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第92回「マクルーグの出会い」

 マクルーグはヌーネス丘陵の中ほどにある小規模な都市で、リーバウ副王領、ひいてはイェレム王国の歴史と深い関わりがあるという。僕がチャンドリカから教えられて宿泊することになった「隼の館」にも、深い謂れがあるらしいのだが、それを知る人も皆死んでしまったのだそうだ。

 それにしても、列強からすれば辺境の地であるとはいえ、一時は副王領まで設置されたほどの土地が、今や往時の輝きを失ったままというのは気にかかる。作為的な何かが働いて、現在に繋がっていると考えたくもなろうものだ。


 到着してから三日。僕らはこの小さな街で財宝の手がかりを探したが、まるで手応えがなかった。ならばと代わりに付近の歴史を尋ねたのだが、わかっているのはこの街やロンドロッグができたころの話ばかりで、それ以前の情報がまるで出てこない。

 この街で財宝関連の何かを探すのは無駄骨なようだと結論付けるには、充分なように思えた。やはり街の外で探索するしかない。といっても、歴史に連なるのはリーバウの遺跡くらいしか知らない。とりあえずはそこへ行ってみるしかないか。

 そう考えながら、隼の館の食堂で食事を取っていた時のことだ。大荷物を背負った少女がやってきて、僕に挨拶してきた。とても白い肌をしているのが印象的だったが、その手はこれまでの冒険を物語るように厚い皮膚で覆われていた。


「貴方、冒険者でしょ」

「まあね。君もそうだろう」


 プラムとサマーもいたが、少女はさほど気にしている様子もなかった。なので、僕も気にしない。


「私はチャウ・ヌーン。サルミエント公国から来たんだ」

「僕はジョージ・スミス。ルテニア王国の出身だ。ここへはロンドロッグから来たんだけど、君もかい」


 本名を不必要に出さないという方針を二人と取り決めていたため、僕は基本的にジョージ・スミスの偽名を通すことにした。僕の顔を知っている相手に出会ってしまったら、その時はその時だ。


「ううん、ハリストンを経由した感じね」


 ハリストンはロンドロッグとは別方向にある工業都市だった。主に織物を特産品にしている。ハリストンからさらに先に進むと、ようやく海が見えてくるという立地だ。

 隣に座っていいかと尋ねられたので、僕は快く承諾した。これで四人の相席になる。


「チャウ、ここへは初めて来たの」


 サマーが話しかけた。彼女はこういう時に良い会話の潤滑剤になる。


「そうね。何もないところって聞いたけど、結構いいところじゃない。せっかくだから、このあたりの遺跡も探検していこうかなと思ってる」

「気をつけた方がいいよ。このあたりはモンスターの討伐もそんなに行われてないから、危険な場所がいっぱいあると思う」

「ありがとう。ええと、貴方は……」

「あ、ごめんね。私はサマー。それで彼女は」

「プラム」


 サマーに比べて、プラムは実にしょっぱい対応だった。それが彼女らしいので、僕としては特に問題視しない。何も彼女を外交使節にするための教育を施しているわけではないのだ。彼女は彼女のままでいい。


「サマー、プラム、よろしくね」

「僕らはこのへんの歴史を調査に来てるんだ」

「へえ、歴史」


 僕は古のイェレム王国、さらにリーバウ副王領について語った。もちろん財宝については触れない。


「昔に比べて、このあたりは人口が少ないみたいだ。それが不思議でね。風土病を研究している友人にも頼まれたことだし、調査に来たというわけさ」


 口から出まかせとはよく言ったもので、僕らはすっかり「歴史に興味のある冒険者で、遺跡の探索も兼ねてマクルーグに滞在している」という立場を形成するに至った。

 そうすると、チャウも自分のことを話してくれる。サルミエント公国は北の寒冷圏にある国家で、彼女の肌はまさに雪国で培われたものだと納得できた。かの国は積極的に冒険を奨励していて、貴重な文物を持ち帰ると賞金まで出してくれるという。ずいぶん興味深い制度を用いているものだと感心していると、周辺国家との熾烈な生存競争の結果でそうなっているらしい。


