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にせもの女神

作者: 池田ロク

 日の出がみわたせる、ある海岸に、自由の女神が立っていた。

 女神は退屈だった。その海岸は人工で、そばには巨大なショッピングセンターがあった。休日には買い物のお客さんたちでにぎわい、浜辺では小さな子どもたちが遊んでいた。人工の波がよせては返すのを、まるでほんものの波みたいにおもしろがってキャッキャッとはしゃいでいる。デッキでは観光客たちが、女神と自分をカメラに写り込ませるのに必死になっている。

 べつだん、いつもと変わらない。

 女神はまっすぐ前を向いたまま、だれにも気づかれないよう、ため息をついた。

「平和すぎるわ。なにもかも」

 そこへ一羽のカラスが飛んできた。女神の右肩にとまると、いった。

「また、かたまった顔して」

「それは元からよ。でも」

 なげやりに女神はいった。

「かたまってるのは顔だけじゃないわ。 肩も体もなにもかも、カッチコチよ!」

「どうしてそんなにカッチコチなのさ」

 カラスは、またか、と思って聞いていた。

「わたし、もう二十年もここに立っているけど、この国の人たち、いつも遊び呆けてばっかり。わたしを真剣なまなざしで見あげたり、祈りをささげるような人なんか、一人もいないのよ。わたしは記念写真のただの風景。この二十年間、ずっとよ! 平和ボケしちゃってるのか、それともわたしをどうせレプリカだと思ってるのか」

「まあ、そのどちらともいえるだろうね」

 女神は首を動かさないまま、カラスを横目でギッとにらんだ。

「そう怒るなよ。世界には、戦争していたり、明日食べるものにも困っているような国がごろごろとあるんだぜ。おれがまだ若いワタリガラスだったころ、そういう国をこの目でたくさん見た。そのおれ様にいわせてもらえば、この国の唯一のいいところが、平和ってやつなのさ。それってほんとうに、めずらしいことなんだぜ」

 女神は、いい返すことができなかった。

「だれも君に祈りをささげないってことを、もっとほこらしく思えよ」

「でも」

 女神はくちびるをかたく結んだ。

「わたしがここに初めて立ったときのセレモニー…この国のえらい人が集まって、にこやかに握手をかわしていた。音楽隊はファンファーレを鳴らし、盛大な花火があがった。そのときわたしは心にかたく誓ったものよ。この国の人たちがどんなに苦しんでいても、ちゃんと支えてみせようと」

 女神は目線をおろし、人々を見やった。

「ところがどうなの。一年たっても、二年たっても、だれひとりわたしに祈りなんかささげない。それどころか、ビール瓶を投げすてていく人だっている!」

 一度始まったらとまらないしゃっくりのように、女神はなげきつづけた。カラスは羽づくろいをしながら聞いてやった。

 夕方になると、夕陽が女神の怒りをなだめるように、その背のほうを沈んでいった。人工の波も、もうしずまりかえっている。

 やがてあたりがまっ暗になったころ、

「そうだ! いいこと思いついた」

 ささやくように、小声でカラスがいった。

「もうだいぶ前になる。ニューヨークにいる君の姉さんのことだけどね。なんだかすっかりくたびれて、ひどくよどんだ青みどり色になっていたよ」

 女神は(わたしの心だって、もうすっかりよどんでるわよ)と胸のうちで叫んだ。が、あまり知らない姉さんのことをもっと聞きたかったので、だまっていた。

 するとカラスは唐突にいった。

「そこでだ。ニューヨークの姉さんと、少しだけすりかわってみたら?」

 女神は、右手のたいまつをおもわず落っことしそうになった。

「なんですって。そんなことしていいの?」

「そんなことしていいの、だって。まったくけなげだな! 君はもともと、鎖を足でひきちぎってきた自由の化身じゃないか」

 女神はじぶんの足かせに目をやった。

「もし君がこの話に乗るなら、まったくめんどうだが、ニューヨークの女神に相談しにいってやってもいい。おれも多少、この国に退屈してきたところだし」

 カラスは久しぶりの遠出に腕がなるというように、大きく翼をまわした。

 話は決まった。

 女神はカラスの帰りを待つあいだ、顔も知らない(といっても顔は同じはずなのだが)ニューヨークの姉のことを想像した。

「じぶんはにせものだけど、姉はほんものの。さぞかし偉大な姉なのだろうな」

 一週間ほどが過ぎた。夕方、女神の視線の先に、カラスの姿が飛びこんできた。女神は、体の中が煮えたぎってくるように感じた。そしてカラスが右肩に止まるやいなや、もう待てない、というふうに叫んだ。

