三十件もの婚約破談を予言した皇女様。次の婚約破談は私!?
「ほ、本日のような良い日に、素晴らしき夜会で立ち会えましたこと、あ、ありがとうございます」
今日、何度目になるか分からない挨拶の練習を、私はブツブツと小声で繰り返していた。
これだけ練習をしたのだから、今度こそ大丈夫だ。
フェルグ帝国が主催する、城の大広場で催された華やかな野外パーティー。
その隅っこから居並ぶ各国の若い王族を含める貴族たちを横目に、私は他国の貴族に話しかけるための予行演習に勤しんでいた。
私はまだ、他国の貴族の誰ともまともに会話すらできていない。
どうにかして誰かと話をしたいのだ。
そうこうしているうちに、オマフ国のオアス王子が私の前を通りかかった。
行くしかない。
私は意を決して王子に声をかけた。
私はベリアル国のシモーヌ第一王女だ。
別にオマフ国の王子に声をかけたって、何も不自然なことなどないはずだ、と信じたい。
「ほ、本日のような良い日に、す、素晴らしき夜会で立ち会えましたこと、あ、ありがとうございます」
「え? ああ、はい」
オアス王子は戸惑ったような返事を残すと、蜘蛛の子を散らすように去って行った。
その王子が去り際に向けた目には、差別の色が浮かんでいたような気がする。
正確に言えば、私の顔そのものというより、その上に被っている異形の仮面を見てのことだろう。
やはり、ベリアルが魔物の国であり、私がその魔物の姫であることがいけないのだろうか。
我が国ベリアルが人間のフェルグ帝国の傘下に入ってもう十八年がたつ。
いや、まだ十八年しかたっていないと言うべきか。
いまだに魔物の姫たる私は、人間の間では奇異の目でしか見られない。
フェルグ帝国には十三の国が傘下にあるが、人間の国が十二か国であるのに対し、魔物の国はたったの一つしかないのだ。
人間対魔王軍の戦争は十八年前に大きな区切りを迎えたが、いまなお小さな戦いは燻り続けている。
人間が魔物に抱く恐怖や差別が消えないのも、仕方のないことなのかもしれない。
前は挨拶の仕方が悪かったからだと思い込み、今回はこうして何度も練習を重ねてきたというのに、人間の反応は微塵も変わらなかった。
帝国は建前ばかりの『差別禁止令』なる布告を出してはいるが、まあ、期待された実効性など皆無に等しかったようだ。
本来ならば、絶対的支配者を気取る帝国がその責務としてしかるべき差別対策を講じるべきなのだろう。
だが、それに期待を寄せるだけ時間と労力の無駄というものだ。
世の中、そう都合よくできてはいない。
私はもう十七歳になる。
世間では立派な結婚適齢期だというのに、男性から全く相手にされない状態で、果たして無事に結婚などできるのだろうか。
このままでは確実に売れ残りになってしまう。
その前になんとか人間の貴族と結婚をしたい。
愛に満ちた夢のように幸せな家庭なんて贅沢は言わない。
私を心から愛してくれる人間の貴族男性など現れないと分かっているから、少し、いや多くの浮気にも目をつぶる。
それでも少しの幸福を感じられる結婚生活がしたいのだ。
だが、結婚以前に、まともに会話すら交わせない現実を思えば、将来の不安で頭が痛くなってくる。
私は異形の仮面の下で、深いため息を一つ吐き出した。
「オマフ国のオアス王子! マリン国の王女との婚約を破棄にする!」
突如として会場に響き渡ったのは、フェルグ帝国のエディス第一皇女による高らかな宣言だった。
「そんな! 勝手に私の婚約を破棄しないでいただきたい! 私たちの婚約は上手くいっていたというのに!」
「いいや、オマフ国の王子。上手くいってなどいないわ!」
「なぜそんなことがあなたに言えるのですか!?」
「私にはそれが『分かる』からだ!」
「なっ……! こんな意味の分からない発言は聞いたことがない。そうでしょう、みなさん!」
オアス王子が気色ばんで周囲の若い貴族たちに同意を求めたが、奇妙なことに、誰一人として彼に同調する者はいなかった。
「ど、どういうことだ……なぜ誰にも分からない?」
「それは、分かっていないのがあなただけだからだわ!」
「なんですと?」
「私は帝国の皇女として生まれてから、毎日のように各国の貴族と会ってきた。すると貴族が何を望み、何を嫌い、何を考えているのか、その人物の本質が手に取るように分かるようになったのよ。おまけに三年前からは、貴族同士の相性まで見通せるようになった」
「三年前から……?」
言葉の意味を測りかねて硬直するオアス王子の隣で、騒ぎを聞きつけて駆けつけた婚約者・マリン国の王女が静かに口を開いた。
