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アレクの冒険 ~剣と魔法の冒険ファンタジー

ドラゴンセイバー

掲載日:2012/11/20

# ドラゴンセイバー


## 第一話 フェズの街


 フェズの城門は、思っていたより大きかった。


 石組みの門柱は人の背の三倍はあり、表面に苔の跡が染みている。上部のアーチには古代ロームの紋章が半ば風化しながらも残っていた。千年を超える石が、今もこの街の入口にどっしりと座っている。


 アレクは門をくぐりながら、街の空気を吸い込んだ。石畳の匂い、炭火の匂い、家畜の匂い。人が集まる街の匂いだ。


 ルシオン地方南部、ピレウス山脈の東端に位置する街道の町フェズ。レム川とその支流レナ川の合流地点に開けた、古くからこの地方の交通の要所として知られる町である。古代ロームが侵入した際に築いた植民都市が起源で、街の中心こそ時代の波に塗り替えられているが、城壁の石組みや地下を走る上下水道には、今なお往時の面影が残っている。


 通りは夕暮れの活気に包まれていた。荷馬車が石畳を軋ませて通り過ぎ、職人たちが店仕舞いを始めている。路地の奥から果実酒の香りが漂ってくる。


 アレクは財布の中身を確かめた。銀貨が数枚と、銅貨がいくらか。次の護衛の仕事を見つけるまでに、あと何日もたせなければならないか。宿と食事を切り詰めれば――いや、まずは酒場で情報を集めるのが先だ。


 街の中心に広場があり、そこを見下ろす丘の上に領主の館が建っていた。館の窓に灯りが点り始めている。この街は自治都市で、領主はいるが市民による自治が行われている。街道の交差点として南北・東西の商隊が立ち寄る交易拠点であり、月に一度の定期市には周辺農村からも人が集まる。


 アレクは広場の端にある酒場の扉を押した。


――


 酒場は仕事帰りの人間で満ちていた。


 カウンターに樽が並び、脂の染みたテーブルには職人や商人が肩を寄せ合っている。薄暗い燈台の灯りの下で、酒の匂いと汗の匂いが混じり合い、何ともいえない活気が充満していた。


 店の隅で、旅の吟遊詩人が一人、静かに弦を爪弾いていた。客たちのざわめきにかき消されそうな小さな歌声だったが、アレクの耳にはなぜかその旋律だけが妙に残った。旅の孤独を歌う声に、どこか聞き覚えのある寂しさがあった。


 アレクは空いている端の席に座り、エールを一杯頼んだ。一口飲んで、周囲を眺めた。


「いや! やめてください!」


 若い女の悲鳴が、酒場の喧騒を切り裂いた。


「いいじゃねえかよ、減るもんじゃねえしよぉ」


 大柄な男が給仕の娘の腕を掴んでいた。太い指が細い手首に食い込み、娘の顔が恐怖で歪んでいる。


 酒場では珍しくもない光景だ。しかし、どこかが違った。普通なら店主が割って入るか、常連の誰かが止めに入る。ところが店内を見回すと、誰もが視線を逸らしていた。店主はカウンターの奥で布巾を絞るふりをしている。


 関われば、ろくなことにならない。名の知れたならず者か、街の有力者の息子か。いずれにせよ、皆が余計な厄介事を避けていた。


 椅子が蹴り上げられる音がした。


 店内が一瞬静まった。


 男と娘の間に、アレクが立っていた。黒い髪と黒い瞳。分厚い外套を纏い、腰には使い込んだ長剣。顔にはまだどこか幼さが残っているが、目だけは真っ直ぐに男を見ていた。


 男は鼻で笑い、拳を振り上げた。本気で殴れば頭蓋が砕けそうな太い腕だった。


 アレクは一歩横に引いた。拳が空気を切る。振り抜いた勢いで男の体が前のめりになった瞬間、アレクは腕を掴み、足を使い、重心を刈り取った。


 大柄な体が宙を泳ぎ、床と派手に抱擁を交わした。


「覚えてろよ」


 男は這い起きざまにアレクを一瞥し、振り返りもせず出ていった。


 扉が閉まった後、ぱらぱらと拍手が起こった。ただし常連たちの声は低かった。


「あいつ、あの後、大変な目に遭うぞ」


「あのドラ息子は、しつこいからな」


 アレクは席に戻り、エールを一口飲んだ。さっきと同じ椅子、同じテーブル。しかし気分は少し違った。


(余計なことやっちまったかな)


