3
翌朝は、千春に顔を叩かれて起こされた。
「幸ちゃん、おしっこ!」
もたもたしていたら、後頭部を再び叩かれる。
「もれちゃう、もれちゃう」
切迫した単語に、起床を急かされる。一瞬、トイレどこだっけと記憶が混濁する。すぐに一階だけでなく二階にもトイレがあることを思い出す。階段を上がってすぐのところだ。千春を抱えるようにして急いで行くと、ちょうど誰かが出てきたところだった。
気まずい鉢合わせを置いてけぼりに、千春はトイレに入ってしまった。
「えっと……志藤幸生です。あと、今のは妹の千春。昨日の夜からお世話になっています」
沈黙を埋めるために、不愛想ながら挨拶をしてみた。おそらく彼女は二つ年上の祥子だ。いかにも気の強そうな顔をしている。せっかく美人なのに、表情で台無しだ。祥子は、幸生が気に入らないらしく、同じくらいの身長なのに見下してくる。
何か言うのかと思ったら、何も言わずに顔をぷいっとそむけて行ってしまった。感じが悪いにもほどがある。幸生はますますこの場所が嫌いになった。
明子に呼ばれ、昨日夕飯をとった和室に行くと、二人分の朝食が用意されていた。当たり前のようにそこに女もいた。
「おはよう、幸生、千春。ご飯はどのくらいがいい?」
お櫃からは、白米の湯気が立ち上っている。部屋中を炊き立ての甘い香りが満たしていて、不覚にも食欲が沸いてしまう。
「ちーちゃん、ちょっと」
千春は、食が細い。まだ人見知りをしているのか、控えめに主張した。女は、そんな千春に目を細めた。
「このくらいかしら? 無理をしなくていいからね。好きなだけでいいのよ」
よく母から、もっと食べるようお小言を言われていた千春は、安心したように頬を緩ませた。
「はい、幸生くんは、このくらい食べなさい。昨日ほとんど食べていなかったんですから。足りなかったら、おかわりがありますからね」
女からは、大目によそられたご飯茶碗が渡された。女の言う通り、胃袋は空っぽだった。悔しいけど、腹が空いている。
「……いただきます」
礼儀にうるさかった母の言いつけが根付いている。隣にいる千春も元気よく「いただきます」と言った。
いつの間にか明子はいなくなっていた。女は二人の食事風景を楽しそうに見守るだけで、何も口にしていない。
「ご飯は、それぞれ取りたい時にとっているんですよ。いつお腹が空いても大丈夫なように、母さんが用意していますからね。なんならお部屋でとっても構わないんですよ。母さんは、ご飯をしっかり食べてくれさえすれば、安心ですから」
思いもよらず融通が利いた環境に、幸生の緊張が和らぐ。女は、笑みを濃くした。
「テレビ! ちーちゃんの好きなやつやってるよ!」
千春は、時計を見て興奮しながら言った。千春が好きなアニメがもうすぐ始まる。だから、早く起きたのかと幸生は、千春の体内時計に感心した。
女は、困ったような表情になった。
「テレビ自体は、座敷にあるんですけど、そういうのを見ることができないと思うの。詳しいことはわからないんだけど……」
「やー! ちーちゃん、見るの!」
「千春、我がまま言うなよ」
癇癪を起す千春をなだめようとする。千春は、怒りを通り越して、泣き出してしまった。こうなるとさらに面倒くさい。女も、ひどく動揺している。
「待っていて。戒人に聞いてみるから。戒人ならどうにかしてくれると思うの。すぐ戻って来るから、待っていてね」
女は、大慌てで部屋を出て行った。幸生は、千春の不細工になった顔をティッシュで拭う。
「千春、ここには世話になっている身なんだ。あんまり我がまま言うなよ」
「ちーちゃん、お家、帰る……」
その言葉が千春の口から出てきたことに安心した。
「そうだな。兄ちゃんと一緒に帰ろう。ただ、夏休みの間だけ我慢してくれ。そうしたら、兄ちゃん、どうするのが千春にとって一番いいのか考えるから」
