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空想学園シリーズ

誤られず、認識

作者: 文房 群


 それは鉛か、ブラックホールか。

 囚人の枷か、重力か。


 肩身にかかる暗黒の雰囲気に、先刻から嫌な予感がする識井(しきい)は、自習のため図書室に向かおうとした自分を引き止めた人物を、見据える。

 識井を威圧する、重く暗い空気を放つ少年――注連縄(しめなわ)は、その顔に絶望を滲ませて、ゆっくりと膝を折り、




「お願い……します」


「…………」


「勉強、教えてください……!」




 ――それはそれは、教科書に乗せたいような、綺麗な土下座をするのであった。




       〇




 ということで、識井は『縄跳びの申し子』と名高い注連縄に、次の期末テストのための勉強を教えることになった。

 しかし、その道のりは果てしなく険しいものになりそうだと――勉強開始から僅か二分で、識井は予感することとなる。




「"First,try a timed free-writing."……日本語訳にすると、どうなる?」


「とらい……ふりー……『初めてトライさんは休み時間にライターで焼かれました』!」


「トライさんに一体何があったの!?」




 そりゃあ休み時間にライターで焼かれるとか、初めての経験でしょうよ!

 思わず大声でツッコんでしまった識井は、深いため息を吐きながら脱力する。

 まず勉強を始めるにあたりどこまで理解できているのか、授業で使用したテキストを広げて確認しようとした識井であったが――注連縄の予想外の翻訳に、識井は出鼻を挫かれた気分であった。


 文脈を無視したどころか、単語の意味すら分かっていない注連縄の日本語訳。

 まず中学生の基本からやり直した方が良いのではないか? と考えてしまう識井に、注連縄は胸を張って宣言する。




「今までに取った英語の最高点は十三点だ!」


「胸を張って言えるようなことじゃないから、それ」




 子どもが庭で作ってきた泥団子を母親に見せるかのような、無邪気な笑顔で申告された識井は、思いもよらず悪かった同級生の学力により、脱力感に見回れた。


 識井が自称するに、『最も簡単』な英語でそのような有り様だとすると、他の科目はどうなるのか。

 訊きたくない気持ちが胸に溢れる識井であったが、注連縄の勉強スケジュールの参考しなければない。よって識井は勇気を振り絞り、ある程度悪い結果を告げられることを覚悟して、問いかける。




「ちなみに注連縄、この前のテストの点数は……?」


「英語以外なら……数学三十一点。化学二十二点。現代文と古典が八十八点で政治経済が九十九の日本史が七十七……だった気がする」




 だが、またも予想外な返答をされ、識井は驚きを顔に浮かべた。

 識井の目の前に突きつけられたのは、谷底ではなく、差が開きすぎた格差であった。




「……政治経済が九十九って……むしろ何を間違えたの?」


「解答欄に書かねえといけなかった『%』を書き忘れて、引かれた」




 『ケツ・アレ・スミス』ってヤツだな――と照れ臭そうに顔を綻ばす注連縄に、「ケアレスミスって言いたい?」と言葉を返した識井は、『政治経済ができてなんで数学と化学ができないんだ……』と、頭を抱える。


