受験勉強
――世界樹信仰。それは、世界樹の守護を司る神聖教皇国にて生まれた思想である。
世界樹がこの世界に顕現したのは、今から約500年前。史記上、2回目となる『魔獣の暴走』が起こった際、当時の魔導師達は魔物を封じるための媒体として、世界樹をこの世界に植え付けた。
「え。植え付けたって、魔導師達が土地を耕して苗を埋めたってこと?それとも、どっかから木を運んできて、はいこれ今日から世界樹ねってしたってこと?それとも――」
……2回目の『魔獣の暴走』の後、魔導師達は揃って声明を出した。
曰く、今後は “魔導師” に代わり、“世界樹” が世界を守る。そのため、この先もう “魔導師” は生まれない。
“世界樹” は神より授かったモノ。此れを傷付けることは固く禁ずる。さらにその神より、新たに世界の調整者が定められた。その呼称を、神子と聖騎士とする――。
声明により、初代聖騎士に任命されたのは、かつて世界を毒と炎で侵略した魔物 “炎毒竜” を討ったとされる英雄騎士、ローアル・スクリム。
そして初代神子には、『魔獣の暴走』の封印に一役買ったとされる一人の少女、アキヨ・スクリムが任命された。
「二人とも家名が一緒ってことは兄妹?いや、姉弟?まさか、親子?一役買ったって具体的に何したん……って言うか、炎毒竜って!?どんな魔物なんですかっ!?」
初代聖騎士と初代神子の子孫は、世界樹の下に居を構え、代々その役割を引き継ぎ、世界樹を守護してきた。やがて、家々が集って村となり、街となり、国となった。
国ができたばかりの頃は、スクリム家の血を引く民が大半だったが、やがてその血も薄まり、聖騎士や神子とは別に教皇が立つようになると、調整者の役割もその教皇が担うようになっていった。
教皇が据えられた頃、世界樹を守護する国家としての立場を危ぶむ声も他国から上がっていたが、世界樹信仰が国教となり、国民の敬虔な姿勢が巡礼や国賓を通して広まることで、不安視する声もやがて消えていき、教皇国は世界に圧倒的な影響力を持つ国となっていった。
――これが、現在の神聖教皇国の成り立ちである。
「炎毒竜ってドラゴン?火吹く?大きさどのくらいだろ……。やっぱり強いのかな?先生でも勝てない?」
「チセ」
「いえっさーっ!」
カン、と黒板をチョークで叩いたマガフィアが振り返り、灰色の三白眼でこちらを見据える。
「その詰問は、試験に関係ない」
「……うぃっす」
「それと、世界樹は魔導師の魔法で顕現したとされている。そこら辺の木と一緒にしないように」
「……うっす」
「それと、初代聖騎士と神子様は夫婦だ。一般常識として覚えておくように」
「……っす」
「それと、返事は “はい” だ。間違っても面接で今のような応答をしないように」
「っす。じゃない、はいっ!」
ピンと背筋を伸ばして元気よく返事をした私は、一瞬の間を置いて「いやいやいや!」と身を乗り出す。
「違います先生!特別入試に面接はないっす!はいっ!」
「今のままでは、特別入試での合格は絶望的だ。今から面接の対策をしといても損はないだろう」
「損が無いと困るんですけど!?」
「それは本人の頑張り次第だ」
仰る通りで、ぐうの音も出ない。教科書に顔を埋めて呻く私を見下ろし、マガフィアは淡々とチョークを持ち上げる。
「少しの時間も惜しい。続けるぞ」
「……はぁい」
受験勉強を始めて、早くも三月が経過していた。
アルはさすが王子様と言うべきか、元のスペックが高かったこともあり、すでに授業免除で自主学習の段階に入っている。一方、私はまだまだで、マガフィアの言う通り、このままだと特別入試どころか一般入試でも合格は危うい。
勉強と仕事を両立するアルを尻目に、私は勉強に全振りの毎日を送っていた。朝から夕方頃までマガフィアの授業を受け、その後はギルドの空きスペースで復習と予習をし、ギルドを訪れていた先輩方にも時々教示を乞いながら閉館ギリギリまで居座り、家に帰ってもフェレットをクッションのように抱きかかえて机に齧り付き勉強する。これが最近のルーティン。
今日も、帰宅してすぐに夕食と風呂を済ました私は、机にへばりついて問題集を睨みつけていた。
「えーっと、この世界ができたばっかの頃は、魔導師は7人いて……。総称は “始まりの魔導師” で……」
