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 それから連日、幸生は畑に出た。あの女と千春が二人きりにならないよう祥子も誘った。千春は、祥子にすっかりなついていた。どこへ行くのも祥子について行きたくて仕方がないようだ。


「ねえ、今日は千春ちゃんとキュウリとかプチトマトがなっている畑に行ってきていい? それなら、千春ちゃんもお手伝いできるから」


 その言葉に千春は、顔を輝かせた。 


「ああ。家に帰るときは、声をかけてくれ」


 家には、あの女がいる。千春と接触する機会をできる限り、減らしたかった。そんな幸生の思惑を知らない祥子は、疑問に思うことはなかった。


「うん。じゃあ、行ってくるね」

「ばいばい、幸ちゃん」


 一人になると、黒く塗りつぶされた写真を思い出す。両親に悪意を向けられたことに怒りが沸く。それと、同時に疑問もあった。母になり替わろうとする女が幸生と千春の母親を疎ましく思うのはわかる。なぜ、父親までも黒く塗りつぶされていたのか。父の健人に対する評判は、今のところ浩司と乾司の両極端なものだけだ。父は、昔の話しをしなかった。唯一知っているのは、母である麻奈との出会いだけだ。

 十七の時、ラーメン屋でバイトしていたら麻奈が客としてきた。一目ぼれだった。そして、すぐに幸生ができた。享年三十二の父親は、若い時から相当やんちゃだったらしい。

 日頃の行いの悪さが積もりに積もって、今回の自損事故に繋がったのだろう。業が深すぎて、愛妻まで道連れにして。どこまでも、馬鹿野郎だ。

 幸生がやさぐれて歩いていると、前方から弘人が来た。今日は平常時の三割増しの睨みがきかせられそうだ。かかって来い。

 幸生が率先して睨んでいるというのに、弘人は睨み返してこなかった。静かに弘人は立ち止った。真正面で立ち止まられては、幸生も立ち止るしかなかった。


「名前、どう書くんだ」


 短く弘人に質問され、幸生も短く答えた。 


「幸せに生きるで、幸生」


 そう言うと、弘人は豪快に笑った。しかめっ面しかできない男だと思っていたので、幸生は面食らう。しかし、すぐに弘人は見慣れた顔に戻った。


「ずいぶん贅沢な名前もらったもんだ」

「大きなお世話だ」


 弘人を睨みあげると、弘人はにやりと笑った。そして、去って行った。なんだかよくわからない人だ。早く無心になってスイカを収穫したい。そんな素朴な願望は、かなわなかった。


「お前が幸生か」


 見るからに人生を謳歌していそうなタイプの若者が立ちふさがる。初めて会う若者だが、今までの情報から彩人と呼ばれる男ではと推測した。そして、当たった。


「俺は、彩人だ。釣りに行こうぜ」

「これから、スイカの収穫を手伝いに行くんだ」

「それなら、颯人が手伝っているから安心しな。お前は、これから俺と釣りに行く。いいな?」


 こいつは、関わってはいけないタイプのジャイアンだ。幸生は、この場を切り抜ける方法を模索するが、幸生のコミュニケーション能力ではどうやっても無理だった。歩き出した背中に背いて、逃げ出す勇気もない。そのくらい彩人は圧倒的な雰囲気を持っていた。


「ここの奴らとは、仲良くなったか?」


 彩人は、前を向いて歩きながら幸生に質問した。


「仲良いってほどの人は、いないと思う」

「言葉を交わすくらいの仲の奴はいると」

「そのくらいは、まあ……」

「誰だ?」


 彩人は、ようやく幸生を振り返った。整った顔立ちを際立たせる意志の強い瞳に射抜かれると男でもドギマギする。居心地の悪さを感じながらも、幸生は何人かの顔を思い浮かべた。


「乾司さんと隆司さんと颯人さんは、すごい話しやすい。あと、祥子もそれなりに……」


 初対面が嘘のように、話せるようになってきた。二人きりだと、気まずい瞬間もあるが、千春が間にいて緩和してくれる。千春を通して、祥子が優しい子であることは十分にわかっていた。

 自分がどんな表情をしていたのかわからない。


「好きにならない方がいいぞ」


 彩人に釘を刺された。彩人は、祥子のことが好きなのだろうか。こんなに怖そうな人と好きな女を取り合う土俵に上がるつもりはない。


「好きじゃない。ただ、話しをするってだけだ」

「ふーん」


 幸生の弁解は、軽く流された。

 川に着くと、勇人が待っていた。先に釣りを始めていたらしく、すでにバケツの中を数匹の魚が泳いでいる。


「やあ、幸生くん。久しぶり、僕のこと覚えているかな?」


 戒人とここにやって来て初めてあった青年だ。幸生がうなずくと、勇人はうれしそうにニコニコと微笑んだ。


「どう? ここの暮らしは。過ごしやすい? それともクソッたれって思う?」


 両極端すぎて、答えづらかった。幸生は、迷った挙句、無難に答えた。


「まあ、普通です。みんなよくしてくれるので」


 数名は、除外とする。弘人とは、ほぼ毎日睨み合っているし、浩司と会えばバカ面だと嫌味を言われる。畜産や酪農をメインとしている人たちは、幸生は全体的に苦手だった。

 この答えが彩人はお気に召さなかったようだ。


「普通? お前それでも健人の息子か」

「父さんのこと知っているの?」


 ひどく憤慨している彩人の代わりに、勇人が答えてくれた。


「健人がいた頃、僕たちは八歳とかそのくらいだったから、はっきりとした思い出とかはないんだ。ただ、君のお父さんの『ここは、この世の墓場だ』って独り言ははっきりと覚えているよ」