 普通、政治経済ができるなら数学と化学もできるものではないのか。

 一般的な見解を脳内に浮かべた識井は、やがて「はぁ……」と肺の中にある全ての空気を体外へ追い出すように息を吐いて――決起した。




「注連縄。次のテストで数学と化学と英語、五十点取ろう」


「え、無理」


「即答しない!」


「だって優等生の識井さんにとっちゃ、五十点なんて簡単に取れるかもしれないけどよ、俺にとって五十点は百点と同じなんだぜ?」




 識井の出した目標を聞いた直後から、できっこないとふてくされる注連縄。

 完全に諦めのムードで机に伏した『縄跳びの申し子』に、『なんとしても注連縄に五十点を取らせる』と決めた優等生は、メガネの奥に灯った決意を燃やす。




「なら百点取るつもりで、頑張ろう」


「いや、そういう気持ち的な問題じゃなくて……」


「良いから頑張る! でないと教えたこっちの身が恥ずかしい」




 優等生にも優等生のプライドや、ルールがある。

 識井の場合、それは他人に勉強を教えた時、相手が教えた内容の半分以上を理解していなければ、もう手を貸さない――それが、識井の敷いたルールであった。

 点数で言うなら百点の半分、すなわち五十点である。


 それが識井にとって、他人に勉強を教えるにあたって、相手がこなすべき最低条件なのだ。

 半分も理解できていなかったら、もうその人物に二度と勉強を教えることはないと、識井は決めている。




「ほらテキスト開いて! ペン持って! ノート開いて! 放課後だけじゃなくて昼休みもやるよ!」


「なんでやる気満々なんだよ識井さん……」




 普段目立たないタイプである識井が、ハキハキと喋り強引に事を進めようとしている。

 識井は頭が良い、という話は知っていたが、まさか他人を引っ張っていくような一面を持っていたとは知らなかった注連縄は、初めて知る識井の姿を意外だと思いながら、シャープペンを握った。



 部活動に勤しんでいる生徒の遠い声。それが僅かに熱気を含んだ風に運ばれ、開け放った教室を通り抜ける。

 初夏の、放課後。


 紙の擦れる音と、シャープペンの芯が削れる音がしばらく二名の間を支配していたが――まもなく。

 どよんとした暗い声調が、静寂の世界を打ち壊した。




「モチベーションが上がらないんだけど……」




 がっくりと。再び机に上半身を預けた注連縄に、ひたすら自習に勤しむ識井は「手を止めない」と冷たく一瞥するだけだ。

 そうしている間にも、識井は広げたノートにペンを走らせる。

 動かすその手が止まることは、ない。




「……なあー、なんで識井さんはそんなに勉強が進むわけ?」




 次々と白紙に刻まれていく、注連縄に理解できない文字の羅列。

 それを作り出す識井の右手を、机から見上げる注連縄は訊ねる。




「勉強が好きだから」


「勉強が好き、かぁー……変わってるなー識井さん。俺は何か、こう、賭けとかご褒美とかないと無理だなー」


「……なら、なにか自分にご褒美を課したら?」




 ああそれいいなー、と。

 へらっ、と暢気に笑った注連縄は身を起こし、椅子に寄りかかって考え始める。

 虚空を仰ぎ「何にしようかなぁ……」と真剣に呟く注連縄に、『その真剣さを勉強に使えば良いのに』と思ったが、言う気が起きない識井は、マーカーペンで直線を描き、




「じゃあ――数学と化学と英語で俺が百点取ったよ、デートしてくれ。識井さん」



 ――識井は手を、止めた。



 注連縄の唐突な発言に驚き、動揺し、黙考し――そして。




「……暑さで脳みそ参った?」




 ――何事もなかったかのように、直前の行動を再開した。


 黒い記号を並べ出す識井に、頬杖をついた注連縄は、一ミリたりともノートから顔を上げないクラスメイトに失笑する。




「いやいや、冗談抜きで。俺が苦手な三教科で百点取ったら、デートしよう。遊びに行こう」


「テストまでの二週間で、散々な結果の注連縄の成績が上がるとは思えない」


「今から本気出す! デートの約束してくれたら出す!」


「……そもそも、同性とデートしても楽しくないだろうに」 何とぼけたことを言っているんだが――と。

 識井は嘆息を吐く。呆れたように。


 しかし注連縄はそんな識井を見て、笑う。

 何言ってるんだ――と。

 嘲笑するかのように。


 軽々しく、笑い飛ばす。




「だからデートしようって、言ってるじゃん。識井『(こう)』さん」


「――――」




 ――識井の手は、止まった。

 止まって、止めてしまって、そして――『彼女』は、ノートから顔を上げる。


 上げなくてはならない気がした。

 下を向いてはいけない気がした。

 注連縄という男から、目を背けてはいけない気がしたのだ。



 目を見開く識井の視界の正面で、一体、何が楽しいのだろうか。

 爽やかに笑うバレーボール部の少年は、『正体がバレている』と狼狽する識井香に、気軽に話しかける。




「香さんは『識井呈(てい)』の双子の妹なんだろ? 他校生なのに、どうしてか知らないけどちょくちょく識井と入れ代わって、授業を受けてるよな? その時は体育の授業を必ずサボって、図書室でいつも勉強してるし、今日みたいに園芸部に出席しない――そうだろ?」