頭をなでると、千春は落ち着いたようだ。千春は、冷め始めたご飯を口に運んだ。
「偉いな。ちゃんと食べて」
千春は、得意げな顔になった。その顔についた余分なご飯粒を取り除く作業をしていたところ、女が戻って来た。
「戒人に電話してみたら、録画したものを持ってきてくれるって言っていたわ。うちのテレビでも、見ることができるそうなのよ。千春、これで機嫌直してくれるかしら?」
「うん!」
とっくに機嫌が直っている千春は、元気いっぱいに返事をした。女は、心底安心したようだ。
「ふふ、よかった。今日は、二人のこと他の子供たちに紹介して回りたいんだけど、いいかしら?」
「それ、やらないとダメですか?」
やりたくないと明確な意志を持って主張すると、女はひるんだようだ。しばらく考えた後、女は仕切り直すように言った。
「そうね。紹介だなんて、気疲れしてしまいそうよね。ここには、私も含めて三十一人で暮らしているんです。それだけの人数なら、わざわざ紹介せずとも、自然と覚えていくわね。今日は、よければ少し散歩をしないかしら?」
「散歩?」
反応したのは、千春だった。
「ええ。せっかくいい天気なんだし、家にこもりっぱなしなんて勿体ないでしょう?」
「うん! ちーちゃん、散歩する!」
「ええ、しましょう。川もあるのよ?」
極力、女との接触を避けたいのに、千春と女は盛り上がってしまった。女が、幸生に期待するような視線を向けた。千春をこの怪しい女と二人っきりにするわけにはいかない。幸生は、渋々一緒に行くことにした。それでも、女は幸生の同行を純粋に喜んでいた。
今まで住んでいた場所より太陽に近くなったというのに、体感温度はいくらか低いように感じた。山だからだろうか。空気は澄んでいて、どこを見ても緑があり目に優しい。千春が、女の手を握りながら、飛び跳ねてしまう気持ちが少しわかってしまう。
この奥留という地域は思ったよりも敷地が広いようだ。主に田畑が広がっている。田んぼは、青々とした稲が同じ背丈で広範囲に渡って並んでいる。
「もーたんいる! もーたん!」
「牛さんね。あの子は、今年の四月に生まれたばかりなのよ」
「かわいいねー」
つぶらな瞳をした子牛が、柵越しに千春に近づいて来る。それを、千春は乱暴になでていた。向こうの方にある小屋からは、豚や鶏の声も聞こえてくる。その建物の間から、また別の生き物が出てきた。あれは、なんだと凝視していたところ、おじいさんだった。目が合ってしまい幸生は気まずい思いをした。おじいさんに気づいた女は、朗らかに呼びかけた。
「浩司。幸生と千春よ。可愛いでしょう?」
女は、自慢するように言った。幸生は、自分と似ている浩司という名前に聞き覚えがあり頭を捻った。そして、勇人が壊した家の家主だと思い出した。浩司は、仏頂面で品定めするように幸生と千春を眺めた。
「頭の悪そうな坊主だな。残念だ」
これは、家を壊されても仕方がないなと幸生は密かに思った。
女は、失礼な浩司を咎めてくれた。
「こら、浩司。そういうことを言うんじゃありません。幸生、浩司は誰に対してもきつい物言いだから、気にすることはありませんよ。あと、浩司は母屋に住む子供に英語以外の文系科目を教えてくれる先生でもありますから」
「母屋?」
「今、幸生が住んでいるところです。母屋に住む子供は、幸生と千春と祥子の三人よ」
こんな厳しそうな人に勉強を教わるのは、御免だと思っていたら、向こうも同意見だったらしい。
「馬鹿な教え子は、嫌いだ」
俺もお前が嫌いだという言葉は、口にせず目で訴えておいた。子牛に手をなめられた千春が無邪気に笑っている。その天真爛漫さに浩司は、目元を和らげた。
「この子は、賢い子だ。愚兄に似るなよ」
