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ある男の嫌悪

作者: ロッッカ

「世界には絶望なんてものはないが、かといって希望なんてこれっぽっちもない。すべて、ただのまやかしだ」

 軍に所属している時のルームメイトから、そんな宗教じみた言葉を渡されたのを覚えている。当時若者と言える世代だった自分は、素直にその言葉に感心するしかなかったのだが。とはいえ心の奥底では半信半疑であり、それを聞いたからと言って私の人生が変わっただとか、そういうことはないのだが。

「現実をありのままに受け入れれば、絶望も希望もないさ」

 彼はその一週間後、重病の宣告を受けた。これ以上ないくらいに絶望していたように思える。

 所詮そんなものだ。彼が軍から外される時、荷物整理をしていると『後悔しない生き方』というタイトルの本を見つけた。巷で流行している本だった。所詮そんなものだ。受け売りの言葉など、紙一枚もの影響力も持たない。と言ってしまう私も、案外薄っぺらい考え方を持っているのだが。他人に感化されやすく、自分に都合のいい言葉ばかり考える。それで損がないからだ。


 そのルームメイトと同じく、私のような一般人に影響力など微塵もない、とつくづく思う。たった一人の少女も救えない程度の人間だ。誰がこの私を信用すると言うのだろうか。

 私は一人の少女さえも救えなかった。


 遠くの街へと伝達雑用等々の理由で、私、とあと二人、私の部下が送り出された。その時に立ち寄ったある村で、それは起こった。竜人族の人々の住む、ごく小さな村だ。特に急ぐ用事でもなかった為に、のんびりと村の宿屋で寛いでいると、ふと扉を叩く音がした。宿屋の人間ではないらしく、その声には焦りが感じられる。

「魔導師様、どうか……この子を助けてやってください……!」

 扉を開けた先にいたのは、懇願するような目をした夫婦と小さな少女だった。母親に大切そうに肩を抱かれている少女は、私に気付くと深々と子供らしいお辞儀をした。金色と言うべきか、琥珀色と言うべきか。大きな丸い目がじっと私を見つめていた。三人とも同じ目の色に同じ赤毛。だが、夫婦の目は腫れている。まるで泣いた後のように。

 何でもいいから人の役に立ちたい、と思って入った軍である。自分にしかできない事であれば、何でもしてやろうと思った。

「私にできる事であれば、なんなりと」

 そう答えると、夫婦はほっとしたように顔をくしゃくしゃにし、何度も礼を言った。まだ何も聞いていないのだが。

「魔導師様に、この子の呪いを解いてほしいのです」

 父親がはっきりとそう言った。それから説明が始まる。この近くの森で少女が遊んでいたところ、魔物に連れ去られてしまったということ。少女を帰してもらう為、夫婦は魔物の言う通りに自分達の持ち物を捧げた事。それによって無事少女は帰って来たが、ある呪いをかけられてしまった事。その呪いによれば、少女の十歳の誕生日――丁度、あと一週間後に、彼女は死んでしまうのだという事だった。唖然とした。かなり街からは離れた村だ。この呪いの対処法を知る者さえも付近にはいなかったのだろう。ましてや、それができる者も。此処まで何もできずにいたのだ。無理もない。大体、実力のある魔術師は全てと言っていいほど都市部へ出払ってしまっている。この村から一番近いところでも、馬車で丸五日はかかるだろう。対処できなかった理由は分かる、が。

 ――如何せん、状況が絶望すぎた。呪いは、そう簡単に解けるものではない。そもそも魔術自体、一度発動してしまえばどこかに「スイッチ」でも用意されていない限りは止める事が難しいのだ。攻撃魔法であれば相殺が可能だが、呪いはそれが難しい。色々な支障を与えかねない。だから呪いというものは普通、何ヶ月何年もかけて解くものなのだ。病気の治療と同じく、一瞬で治る訳ではなく――もっとも、今では全て魔術で行ってしまうのでこの表現は人に伝わりにくいかもしれないが――あと一週間と言われれば、もうほぼ手遅れなのだ。