 ――ああ、ダメだこれ。


 何もかも、バレている。

 何もかも、見透かされている。


 淡々と、それまで香がやってきた行為について、軽々と口外した注連縄へ、動揺する気持ちを静める香は、冷静に問う。




「……いつから、私が呈と入れ代わってることに、気付いていたんです?」




 ――これまで彼女が双子の兄である呈と入れ代わっていたことを、微塵たりとも他人に疑わせなかった、理由。

 『自分の存在を「誤認」させる』超能力は、問題なく働いている。

 現在も物心ついた時から苦楽を共にしてきたその能力は、惜しみなく効果を発揮している――はずだ。


 なのに――なぜ目の前の男は、『識井呈』と『誤認』されているはずの自分を、『識井香』であると認識しているのだろうか。



 そのことが胸に引っかかった香は、恐々と、呈曰わく『縄跳びが得意なクラスメイト』と聞かされていたバレーボール部所属の少年。

 注連縄に、問いかけた。


 注連縄は、答える。




「一年生の頃。古典の授業がめんどくさくて図書室にサボリに行った時に、奥の方でノート広げてる香さんを見た時に。『あ、香さんだ』って」


「そんなに前から……」




 中学から別の学校に通っていた香が、兄と入れ代わり始めたのは高校生になってからだ。


 諸事情で学校に行けない兄の代わりに、高校へ進学しなかった香が、周囲の人物を『誤認』させて通っていた。

 その、初めの方からまさか正体がバレている人物がいたとは――香にとって、予想外であった。



 だが、ふと。

 初めの方から自分が『識井呈』ではないと、注連縄に見抜かれていたからこそ。


 彼女は、この疑問を抱いた。




「……なんで、あなたは私が『呈の妹』だと、分かったんですか?」




 ――どうして『誤認』されなかったのか。

 ――どうやって別人であることを見抜いたのか。

 ――今この『識井呈』が『識井香』だと明かして、何が目的なのか。


 そのような疑念が矢継ぎ早に香の脳内を駆け巡るが――何よりも。



 ――どうして『識井呈』と入れ代わっていた人物が、双子の妹である『識井香』だと分かったのか。



 双子とはいえ、呈と香は二卵性双生児ある。

 顔も身長も似ていなければ、性格も違う。

 似ているところを上げるとするなら、利き腕と遠目から見た雰囲気ぐらいである。



 双子や兄妹と言うよりも、従兄弟といったものに近い、呈と香の外見的特徴。

 それをただ見かけただけで、香が呈の妹であると分かったのか。


 いや――注連縄の供述から読み取るには、こうだ。



 ――どうして香が『呈の妹』であることを、『知って』いたのか。



 薄ら寒さにも似た悪寒と緊張を抱く香は、注連縄を警戒する。


 注連縄は香から質問を投げかけられると、遠い目をしながら、香を見つめ返す。


 温かで、穏やかな。

 同時に――香を通して、何かを懐かしんでいるような。


 優しい――熱のこもった、眼差しで。




「好きだから」


「――――えっ?」


「香さんが、好きだから。だから図書室で見かけた時、香さんだって、すぐに気がついた」




 ――注連縄の言葉の意味を理解するまでに、識井香はたっぷり、十秒の時間を要した。


 そして、十秒間。注連縄の言葉を脳内でゆっくりと分析し、その意味を理解した香は――頭の中が、真っ白になる。



 ――生まれて初めて、告白された。


 その事実に直面した香は、自分の身に起きた現実がこれまでの人生において体験したことがない経験であったために、困惑する。

 これは夢ではないのか――と、現実を疑う。


 だが、手を抓れば確かに痛いと感じるそれは、紛れもなく現実であるから感じるものであり。

 じっとりと、緊張で背中に滲んだ汗の気持ち悪さも、夢などではないことを、香へ証明している。



 異性に告白された――まさか予想だにしなかった展開に、どう対処していいか分からず、硬直してしまった香に、注連縄は和やかに。




「知ってる? 小学生の頃、俺と香さん、同じ学校だったんだ」


「……え?」


「覚えてないか……小学三年生の時に、一緒のクラスになっただけだったからな」




 小学校の頃といえば――香がまだ、自分の能力について理解しきれていなかった時代。

 小学三年生といえば――まだ香は自分を別のものに『誤認』させる能力を、コントロールできていなかった。


 そんな時期に、注連縄は香と出逢っていたのだらしい。


 まさかそんな昔に面識があったなんて、と、九年も昔の出逢いを覚えていた注連縄の記憶力に香が驚いていると、注連縄はすらすらと。

 自分の昔話を、語り始めた。



 それはある少年の、昔話であった。




「俺が香さんの存在に気がついたのは、ある日、教室に忘れ物を届けに行った日だった。

