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 尚人の遺骨は三日間、大広間に置かれた後、墓へ移された。女は、段々と部屋にこもる時間が減っていき、遺骨が大広間からなくなったあたりから日常を取り戻していった。

 それと同時に、女は千春とより一層、一緒にいたがった。今までは、幸生の意見を立てるような場面でも、女は千春の手を握ったままだ。さらに悪いことに、千春も女の手をしっかりと握り返していた。


「ちーちゃん、ママと一緒がいいの!」


 この日も、女から引き離すために外に連れ出そうとしたところ、千春は女の膝にすがりついて断固拒否した。女は、「あらあら」なんて言いながらも、うれしそうだ。祥子は、明子と朝ご飯の片付けへ行ってしまった。


「幸生、今日は三人で木苺を取りに行かない? 木苺がいっぱいなっているところがあるんですよ」

「イチゴ? ちーちゃん、イチゴ好き!」

「苺とは、また違うんだけどね、苺みたいに甘くて美味しい木の実なのよ」

「すごーい!」


 飛び跳ねて喜んでいる千春に、女は目を細めている。対して、幸生の視線は厳しい。


「ちーちゃん、おねーちゃんも行くか聞いてくる!」

「そうね。聞いて来てくれるかしら?」

「うん!」


 千春は力一杯に障子を開けて、廊下に小刻みで大きな足音を響かせた。女の顔なんて見たくない幸生は、開けっ放しの障子の先を見続ける。こうやって、女とうっかり二人きりになってしまった時は、拒絶を示してやり過ごす。女が気を遣って、雑談を振って来ることもあるが、五文字以内で適当に返事をするなり無視するなりして対処した。


「幸生は、私のことがそんなに嫌い?」


 こんなにも直接的な質問は初めてだった。女は、いつも通り穏やかな顔をしている。幸生は、無視することにした。そうすれば、ここで広がることのない会話は終わる、はずだった。


「私の何がそんなに嫌なのかしら。幸生と千春のいい母親でいたいだけなのよ?」


 もっともなことでも言うような女が、幸生は癪に障った。危ない女だとわかっているのに、言い返さずにはいられなかった。


「いい母親なんて、俺たちには必要ない。俺たちの母親は一人だ」

「あなたたちの母親は、死んでしまったのよ。この世にもういないの」

「だからって、あんたが俺たちの母親になるなんてことはない。あんたは、他人だ。母親面をするな」


 幸生の言葉に、女がどんな表情をしていたのかわからなかった。

 耳をつんざくような悲鳴とともに、幸生は横っ面を張り倒された。


「お母様になんてことを! 謝れ! お母様に謝りなさい!」


 幸生は反射的に頭をかばった。蹴られているのか殴られているのかわからない。息をつく暇もなく、暴力が降り注ぐ。


「享子?」


 享子という人物は、名前だけ知っていた。母屋に住んでいるとは聞いていたが、会ったことはない。

 まだこんなとんでもない奴が控えていたのかと、幸生は大概にしてほしい気持ちだった。


「お母様、こいつは反抗期ってやつだ。しっかりとした躾をしてやらないと」


 享子は、幸生の髪の毛をわし掴んだ。頭皮が引き裂かれそうな激痛に、幸生はこらえきれず痛みを訴えた。


「放してほしければ、謝れ! 謝るんだ、早く!」

「いたたたッ、すみませんでした!」


 幸生がやけくそに謝罪を口にすると、享子はゴミのように幸生を投げ捨てた。


「謝ったって許されないことをお母様に言ったんだぞ! もっと謝れ!」


 享子は幸生の脇腹を蹴り飛ばした。謝れと言われても、声が出ない。幸生は、身体をくの字に折り曲げた。


「享子、おやめなさい。幸生、ちゃんと謝ったじゃないの」

「私の腹の虫が収まらない! 二階の物置に閉じ込めてやる!」


 享子はすごい力で幸生の首根っこを掴むと、引っ張っていく。女は、心配そうな母親の顔で幸生を見送った。

 二階の一番、奥の部屋に幸生はゴミ袋のように投げ入れられた。それ相応の視線が冷たく降り注ぐ。


「お母様がいらない子だと判断すれば、お前なんかすぐに殺される。さっさと殺されちまえ」


 過激な捨て台詞とともに、幸生は物置部屋に閉じ込められた。享子も、ここでの死体が殺されたものだと知っているのだろうか。だとしたら、奥留では殺人が黙認されていることになる。そうなると、反抗的な幸生なんて滅多刺しの死体で出てきたとしても、転んで頭の打ちどころが悪かった、不運な事故として片づけられてしまいそうだ。早く、ここから逃げ出さなければ。