『7人の魔導師の、各呼称を答えよ』
「ええっと、不屈の魔導師、祝福の魔導師、久遠の魔導師……。精励の魔導師と、天真の魔導師と……そうだ!中道の魔導師ね。あーあと待って、ここまで出てる。後一人……。あっ、謙虚の魔導師!」
『ぶー。謙虚じゃねえ。恭謙、だ』
「うおおおおおーっ!!」
がんっと机に突っ伏せば、フェレットが呆れたように溜息を吐く。
『お前、この前も謙虚っつってたぞ』
「恭謙って言葉に馴染みが無さ過ぎて……。暗記系は苦手なんだよぉ」
呻きながら問題集をパラパラとめくる。
「えー。最初の “魔獣の暴走” 以降、魔導師は6人となった。その理由を述べよ。……これは、天真の魔導師が世界を救うための生贄になったからだよね?創世説話に書いてあったやつ」
『生贄って表現は減点だろ。命を代償に世界を救った、とかにしとけ』
「へ~い。……そう言えば、フェレットってこの時代にはもう生まれてたの?」
ペン回しをしながら何の気なしに訊けば、返ってきたのは沈黙だった。
「……? フェレット?」
『……生まれてた。だが、もう随分昔のことだからな。当時の事はほとんど覚えていない』
ズキン。頭が痛んだ。フェレットは、嘘を吐いている。
でも、なんで……?私が嘘を見抜けることは知っているだろうに。
「ねえねえ、なんで嘘吐くの?ねえねえ、ねえねえねえ」
『……おい、普通そこは “言いたくないことでもあるのかな?そっとしておこう……” って気ぃ遣うとこだろーが!ずかずか聞いてくんじゃねえよ!!』
「いや、何言ってんのフェレットさん。私、受験生なんだよ?疑問点はすぐに解消しないと。試験に出たらどうすんの?」
『これは試験に関係ねえだろ!!』
フシャーッと威嚇してくるフェレットに肩を竦め、やれやれと首を振る。
「何をそんなに恥ずかしがってんだか。大丈夫だって、どんな黒歴史でも笑わないから!ほらほら、ゲロっちゃいな~?」
『引くって選択肢はねえのか』
ジトッとした目でこちらを睨んだフェレットは、大きな溜息を一つ吐いて、諦めたように小さく口を開いた。
『……最初の “魔獣の暴走” が起こったきっかけは?』
「ん?えっと確か……。天真の魔導師が溺愛してた魔獣が瀕死になって、その魔獣を救うために精霊を犠牲にしちゃって、それが禁忌だったから神様怒って……みたいな流れだったような?」
『――――……んだよ』
「え?」
『っだから』
フェレットが、すーっと大きく息を吸い込む。
『その犠牲になった精霊っつーのが、俺なんだよっ』
「え」
ええええぇぇぇぇっー!?と、家中に私の叫び声が響き渡った。
――ちなみに、時刻は皆の寝静まった深夜。
数秒後に、今度はギルの怒声が響き渡ったのは、言うまでもない。
『いや、全然説話にあるような話しじゃねえよ。俺から言い出したんだ。魔素の塊である精霊食わせたら、治んじゃねえのってよ。……ん?いや、だからそんなんじゃねえって。言い出した手前、他の仲間を犠牲にするわけにはいかねえし。言い出しっぺが責任取んのは当然だろ。……まあただ、あの頃は俺も生まれたばっかで、今ほど人間の考え方に理解があったわけじゃねえ。単なる気紛れだった。目の前で困っている奴がいて、俺なら助けられると思ったから声をかけた。それだけだ。……まさかそれで、魔獣が理性を失うことになるなんて、思わなかったんだよ』
――リビングにて。ボウルに入れられたレーズンをちびちびと摘まみつつ、そう真相を語ったフェレット氏。
「ふむふむ。つまり、あくまで善意であったと?」
『まあな。俺に初めて体をくれた奴が困ってたから……。恩返しのつもりだったんだ』
「体をくれた奴?」
ふと思い出す。確かに、フェレットと初めて会った時も、『体を失った』とか『前の体よりも動き易い』とか言ってたような。
「もしかして、フェレットの前の体って、天真の魔導師に創ってもらったの?」
『ああ。昔は、人間も普通に精霊が見えてたからな。精霊の体を創る精霊士っつー職業があってよ。天真の魔導師がソレだったんだ』
「今は無いの?その職業」
『精霊と意思疎通の取れる人間が、そもそもいなくなっちまったからな。もう廃れた職だ』
「なるほど」
……つまり、私が精霊に体を創ったなんて知れたら、大騒ぎになっちゃうわけですね。