 放課後に、忘れ物を取りに教室に戻ることが、なんとなくカッコ悪く思って、教室に誰もいないか確認しようと、少しだけ扉を開けて中を覗き込んだ。


 教室には、担任の先生がいた。

 でも教室に置いてある自分の椅子じゃなくて、生徒の椅子に座って本を読んでたんだ。


 その様子がなんかおかしくて、奇妙だと思って、しばらく様子を見てたら――突然。



 先生が、クラスメイトの女の子になった。



 それが、香さんだったんだ」




 ――まだ香が、自分の能力を制御できていなかった頃。



 香は様々なものに『誤認』された。


 それは椅子であったり、兄であったり、家族や知人の誰かであったり、ポストであったり車であったり――とにかく、香はふとした瞬間に自分の存在を別のものに『誤認』させてしまっていた。

 勝手に、能力が発動してしまっていた。


 注連縄は偶々、香の『誤認』が解ける瞬間に立ち会ったのだろう。


 能力が原因で一時ひきこもりとなっていた香は『ひきこもる前の話だろうか』と考えながら、注連縄の語りに耳を傾ける。

 注連縄は、苦笑いを浮かべ、語りを続けた。




「最初、姿が変わった香さんのことを、宇宙人か何かだと思ってよ、子どもながらに変な正義感燃やしてたんだ。『宇宙人から地球を救うんだ』なんて考えて、敵状視察だとか何だか理由つけて、ずっと香さんのことを見てた。観察日記とかもつけてたんだよな」




 今度持ってこようか? なんて軽々しく言ってのける注連縄に、香は「結構です」と冷たく言葉を叩き返した。


 自分の観察日記に興味はあったが、自分を宇宙人だと勘違いしていたことは、少し不快であったからだ。


 香の反応から、彼女が不快感を抱いていることを察したか。

 「ごめん」と一言、謝罪を口にした注連縄は、話を再開させた。




「休み時間とか、授業中とか、こっそり香さんを観察しているうちに、色々なことに気付いた。

 誰も香さんが近くにいることを気付いていない時があったり、香さんがいきなり変身してたり、体育の時間は絶対図書室でサボってたり、朝早く学校に来て花壇に水をやってたり、放課後教室に残って掃除してたり、いつも一生懸命勉強していたり――


 ――いろいろな香さんを見ている内に、いつの間にか俺は香さんが今どこにいるのか、とか。何をしている、とか。どんなものに変身しているのとか、自然に分かるようになっていた。


 今日はゴミ箱だ、だとか。校長先生だ、だとか。

 いつの間にか、香さんの姿を目で追っている俺がいて。

 いつの間にか、香さんのことを捜している俺がいた。

 話しかける勇気は無かったけど、同じ場所にいたいと思うようになっていた。



 香さんが学校に来なくなってから、この気持ちが恋だってことに気がついたけど、気が付いたからといって、何かできるほど俺は頭がよくなかった。

 ずっと、香さんのことを捜しているだけだった。




 学年が上がって、クラスが変わっても。

 香さんを見つけられなくて、いつも学校中を歩き回ってたりした。

 宇宙に帰ったんじゃないかって、不安になった日もあった。


 でも卒業式に、香さんを見つけられて、『宇宙に帰ったんじゃなかったんだ』って、心の底から安心した。

 安心して、泣いているうちに香さんを見失って、軽く鬱になった。


 中学になって、入学生の名前に香さんの名前がないことに、絶望した。

 それからはずっと、観察日記を読み返すか、趣味の縄跳びに明け暮れる毎日だ」




 しみじみと、感傷に浸るように目を細める注連縄は、頬杖をやめて、香を見据える。


 自分を見つめてくる注連縄の眼を見て、香はドキッとした。心臓が、跳ね上がった。

 じっ、と。真っ直ぐ自分に向けられた注連縄の瞳に、熱い情が込められていた。


 例えるなら――どろどろに溶けた飴のように。

 こちらの瞳を溶かしてしまいそうなほど――熱い、眼差し。




「だから、よ。一年生の時に図書室で香さんを見つけられて、本当に嬉しかった。泣きそうになった。幸せだった。それほどにまで――会えて、嬉しかった」




 注連縄は、はにかむ。

 照れ臭そうに、くすぐったそうに、微笑む。


 屈託のない幸福な微笑を湛えて――彼は言うのだ。




「実は今日の入れ代わりは、俺が識井に頼みこんで取り計らってもらったものなんだよな」


「そうなんですか……!?」


「香さんとどうしても関わりたくて、無理言ってやってもらった」




 ――双子の兄、呈よ。

 ――あなたは今日、仕事じゃなかったのか……。



 意外な事実を知った香は、『何してるんだあのお調子者は』と文句を言いたくなったが――ストレートに好意を表現してくる注連縄に、照れくささを感じて、自然と口を噤んでしまう。