「健人の息子なら、そのくらい反骨精神があるやつだと思っていたのにな」


 彩人は、水面に向かって石を投げた。水面を飛んだ石は向こう岸まで跳ねて周りの小石の仲間入りを果たした。幸生は、思い出したように、ここへの不満が沸いて来る。


「俺だって、ここが可笑しいことくらいはわかっている。あの女が母親で、その他がみんな子どもなんて狂気の沙汰じゃない」


 幸生の言葉に、二人の目がきらめいた。


「さすが健人の息子! 今日から幸生くんは、僕たちの仲間だ」

「ああ。仲良くかたき討ちといこうぜ」

「かたき討ち?」


 変なことに巻き込まれようとしている。幸生の危機察知能力が正常に働いた。自分は、なんらかの詐欺に巻き込まれようとしている。幸生は、防御の体勢をとった。


「勝手に話しを進めるなよ。俺を体よく巻き込もうとするな」

「お前は、自分の両親を殺されておいて、かたきも取らない腑抜けなのか?」


 彩人の言葉に、幸生は一瞬、思考が止まる。すぐに持ち直して、事実を述べた。


「俺の両親は、単独の事故で死んだ。かたきなんていない」

「健人が死んだ日は?」

「七月十八日だ」


 忘れもしない。一本の電話で、幸生の人生が大きく変わった。あんなにも音も色もなくなった瞬間は、二度とやって来ない。


「それなら、残念だが、お前の両親は殺されたんだ」

「理由を言えよ! そう思う理由を」


 幸生は、拳を震わせた。両親の死を冒涜されたように気分になり、感情が高ぶる。


「ついて来い」


 彩人が歩き出す。


「僕たちは、確証があるんだ。来て。残酷かもしれないけど、知らないでいる残酷さの方がもっと辛いことだってあるから」


 勇人に背中を優しく押されて、幸生も歩き出した。

 案内された先は、森の中にある石造りの建物だった。増築を繰り返したようで、いびつな造形をしている。

 彩人は、中に誰もいないのを確認すると、中に入って行った。勇人と幸生もそれに続く。中は棚で埋められ、一定の感覚で木箱が無数に置いてあった。


「ここは、墓だ」


 彩人に言われて納得する。真新しい骨箱を二つ見たばかりだ。その中で一番、新しい骨箱の前で彩人は止まった。


「これを見ろ」


 その箱には、『健人』と彫られている。肌が泡立った。


「この箱が増えたのは、七月十八日だ。俺たちは、毎日ここに来る。間違いない」


 幸生は、正常に頭が働かなかった。


「ちなみに中身は、空だ。行方知らずだった健人の骨箱が突然現れたと思ったら、お前たちが来た。単独の事故だって言っていたが、なにか不審な点はないのか?」


 幸生は、唇を強く噛んだ。

 なぜ、両親は幸生と千春を置いて、山道になんて行ったのか。出て行くとき、二人は妙に神妙な顔をしていた。それを隠すように明るく振る舞っていたのが、不自然だった。考えないようにしていた。考えても、真実を知っている人はこの世にいない。そう思っていた。


「音信不通だった健人の死を事故の当日に把握するなんて、ここの誰かが健人の死に関わっていないと難しいと思うんだ。それに健人には、殺される理由もある」

「理由?」


 話し始めようとする勇人を制して、彩人は外を警戒しながら言った。


「場所を移すぞ」


 幸生は言われるがままに、川沿いを歩いていた。心臓は、ずっと早鐘を鳴らしている。彩人は、川の流れが速くなっている場所で立ち止まった。


「健人は、ここから逃げ出したんだ。隆司が言うには、ここからやっこさんの許可なく外へ出て行ったのは後にも先にも健人だけらしい」

「奴さん?」

「みんなの母親を自称している人のことを、裏でこっそりそう呼んでいるんだよ」

「俺たち子供は、二十五になるまで入口に続く西の森に入ることすら許されない。奴さんは、子供が西の森に入るとわかるらしいんだ。俺たちも小さい頃、外へ遊びに行こうとして森に入ったことがある。そうしたら、すぐに真正面からあの女が現れて連れ戻された」

「あれは、ホラーだったよね。二度と経験したくないから、再チャレンジは控えているんだ」

「あの女は何者なわけ? 化け物じみているじゃないか」

「幸生くんが化け物っていうのなら、化け物なんじゃないかな? なにせ、僕たちはここから出たことがないから、世間知らずなところがあってさ。奴さんは、母親を名乗る人殺しってことしか知らないんだ」


