弟
それから3日後、少年が目を覚ました。
この数日、言葉通り私は付きっ切りで意識のない少年の面倒を見ていた。定期的に水分を与え、拭ける範囲で体を清め、熱が出れば汗を拭い、額に冷やしたタオルを乗せ……。
だから3日後に、彼が長い睫毛を震わせて、その海のように蒼い瞳を覗かせた時の感動と言ったら。
「お、起きたっ!おはよう!!大丈夫!?気分はどう!?どっか痛い所はっムガッ」
『起き抜けに畳み掛ける奴があるか。恐怖でまた気ぃ失うぞ』
至近距離で少年に詰め寄る私を、顔面ダイブで止めるフェレット。
その言葉に多少落ち着きを取り戻した私は、大人しく椅子に腰を下ろして少年を見守る。
私のあまりの勢いに固まっていた少年は、やがてゆっくり体を起こして、恐る恐る周りを見回すと、最後にこちらを見つめて首を傾げた。
「僕は死んだのか……?君は……、天使?」
「おっとー、精霊の次は天使ときたか~。……安心して。君はちゃんと生きてるし、私は歴とした人間だよ」
暫くぼうっとしていた少年だったが、やがて理解が追い付いたのか、途端にギュッと眉を寄せた。
「……ここはどこだ?」
「ギルの家だよ。あ、トイレは階段降りて右奥ね」
「地名を聞いている」
「地名?えっと、ケダトイナ王国の『禁断の森』ってとこなんだけど。知ってる?」
「ケダトイナ王国……!?」
「うん。君はどこから来たの?」
ギルからの情報で素性は知ってるけど、一応確認のため聞いてみれば、その質問に答えることなく、少年は毛を逆立てた子猫のように目を吊り上げて、自分の身を守るように布団を引き寄せた。
……ま、警戒するよね。何だか複雑な事情で自国から逃げて来たみたいだし。
「君はこの森の海辺に打ち上げられてたんだよ。周辺に船は見えなかったけど、遭難したの?嵐にでもあった?」
「! そうだ、僕は船で――母上が……それで……」
段々と顔色を失くしていく少年は混乱しているようだ。しばらくブツブツ呟いていたと思ったら、はっとしたように顔面蒼白のままこちらを戦々恐々と見遣る。
「ぼ……私をどうするつもりだ?」
「え、どうするってそんな、取って食うつもりはないけど。ただ倒れてたから助けただけで」
「……」
「君はどうしたいの?」
聞いてみれば、まただんまり。まあ仕方ないけどね。すぐに答えを出せって言うつもりも端からないし。
「とりあえず、何か食べる?少なくとも、ここ3日は碌なモノ食べてないから……。ちょっと待ってて」
パタパタと部屋を後にして、階下へ降りればギルはいなかった。昨日の残りのスープが鍋に入ったままだったので、魔法で軽く温めてから器に入れ、また部屋に戻ると、相変わらず威嚇する子猫の様相で、眉を寄せた少年がこちらの言動を注視していた。
「はい、スープ」
「……いらない」
グ~ッと腹の鳴る音がした。ガバッと少年がお腹を押さえる。
「お腹鳴ってんじゃん」
「鳴ってない!」
「はいはい。ほい、あーん」
スプーンを口元に持って行くが、顔を反らされる。
「そんな何が入ってるかも分からない物、食べれるか!」
……ああ、そう言えば王子様なんだっけ。毒とか警戒してんのかな。
仕方なく、私が一口食べて見せてから、器を少年に押し付ける。
「美味しいよ。何も変な物入れてないから。ちゃんと食べないと元気になれないよ」
私と器の食べ物を見比べて、逡巡した後、少年が恐る恐るスプーンを口に運ぶ。
一口食べ、その速度が段々と上がる。最後はしっかり完食して、決まり悪そうに空の器をこちらへ返した。
「美味しかった?」
「……普通」
「そ。不味くなくて良かったよ」
王子様だったら、普段食べている物よりは質素だっただろう。不味いと言われなかっただけ良かったと思おう。
「そう言えば、君の名前は?」
「……」
「あ、私はチセ」
「……アル」
「アル、ね。とりあえず元気になるまではここで休んでいきなよ」
「ここは、君の家か?親は?」
「あー、ここに住んでるのは私とギルと、そこのフェレットだけだよ。今ギルは出かけてるみたいだけど」
「森の中と言っていたな。街中には住んでいないのか」
「ギルは、森の中の生活の方が合ってるんだって」
現状把握って大事だよね。質問攻めのアルに淡々と答えていく。
ギルが森に住んでるのは、厳密に言えば年を取らないから街中に住むのに支障があるからなんだけど、まあ嘘は言っていない。私の説明を、少年――アルもあっさり信じたようだ。
それにしても、顔色が悪い。気を張っているようだが、そろそろ限界だろう。
「ほら、とりあえず寝ときなよ。顔真っ青じゃん」
無理矢理布団をかぶせれば、本当に限界だったのか大した抵抗なく寝転んで、すぐにぐったりと意識を失った。
「……うーん、思ったより重症?」
『ただの疲れだろ』
「だと良いんだけど」
ふぅと息を吐いた私に、フェレットも真似するように鼻を鳴らした。
その夜、私とギルがご飯の支度をしていると、目を覚ましたらしいアルが階下に降りてきた。
ギルの厳つい見た目に少し腰が引けたようだが、すぐに強がるように顎を上げて尊大に言い放った。
「世話になった。礼を言う」
そしてそのままスタスタと玄関の扉へ歩いて行こうとするので、慌ててその背中を追いかける。
「ま、待った待った!!どこ行く気?」
「この国の王に謁見する」
「いやいや、門前払いされるに決まってんじゃん!」
「うるさいっ!!」
肩を掴んで引き留めれば、アルがその手を払いながら、勢いよく振り返り叫んだ。
「何も知らないくせに!分かったような口を利くなッ!!」
「――あっ!」
その勢いのまま外へ飛び出して行ったアルに、一瞬呆然として、しかしすぐに我に返る。
外は暗い。今日は曇り空で月明かりはほとんど届いていない。加えて、夜は凶暴な魔物がうろつき放題だ。やばい、このまま放っておいたら、彼は確実に死ぬ。
アルを追って家を飛び出す直前、「あ、ついでに白綿茸も取って来てくれ」とちゃっかりお遣いを頼むギルに返事をする余裕もなく、私は駆け出した。
外に出て、さっと周りを見回すが、すでにアルの姿はどこにもない。
『右だな』
いっそここら辺一帯の木を地面ごと抉るか……と物騒な事を考えていた私の肩の上で、フェレットが呟く。
「え、分かるの」
『俺には精霊の声が聞こえるからな。――ん?強い魔物の気配も近くにあるな』
「急ごう!」
言われた通り右へ走り出して間もなく、前方から轟音が響き渡った。
暗くてよく見えない。しかし、木が倒れる音と、何かが地面を揺らしながら近付いて来る音がする。
「な、何この音……。ま、まさか!」
『ああ、こいつは確かにヤバいな』
「新種のポ○モン!?」
『……お前はいつでも楽しそうでいいな』
あ、ついつい。でも、未知との遭遇ってテンション上がるじゃない?