「どうだった」

「よろこべ。姉さん、話を受けるって!」

 女神は左手の銘板をおもわず落っことしそうになった。

「まあ落ちついて聞け」

 カラスはニューヨークで決めてきた段どりを、すらすら話した。決行する日や時刻。すりかわる期間は一ヶ月。通過する海上ルートや、途中の島での待ち合わせの約束。女神は一言一句、のがすまいと聞いた。

 女神のまわりには夜景をながめるカップルたちがいた。だれもなにも気がつかず、ただのんきに通りすぎていく。そんなふだんどおりの夜だった。 


 いよいよ出発の日がやってきた。

 その日もいつものように平和で、単調で、あいかわらず女神と記念写真を撮ろうとする人ばかりだった。けれど、女神の心はざわついて仕方がなかった

 作戦開始時刻、深夜十二時になった。

 人々がやすらかな夢にどっぷりとつかっているその時、海を照らす灯台のあかりが、ふっと赤色になった。真夜中は、白い光ではなく、暗い赤色に変わるのだ。 

 それを合図に、女神はたいまつを持った右手を、さっとおろした。そしてまさに今、女神は最初の一歩を踏みだした。

 ざっざざぁーん!

 巨大な水しぶきがあがった。木々で寝ていた鳥たちが驚き、ギャァと鳴いた。

 女神はほんとうに動きだしたことが、じぶんでも信じられなかった。が、そんな場合ではない。裾までおおう布を両手でたくしあげ、二歩め、三歩めを力強く踏みだす。

 ざぁーん ざぁーん ざぁーん 

 重たく水しぶきがあがるたび、女神の心はかろやかになっていく。

 女神は、わき目もふらずに突きすすむ。夜空の星座だけがそれを見守っている。女神は時おり、王冠に刻まれた七つの大陸と、七つの海をしめす突起を、指でさわった。地図の代わりとして、あるいは海で迷わないためのおまじないとして。

 少しも休まずに進み、ここらでそろそろ太平洋のまん中という地点にやってきた。

(待ち合わせする島は、たしかこのあたりだわ)と、思ったときだった。

 ずぅーん ずぅーん ずぅーん 

 向こうから、低い地鳴りがする。それに合わせ、自分とそっくりなシルエットが、のっそり、のっそりと近づいてくる。

(あれが、姉さんだわ!)そう思うと、女神はもうほとんど小走りになっていた。

 女神はいろいろと、姉さんに聞きたかった。ニューヨークのきびしさ。女神としてやっていくことのやりがい。神ではなく、なぜ女神なのか、などなど。なにしろこれまで、女神らしいことをなにひとつさせてもらえなかった彼女にとって、姉は勇かんなヒロインそのものだったのだ。

(どんなふうに、感動の初対面を迎えよう)女神はきもちをはやらせ、はっはっと息を切らしながら、島にすべりこんだ。

 ニューヨークの姉さんもだんだんと島に近づいているのが、大きなうずまきがたくさん起こっていることでわかった。ずんずん、姉さんの姿が巨大になってくる。

「はっ。偉大なる、姉さん……」

 ところがニューヨークの姉は、一歩進むたび、フゥフゥとしんどそうである。やっと島に到着すると、両ひざに手をつき、フルマラソンを走りきったあとの選手ように、しばらく顔をあげなかった。

 おそるおそる、女神は声をかけた。

「は…はじめまして、姉さん」

「は…はなしはぜんぶ、聞いてるわ…」

 姉さんは大きく肩をあげさげし、いった。

「それよりちょっと、休ませて……体が重くて、重くて……」

 女神はあっけにとられながらも、姉の巨体を支えてやった。姉のフゥフゥとした息づかいが落ちつくには、だいぶ時間がかかった。ようやくそれがおさまると、姉は本来の調子を取り戻し、てきぱきといった。

「ありがとう、あなたにお礼をいうわ。こんな機会をあたしにくれて。なにしろ百年分の澱が、この体にたまってるもんだから」

 女神は、百年という言葉に目を丸くした。

「あなたの悩みも聞いてるわ。まあわたしたちにだって、息抜きってものが必要よね。ニューヨーク、楽しみなさいよ!」

 女神はまくしたてられ、圧倒された。あらかじめ用意していた質問は、ひとつもすることができなかった。そのかわり、(これがニューヨークの女神…これが、ほんもの…)と、心の中でくりかえした。