 段ボールを踏み台に高い位置にある天窓を覗くと、この部屋からの脱出は自殺も覚悟でないと無理であることがわかった。

いつまでここに閉じ込められることになるのか。ここでなら、餓死するまでなんて恐ろしい事態もあり得そうだ。


 時間が経つにつれて、享子から暴行を受けた個所が痛んできた。身体をねじりながら、傷になっていないか肌を確認していたら、近くにあった段ボールが頭にあたった。享子に髪を引っ張られた痛みを思い出し、腹が立った。拳で叩いて八つ当たりをすると、中の物がぶつかり合い乾いた音がした。

 幸生は、興味本位にその段ボールを開けてみた。都合がいいことに、ガムテープで梱包はされていない。

中には、竹とんぼが入っていた。大きな段ボールが重くなるほどたくさんの数がある。手作りなのか、不揃いで同じものは一つもない。

 羽の部分にマジックペンで名前が書かれていた。平仮名の名前は、子どもが書いた字のようだ。

 『さいと』と書かれた竹とんぼを見つけた。もしやと思って探すと、近くに『ゆうと』もあった。『しょうこ』と書かれた竹とんぼは、左右の羽がいびつですぐに地についてしまいそうだ。

てっきりここは男ばかりなのかと思っていたが、女の名前が入った竹とんぼも多くあった。

 父、健人のものもあるだろうか。

 それは、意外とすぐに見つかった。幸生が知らない父の幼い日に触れて、不思議な気分だった。父は十七まで、ここで生きてきた。幸生のように、ここの異常さに不満を抱き、欝々として過ごしていたのだろうか。それにしては、父は明るく楽観的な人間だった。

 扉の施錠が解かれる音がした。


「幸生?」


 祥子は幸生の顔を見て、頬を引きつらせた。


「そんなにひどい顔しているか?」

「うん。千春ちゃんが好きなアニメの悪役みたい」 


 幸生は、ぱんぱんに腫れあがった顔でどや顔する変な生き物を思い浮かべた。顔をしかめると、うまく動かない頬が痛かった。


「湿布持ってきたから、貼ってあげるよ」

「こんなことして、怒られないか?」

「お母さんから幸生の様子を見てくるよう頼まれたの。享子はお母さんの言うことなら聞くから平気だよ」


 享子という単語に露骨に、嫌な顔をすると、祥子は笑った。 


「享子は、ちょっと変わった人なの。時々、ヒステリー起こしたりしちゃうんだ。身体が弱いから滅多に自分の部屋から出てこないんだけどね」

「身体が弱い? あのおばさんの力は冗談みたいだったぞ」


 幸生は、腕についた享子の爪の跡を見せて被害を訴えた。祥子は、幸生の腕よりも幸生が手に持っているものに興味を示した。


「竹とんぼだ。懐かしい。“けんと”って、幸生のお父さん?」

「ああ。祥子のもあったぞ」

「勝手に見ないでよ。あんまりうまくできなかったんだから」


 祥子は顔を赤らめながら、自分の竹とんぼを段ボールの底の方へ埋めた。


「幸生も五歳の時に竹とんぼ作った?」

「いいや」

「じゃあ、ここだけなのかな。ここではね、五歳になったら、お母さんと一緒に竹とんぼを作るんだ。竹を選ぶところから始まって、お母さんとちょっとずつちょっとずつ形にしていくの。竹とんぼの作り方って、その子の個性がすごく出るんだって。私は、男勝りだけど繊細で素直な子だって言われたな」