 困惑は、いつの間にか消えていた。

 脳内を巡っていたはずの疑問も、気付かぬ間にどこかへ飛んでいってしまっていた。

 代わりに香の脳内を高速で駆け巡っているのは、注連縄の『好きだから』という言葉と、屈託のない笑顔だ。

 冗談、なんかではない本気の言葉。真実の笑顔に、思考を埋め尽くされた香は、言葉を紡げない。


 何と言っていいか、分からない。

 何と答えていいか、分からない。



 そもそも――じわりと左胸の奥を侵食する熱の正体は、何なのだろうか。



 何をするにもどうしたらいいか分からない――混乱といわれる状態に陥った香に、注連縄はバツの悪そうに目尻を下げて、謝る。




「いきなりこんなこと暴露して、ごめん。香さんが混乱するのは、当たり前だ」


「は……はあ……」


「でも、一つだけ約束してほしいんだ――数学と化学と英語。なんなら、政治経済も条件に入れていい。

 四科目全部で百点を取ったら、俺とデートしとほしい」




 ――一周して、話が元に戻ってきた。



 識井香を見抜いたことに始まり、告白と続き、昔話を巡って元の場所へ。

 話の線路が戻ってきたと察した識井は、返答を待つ注連縄の真剣な表情に、たじろぐ。 動揺して、どうにか返事をしようと焦って、ぐちゃぐちゃになった頭に、突発的に思い浮かんだ言葉を口に出す。




「な、なんでデートなんです……? そこは普通、付き合う、のでは……?」


「……俺は香さんのことを知ってるけど、香さんは俺のことを知らない。だからまず、俺のことを香さんに知ってもらおうと思ったわけだが……ダメか?」


「いえ、いいと思います……」




 ――……なんだ。意外にも考えてるんだ。

 偏った方向に頭は悪いのに、その反面真面目なんだ、と。

 あまり考えもしていない質問に、真摯に答えてくれた注連縄の性格を、新たに知った香は、『だからデートなのか』と納得する一方で、少し残念に思った。


 残念に思って。

 思い、直した。



 ――あれ?