「エディス様の仰ることは本当ですわ。三年前、ハイト国の王子とアトラ国の王女の婚約破綻を予言され、それが半年後に現実のものとなりました。それからというもの、三十件の婚約破談を予言してすべて的中させておられるのです。帝国傘下国の若い貴族でそれらの話を知らぬ者などおりません。次に誰の婚約が破談になるのかとみんな戦々恐々としておりました」
「そんな……じゃあ、僕たちの仲も……?」
「私たちの関係が冷え切っていることなど、とっくに気付いておりましたわ。ここが潮時かもしれませんわね」
「い、いや待ってくれ! これは国と国の間の政略結婚だ! 恋愛感情だけで済むような単純な話ではないだろう! 我が国には貴国の軍事力の後ろ盾が必要なんだ!」
「私の国では、純粋に愛せない相手との結婚など認められませんの。あなたに私への愛はあるのですか?」
「……愛、か。確かに、足りなかったかもしれないな……」
オアス王子が青ざめながら自身の内面と向き合っているその背後で、パーティーのメインディッシュである「エベルコ豚の丸太焼き」が盛大に運ばれてきた。
ドングリの木で香ばしく焼き上げられたエベルコ豚は、帝国の最高級料理の一つらしい、と周囲の貴族たちが色めき立っている。
重量百キロを超える丸太焼きを、料理人のセバリックがよたよたとした足取りで運んでいた。
その光景を見た瞬間、私は度肝を抜かれた。
魔物の我が祖国ベリアルでは、お目にかかったこともない代物だ。
テーブルの上のパンフレットに手が伸びる。
『ドングリの実を与えて育てた高級ブランドであるエベルコ豚を――』
……待て、豚にブランドがあるだと?
その前に『豚』とは一体何者のことだ?
ページをめくると、料理人セバリックによる解説が記されていた。
『エベルコ豚とは、各国のイノシシの中から特に味の良いものを選んで、飼育したものであり――』
なんと、豚の正体とはイノシシのことだったのか!
ベリアル国でもイノシシはそこかしこをうろついていて、その辺で捕まえては日常的に食べている。
それをわざわざ飼育して『豚』に仕立て上げるとは、なんと斬新な発想だろう。
しかも、イノシシ自体に味の優劣というブランドがあり、さらに育てられた豚にもブランドが乗っかるという二重構造だ。
剣に例えるなら、上物の中の上物、まさに名工の逸品といったところか。
戦いに身を置く魔物の私からすれば、剣で考えると非常に分かりやすい。
だが、せっかくのエベルコ豚だというのに、今日の私は満腹になるまで食べるわけにはいかない。
剣で腹を刺された際、腸をうまく縫えなくなるからだ。
優れた戦士たるもの、戦いの前の暴食は厳禁である。
この場には各国の色んな人間が入り乱れている。
中にはどんな暗殺者が紛れ込んでいるかも分かったものではないのだから。
何も理由がなければ今日は食べない。
そんな思考を遮るように、背後でドスンと大きな音が響いた。
料理人セバリックが、なんと倒れてきた豚の丸太焼きの下敷きになっていたのだ。
百キロを超える巨木の重みに、一般の人間がどれほどの時間耐えられるというのか。
私は迷うことなく丸太の前へと疾走し、その右拳で丸太を鮮やかに真っ二つへと叩き割った。
いや、粉砕したというほうが近いかもしれない。
割れた木が左右に転がり落ち、セバリックは無事に圧死の危機から解放された。
「おい、大丈夫か、セバリック?」
「イ、イタタ……! 王女様、身体は潰れていませんが、掴まれた手が痛いです! 人間を掴むときはもっと手加減してください!」
「ん? そうなのか。馬を相手にするときはこれくらいでちょうどいいのだが」
「人間は馬よりずっとずっと弱いんですっ!」
「へえ、そうなのか。人間は馬に乗っているから、馬より強いものだと思っていたよ」
「と、とにかく命拾いしました……ありがとうございます、シモーヌ王女様。しかし……」
「どうした?」
「豚の丸太焼きが、地面に落ちてしまいまして……」
「布で包んであるんだから、直接土はついてないだろう?」
「い、いや、そういう問題ではなく、一度お客様の目に触れて地面に落ちたものを、貴族の方々にお出しするわけにはいかないのです……」
「ふむ、それはもったいないし、お前の面目がつぶれてしまうな。ならば、私が食べてやろう。今日は食べるのはやめようと思っていたがな」
「えっ、いえ、恐れ多いです!」
「大丈夫だ。子豚だから小さいし、私一人でなんとかなるだろう」
私はそう告げると、仮面を口元だけずらし、目の前の豚をバリバリと豪快に手づかみで食べ始めた。
なんだこれは!?
