そのいつも通りの光景は、オサラギも安堵を覚えるものだった。みちるの前だと、ツクモはただの少年のようにみえる。
きっと長く生きるツクモには束の間の平和。その束の間が自分の寿命のある限りは続くよう、オサラギは祈る。
ガラクタにも五分の霊が宿ると知る彼だ。父親の遺志を継ぐ少女と過ごす時間で、少しは変わるかもしれない。
そう期待できる光景を前に、オサラギは口論の間に残りの菓子を食べてしまうか悩むのだった。