浩司は、腹の立つことを言い残して去って行った。明らかに不機嫌な顔をする幸生に、女は困っているようだ。幸生は、あえて女の悩みを解消してやる気はない。そのままヘソを曲げていたら、誰かが声をかけてきた。
「母さん」
「あら、将人」
父と似たような年齢の男だった。精悍な顔つきで、この人からも厳しそうな印象を受ける。
「君たちが、幸生と千春だね。俺は、将人だ。ここらで酪農や畜産をしていることが多い。よろしく頼むよ」
「よろしくお願いします」
「よろしくおねがいします!」
頭を下げると、千春が真似をした。
「二人ともスイカは好きか?」
「すき!」
「はい」
千春の素直さにつられて、幸生も正直に答えていた。
「それなら、畑でスイカをもらって川で冷やして食べてみたらいい。畑なら、颯人っていう面倒見のいい奴がいる。幸生と話しが合うかもしれない」
どうやら将人は、困っている女を見かねてフォローに来たらしい。話している内容に反して、女を困らせた幸生に対してはどこか棘を感じた。
「そうね! それがいいわ! 畑へ行ってみましょう。将人、ありがとうね」
「いいや。あんまり母さんに迷惑をかけないようにな」
やんわりとした忠告だが、将人の目は冷たかった。幸生は、ざわざわと嫌なものがみぞおち部分に根付くのを感じた。
「将人、幸生はここに来たばかりで戸惑っているんです。長い目で見てあげなさい」
「母さんがそう言うのなら」
幸生は、将人も嫌いだなと思った。こんなにも嫌な奴が密集した地域も珍しい。とんでもないところに来てしまったと、幸生は改めて後悔した。
目的の畑に行く途中に、台車で夏野菜を運ぶ人とすれ違った。これまた気難しそうな顔をする男に女は気さくに話しかけた。
「弘人、おはよう。颯人は、スイカ畑の方にいるかしら?」
男は、無表情に頷いて去って行く。ここの住人がこの女の子どもというのなら、この女は躾の仕方に問題があるに違いない。男は、すれ違いざまに幸生をきつく睨んでいった。それに気づかない女と千春は、のん気に鼻歌を歌いながら歩いている。千春の音痴な歌声に、女はなんとなく合わせているようだ。
スイカ畑には、浩司と同じくらい老いぼれたおじいさんが二人いた。
「乾司、隆司!」
女の呼びかけに、二人のおじいさんは座り込んだまま手を振ってきた。重い腰をあげる気はないらしく、幸生たちは畑に入って行った。
足元を見れば、大きなスイカがごろごろとなっている。千春は、おじいさんには興味がないらしく「スイカ!」と何度も連呼していた。
おじいさんたちは、水分補給代わりにスイカを雑に割って食べていた。若い方のおじいさんが食べたそうな千春にスイカの欠片を渡した。
「ほれ、おめぇも食え」
幸生も、渡されたスイカを食べた。生温いが、甘くて美味しかった。スイカをくれたおじいさんが隆司、ボケが始まっていそうな方が乾司と言うらしい。
「乾司は、七十六歳で最年長なんです。あと、理系科目を教えてくれる先生なんですよ」
「え? 先生?」
自分の年も忘れてしまいそうな老人に、数学なんてできるのだろうか。足し算と引き算ですら、危うそうだ。そんな幸生の感想は、顔に出ていたらしく隆司は声を上げて笑った。
「そりゃあ、こんな老いぼれに教わるなんてないわな。ここの奴らみんなアホってことにならあ」
「これ、わしはまだまだ現役じゃ。先生の立場は譲らんぞ」
「こうやって浩司と乾司が意地を張りあっているから、たちが悪いんだ。あくまで形式的なもんだから、わからないことがあったら他の奴に聞く方がいい。うるさい先生二人の言うことは、適当に聞き流しとけ」
視界の端で、千春が女の着物をスイカの汁で汚していてぎょっとした。女は気にしていないものの、高価なものだろうから幸生が気が気じゃなかった。
女は、朗らかに幸生が全く気にも留めていなかった補足をした。