 だが、私は彼女を、そして彼女の両親を見捨てる事ができなかった。

 似ているのだ。私と。そして、私と決定的に違うのだ。見捨てられた私と、彼女では。だからこそ、と言ってもいいのかは分からない。が、私は何であろうと彼女を助ける気だった。若さ故の活気と言うべきか、その頃の私は何故か「自分ならば何でもできるであろう」という自信に充ち溢れていた。それを軍での評判が手助けして、余計に自分は鼻を高くしていたのだ。今思えば、その姿はあまりにも滑稽すぎた。お世辞を間に受け舞い上がる子供と大差ないという事を、当時の自分は分からなかったが故にこのような事が起こるのである。

 部下には説明をし、理解を得ておく(と言っても、何だかんだで上司には逆らえないものだから、ほぼ強制的と言っていいほどなのだが)。先方には、馬車の不具合で数日遅れるという事を伝えておいた。その連絡をした後、私はすぐ馬車に積んでいた魔術書をありったけ引っ張ってきた。

 役立てば、と部屋をもうひとつ用意され、私のいる間は少女はそこにいた。彼女はどうやら、自分が一週間後に死ぬという事を分かっていないらしかった。せめてもの両親の配慮だったのだろう。ただ、呪いをかけられた事は知っているようで、「わたしの体についた悪いおばけを、魔導師さまにとってもらうんだ」という事を、宿屋の人々に話していたのを覚えている。とても無邪気で、とても嬉しそうだった。遠くから聞こえる声をたまにぼうっと聞きながら、私は思考を進めていた。

 私はたまに彼女の話相手に、――否、寧ろ私の話相手になってもらった事もあった。

「魔導師さま」

「何だい」

 束の間の休息の間。私はコーヒーを、少女はホットココアを手に、二人とも同じようにふうふう息を吹きかけていたところだった。

「魔導師さまは、どうしてそんなにつよいんですか?」

「そうだなぁ」

 コーヒーを一口すすった。まだ熱く、舌が火傷しそうだったが、子供の前で情けない姿を見せるのも気が引けたので黙っておいた。

「お勉強?」

「ああ。勉強すればきっといい人になれるよ」

「本当ですか!」

「本当だとも」

 嬉しそうに足をばたばたさせる少女に、思わず顔を緩ませてしまう。早くもココアを飲みほしたのか、テーブルにそれを置いてから興奮したように彼女は話す。

「わたし、しょうらいは魔導師さまみたいなかっこいー魔法使いになりたいんです!」

「それはいい事だなぁ、歓迎するよ」

 そんな話をしながら、私は三日間考えるのに明け暮れた。


 結論から言えば、彼女の呪いをあと四日で解く事など不可能だった。

 かろうじて、違う形で彼女の死を食い止める方法はあった。が、あまりにも特異な方法すぎて薦められるほどのものではなかったのだ。楽しそうに夢を語った少女が、あと四日で息絶えてしまうなどという事は、あまりにも絶望的すぎる。あまつさえ本人はその事を知らないのだ。持っていた希望を一瞬で砕かれ、苦しみ、絶望し、息絶えてゆくだろう。そんな姿を私は見たくない。否、見たいと思うのはよほどの狂人でなければ存在しないだろう。なんとか彼女を救おうともがき、時には彼女に実際に魔術を使いもしたが、状況は変わらなかった。絶望は音を立てずに迫ってくる。いつしか、彼女と話す時間も減っていった。絶望まで、残り二日となっていた。


 私は、彼女の両親だけを「魔術用」の部屋に呼び出した。夫婦は、私の様子からあまりいい知らせではない事を察知したようで、今にも泣き出しそうだ。向かい側に座る夫婦に、開きたくない口を開ける。

「ふたつの選択があります」

 呼び出したくなかった。時が止まればいいと思った。もがいたとて動きを止めたとて苦しみが襲ってきた。もう何もしたくない。今此処から逃げ出したい。

「ひとつは、全てを諦め、彼女を安楽死させる方法です。苦しむ事はありません。ただ、安らかに永遠に眠るだけです」

 逃げ出そうとする自分を必死で引き留め、留まらせ、言葉を吐かせる。此処から先は、話したくなかった。

「もうひとつは、彼女の年齢を止めてしまう方法です」

 思わず下を向いた。夫婦の顔を、これ以上見ていられなかった。

「時間を操る魔術で、彼女の肉体年齢を止めてしまいます。そうすれば二日後になっても呪いの効果は表れませんが。彼女は成長できなくなります。……が、彼女が寿命で死ぬ事はなくなります。所謂不老というものです。殺されない限り、永遠に生き続けます。それが彼女にとって幸せかどうかは、貴方がたで判断してください。……明日までにご決断を、お願いします」