 それから姉さんはおおらかにいった。

「さてと。ここハワイよね? 太陽がサンサンとしていたら、もっと最高だったんだけど。あたし、少しここで休んでいくわ。バカンスって夢だったのよ!」

 そういったきり、島に背を向けて、海にずぅーんと寝っころがってしまった。

 女神は、百年も働いてきた姉をねぎらい、そっとしておいてやった。そして再び、ニューヨークへと進みだした。

 絶え間なく突きすすみ、とうとう太平洋の終わりまでやってきた。陸には大きな観覧車が見える。あれを自転車にしてこいでいけたら、さぞかし楽だろうなと思ったが、そんな妄想をしているひまもない。

 つきあたりの大陸を右へそれ、陸と陸を結ぶ細いつなぎ目をひょいっとジャンプすると、向こう側の海へ出た。そのまましばらく進むと、小さな島にたどり付いた。そこに、茶渋色の大きな台座があった。

「あれだわ」

 女神は最初から知っていたかのように、立つべき場所がすぐわかった。じぶんのより、古めかしくて立派な台座を、気が済むまでじっくり眺めまわすと、その上によじのぼった。そして姿勢を正し、たいまつをかかげ、いつものポーズをぴたりと決めた。

「これが、ニューヨーク」

 女神はしみじみと思った。空は、だんだん白みはじめていた。

 この様子をうかがい見ていたのは、起床の早すぎる鳥か、眠りの浅い野良猫だけのようだった。

  

 次の日から、新天地の女神は大いそがし。

 の、はずだった。

 だが、そこにはランニングでただ通りすぎていくだけの女性や、犬の散歩のついでに寄る老人などがいるばかり。女神に祈りをささげるような人は、一人もこない。

 正午になると、こんどは大ぜいの観光客たちでごった返してきた。かの有名な自由の女神像を背景に、とびきりの一枚を写そうと、みなテンションが高い。

 ここの様子は、どこかに似ているーーそう、じぶんの国と、すっかり同じ光景が、ここニューヨークにも広がっているのだ。しかも、もっと大きなスケールで。

 やがて夕刻になった。女神はたった一人、しずかにライトアップされた。

「こんなはずでは…」

 堂々とした姿とは反対に、女神の心はすっかり打ちのめされていた。今日、女神がした仕事といえば、記念写真に写りこむことだけ。思っていたことと、まるで違う。

「思い通りにはいかないのが、人生さ」

 突然、下から声がした。女神が目をこらしても、そこには一匹の黒猫しかいない。

(この猫がいったの?)女神は疑った。

「あ、違った。あんたは人間じゃなかったな。ま、おれもだけど」

 やっぱりこの猫だ。目を合わせないまま、ばかにていねいに体を舐めまわしている。

「で、あいつは今どこにいるんだい」

 黒猫はいった。どうやらニューヨークの女神のことを聞いているらしい。

「…姉さんなら、今ごろわたしが居た国にいると思うわ。わたしたち、一ヶ月間だけ交換することにしたんです」

「へえ、そうかい。あいつ、いつか気晴らしがしたいといってたしな」

 黒猫は、うらやましそうな、でもどこかさびしそうな顔をした。姉さんとも親しげな黒猫に、女神はすがるようにたずねた。

「姉さんは、ここニューヨークで、どんなふうに仕事をしていたのですか? よかったら、教えてもらえませんか」

「仕事? 仕事っていったって、ただ立ってるだけよ。おれのほうが、よっぽど動きまわっているさ。増えすぎたねずみの管理とか、日々のねじろの確保とか」

「…でも、女神はなにかこう、人を不幸から救ったり、希望を与えたりするんじゃ…」

「あんた、人の不幸を願っているのかい?」

「違います違います、決してそんなことは」

 女神はあわてて否定し、説明した。

「わたしの国では、だれもわたしのことなんか、女神だと思ってないんです。ただ周りで遊んだり、のんきに過ごしているだけ。だからわたしは、いつまでたっても“にせもの”の女神なんです。どうしたら“ほんもの”になれるのか、悩んでいるのです」