 何で私……ちょっと残念だとか、思ったんだろう。




「それで……俺と、デートしてくれないか?」




 再び、繰り返される質問。

 引き締まった、注連縄の表情と、熱を帯びた目。


 揺らぐことなく、迷うことなく。

 強い意志をもって向けられた、言葉に、態度に、瞳に。

 自分の何かを射抜かれた香は、ゆっくり、息を吸って――




「……いいですよ」




 ――その言葉に、少年は微笑んだ。

 あどけない、花を咲かせた。


 ふわりと、咲いた大輪の花の輝きは、メガネのグラスを易々と突き抜け、返答した少女の目に焼き付き。



 少女は、胸の中心にむずかゆさを覚えると同時に、少年から目を逸らした。







       〇





「岩原ー、テストどうだった?」


「全体的に平均的だな……古河はどうだった?」


「国語系がてんでダメだった……補習だよ、補習」


「心配するな戦友! 俺も歴史以外全部赤点だ!」


「俺毎回龍堂寺が歴史で満点取ることが、不思議でならないんだけど」


「俺もだ……寄戸と軒島はどうだった?」


「俺は政治経済がダメだった……」


「俺は数学と化学以外平均だなー」


「そういや、軒島は数学と理化系は得意だったんだよな」


「現実的なものは相手にしやすいからな」


「……俺を見ながら言うなよ」


「というか、龍堂寺はどこに行ったんだ?」

「廊下の掲示板を見に行ってるんじゃないか?」


「ああ……総合点が載ってるからな」


「五十位以内に入れてますように……!」


「古河、願掛けならいい神社紹介するぞ?」


「ついでに除霊もしてくれるところな」


「……ああそうだよ常連の神社だよ悪いかちくしょう」


「俺達も見に行くか……バレー部で赤点の奴らには、今回ペナルティーを課すことが決まってるんだ」


「バレー部じゃなくて良かったな! 赤点補修組!」


「嫌味か軒島……」


「あまり補修組を怒らせるなよ……でないと何かにとり憑かれるか、古河がほくろからビーム出すぞ……!」


「ビーム出ないから! 出せないから!」


「あ、龍堂寺発見」


「順位は……やっぱり『恥将』がオール満点、安定の一位か……つまんね。じゃあ二位は…………」


「なんか龍堂寺、固まってない?」


「どうした軒島、急に黙って…………」


「龍堂寺、何を見て固まって……」


「…………え、嘘だろ?」


「……なんで、二位に……なんで二位に注連縄の名前があるんだよ!?」


「ちょっと待て。アイツ確か数学と化学が壊滅的に苦手だったよな? 英語なんて基礎すらできてない状態だったよな?」


「政治経済しかできない馬鹿が……ペナルティーじゃない……!?」


「何かの陰謀が渦巻いている気がする……!」


「今回は龍堂寺に同意するわ。まさかアイツが識井を抜かす日が来るなんて……!」


「明日あたり、俺疫病神にとり憑かれる気がする」


「一体何があったんだ注連縄に……!」





       〇




「……嘘、でしょ……?」




 目の前に広げられた、自分のものではない答案用紙。

 四枚ある、百点のテスト用紙を渡された香は、驚愕に目を見開く。


 ――採点にミスはないか。

 ――配点数に間違いはないか。


 注意深く四枚のテストを見つめる香だったが、その紙にミスも間違いも見当たらない。



 まさに、パーフェクト。

 完全な、模範解答用紙。

 その四枚はまさしく、それであった。



 香の目を剥いた四枚の紙を持ってきた注連縄は、得意げに微笑んで、唖然と佇む香に、問う。




「香さん、約束――覚えてる?」




 小首を傾ぐ、注連縄。

 彼の目の下には、濃い隈がある。


 疲れた様子のある注連縄を見上げた香は、相当勉強したらしい跡が残る少年に――やっはり真面目なんだな、と感心する。

 それから、深呼吸をして拳を握って、渡されたテスト用紙を握りしめ――




「……はい」




 蚊の鳴くような声で紡ぎながら、少女は頷いた。





<了>



○あとがき○




日常を書こうとしても、どうしても非日常が内容に絡んでくる、文群です。


今回の突破衝動企画第五段は、『テスト』をお題に書かせていただきました。


だけど久し振りに書いたので、どうも全体的なクオリティーが下がっている気がしてなりません。


日本語って、難しいですよね。

きっちり言葉を組み立てて、伝えたいことを伝えようとしても、うまく相手に伝わりません。

それどころか伝えたかったこととは全く違う意味になってしまったりします。


日本語って、難しいですね。

文章表現法を、まだまだ模索中の文群です。



ところで。今回の題材『テスト』でありますが、いつも執筆する際に必ず大まかな構成イメージをイラストにして書き出したりするのですが……今回。

その工程をせずに、『突発的』に行き当たりばったりで書いたために、本当に『衝動的』な短編が出来上がりました。


そのため、最初は三ページあたりで済むと、執筆当初抱いていた予想が、途中から覆されて今回の形になりました。

つくづく期待を裏切る脳みそと右手です。


でも一番書きたかった『放課後』『教室』『男女』『約束』といった青春は詰め込めて良かったです。

かなり内容とか人物描写とかぼかされて、識井にいたっては最初女子が男子が分かりませんでしたけど。


どこの地方の人でも、テストが嫌いなのは共通何でしょうか? 文群も嫌いです。テスト。

でも、テストの結果を報告しあったりする友達とのやり取りって、くだらないけど、些細で大切な思い出になるから、口で言うほどテストって嫌いじゃないんですよ。

多分、心底テストを嫌いになる日なんて、一生来ないんだろうな。



余談ですが、作中の最後に出てきた岩原、古河、龍堂寺、寄戸、軒島は、全員同じクラスです。時期的には前回の企画でほのめかされていた修学旅行の後ですね。


ああ、『恥将』?

彼は中田くんのために婿修行頑張ってるんじゃないか? うん、リア充リア充。



最後に。当企画に参加してくださった皆様。および制作に関わってくださった方々。リア友である雪野様。期末テストだなんて素晴らしい苦行を執り行ってくださった学校関係者の方々。そして青臭いこの短編を閲覧してくださった皆様へ、心からの感謝を!


ありがとうございました!





<完>

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