 言い切った。とてもではないがこの場にいられなくなり、何も見ずに部屋を出る。結局、夫婦の顔は見られなかった。

 自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。自分を呪った。こんな事になるくらいならば、いっそ放っておけばよかったものを、と頭の中で誰かが叫んでいる。一日で立ち去ってしまえばどうせすぐに忘れ、また仕事に打ち込む日々に戻っていたのだろうという考えが何度も頭をよぎる。私は彼女を救えると思っていた。しかし、それはただの中身の無い自信だったのだ。空っぽの自信が砕かれただけのこと。ただ、それだけのことだ。多分、夫婦は安楽死を選ぶだろうと思う。永遠に生き続ける苦しみを味わわせるのかと考えれば、そう選ばざるをえないと、私は思うのだ。情けない。その決断を迫ってしまった私が実に情けなかった。その日は結局、嫌悪感と罪悪感と、その他の沢山の考えとがごちゃ混ぜになって、よく眠れなかった。

 絶望まであと一日。朝早く、小さく部屋の扉をノックする音が聞こえた。掃除をしにくる時間にはまだ早い。隈の浮き出た目を擦り、意識のはっきりしない頭で扉を開けた。

「おはようございます」

 そこには、あの少女が立っていた。

「わたし、生きたいです」

 彼女は、大人達の苦悩に終止符を打つように言い放った。そこには子供らしい、無垢な顔しかなかった。

 昨夜、両親が遅くまで話をしているので、気になってこっそり聞いてしまった。そうしたら、自分が生きるか死ぬかを両親が悩んでいる事を知ったのだ、と彼女は言う。それにしてはあまりにも、決断が早すぎると思った。

 唖然とする私に、彼女は私を見据えてはっきりと言う。

「わたしが死んだら、お父さんもお母さんも悲しいです。わたし、今までいっぱいお父さんにも、お母さんにも、あいしてもらいました。だから、わたしはお父さんもお母さんも、悲しませたくないんです」

 お願いします、と彼女は頭を下げた。何が起こっているのか、朦朧とした考えではとてもではないが理解できない。これが、つい数日前に子供らしい夢を語っていた少女だというのか。大人よりも決断力を持ち、自分の考えを持つ「良くできた人間」に、彼女は見えた。言葉が出ない。まだ子供とはいえ、彼女は自分の身に起こる事を理解した上で話しているのだ。何と言葉をかけて良いか分からず、震える声を抑え、彼女に問う。

「……君は、それでいいのか」

 彼女は大きく頷いた。顔を上げると、笑顔になっていた。訳が分からない。私であればできない。こんな事は。

「大丈夫ですよ! 時間がいーっぱいできるんでしょう? なら、そのあいだにお勉強をいーっぱいして、すごい魔法使いになるんです! そうしたら、大丈夫ですよ」

 しかも、私さえも不安から取り除こうというのだ。私は、彼女を止める気にはなれなかった。とりあえず彼女を部屋で待機させ、「一応」、彼女の両親に連絡をしたが私は彼女の決意を裏切るつもりはなかった。この小さな少女が、純粋な気持ちで決めた心を蔑ろにしたくはなかったのだ。私の説得もあってか、彼女の両親は承諾した。これからそちらに向かう、と言われたが断った。私が今、あの夫婦と直面しても話す事ができないだろうからだ。

 その術式自体は簡単なもので、成長を止めるというよりも身体の時間をループさせるというものだ。そして余った分の時間を蓄積し、足りない分の時間を取り出していく。水晶という、なんとも分かりやすく手に入り易い媒体を使った。術式を始める前に、彼女にもう一度確認をとった。これでいいのか、と。彼女は魔方陣に横たわりながら、無言で首を縦に振った。その時の顔を忘れもしない。言い表せないほど、清々しくも活気のある顔だった。