 剣を抜いたわけでも、誰かを傷つけたわけでもない。なのに少し後悔していた。旅の途中で揉め事を作るのは得策ではない。凛とした雰囲気はもうどこにもなく、温和な顔に戻って、アレクはちびちびとエールを飲んだ。


「これ、さっきのお礼ね」


 顔を上げると、先ほどの給仕の娘がお盆を抱えて立っていた。テーブルの上に、ソーセージの山が出現した。厚く切られた香草入りのソーセージが皿からこぼれんばかりに積まれている。


 まんざら無駄ではなかったようだ。アレクは思わず顔をほころばせた。


「兄ちゃん、なかなかやるじゃねぇか」


 丸い腹と赤ら顔。太い指にいくつも金の指輪をはめた商人風の酔っ払いが、ジョッキを片手にアレクの隣にやってきた。椅子を確かめもせず引っ張ってきて、どっかりと座った。


 酒場には大抵こういう男がいる。旅人を捕まえては話し込み、奢ったり奢られたりして夜を過ごす人好きの常連客だ。一人旅のアレクにとっては貴重な情報源でもある。


「良くやってくれたな。あいつはああ見えても街の有力者の息子でね。街の人間は手が出しにくいんだ。兄さん、見た目は優男だが、腕はいいな。もしかして、クラドの山賊を退治したっていう剣士ってのは、あんたかい」


「一人じゃありませんが……一応、その一人です」


「一人だろうが一人じゃなかろうが、大したもんだ。惜しかったな、もう少し早く来てれば、領主様のドラゴン退治に参加できたかもしれないのに」


「ドラゴン退治?」


「ニトア山のドラゴンだよ」


 ニトア山のドラゴンの噂は、アレクも道中で聞いていた。フェズから三〇キロほど離れたニトア山に、二ヶ月ほど前から古代龍が住みついたという話だ。目撃談が多く、信憑性が高い。冒険者が何人もドラゴン退治を試みたが、帰ってきた者がいなかった。


「帰ってきた者がいない?」


「一人だけ、ぼろぼろになって戻ってきたのを見た。片腕が焼けていた。何があったか聞いたら、首を振って、何も答えなかった。目がね、死んでいたよ」


 商人は一口飲んで、声をわずかに落とした。


「あのドラゴンは、飛竜とは違う。古代龍ってやつだ。人の言葉を話し、魔法を使う。何百年も生きる。東のゲルドの民にとっちゃ、神様みたいなもんだ」


「それなのに退治するんですか」


「そりゃ、ドラゴンバスターの名がほしいからだろう。それにドラゴンの体自体が信じられないくらい高く売れるしな。鱗の剣は鋼より強い。骨は薬になる。ドラゴン一匹倒せば、領主の富は倍になるって言われてる」


「ドラゴンが何か悪いことをしたんですか」


「別に何も」


「何もしていないのに?」


「まあ、ドラゴンなんてのは大抵、山の奥で寝ているだけだからな。家畜を一頭二頭さらうことはあっても、それで退治するか言ったら、普通はしない。何十人死ぬか分からないのに、牛や羊のためにそこまでやる馬鹿はいない」


 教会はドラゴンを悪魔の手先として忌み嫌っているが、余程のことがない限り退治は行わない。ドラゴンは人里離れた山奥に住み、人間社会にはほとんど実害がない。触らぬ神に祟りなし、というやつだ。