祖国の料理とは全く違うベクトルで、とてつもなく美味いぞ!
王族ゆえに我が国でも色々と食ってきたが、それらとは根本的に次元が違う。
馬や牛より深い旨味を秘め、イノシシに似つつも幾重にも磨き上げられた味わいだ。
一口噛みしめるたび、旨味の奥からさらなる旨味が押し寄せてくる。
幾重にも重なる、とんでもない美味だ。
ただ、歯ごたえがやけにしっかりしている。
子豚とはこんなにも固いものなのだろうか。
「あの、シモーヌ王女様……? 豚と一緒に、焼き目のついた『丸太』まで噛み砕いておられませんか?」
「ん、そうなのか? 美味しかったから気づかなかったが、確かになぜか固いとは思ってたところだ」
「い、胃や腸のほうは本当に大丈夫でございますか……?」
「別に何ともないが?」
「そ、そうですか……それは、なんとも……」
その光景を目の当たりにした各国の貴族たちは、セバリック以上に言葉を失い、恐怖に満ちた表情を浮かべていた。
「いま見た……? あの魔物の王女、木を食べてなかった……?」
「うそ、気味が悪すぎるわ……」
「なんだあの化け物じみた怪力は……」
「野蛮、という言葉ですら生ぬるいぞ」
「しかも、まるで平気だぞ? 野蛮でも普通食べられないだろ。野蛮とかいう種類とも異なる」
「やっぱり、魔物は我々人間とは根本から違うんだ……!」
そのざわめきを聞きながら、オアス王子は三年前からの皇帝代理・エディス皇女の変貌を思い返していた。
かつては学園随一の怪力として、帝国の力による支配を学園でも体現していた彼女が、皇帝の病をきっかけに知力を重んじる支配者へとシフトしたこと。
「オアス王子、軍事的な後ろ盾が欲しいと言っていたな」と、エディス皇女が冷徹な笑みを浮かべて切り出した。
「は、はい……」
「ならば良い提案をしてやろう。我が帝国の軍隊を、オマフ国に駐留させてやろうではないか」
オアス王子はその言葉の真意を測りかねて、硬直したようだった。
いや、真意に気付いてしまったからこそ、首を縦に振ることができなかったのかもしれない。
ここで帝国軍を受け入れたとして、本当に国は安泰となるだろうか?
