第0話「恨みとリンゴ」
幼い頃は恨みなんて知らなかったし分からなかった。
奪われることによって生まれる悲しみや怒りといった負の感情。
そんな風に生まれる感情を幼い私はおとぎ話のように思っていた。
あの6歳の誕生日をむかえた日までは
「まずい・・・」
・・・いま目の前にいるこいつはなんと言った?
まずい?まずいとか言ったのか?
私の住んでる村には昔からの伝統の儀式がある。
それは子どもが6歳を迎えた時に村で年に数個しか採れない特別なリンゴを食べるという内容自体はとても簡単な儀式だった。
だがこの儀式を侮るなかれ。
この通称『知恵の儀式』は本人の素質を伸ばしやすくするというありがたい効果がある。
もちろん伸びやすくなるというだけで本人が努力しなければ意味はないのだけれども。
しかしそれでもこの儀式が子供たちの憧れの対象になるのは当然のことで、実際に私も憧れていた儀式だった。
「まず過ぎ、ありえない」
「ま、ま・・・!!」
「こんなの食べたら絶対に腹壊す、ほんと有り得ない」
奴はそう言うなり手に持っていたリンゴを近くの池に投げ捨てた。
投げ捨てられたリンゴはあっという間に水の底に沈んでいってしまった。
ほんと有り得ないわ。
「なんで、捨てたの・・・?」
「そんなのまずいからに決まってるだろ」
「ま、まずいって・・・!」
「良かったな、あんなまずいもの食わされる前に捨ててもらえて」
俺に感謝しろよと言って笑いながら去ろうとする奴の背中を見ると心臓が熱くなるような、変な脈を打ち始めた。
良かったな?
ずっと楽しみにしていた知恵の儀式を台無しにされた挙句、目の前でリンゴを捨てられたのに?
感謝しろ?
なんであいつなんかに感謝しなきゃならないの?
先ほどまでは私の儀式を見守ろうとしていた大人たちはもちろん大騒ぎだった。
だれど聞こえなかった。
心臓が打つ脈は熱いのに頭と手足は冷えきっていた。
大人たちの声や周りの騒ぎは遠い遠いところの出来事。
あぁ、私、怒ってるんだ。
自覚した途端、急に肩から力が抜けた。
そうか、怒っているんだ。
「ふ・・・」
「大丈夫!?いますぐ村長と相談してなんとかするからね!!」
「ふ、ふふっ・・・」
「・・・・・ヘクト?」
様子がおかしいのに気がついたのか母さんは私の名を呼びながら顔を覗きこんだ。
「ザクセン・アイルハンデン」
私が名を呟いたのが聞こえたかのように奴はこちらの方を見た。
そして私の怒りの表情に気がついたのか奴は緩く淡く微笑んだ。
先ほど自分が受けた仕打ちのことを一瞬忘れてしまいそうな笑みを浮かべる奴は世間一般的にいうと美人だとは思う。
私自身、前日までは隣の家の6つ年上の優しい綺麗なお兄ちゃんと思っていたぐらいだ。
あぁ、しかし現実は残酷かな。
優しい綺麗なお兄ちゃんは今まで私に良い顔を見せていただけのようだ。
ほら周りを見て見ると大人たちはどこか『またか』と言わんばかりの表情を浮かべているではありませんか。
天使の顔をした悪魔ってわけか、そうですか。
「呼んだ?」
なぜ奴はあんなにも満足げな表情を浮かべているのだろうか。
あぁ、いますぐに奴のその満足げな表情を歪ませてやりたい。
「ザクセン・アイルハイデン」
「そんなに呼ばなくても聞こえてる」
「・・・・・」
「怒ってる?」
奴はどこか嬉しそうに聞く。
意味が分からない。
「あんたなんか嫌い」
「うん」
「私は今日のことを絶対許さない」
「うん」
「恨んでやる」
「うん・・・ん?」
「一生恨んでやる」
「・・・え?」
「死ねばいい、ひっそりと誰にも看取られることなく死ねばいい」
「え、ちょっと待―――――」
「絶対に復讐してやるよ」
奴が引きつった表情を浮かべているのとは反対にきっと私は凄絶な笑みを浮かべているんだろうな