「可哀相ですね」


「え? 何が」


「ドラゴンがですよ。何もしていないのに、欲のために殺されそうになるんですから」


 商人が目を丸くした。


「おいおい、兄ちゃん。教会はドラゴンを悪魔の手先って言ってるんだぞ」


「でも、民間伝承ではそれほど悪くないでしょう。ドラゴンの住む土地は疫病が流行らないとか。一〇〇年前の白竜が舞い降りた街は、二〇年間疫病知らずだったとか」


「ゲルドの連中みたいなこと言うなよ。ゲルドは異教徒だ。旅人だから知らないのかもしれないが、この辺じゃその手の話はタブーだぞ」


「ほっほっほっ、ドラゴンが可哀相か。旅のお方、面白いことを言うな」


 声のした方を見ると、いつの間にか背後に老人が立っていた。


 豊かな白髭に、深い皴の刻まれた顔。しかし瞳だけが妙に若々しく、奇妙な鋭さを帯びていた。旅の外套を纏い、大きな革袋を背負っている。どう見ても旅の老人だが――いつの間に背後に立ったのだ。会話の途中まで、この老人の気配はなかった。


「ティグス・シュタンと申す。こう見えても、賢者で通っておる」


 老人は断りもなくアレクの隣の椅子を引き、どっかりと腰を下ろした。給仕の娘に向かって指を一本立てる。


「ドラゴンのことは心配せんでもいい。ドラゴンは強い。それより領主様たちの心配をした方がよいな」


「大丈夫だよ」と商人が言った。「有名な剣士を何人も雇ったらしい。魔道士も連れているって話だ。シューティングスターに喧嘩を売るんじゃないんだから、大丈夫だろう」


「さて、どうかな。あのドラゴンは、魔竜シューティングスターの親戚と聞くぞ」


 少し歴史を知る者なら誰もが知る名前だ。古代の神々を震え上がらせ、人類の歴史において刃向かった数多くの王国を滅ぼしたとされる伝説の魔竜。現在はブリタニア島西部に住んでいると言われている。


「そんな不吉なこと言うなよ」


「これは悪かった。お詫びに一杯おごらせてくれ」


「おっ、爺さん話が分かるな。さすが賢者だ」


 商人はすぐに機嫌を直した。


 アレクはしばらくの間、酔っ払いの商人と自称賢者の老人に挟まれて、ソーセージを食べることとなった。老人は時折アレクに視線を向けたが、多くは語らなかった。ただ、穏やかな笑みの奥で、何かを確かめるように見ていた。


 店の隅では、吟遊詩人がまだ弦を爪弾いていた。


――


 店の扉が乱暴に開いたのは、三杯目のエールを飲み終える頃だった。


 息を切らした男が飛び込んできた。顔が青ざめている。


「領主様の館がドラゴンに襲われているぞ!」


 店内が水をかけたように静まった。誰かのジョッキが倒れる音がした。


 それが何を意味するか、全員が理解していた。


 領主たちの討伐隊は、失敗したのだ。そして――報復が始まった。


――


## 第二話 ドラゴン飛来


 店主が路地に飛び出した。客たちが我先にと扉に殺到する。アレクも外に出た。


 振り返ると、自称賢者の老人だけが、席に座ったまま静かに酒を飲んでいた。


 外に出た瞬間、足が止まった。


 丘の上が燃えていた。


 領主の館が炎の塊と化していた。夜空に舞い上がる火の粉が、逆さまの雪のように赤く輝いている。通りに溢れ出した人々が、一斉に丘の上を見上げていた。


 炎の向こうに翼が見えた。


 夜の闇に浮かぶ巨体。炎に照らされて輪郭が浮かび上がるにつれ、周囲の人々の声が消えていった。悲鳴すら出ない。全員が口を開けたまま、空を見上げていた。


 アレクも見上げた。


 ドラゴンの絵は何度も見たことがある。童話に、寓話に、礼拝堂のタペストリーに。しかし、それは所詮、誰かが描いたものだった。本物は違った。遠目に見ただけで、腹の底から何かが這い上がってくる。恐怖ではない。言葉にできない圧力だった。


(あんなものに喧嘩を売ったのか)


 通りのあちこちで声が上がっていた。


「もう終わりだ」


「ドラゴンに戦いを挑むなんて無謀だったんだ」


 子供を抱えて走る母親。店の荷物を慌ててまとめる主人。路地の奥に逃げ込もうとする老人。宿から飛び出してきた旅人が何が起きたのか分からずに立ち尽くしている。


「うろたえるな!」


 衛士長の怒声が通りに響いた。衛兵たちが槍を手に広場へ走ってくる。それを見て、市民の男たちも農具や刃物を手に後に続いた。自分の街を守るのは自分たちだ。武者震いか恐怖か、その境は定かではなかった。