答えは否だ。
いつか帝国が適当な口実をこじつけ、オマフ国を内側から侵略するための布石にされるに決まっている。
一度駐留を許してしまえば、反乱など容易く、オマフ国はひとたまりもない。
エディス皇女の腹の底にある野望など、恐ろしくて推し量れたものではないのだ。
「え、遠慮いたします……」
「ふむ、そうか」
皇女はオアス王子の考えを読んだのか、不敵に笑ってグラスの酒を飲んだ。
「まあ今日はパーティーだ。ワインでも飲んで楽しめ。飲んだか?」
「いえ、まだです」
「心配せずとも、毒見してあるぞ? それに……」
「私くらいは殺そうと思えばいつでも殺せるから毒殺などする必要がない、ですか?」
「そこまでは言っておらぬ。それでなぜ飲まぬ?」
「実は酒はどの酒を飲めば良いのか区別がつかなくて……」
「ああ、酒はマリン国の酒が一番良いぞ。今日、飲んでいけ」
「へえ、マリン国の酒が一番なのですか?」
「うむ、マリンでは寒暖の差が大きくてな。素晴らしく良質なブドウが育つんだ」
「そうなのですか……良い国ですね」
そう言うとオアス王子は遠くにいるマリン国の王女を見つめた。
エディス皇女はその様子を眺めると、飲みかけのグラスをテーブルに置いた。
「まあ今回の婚約破談は災難だったな。見舞金をやろう」
エディス皇女がそう言って、婚約破談の慰謝料として法外な高値を提示し、場を収めようとした。
それはオアス王子にはありがたい金額だったようだ。
そして、エディス皇女は矢継ぎ早にこう告げたのだ。
「それからオアス王子。ベリアル国のシモーヌ第一王女と婚約するが良い」
「……シモーヌ王女、ですか?」
「そうだ。ベリアルの軍事力はマリン国を凌駕し、帝国最強との噂すらある。ベリアルの実態は不明なところも多いが弱いはずはない。お前の後ろ盾にはこれ以上なくふさわしいはずだ」
「しかし、あちらは魔物の国では……?」
「何をいまさら。だから強いのだろう。それが何か問題あるのか? 魔物への差別は公的に禁止されているだろうが」
オアス王子は黙り込んで何かを考えているようだ。
「問題が二つあります。もっとたくさんの問題があるような気もするけど、ぱっと思いつくのは二つです。もしベリアル国が我が国に侵略戦争を起こしたとしたら、フェルグ帝国は我が国を守ってくれますか?」
「ああ、たぶん守ってやるんじゃないかな。仮定の問題には答えないというのが公式スタンスだが」
「たぶんって心もとないですね」
「まあ、帝国の身にもなってみろ。ベリアル国が再び人間の敵となったらそっちのほうが一大事だし、そのときの戦争の状況にもよる。オマフ国が優勢や互角だというなら加勢してやりやすいが、もうすでにオマフ国が侵略完了されて王族も全員死亡してるとかなったら、戦争する意欲もなくなるだろ。守るべき相手がすでに死んでるわけだし」
「納得いかないですね」
「まずベリアル国を信用してみろ。もう十八年も人間の国を襲ってないじゃないか」
「それはそうですが、どこの王族もベリアル国と婚姻関係を結んでないじゃないですか」
それについてはエディス皇女は黙っていた。
「エディス皇女、まだ二つ目について言ってませんが」
「そういや、何かごちゃごちゃ言ってたな。言ってみろ」
「ベリアル国のシモーヌ王女は賛成してるんですか? 反対されているなら、この話は前に進みようがないです」
「本人に聞いてみるがいいさ。シモーヌ王女!」
突然名を呼ばれて、私は飛び上がった。
他国の貴族から話しかけられたことすらない私が、まさか皇帝代理から直接指名されるとは。
距離がかなり離れていたが、私は地面を思い切り強く蹴り上げ、遥か高くまで夜空を切り裂き跳躍すると、エディス皇女の目の前へとダイナミックに着地した。
ドカッ、と。
「ほ、本日のような素晴らしい夜会にお招きいただきまして、誠にありがとうございます!」
「……おい、着地の際に顔面から直接地面に激突していたが、本当に大丈夫なのか?」
「あ、はい! ちょっと着地の距離感を誤りましたが、身体は丈夫にできておりますので問題ありません!」
「魔物とは運動的勘も頭脳的勘も外れがないものではないのか?」
「い、いや、たまには外れます」
顔面が地面に激突したのは一瞬の出来事だったが、しっかり見られていたらしい。
恥ずかしさのあまり、仮面の上からそっと顔を撫でた。
嬉しさのあまり張り切りすぎてしまった自分の運動神経を呪いたい。
「パーティーを楽しんでおるか? 何か食ったか?」
「子豚を食べました。非常に美味でございました。祖国にはあのような見事な料理はございません」
「そうか、せっかくだからワインも飲め。お前の国にはあまり種類がないだろう?」
「いえ、私は酒を飲みません」
「ほう、なぜ酒を飲まない?」
「戦士たるもの、いつでも戦いに臨めるようにするためです」
「王族とは思えない発言だな。王族は頭も使えねば務まらないぞ」