「英語は、戒人が専門にみていますよ。戒人は外に仕事に出ていることが多いんですが、他にあまり得意な子がいなくて」
「そうじゃ、浩司は英語がてんでできん。愚か者じゃ」
「乾司だってできねえだろう。あと、颯人と勇人もそれなりに得意だ。わかんなかったら、聞くといいぞ」
その言葉に、女は本来の目的を思い出した。
「颯人はどこかしら?」
この辺りに他に姿はないようだ。隆司がスイカの種を吐き出してから答えた。
「颯人なら、勇人と彩人に捕まって、浩司の家の修復を手伝わされているぞ。木片が降って来るかもしれないから、あの辺には近づかんほうがいい」
「あら、まあ。相変わらず、やんちゃな子たちなんだから」
女は、楽しそうに目を細めた。
「それなら、今日はお昼を食べたら、家でのんびりしましょうか」
「はーい!」
千春は、スイカでべとべとになった手を真っすぐ上にあげた。
「お前さん、これ持っていけ」
「ありがとうございます」
乾司が叩いた大きなスイカを持ち上げると、ずっしりとした重みでよろけそうになる。よく荷物持ちで母親の買い物に同行したことがある。このスイカはスーパーで買ったら、三千円くらいするだろうなと幸生は思った。
午後は、子供部屋に案内された。そこには、千春が喜びそうな絵本や玩具で溢れている。古びた人形から、最新の知育玩具まで揃えられている。千春は、さっそくおままごとの玩具セットを手に取り楽しそうだ。
「幸生が時間を潰せそうなゲームもあるんですよ。新しいものは、誰かが持って行っているかもしれませんが、好きに遊んでくださいね」
女が開けた引き出しを見ると、古い携帯型ゲーム機の本体やソフトが入っていた。ソフトは、そこそこ新しい本体のものもある。勉強系やパズル系の当たり障りのないソフトばかりだが、面白いものは誰かの手元にあるのかもしれない。
「この部屋の隣の書斎も自由に使ってくださいね」
「……はい」
思ったよりも、労せず家の中で時間を潰せるかもしれない。千春も豊富な玩具に、一日中この部屋にいても飽きなさそうだ。
「お母さん」
部屋に入って来たのは、祥子だった。幸生と祥子は、一瞬、お互いにしかめっ面を交わす。すぐに祥子は、女に幸生が見たこともない笑顔を向けた。
「来てくれたのね、祥子。千春と幸生を紹介しておきたかったの」
「はじめまして、ちはるです。五さいです」
玩具を与えられて浮かれている千春は、自分から挨拶した。千春は、トイレで祥子とすれ違ったことを覚えていないのだろう。千春は、一つのことに夢中になると周りが見えなくなってしまいがちだ。
千春の舌足らずな挨拶に、祥子は微笑んだ。
「私は、祥子って言います。よろしくね、千春ちゃん」
幸生にはよろしくしたくないのか、祥子は頑なに幸生の方を見なかった。
「祥子は、ずっと妹がほしいって言っていましたからね。よかったわね。千春、お姉ちゃんよ?」
「おねーちゃん?」
千春にお姉ちゃんと呼ばれ、祥子は、照れくさそうにしながらも、うれしかったようだ。
「千春ちゃん、一緒に遊ぶ? 色んな玩具があるよ」
祥子は、千春の気を引こうと、手元にあった玩具を掲げてアピールしている。千春は、玩具よりも、お姉ちゃんという初めての存在に惹かれたようだ。好奇心と人見知りの間で、揺れている。
女は、そんな千春と祥子の背中を押すように言った。
「ここは、祥子に任せようかしら。私は、夕飯の仕込みを始めるわね。いい? 祥子」
「うん。平気」
「じゃあ、お母さんは下にいるから、なにかあったら言ってくださいね」
女が去ると、千春と祥子の距離はすぐに縮まった。女同士の結束力は、世代を超えて行くらしい。学校で群れて行動する女子たちを思い出して、幸生はうんざりした。