 ドラゴンが丘の上から飛び立った。翼が空気を叩く音が低く響く。遠いのに、足裏から振動が伝わってくる。


 フェズの中心にある広場に、ドラゴンが降りてきた。


 着地の衝撃で石畳が揺れ、土埃と砂が舞い上がった。


 近い。遠目に見た時とは次元が違った。体が反射的に退ろうとした。


 全高は四階分ほどあった。鱗は夜の炎に照らされて黒と赤に光り、翼を広げると広場の半分が影に沈んだ。金色の瞳が、炎の光を映している。荒々しいが、神々しさすら感じた。


「喉の逆鱗を狙え!」


 衛士長が怒鳴った。逆鱗の下には動脈が走っている。ドラゴンの数少ない弱点だ。


 三〇人ほどの衛兵と武器を手にした市民が広場に布陣した。盾を構え、槍を揃え、弓を引き絞る。炎に照らされた顔は、恐怖を押し殺したぎりぎりの表情をしていた。勇敢な光景だった。しかしアレクの目には、儚く映った。


 一斉に矢が放たれた。黒い矢の群れが夜空を横切り、ドラゴンの体に向かっていく。何本かは命中した。しかし鱗の前では爪楊枝にも等しかった。矢は弾かれ、あるいは滑り落ちた。


 ドラゴンは体に刺さった矢を一瞥した。


 そして――あくびをした。


 人間たちの渾身の一撃が、その程度のものだったのだ。


「もう一射! 逆鱗に集中しろ!」


 衛士長が声を張った。指揮は的確だった。二射目の矢が喉元に集中する。しかしドラゴンは首を傾けただけで、ほとんどの矢をかわした。当たったものも鱗を傷つけるには至らない。


 有能な衛士長だった。しかし圧倒的な差の前には、有能であることは何の意味も持たなかった。


 ドラゴンがゆっくりと首をもたげた。喉の奥で何かが光り始めた。橙色の、揺らめく光。熱の気配が広場全体に広がった。


「散れ!」


 衛士長が叫んだ。遅かった。


 一息だった。


 炎の壁が通りを走った。数十軒が瞬時に燃え上がり、盾を構えていた衛兵たちが炎の中に消えた。悲鳴が上がり――消えた。


 アレクは反射的に路地の壁に張りついた。壁の石が熱くなるのが分かった。遠く離れた路地の角にいても、肌が焼けるように熱い。眉毛が焦げる匂いがした。


――


「引け! 地下に逃げろ!」


 衛士長の声に、生き残った兵士たちが石畳の下水口に向かって走った。蓋を蹴り上げ、我先にと潜り込んでいく。


「地下水道などに隠れるつもりか」


 ドラゴンの声が広場に響いた。太く、低い声だった。人語だ。


 ドラゴンはゆっくりと歩み寄り、下水口に顔を近づけ、火を吹き込んだ。


 石畳の隙間から橙色の光が漏れた。地下から悲鳴が沸き起こり――唐突に止んだ。


 沈黙の方が、悲鳴よりも恐ろしかった。


 石畳の割れ目から、細い煙が音もなく立ち上ってくる。何十人もの兵士が、一瞬で焼き尽くされたのだ。


 路地の陰から、アレクは見ていた。


 見ていることしかできなかった。何百人の人間が束になっても歯が立たない相手だ。一人の冒険者に何ができる。理性はそう告げていた。しかし足が動かなかった。


 逃げなければならない。逃げた方がいい。それは分かっている。なのに、体の奥底で何かが足を縛りつけていた。恐怖ではなかった。恐怖なら走れる。これは別のものだった。


「戦わないのかい? 冒険者なのに」


 振り向くと、自称賢者の老人が隣に立っていた。広場の方を見ながら、メモでも取るかのようにドラゴンを観察している。涼しい顔だった。恐怖を押し殺しているのではなく、本当に何も感じていないような平静さだった。