「それは将来、夫になる予定の人間の貴族にやってもらいたいと思います。人間は力は弱いけど知恵がありますので」
「しかし、戦士でも少しくらい酒を飲んでもいいだろう?」
「いえ、少しでも酔っぱらってしまいます。酔った魔物などたやすく倒されて誰も怖がりません。それでは戦士として困るのです、私は優れた戦士ですので。クックック」
「いや、怖がられるようだと誰とも婚約できないぞ? 男は酔った女に弱いんだ。女の中には酔ってなくても、酔ったフリをして男を仕留める奴も多いんだぞ?」
「……………………なるほど! 早速、酒をガブ飲みして参ります!」
「待て! ガブ飲みはいかん。それも普通の男にはモテない。モテるとしたらアル中の男にだけになる。他には酒屋の男くらいだな。賞味期限切れの売れ残りがさばけるからな」
「そ、そうですか。難しいのですね……」
「そんなに難しくもないが……」
「人間、面倒くさい」
私はボソリと独り言を言ったが、これは失言だったようだ。
「ん? 小さくてよく聞こえなかったが、『ニンジン、雌鶏、臭い』と言ったか?」
「いえ、『ニシン、芽キャベツ、ください』と言いました」
「そんなものが欲しいのか。分かった。後でやろう」
「はっ! ありがたき幸せ!」
失言をしてあせったが、結果としてなんとか話をごまかすことに成功した。
私だってたまには頭を使えるのだ、ちょっと強引だったけど。
「ところでお前、愛がなければ結婚しないとかふぬけたことを言うほうか?」
「いえ、そんなのは絵本の中だけに存在するものと思っております」
「そうか、良い心がけだな、王族の結婚に愛などいらぬのだ。ところでシモーヌ王女。こちらのオアス王子との婚約、受ける気はあるか?」
「はい! 喜んで婚約をしまくります!」
「いや、婚約はしまくったりできる性質のものではない。婚約は一個しかないからな」
「では、婚約を叩いて二個に増やし、二回連続して婚約します!」
「お前、頭、大丈夫か? 歌のようにビスケットを叩いても二個にはならぬ。実際には半分に割れるだけだ。……それで、帝国とその傘下の国々の婚姻では、国王よりも次期国王である王子や王女の意思を最優先するが、ベリアル国ではどうなのだ?」
「我が国でも私の意思が最優先されますし、父王からもすべて一任されております」
「それは婚姻以外の重要事項でもそうか?」
「はい、同じでございます」
「オアス王子、シモーヌ王女はこう言っているぞ。どうだ?」
「問題が二つあります」
「いつも文句の多い男だな……」
「すみません。シモーヌ王女は常に仮面を被っておられ、僕はいまだにその素顔を見たことがありません。顔も知らない相手といきなり婚約などできません」
「貴族の政略結婚などそんなものだろう。生まれる前の約束だってある。不満なら後から婚約を破棄すればいいだけの話だ。それになんだ、素顔を見ずに婚約しておけば、後々愛人を作ったときに『本当の顔を知らずに結婚させられたから~』と言い訳できて都合が良いのではないか?」
「僕は愛人など作りませんので、その心配は無用です」
「ほう、貴族にしては立派な口を叩く。十年後もその台詞を覚えているものやらな」
「十年どころか、百年たっても大丈夫です!」
「なんだか頑丈なイナ〇物置みたいなセリフだな」
「何ですか、それ?」
「後で、大工の親父にでも聞いておけ」
「はい、分かりました。おい、セバリック、知っているか?」
「はい、オアス王子。昔、流行った頑丈さを売りにした物置の広告に似たものがありました」
「おい、後でと言っただろう。それにそいつは料理人であって大工ではない。どこをどう見たら大工に見えるんだ?」
「し、失礼しました、大工ではなく料理人でした……!」
なぜかセバリックが平謝りしながらそそくさと去っていく。
「一体何でセバリックが謝るんだ?」
「さあ? 分かりません」
「……まあいい。シモーヌ王女、そもそも何故その異形の仮面など被っているのだ?」
「あー、これは昔からの我が国のしきたりでして……詳しい理由は、被っている本人である私もよく分かっていないのです。この決まりができた理由は色々とあったみたいなのですが」
「なら、その仮面を取ったらどうだ? その不気味な仮面はさすがに威圧感がありすぎる」
「い、いやそういうわけには……。たとえば仮面を取った状態で婚約して魔物だと気づかなくて、結婚したあとに魔物だと分かると文句を言われるじゃないですか」
「いや、魔物なのだから一目見れば分かるだろうが」
「普通はそうなのですが、世の中そうではないこともあるようで……」
「いいから取れ」
その皇女の強引な一言の最中だった。
ピシッ、と不吉な音が響いた。
先ほど丸太を割ったときの衝撃か、あるいは地面に激突したときのダメージか。
仮面の中央に走っていた微細な亀裂が限界を迎え、左右にぱっくりと割れて、地面へと音を立てて落ちたのだ。
しまった……!