 勇人がさらっと口にした“人殺し”という単語に緊張感が戻って来る。


「あの女が父さんと母さんを殺したってことか? 父さんが脱走したことを恨んで」


 幸生は、黒く思い出を汚された写真を思い出す。そこにある憎悪を殺意ととらえるのは簡単だった。


「奴さんの母親としての執着は相当なものだからね。自分の愛情に背いて逃げ出した子を許さないと思う。あと子供が大好きだから、幸生くんと千春ちゃんを手元に置く口実を作りたかったっていうのもあるかもしれない」


 幸生は、千春を可愛がる女を思い浮かべて嫌悪した。


「ここの奴らは、あの女を母親だと盲目的に信じてやがる。うかつに信用するな。俺は、人殺しは奴さんだけじゃないと考えている」

「彩人。それは不確かな情報だよ」


 勇人に咎められても、彩人は微塵も反省するそぶりはなかった。中途半端な危険な情報に、幸生は聞かずにはいられなかった。


「他にも人殺しがいるってこと? 彩人は、誰を怪しいと思っているわけ?」


 幸生の脳裏に、態度の悪い数名が浮かんできた。弘人の名前が上がれば、すんなりと納得してしまいそうだ。


「戒人」

「戒人さん?」


 思いもよらない人物だった。ただ、嫌疑を持って戒人のことを改めて考えてみると、思い当たりそうな部分がある。なんと言っても、ここへ来ることになった発端だ。


「彩人は、戒人のことが苦手なんだよ。戒人はいい人だよ。幸生くん、あまり気にしないでね」


 勇人がフォローする。彩人は、それを一蹴した。


「あいつは、奴さんの手先のようなヤツだ。お前は、戒人と家が一緒だから情が沸いて正常な判断ができなくなっているだけだ」

「彩人こそ、小さい頃から戒人に説教されてばかりだから、変な苦手意識ができちゃっただけだろう? 彩人のなんでも決めつけてかかるところ、よくないと思うな」


 二人は、口喧嘩を始めてしまった。幸生は、どこか静かなところで両親が殺されたかもしれないということについて考えたかった。残念ながら、二人について歩いていただけなので帰り道がわからない。


 本当に両親があの女に殺されたとして、かたき討ちなんてできるのだろうか。憎悪は沸いても、同じように殺してやりたいとは思わない。とにかく千春を連れて、どこかへ逃げたかった。気持ちがせった幸生は、二人の言い争いに割って入った


「ねえ、俺と千春がこの森を抜けるにはどうしたらいい? 十七の父さんができたなら、何か抜け道みたいなものがあるんじゃないのか?」


 二人は言い争いを中断してくれた。


「なら試してみる? 健人みたいに成功するか、奴さんのお迎えが来るか、奴さんに気づかれず迷子になって餓死するかの三択だけど」


 勇人は、首を傾げた。


「むしろ、幸生くん。健人から武勇伝として逃走劇について聞いていない? 十七歳の輝かしい日々について、ちっとも話していなかった?」

「十七歳なら、父さんと母さんが出会って僕が生まれた年だ」

「健人は、十八になる三日前に脱走したんだぞ? 色々、時系列がおかしいだろう」

「え?」

「外の人間は、出会いから出産までが短いんだね。日本の人口密度が高いのも頷けるな」

「普通に考えて、こいつは健人の子じゃないってことだろう」

「そうなの? 幸生くん、どこん家の子だい?」


 両親の死と同じくらい酷なことを、二人はあっけらかんとして口にした。デリカシーがなさすぎて、深刻にならずに済んだ。まさか自分が二人の子じゃないなんて。考えてみても、二人と一緒に過ごした時間は間違いのない愛情が詰まっていた。もし、万が一、そうだとしても、幸生にとっての両親は揺るがない。両親の口から真実を聞くことができない今、与えられた愛情に背いて悩んだって仕方がない。


「俺は、志藤健人の息子だ。絶対にここから出て行ってやる」


 勇人と彩人にそう宣言した。


「あれ? かたき討ちには、乗ってこないんだね」


 勇人の言葉に幸生は、渋い顔をした。そこまでの根性はないし、危険を冒すつもりはない。そんな幸生を彩人は気に食わないだろうと思い、暴言に備えて身構えた。


「かたきは俺たちが取ってやる。お前はここから出て行け。まだ明確な方法は見つかっていないが、手伝ってやる」


 思いもよらず、彩人は幸生の意見に沿ったことを言ってきた。甘い話しには裏があると、逆に幸生は警戒を強めた。そんな幸生を、彩人は毛を逆立てた子猫を相手にするように見ていた。


「お前の目で偏見を持たずに奥留を見てみろ。その上で、信じたいものは自分で判断しな」


 彩人の話しは終わったようだ。ふらっと茂みの中に入ってしまった。


「幸生くん、スイカ畑まで送るよ」


 彩人と比べると、勇人は朗らかで接しやすい。幸生は、緊張を解いて頷いた。


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