「戦いませんよ。冒険者だからって何でも戦うわけじゃない」


「戦わないのであれば、逃げればよいだろう。それとも、隙を見てドラゴンを倒して名を上げるつもりかな」


「そんなつもりはありませんよ」


 アレクはもう一度広場を見た。炎の中に倒れた人々。燃える建物。遠くで子供の泣き声がする。


「それよりあなたこそ、早く逃げた方がいいんじゃないですか」


「なぜかね。今こそこの目でドラゴンを観察するまたとない機会ではないか」


 どこまでも平静だった。少し不気味ですらあった。


――


 広場の端に、子供がいた。


 一〇歳にもなっていないだろう。石畳の上に倒れた二つの体に取り縋って泣いていた。炎の光に照らされた顔は煤と涙でぐしゃぐしゃになっている。


「お父さん……お兄ちゃん……」


 もう動かない。父親と兄は、炎に焼かれて動かなくなっていた。


 男の子はしばらく泣いていた。声が枯れるまで泣いた。


 ふと、泣き声が止んだ。


 子供は顔を上げた。目が赤かった。近くの地面に落ちていた槍を拾い上げると、その小さな手で握りしめて立ち上がった。体が震えている。膝が笑っている。それでもドラゴンに向かって一歩踏み出した。


「みんなの仇だ。おまえを倒してやる」


 ドラゴンが動きを止めた。


 巨体がゆっくりと子供の方を向いた。金色の瞳が子供を捉えた。しかし炎は来なかった。


「人間の命は短い。死を急ぐ必要はないだろう。今なら、見逃してやる。さっさと逃げろ」


 低く、太い声だった。子供を焼くことは造作もなかっただろう。それをしなかった。


「うるさい。俺は男だ。逃げるものか」


 声は震えていた。しかし槍を握る手は離さなかった。


「無意味な死を急ぐか……子供とはいえ、覚悟を決めたのであれば、仕方がない」


 ドラゴンの喉の奥が、わずかに光った。


 アレクの足が動いた。


 考える前に動いていた。路地を飛び出し、広場を駆け抜けた。子供の体を片腕で抱え上げ、地面に落ちた槍を丁寧に拾い上げた。そのまま走る。石畳が足裏を叩く。背後でドラゴンの息が変わった。


 下水口が見えた。


 蹴り上げた蓋が石畳に跳ね、アレクは子供を抱えたまま地下に飛び込んだ。


「愚かな」


 ドラゴンの声が頭上から降ってきた。巨体が下水口に向かってくる。口を近づけ、火を吹き込む態勢に入る。


 アレクは下水口の中から見上げた。


 大きく開かれたドラゴンの口があった。内側で炎が揺れている。赤い光がアレクの顔を照らした。熱い。呼吸が焼けるほど熱い。


 だが、アレクの手は動いた。


 槍を、口の中に投げた。


 狙ったのではなかった。これだけ近ければ外しようがなかった。槍はドラゴンの口の奥に深々と突き刺さった。巨体のドラゴンにとって致命傷ではない。しかしドラゴンは大きく仰け反り、その拍子に魔力の発動が止まった。


 それが致命的だった。


 すでに発動しかけていた火炎の魔力が行き場を失い、体内に逆流し始めた。


 ドラゴンの腹の中で、何かが弾けた。


 自らの業火に、体の内側から焼かれる。ドラゴン自身にも理解できなかったはずだ。自分の炎で自分が燃えるなど、想定の外だったのだろう。喉を貫かれ、声にならない悲鳴を上げた。


 怒りが全身を走った。炎に焼いてやりたい。しかし、もはや炎は出ない。体が言うことを聞かなかった。四肢が震え、石畳に膝をついた。


 ドラゴンは自らの業火に焼かれ、ゆっくりと崩れ落ちた。


 アレクは下水口から飛び出した。


 子供を安全な路地に下ろし、剣を抜いた。ドラゴンの首元――逆鱗の位置に切っ先を向けて立った。


 ドラゴンの体からはまだ熱気が漂っていた。鱗の隙間から細い煙が上がっている。荒い息が繰り返される。金色の瞳がアレクを見上げた。そこに恐怖はなかった。怒りだけがあった。