私の素顔に、会場にいたすべての貴族たちの視線が一斉に集まった。
魔物の素顔など見られれば、人間たちに石を投げられ、気味悪がられると教えられてきたのに。
もう取り返しのつかない失態を犯してしまった。
私は恐る恐る、周囲の反応を窺った。
「これは……」
「なんと表現すべきか……」
「これが本当に、あの魔物なのか……?」
「う、美しい……」
「これほど完璧な美貌など、生涯で一度たりとも見たことがない……」
「おかしいぞ……僕の胸が、狂おしく高鳴っている……!」
驚いたことに、周囲の若い貴族たちの顔は一様に紅潮し、うっとりと蕩けた目で私を見つめていた。
どういうことだ?
聞いていた話では『まあ、みなさん、ご覧になりましたこと? 何と醜い顔ですの! アハハハ!』とか『薄汚い顔を仮面で隠せ、この魔物め! 近づくな!』とか罵倒されるはずだったのに。
現実は全く違うではないか。
気がつけば、何人もの男爵子息たちが私に向かって殺到していた。
「男爵家の次男ですが、僕と婚約してください!」
「いや、私こそは男爵家の長男です! どうか我が妻に!」
「三男ですが、僕もいまから声をおかけしたい! 結婚を前提に付き合って欲しいです!」
なぜか圧倒的に男爵からの人気が高かった。
私は男爵イモハンターでもやっているのだろうか。
第一王女としての贅沢を言えば、もう少し家柄の釣り合いの取れた相手が良いのだが……。
さっきまでの『誰にも相手にされない絶望』に比べれば、贅沢すぎる悩みというほかないが。
「私はマリン国の王女ですわ! 私とお引き合わせを!」
「えっと、貴女は女性ではありませんか?」
「だから何ですの! そんな些細な障害、愛の力で乗り越えてみせますわ!」
「いや、法律で同性婚は認められていないのでは……?」
「何年か経てば法律なんて変わりますわよ! だからいまのうちに婚約を!」
「何年後ですか、それ?」
「たぶん、五百年後くらいかしら?」
「すでに死んでおります!」
「愛があれば死後も魂で結ばれますわ!」
熱意は凄まじいし愛もあるのだろうが、法的な欠陥が致命的すぎた。
さっきまでを思えば、やはり恵まれた悩みだろうけど。
「僕はオマフ国のオアス王子です。……僕と、婚約してください」
「……お名前は存じてますが、あなたに愛はあるのでしょうか?」
「さっきは愛なんて関係なく婚約してくれるみたいに言っていたじゃないですか……」
「いままでは、私の人生に愛なんて縁がないと諦めていました。愛されるなんて吟遊詩人の歌の中とかだけである話で、私は一生誰からも愛されないのだと……。結婚してもらえるなら、多少浮気をされようが、愛人を何人作られようが、無言で耐え抜くのが魔物の王女の生き方なのだと割り切っていたのです。でも、そんなのは嫌だった。私、本当は愛が欲しかったんです。そんなわがままは、許されないのでしょうか?」
その切実な吐露に、先ほどまでやかましかった会場が水を打ったように静まり返った。
気づけば、オアス王子の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちていた。
「僕があなたを傷つけるなど、これからの人生で絶対にありえない。僕はいまこの瞬間から死ぬまで、あなた一人だけを愛し続けます」
その言葉を聞いた瞬間、私の目からも熱いものがこぼれ落ちた。
頬をツゥーっとつたった涙がポタリと地面に落ちる。
それを合図にしたかのように、会場の片隅から小さな拍手が沸き起こり、やがてそれは割れんばかりの大歓声と喝采へと変わっていった。