 というのも、サルミエントやその周辺の国々は、僕の世界で言うロマノフ朝ロシア帝国のように、徴募した兵士の兵役は一生続く制度を採用しているそうだ。これを嫌って逃散すれすれの冒険者になる者も多いのだが、彼らを国に縛り付けるために冒険者の家族を縁のあるところに縛り付ける法律も機能している。農奴制に冒険者の登録制を組み合わせた代物ということになるか。その連帯責任に等しい制約から解き放つ条件として、冒険者としての一定の成果を挙げることが含まれる。


 チャウは三大陸を広く見て回り、多くの不思議な植物を持ち帰ったため、すでに家族や親族は厚遇を受けているとのことだった。彼女は植物学に通じており、さらにはイラストを描く能力にも長けているのだ。

 写真のない時代や文化の科学者にとって、描画能力というのは非常に重要な資質である。観察し、発見した事実を広く知らしめるため、精密な絵を描く重要性に迫られたためだ。かのニュートンと激しく対立したイギリスの博物学者、ロバート・フックが作成した「顕微鏡図譜」、原題でミクログラフィアは細密なノミやハエの拡大図で知られている。


 また、知己の絵師に描かせたり、寄贈されたりしたパターンも存在する。近代日本においても、かの有名なドイツの医師シーボルトが様々な人物に絵を依頼し、あるいは寄贈を受けた。将軍の御典医である桂川甫賢、津山藩藩医で植物学者の宇田川榕菴、本草学を極めた尾張藩士の水谷助六、出島出入絵師の川原慶賀あたりが有名だ。

 僕もかつていた世界でシーボルトがまとめた「日本植物図譜」を目にしたいと思っていたが、ついぞ直接見る機会に恵まれなかった。どうしても学術関係の本は高くなるし、非常に重厚な代物になってしまう。


 ともあれ、チャウは見かけ以上に優れた科学的知識および思考を有し、タフな環境でもサバイバルできるだけの知恵と経験を持ち合わせているようだった。聞けば、十歳のころから世界を渡り歩いていたという。すさまじいバイタリティだ。

 ただ、僕以上にプラムが衝撃を受けたらしい。初めはいつもどおりの態度を保っていたのに、話の途中から非常に食いつきが良くなった。いつもの彼女を知る身としては、ほんのり嫉妬を覚えるのを避けられない。


 にしても、チャウと僕らの遺跡探検で、これほど目的が違うのも面白い。彼女はまるで物見遊山をするように言っていたが、実質的には珍しい植物の調査も含まれているようだった。僕のような出まかせとは違うというわけだ。

 もっとも、歴史と絡めて考える必要があるのは本当なところだから、僕としても負けていないということにしておきたい。嘘に真実を間に合わせればいいのだ。


「じゃ、僕らはそろそろ行くよ」


 チャウのアカデミックな話は実に楽しかったが、本来に目的を忘れるわけにもいかない。遺跡の探索行を一緒にするような展開になっても厄介なので、安全に事を進めるために立つことにした。プラムがやや名残惜しそうな素振りを見せたが、ここは折れてもらうしかない。

 幸い、チャウも一人旅に慣れているからか、同行を申し出てくることはなかった。また出会うことがあれば、じっくり話したいところだった。


「ジョージ、いよいよ街の外へ行ってみるか」


 隼の館を出てすぐに、プラムがそう切り出してきた。


「先ほどの会話からすると、私たちも遺跡を見に行くようだが」

「ああ、そうしようと思っている。この街のほとんどの建物はリーバウが滅びた後にできたもののようだ。この宿のように例外はいくつかあるが」


 後ろを親指で示しながら、僕は続けた。


「ここは明らかになっている遺跡、およびまだ隠されているであろう遺跡の探索に時間を割いた方が良さそうだ」

「わかった」

「私も従います」


 プラムとサマーの意志を確認したところで、行動を開始する。


「では、リーバウ遺跡へ向かおう。今日はまたここに戻ってくる予定だが、いずれは野営をする必要があるかもしれない。その点は覚悟しておいてくれ」

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