 祥子は、思い出に浸っているようだ。宝物のように大事にしている祥子の記憶に水を差す気はなかった。幸生は、父の竹とんぼを段ボールへ戻した。

 祥子は、幸生の頬に丁寧に湿布を張った。


「こんな目にあって、幸生はますますここが嫌いになっちゃうね」


 湿布が剥がれないよう、控えめに祥子の指先が頬に触れた。冷たい湿布を通して、優しさが伝わってくる。


「悪い人じゃないんだよ。みんな個性が強いだけで」


 なにも知らない祥子からしたら、ここはきっと住みよい場所なのだろう。知らない方が祥子は幸せかもしれないと幸生は思った。


「そうだな。無駄に個性が強い奴ばっかりだ」


 何人もの顔が浮かんだ中で、ひと際、幸生の中である人物が引っかかってしまう。


「なあ、祥子は戒人さんのことどう思う?」


 世間話し程度に聞いてみただけだった。年の差があって、かつ小さい頃から知っている祥子は、戒人にどんな印象を抱いているのか。

 気軽に発した言葉が、空気を凍りつかせた。


「なんで、戒人のこと、聞くの?」


 祥子は、恐ろしいものに遭遇でもしたような表情をしていた。


「ただ、聞いてみただけだ」


 深い意味なんてなかったのに。


「私、もう行くから。他に痛いところがあったら、自分で張って」 


 祥子は、幸生に湿布を押し付けて、慌てて出て行った。祥子は、一度も幸生と目を合わせようとしなかった。

 あんな態度を取られたら、何かあると言っているようなものだ。何も知らないと思っていた祥子が、何かを知っている。それは、心の痛みを生んだ。あんな質問しなければよかった。とばっちりで、戒人への印象がさらに一段悪くなった。

 次に物置部屋が開いたのは、夕方くらいだった。開けてくれたのは、千春と明子だった。


「幸ちゃん、平気? 苺食べる?」


 千春は、小さな粒を差し出した。葡萄を指の第一関節くらい小さくして丸くしたようなオレンジ色の粒だった。千春の片手にあるビニール袋には、たくさんの木苺が詰まっている。


「いらない」


 あの女と仲良く採って来たであろうそれを口にする気はなかった。


「美味しいんだよ? 食べてー!」 


 小さな手が口元に激突する。仕方がないから、口を開けると、口の中で粒が弾けた。生温い自然の甘さが、朝食以降、何も身体に入れていないことを思い出させた。


「何を言ったのかは知らないけど、これに懲りて、口には気を付けなさいよ。口が悪くて得をすることなんざ、一つもありませんからね」


 明子は、そう言って踵を返した。慰めも心配も一切ないあたり、おっかない四天王の片鱗が見えた。


「幸ちゃん、一緒に遊ぶ? うさちゃん貸してあげようか?」 


 千春なりに、幸生のことを元気づけようとしてくれているようだ。そんな健気な姿が、傷心に響いた。


「ありがとう、千春。ダメな兄ちゃんでごめんな」 


 幸生は、膝に顔を埋めた。

 千春は、昔、母がそうしてくれたように「いい子いい子」と幸生の頭をなでた。その手の温もりに涙腺が緩みそうになった。

 もっと器用に振舞って、ここから出て行く方法を見つけることができたなら。幸生は、千春を守るための、最善の方法を取れない自分の未熟さが悔しかった。時間が経てば経つほど、状況は悪くなる。孤軍奮闘で、戦い抜く気力もそがれていくようだ。

 父にできたなら、自分にもだなんて思い上がりだ。いつだって大きかった背中と肩を並べる自信なんてない。幸生一人でここからどうしろというのか。助けてくれとすがりたい姿は、空の上だ。幸生を助けようとしてくれる姿も、周りにはない。

 ふとお節介な姿が思い浮かんだ。『何かあったら連絡しなさい』。耳障りでしかなかったあの人の声に希望を見出す。


「千春、部屋へ行こう」

「うん。ちーちゃん、一緒に行く!」


 兄が元気になったと思った千春は、喜んで立ち上がった。

 部屋で幸生は、リュックのポケットを調べた。折れ曲がった名刺には、『雪村香澄』と書かれている。幸生が期待した電話番号の記載もあった。それを丁寧にポケットへしまった。

 電話は、大広間にある。脱出への糸口が見つかった気がした。


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