これからも絶対に黙ってようと固く決意する私を、フェレットがちらちらと見上げる。
『……責めねえのか?』
「え?何を?」
『わざとじゃねえが、結果的に俺が “魔獣の暴走” を引き起こしたようなもんだろ』
レーズンを両手で抱えながら口に運ぶことなく、珍しくしゅんっと項垂れているフェレットをまじまじと見つめる。
「……まあ、確かにやらかしたな~とは思うけど」
『ぐっ』
「でも、それだけかな。気持ちは分かるし」
頬杖をついて溜息を吐く。何て言ったって、私の前世の死因も同じようなもんだ。目の前に溺れている子供がいて、周りには私しかいなかった。だから助けた。
死にそうな魔獣がいて、周りで助けられるのが自分しかいなかったから、助けた。フェレットと一緒だ。
「ペットと飼い主は似るって言うけど、私達も似た者同士なのかもねー」
『……不本意だな』
「おい」
毛並みの良い頭をもみくちゃに撫でてやれば、ふんっと鼻を鳴らしたフェレットが、口いっぱいにレーズンを詰める。
『……ふぁいあとあ』
「ん?なに?」
『むぐむぐ。……別に、何でもねえよ!』
――そう、過去は変えられない。やってしまったものは、仕方がない。
大事なのは、未来をどう変えていくか。そこが重要なのである。
「……で?」
じろりと、灰色の三白眼がこちらを一瞥する。
私は、ダラダラと冷や汗をかきながら、口を真一文字に引き結んで息を止めた。
「何か言い残すことは?」
「あの、私今から死ぬんですかね……?」
「それが最期の言葉で良いか?」
「遅刻して、すみませんでしたぁああああーっ!!」
――フェレットから思わぬカミングアウトを受けたあの日。結局、就寝したのは夜明けの時間だった。
翌日、見事に大遅刻をかました私が、真っ青になりながらギルドに駆け込んだところ、仁王立ち&無表情のマガフィアに出迎えられて、今に至る。
「本当に、すみません。反省しています」
「……」
「宿題、倍にしてもらって大丈夫なんで……」
「……」
「お、遅れた分、今日は徹夜で勉強します!」
「……」
「わ、分かりました。かくなる上は、指を詰めます……」
す、と左手を差し出した私に、マガフィアは目を眇めて徐に口を開く。
「……冗談だ」
「分かりにくいよっ!!」
がんっと差し出した左手で机を叩く私に、マガフィアは淡々と言葉を返す。
「睡眠はしっかりとれ。ただ、課題は倍にする。いいな」
「……はい」
「では、今日の授業を始める」
遅れ分を取り戻すべく、いつもより数段早口で進めるマガフィアの授業に気合で食いつきつつ、二度と遅刻はしまいと肝に銘じる。
……そう、大事なのは過ちを繰り返さないことだ。過去は変えられないが、未来は変えられるのだから。
「ってなわけで、勉強を教えてください」
「何が、てなわけで、だっ!!おい、手を離せ!」
「ガキに構ってられるほど、俺等は暇じゃねえんだよ!」
閉館間際のギルド内、人もまばらになってきた時分。
いつものように空きスペースで自習していた私は、分からない問題があり、誰かに訊けないかと周りを見回した。
右を見て左を見て。ふと視界に入ったのは、見覚えのある双子の姿。アレは確か……。
「まあまあ、イジメ兄弟さん。過去の事は水に流しますから。か弱い女の子を助けると思って……」
「メイジー兄弟だっ!」
「いやマジで!か弱い女の子の握力じゃねえって!いてぇえええ折れる折れる!!」
大袈裟に騒ぐ双子の片割れに、仕方なく手を離しつつ、問題集を指さす。
「で、ここなんだけど」
「こ、こいつ。この流れで俺達が答えると思ってやがる……」
「なんて図々しい奴なんだ……」
ブツブツ文句を垂れながらも、どれどれと問題集を覗き込んだ双子は、揃って眉を寄せる。
「2代目の聖騎士と神子の名前をそれぞれ答えよ?はあ?こんなん常識だろ」
「お前、こんな問題も解けねえくせに、あの名門校を受けるつもりなのか?」
「うるさいなあ。早く教えてよ」
ぶーっと唇を尖らせる私を呆れたように見て、メイジー兄弟は全く同じ仕草で肩を竦める。
そして、その名前を口にした。
「2代目の聖騎士と神子様は、初代聖騎士と神子様の実子だ」
「男女の双子さ。名前は、チアキ様と――――、チセ様だ」