 アレクは数秒、動かなかった。


 逆鱗に切っ先を当てれば、動脈を断てる。とどめを刺せるかもしれない。しかし、もし失敗すれば。傷を負ったドラゴンが最後の力を振り絞れば、自分も、周囲の人間も生きてはいられない。


 ――それだけが理由ではなかった。


 アレクは剣を鞘に納めた。


「止めにしないか」


 静かに言った。


「俺はこの街の人間じゃない。通りすがりの冒険者だ。あんたを倒す理由はない。もう、こんなに人を殺した。気が済んだだろう。許してやったらどうだ」


 周囲の瓦礫から、人々が顔を出し始めた。


「何を言ってるんだ、そいつは街のみんなを殺したんだぞ!」


「とどめを刺せ!」


 声が次々と上がった。


 アレクは振り向かなかった。


 長い沈黙があった。


 やがて、ドラゴンはゆっくりと起き上がり始めた。街の人々が息を呑んで後退った。しかしドラゴンは誰も見ていなかった。


 翼を広げた。飛び立つ直前に――ドラゴンはアレクを見た。


 言葉はなかった。金色の瞳が一瞬だけアレクを捉えた。怒りではなかった。屈辱でも感謝でもなかった。名前のつかない何かが、その目にあった。


 視線を北の山に向け、翼を一度大きく打った。轟音。風圧が石畳を叩き、アレクの外套をはためかせた。


 次の瞬間には、空の闇の中に巨体が消えていた。


――


## 第三話 ドラゴンセイバー


「やっぱり、倒した方が良かったかな」


 アレクは頭上の星空を見上げながらつぶやいた。


 その日のうちに、アレクは街を出た。厳密には――追い出されたのだが。


 ドラゴンが去った後の街は静かだった。火はまだくすぶっていた。石畳の上に焼けた梁が散らばり、煙が夜空を汚している。生き残った人々は呆然と立ち尽くし、あるいは瓦礫の中に家族の名を呼んでいた。


 しかし、時間が経つにつれて静けさに怒りが混じり始めた。


「なぜとどめを刺さなかった」


「ドラゴンを逃がしやがって。お前のせいで、また来るかもしれないんだぞ」


「街の人間を何人殺したと思ってる」


 声が重なり、やがて怒号になった。アレクに拳を振り上げる者もいた。


 衛士長は一歩離れたところから見ていた。声を上げなかった。庇いもしなかった。顔には何かの感情があったが、それを言葉にすることは選ばなかった。職務上、街の人間の気持ちに逆らうことはできなかったのだろう。


 アレクは何も答えなかった。頭を下げて、荷物をまとめて、街を出た。


――


 夜道を歩いていた。


 空腹だった。ソーセージの山は遠い記憶になっていた。英雄として温かい食事をご馳走になる姿を想像してみたが、あまり実感が湧かなかった。


「街を救った英雄が、こんなところで何をしているのかね」


 背後からの声に振り向くと、自称賢者の老人が立っていた。月明かりの下で、白髭がかすかに光っていた。


「英雄じゃありませんよ。ドラゴンを倒さなかったって責められて、追い出されたんです」


「そうか……英雄になり損ねたな。ドラゴンスレイヤーの称号をもらえば、それだけで一生食べていけたものを」


「僕にドラゴンは倒せませんよ。確かに傷を負っていましたけど、あの状態でも飛べるだけの体力と魔力は残していた。傷をつけることはできたかもしれませんが……僕も死んでました。周りの人間も」