しばらくおままごとをする二人を遠目にしながら、幸生は適当に引き出しをあさっていた。その物音が祥子の気に障ったようだ。
「ちょっと、大事に扱いなさいよ。みんなのものなんだから」
「壊れるような扱いはしていないだろう」
睨み合う二人を気にすることなく、千春は料理に夢中になっている。ざくざくとマジックテープの引き裂かれる音が小気味よく子供部屋に響く。千春の無邪気さにやや毒気を抜かれて、幸生はもっと建設的な会話をする気になった。
「なんでここの奴らは、あの女を母親扱いするんだ?」
「は? お母さんをお母さんって言って何が悪いわけ?」
「年齢的に考えて、お前と乾司さんの母親が同じなわけないだろう」
「同じだよ。私たちのお母さんは、あの人だけ。何が不満なのか知らないけど、お母さんを変な風に言わないで」
相手が何を言っているのかわからない。お互いにそう思っているようだ。頑固さも同じレベルらしく、一歩も譲らず睨み続ける。
「はい、オムライスできたー。幸ちゃん、おねーちゃん、食べてね」
千春がトマトをメインに彩られたお皿を二人分、用意してくれた。
「ありがとう、千春ちゃん。すごい美味しそう」
祥子は、律儀におままごとへ戻った。幸生は、そんな気になれない。常識が通じないというのが、こんなにも苦痛だとは思わなかった。未知の生物と接している気分だ。まだ、与えられた当たり前をこなしていればいい窮屈な学校の方がましだ。
幸生は、現状に抵抗するようにつぶやいた。
「少なくとも、俺と千春の母親は、あいつじゃない」
男勝りでがさつで、あの女に勝てる部分はほとんどない。それでも、屈託のない笑顔を浮かべるあの人が幸生と千春の母親だ。死んだからといって、その事実を曲げられてたまるものか。
そんな幸生の独り言に、返事が返って来た。
「だろうね」
祥子を見ると、神妙な顔でおままごとを続けている。幸生の中で、祥子のイメージがかろうじて人間に戻った。
その夜、戒人が部屋に来た。すでに千春が寝ているのを見越してか、ノックの音は控えめだった。幸生は、ゲーム機から伸びているイヤホンを外して、ドアを開けた。
「千春ちゃんを起こしたら可哀想ですから、隣の部屋へ行きましょうか」
幸生は頷いた。隣の部屋は、二段ベッドになっており勉強机も二つあった。
「勇人と彩人って子が使っていた部屋です。ここを出て行くときは、部屋を片付ける決まりなんですが、だいぶ私物が残っていますね」
戒人は、懐かしそうに部屋を見回した。幸生は、戒人に対して不満しかなかった。こんな場所だと知っていて連れてくるなんて、詐欺だ。それでも、初めて電話越しにやりとりした時から変わらない優しさに、どこか憎みきれない。幸生は、戒人と目を合わさないままに言った。
「ここは、可笑しい。みんなあの女を母親だって言うし、嫌な奴ばっかりだし、俺はここが嫌いです。すぐにでも帰りたい」
一息に思っていることを言った。戒人の反応を確認すると、戒人は困ったような顔をしていた。
「すみません。ここまで、幸生くんが拒絶反応を示すとは考えていませんでした」
だとしたら、戒人の価値観はおかしい。一抹でも戒人への信頼を残して置きたくて、幸生は真っすぐに戒人に視線を向けた。
「戒人さんは、変だとは思わないんですか」
「思いません。ここが、私の全てですから」
戒人は幸生から目をそらさずに即答した。幸生は、残念に思いながらも、やはり戒人を嫌いになり切れなかった。
「千春ちゃんが見たがっていたアニメを録画したDVDを持ってきました。大広間にあるテレビのところに置いておきましたので、明日、千春ちゃんに見せてあげてください」
「……はい」
力ない幸生の返事に、戒人は眉を下げた。しかし、それ以上、戒人は言い訳も慰めの言葉も幸生にかけることはなかった。黙って部屋まで送り「おやすみなさい」と言って帰って行った。