 絶望の日。術式は成功した。彼女の身体は永遠に成長しなくなった。――ひとつだけ言っておくと、水晶を破壊すれば蓄積されていた時間が彼女の身体に流れ込み、即死するのだが。これは、誰にも説明しなかった。説明しても危険を増やすだけだからだ。ただ、念入りに「水晶を大切にしておくように」という事を伝えた。術式が終わり、眠っている彼女をそっと家まで送り届けた。結局、彼女の両親とは顔を合せなかった。彼女自身は、安らかに目覚めるための眠りについている。予想していた絶望は一歩前で留まった。が、新たな絶望が、じわじわと彼女に近づいている。彼女は、それを希望とも思っていただろうが。――これが、彼女が大人であったらどうなっただろうか。考えたくもないが。

 私は部下二人を連れて、すぐさま村を出る準備を始めた。彼らは終始戸惑った様子であったが、私の様子を窺ってか特に理由を探る様子はなかった。宿屋の主人に一言だけ礼を言ってから、そこを出る。一週間も休養をとり、早く走り出したいと言わんばかりの馬車に荷物を詰め込み、急いで乗り込んだ。早くこの村から逃げ出したかった。現実から――はっきり言ってしまえば、自分から、なのだが――目を逸らしたかった。無言の中、馬車を出発させる。ちらちらと様子を見にくる者はいたが、特に見送りなどはなかった。それでよかった。運悪くもあの夫婦などが来てしまったとしたら、私は馬車から顔を出しもしなかっただろう。

 車内は相変わらず奇妙なほどに静かだった。勿論、私の雰囲気がそうさせているのだろうが、その時の私には周りを気にする余裕などなかった。だからなのだろうか。小さくもはっきりと聞こえる声に気付くのが遅れたのは。

「待ってください! あの、あのっ!」

 聞き覚えのある声だった。部下に馬車を止めろと命令する。緩やかに停車した馬車から顔を覗かせると、後ろからあの少女が追いかけてきていた。馬車の後ろに少女は駆けてくる。息を切らし、肩を激しく上下させながらも、彼女は一大事を報告するように口を大きく開けた。

「お師匠様って、呼んでもいいですか!」

 まだ、少女は私に希望を持っていたのだった。助けると言った癖に、結果的に自分を助ける事はできなかった男に、尊敬の念を抱くとは。彼女の持つ明るさには、もう私はついていけなかった。彼女の傍に、いや、思考の片隅にさえも、この陰湿な男がいてはならない。私はこの数日で一気に淀んでしまった。この汚れを誰かに移すつもりは、ない。

「呼ばない方がいい」

 一言だけ投げ捨て、そのまま部下に発車を告げる。少々戸惑いながらも、徐々に馬車は加速していった。窓は開けなかった。恐らく遠ざかっているであろう少女の姿を、見ようとは思わなかった。自分の失敗にまじまじと目を向けるようで、恐ろしくも、そして嫌悪の対象にもなりつつあった。

 私は、少女を救えなかった。しかし少女は周りの人間を救った。その差である。結局のところ、この出来事はすべて彼女が中心となり起こっていた事なのだ。彼女は自分の両親を救おうとしただけでもなく、私までも救おうとしていた。それが、救える人間と救えない人間の差だったのだ。彼女は、私が救おうとしても救えなかった人間を救ったのだ。これがどうして、私が彼女の師になれるというのだろうか。私に尊敬すべき点など見当たらなかった。今は自分への嫌悪感が頭を回るばかりだ。いっそこの場で自分を殺してしまってもいいと思った。が、それすらも嫌に思う。ただ、私は自分がどれだけ自分を過信していたかを思い知った。自分は周りの人間と同じく、いやそれ以下の、何もできない人間だったのだ。過去に出した成績に縋るだけの愚かな大人だ。そんな大人を続けるくらいならばいっそ、と先程とまた同じ考えに移る。時折あの少女の笑顔を思い出しては、また暗い考えで塗りつぶされていく。もう考えたくもない、と思う。

 馬車に揺られながら薄暗くなってゆく意識に、そっと目を閉じた。

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