「そうかもしれんな。だが、ワシが見たところ、六対四でお主が有利じゃったぞ」


「そうでしたか……でも、僕は賭けはしませんので」


「つまらない男だな」


 老人は笑った。


「でも、賢明な判断じゃ」


 二人は並んで歩いた。月が明るかった。街道の両脇に草が揺れている。


「それにしても……なぜドラゴンは素直に帰ってくれたんでしょう。殺そうと思えば、簡単に殺せたのに」


「ドラゴンの誇りと命は、人間が考えるより遥かに価値がある」


 老人の声は穏やかだった。


「情けをかけた相手を殺してみろ。あやつは何百年もの間、仲間の笑い者になるぞ」


「そういうものなんですか」


「そういうものだ」


 しばらく歩いた。虫の声が夜に混じっている。


「そうそう、お主にわたすものがある。さる高名な方からの褒美じゃ」


 老人は背中の革袋を下ろし、アレクに手渡した。


「ドラゴンを倒さなかったのに?」


「倒さないからこそ、価値があることもあるんじゃよ。良いから中を見てみろ」


 袋を開けると、宝石と一冊の本が入っていた。宝石は素人目にも見事なものだった。暗い中でも、月明かりを集めて静かに光っている。


「あいにく、現金はあまり持っておらんでな。その宝石を換金すれば、金貨千枚にはなるだろう」


 金貨千枚。もう一生働かなくても済む金額だ。アレクは宝石を袋に戻し、もう一つの品を取り出した。


 古い本だった。表紙の革はすり減り、角がほつれている。しかし背表紙はしっかりしていて、手に持つと確かな重みがあった。表紙に文字が刻まれているが、アレクには読めなかった。古代語のようだ。


「宝石よりも、おんぼろの本に興味があるとは変わったお方じゃ」


 老人の目が笑っていた。


「『知恵の書』と書かれておる」


 開いてみた。白紙だった。どのページも何も書かれていない。


「何も書いてありませんが」


「この本は必要な時に、必要なことが書かれる書じゃ。必要になれば分かるよ」


 アレクは本を見つめた。魔法の書、ということだろうか。


「こんなに貰っていいんですか」


「構わんよ。ドラゴンの名誉と命は、それだけの価値があるということじゃ」


 老人の言い方が、少し変わった。「ドラゴンの名誉と命」。さっきから、まるで自分のことのように話している。


「ただし、忠告がある」


 老人は立ち止まった。


「この本は答えを教えない。必要なことは書かれるが、答えそのものは書かれない。考えるのはお主自身じゃ。それを忘れるな」


「はい」


「それから、もう一つ。知恵は知識ではない。読んで分かることは知識にすぎん。知恵とは、それをどう使うかを自分で選ぶことじゃ」


 アレクは頷いた。


「あなたは何者なんですか」


 アレクは聞いた。聞かずにはいられなかった。


 ティグス・シュタン。


 その名前を、頭の中で並べ替えてみた。ティグス・シュタン。シュティグ・タン。シュタン・ティグス。シューティングスター。


 背筋を何かが走った。


「そう身構えるな」


 老人はにこりと笑った。その笑みには、人間のものとは少し違う深さがあった。


「通りすがりの賢者だよ。少しお節介な」


 そう言って、老人は来た道を戻り始めた。燃える街の方へ。足取りは軽く、一度も振り返らなかった。


 アレクはその背中を見送った。


――


 一人になった。


 夜の街道を歩きながら、もう一度本を取り出した。月が明るかった。


 開いてみると、やはり白紙だった。どのページも、どこまでも白い。月明かりに照らされた白紙のページが、静かに光を返している。


 これが本当に「知恵の書」なのか。それとも、一杯食わされたのか。


 しばらくページをめくり、アレクは本を袋に戻した。


(必要な時に、必要なことが書かれる、か)


 振り返ると、フェズの街がまだ燃えているのが見えた。煙が夜空に上がり、月を薄く霞ませている。


 あの子供は無事だろうか。父と兄を失って、これからどうやって生きていくのか。


 考えても仕方がない。自分に出来ることは終わった。あとは自分の旅を続けるだけだ。


 白紙の本には確かな重みがあった。宝石の方はもっと重かったが、本の重みの方が手に残った。


 風が草を揺らした。月が高い。


 アレクは前を向いて歩き出した。


――


 その後、噂によると、フェズの人々はドラゴンに再び戦いを挑み、街は灰になったという。


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[良い点] ・ストーリーの構成 ・(個人的に)RPGをイメージしている [気になる点] ・変な文法を(時々)使っている [一言] とても面白いです! ストーリー性がRPGゲームのようで、個人的に「こう…
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