 すると黒猫は、じっと前を見すえながら、

「あんたの国の人たち、かわいそうだなあ」

 と、独り言のようにもらした。

「えっ、かわいそう?」

「そう。人のことを、勝手ににせもの扱いしてる。だからじぶんのことも、にせものにしか思えないんじゃないのかい」

 女神は、はっとした。

 黒猫はその場に寝そべると、こういった。

「じゃあ、おれから問題。おれに希望を与えるために、あんたならどうする?」

 女神は考えこんだ。

「えっと…あたたかい寝床と、毎日お腹いっぱいになるだけの食べ物と……」

「くっく。思ったとおりの回答だねぇ!」

 黒猫は笑いこけた。そして伸びを一つし、ひと呼吸ついてからいった。

「ま、しがない野良猫の話しだと思って聞いてくれ。おれがはじめてこの広場にころがりこんだのも、こんな美しい夜だった。おれは、このカギしっぽのせいで、兄弟たちにばかにされ、なわばり争いにも負け、毛をもちゃくちゃにして、ここに転がりこんできたのさ。そして女神の足元にやってくると、そのまま倒れるように寝ちまった」

 黒猫は、視線をじっと動かさない。

「その翌朝だ。あいつの顔を見あげたら、あの吸い込まれるようなまなざしで、こっちを見てた。そのとき、たしかに(あなたはここにいていいのよ)っていわれたような気がしたんだよ。のけ者あつかいに慣れきっていたおれは、なんだか生まれ変わった気がしたな。まあ、いまでも世間じゃのけ者あつかいだがね」

 そして、女神のほうを薄目でにらむと、

「ほんものもクソもないだろ。あんた自身が、平和そのもの、希望そのものなんだから。そこに立っているだけで、立派な仕事をしてるんじゃないのかい」

 女神は黙りこくって聞いていた。〈だれも祈りをささげにこないことをもっとほこらしく思え〉という、カラスの言葉を思いだしていた。

「ところでさ。あんたの国の猫のごちそうって、なに」

 ぶっきらぼうに黒猫はたずねた。

「え。ああ…かつおぶし、かしらね」

「あの魚好きの国か!」

 黒猫は、目を一瞬きらんとさせた。

「あいつ、おみやげ持ってくるかなぁ」

 ぶつくさいうと、黒猫はいってしまった。

 残された女神は、そのあともずっと、ニューヨークの夜空を見つめていた。星の数は少ないのに、はれやかな夜空だった。


 翌朝、女神はいつもどおり立っていた。ただいつもと違うのは、(わたしが、希望そのもの)と心に刻んでいることだった。

 昨日のランニングの女性がやってきた。女神の前までくると、足ぶみをやめ、女神の視線と同じ方を向き、きもちよさそうに伸びをした。そして再び走りさっていった。

「昨日はあんなふうに、きもちよさそうな伸びなんか、していたかしら…」

 次にやってきたのは、小さな犬をつれた老人だった。女神の前までくると、老人は犬の首輪をはずしてやった。犬は飛びはねながら、台座のまわりを何周もかけまわった。老人は細い目でそれをみつめていた。

「昨日は、あんなにうれしそうに、散歩なんかしていたかしら…」

 正午が近づくと、また観光客たちが押しよせてきた。だが耳をすますと、誰かがなにかの流行歌を唄っている。それは、“真新しいスタートをきろう、この古いニューヨークで”と、口ずさんでいるように聴こえた。どのお客さんもみな、笑顔だった。

 女神は、よろこんで観光客と一緒に写真に写りこんだ。もちろん、その顔つきをくずさないように気をつけながら。

 

 ニューヨークの一ヶ月間は、あっというまに過ぎていった。

 女神はその後、ながい復路の旅を終え、じぶんの台座に再び立った。待ちかねたように、カラスが飛んできて迎えた。

「おかえり。どうだった、ニューヨークは」

「あなたの言ったとおりだったわ」

 カラスは、なにが〈言ったとおり〉なのか、よくわからなかった。が、どうやらうまくいったらしいということは、すぐわかった。なぜなら女神のまなざしが、すっかりおだやかになっていたからだ。

 カラスはそれから、ここでの姉さん女神の様子ーー夜中の海を泳いだり、こっそり夜のウインドウショッピングをしていたことなんかを、女神に聞かせてやった。

 だが突然、なにかを思い出していった。

「そう、君に朗報だ。パリにいる君の大姉さんが、こんどはじぶんと変わってほしいって。彼女はもう二百年もそこにいる」

「えっ、また! 冗談でしょう!」

 女神はすっとんきょうな声をあげて笑った。笑いがようやくおさまると、

「それもいいわね。でも今はただ、ここの人たちのことを眺めていたいわ」

 といった。

(おわり)




 *ある公募にて第一次選考を通過した作品です。


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