ドキドキワクワク、目を凝らしながら、足を進めれば――。
「うわわわわ……」
見えてきたその姿に、思わず歩が鈍る。
そこにいたのは、チョウチンアンコウのように目玉付きの触覚を生やした、巨大なナメクジの魔物だった。
「チョウチンアンコウナメクジ……。ナメクジってカタツムリの殻ない版?でんでん虫……チョウチンデンデン……チョウデンデン?」
『おい、呪文唱えてる余裕ねえぞ。ガキが取り込まれてやがる』
「!」
よく見れば、チョウデンデンの半透明の体の中で、アルが藻掻き苦しんでいた。
「アル!?」
『この魔獣は獲物を体の中に閉じ込めて窒息させてから、体液で溶かして取り込むんだ』
「なんて恐ろしい子っ!!」
とりあえず、浄化!と手を翳せば、途端にドバァと、ナメクジに塩をかけた時のように、チョウデンデンは溶けて無くなった。
「うっへぇ……」
その光景に眉を寄せながら、慌てて地面に倒れこんだアルのもとへ駆け寄る。
「アル!大丈夫!?」
「っう……」
ゆっくり目を開けたアルが、しばらくぼんやりとこちらを見た後、はっとしたように自力で起き上がった。
「ま、魔物がっ!」
「あ、うん。もう倒したから大丈夫だよ」
「た、倒した?君が?」
「光魔法使えるから。それより、いきなり飛び出してったら危ないじゃん!この森は魔物の巣窟なんだから!」
私の言葉に、ムッとしたようにアルが眉を寄せて立ち上がる。
「助けを頼んだ覚えはない」
こちらを見降ろすように睨みつけて来るアルに、負けじとこちらも立ち上がって、無理矢理アルの手を握る。
「とにかく家に戻ろう。行きたいところがあるなら明日の朝にして――」
「だから、頼んでないだろ!放っといてくれ!!」
叫ぶアルに、私はふぅっと息を吐き出した。
そして、その倍吸い込んだ。
「私はっ!!」
ガシィッとアルの両肩を鷲掴みにして、大声で叫んだ私に、アルが息を詰めて目を見開いた。フェレットはピャッと一瞬飛び上がった後、スルリと私の肩から地面に降り立つ。
それらに構うことなく、私は腹に力を入れてズバンと言い放つ。
「弟が欲しいッ!!」
ほしいほしいほしいほしぃ――……。
こだまが、辺り一帯に響き渡り――。そして、暫しの静寂。
「――……は?」
「姉さんと呼んでほしい!」
「は?」
「アル何歳」
「……は、8歳」
「じゃあ私達、双子だね!ほら、姉さんと呼んでみ!?大丈夫、怖くないよぉ~ほらほら!」
『魔物よりよっぽどこえーよっ!!』
フェレットがスルスルとアルの肩に登り、そのまま腕を伝って私に目潰し攻撃をヒットさせる。
「うぎゃっ!な、何すんのさ!」
『変質者に対する適切な処置だ』
フンッと鼻を鳴らすフェレットを恨めし気に睨みつけていれば、アルが体から力を抜いて、ポツリと呟いた。
「僕に家族はもういない」
「……アル?」
「みんな死んだ。僕は家族を捨てて逃げた臆病者なんだ。だから弟になんてしない方が良い」
ポタポタと雫が落ちる音がした。掴んでいる肩が震えている。
「わかって、る。もうダメなんだって。今さら助けを求めたって、遅いって……っ」
グスグスと鼻をすすり、嗚咽を漏らしながらそう言葉を吐き出すアルを、そっと抱き締める。
「ぅう゛……っははう゛えっ……!!ぅわぁあああっん!!」
嵩が外れたように、私にしがみついて泣き出したアル。その慟哭が止むまで、私は彼の小さな頭を、しばらく無言で撫で続けた。
――――その後。
すっかり、借りてきた猫のように大人しくなったアルの手を引き、二人と一匹しんみり帰宅した私達。
「ただいま」と、キッチンに立つギルに声をかければ、「ん」と手を差し出される。
「?」
「綿毛茸」
「あ」
無表情でこちらを見つめるギル。無言で見つめ返す私。
暫し続いた睨めっこの末、私だけ、もう一度夜の森へリターンしたことは余談である。