「オアス王子、見直したぞ!」
「シモーヌ王女、おめでとう!」
「かっこいいぞ、オアス王子! これから頑張れ!」
「こうなったら王子、私と婚約を――」
「何でだ? いま感動的な婚約をしたばっかりだろ!」
私は魔物の国ベリアルの王女として、初めて人間の国オマフの王子と、国境と種族の垣根を越えて婚約を果たすことになったのだった。
「――気に入らぬな」
その心温まる幸福の絶頂に、冷水を浴びせかけたのは他でもない、エディス第一皇女だった。
「ベリアルの王女とオマフ国の王子よ。そなたたちのその馴れ合いの婚約、いまこの場で破談とする」
「……は? 僕の婚約をですか? 冗談でしょう……」
「冗談に聞こえるか? 破棄だ。その代わり、お前は私と婚約だ。オマフ国にはこれ以上ない後ろ盾となろう。異存はないな?」
「……」
「『異存はないな?』と聞いておるのだ、返事をしろ! これからは夫として、私に仕えろ! お前もこの上なく嬉しいだろう!」
「……これまで僕は、フェルグ帝国の傘下の臣下として、あらゆる理不尽な命令にも従ってきたつもりです」
「それがどうした? 当たり前のことだろう」
「ですが、これだけは譲れません。愛は何よりも大事なのです」
「ふざけたことを……愛などという不確かなもので結婚など認めぬ。言うことを聞かなければ、いますぐお前の国を帝国の傘下から叩き出すぞ。それでもいいのか?」
「……分かりました。もしここでシモーヌ王女との愛を諦め、数年後にオマフ国王としていかに栄華を極めようとも、そんな人生には虚しさしか残らない。我がオマフ国は、帝国の傘下から離れ、ベリアル国の庇護に入ります!」
「なっ……! 相手は魔物の国だぞ、正気か貴様!」
「はい、正気です。これ以上ないほどに」
「ふん、傘下から外れたら帝国による侵略の対象国になる。せいぜい注意することだな」
その威圧的な脅しに、オアス王子は細かく身体を震わせたように見える。
「どうした? 恐怖で震えておるではないか! アハハハ!」
「いいえ、これは恐怖の震えなどではありません。シモーヌ王女と真実の愛で結ばれた喜びによる、愛の脈動なのです!」
その清々しい宣言に、周囲の貴族たちが息を呑む。
そして、一人の王女が静かに一歩を踏み出した。
「我がマリン国も、帝国の傘下を脱し、ベリアル国の傘下に入りますわ。愛を否定する冷酷な帝国の下に、私たちの未来などありません」
「我がハイト国も、ベリアルに従います!」
「アトラ国も同様に!」
なだれを打つような帝国からの離脱宣言。瞬く間に、十三あった傘下の国々のうち五国が、ベリアル側へと名乗りを上げた。
「お前たち……! 後悔しても知らんぞ! 数で劣る少数派の末路がどれほど惨めか、すぐに思い知らせてやる!」
ハイト国の王子が静かに、しかし毅然と言い放った。
「後悔なら、とうにしております。エディス皇女の予言に従って、愛する人との婚約を自ら引き裂いたあの日のことを、毎日呪い続けていましたからね」
「私もです。本当は逆らいたくとも、帝国という巨大な暴力の前には誰も声を上げられなかった……。ですが、いまこうして同志が蜂起したのなら、私たちが怯える必要はもうありません!」
エディス第一皇女の顔が、怒りと動揺で激しく引きつった。
「なぜ分からない……! 愛など一時の迷いに過ぎないのだ! 帝国に従う方がよほど身のためだというのに! 別れたほうが身のためなのだ!」
彼女が苛立ちに任せて手元のテーブルを激しく叩きつけた。
バキャと音を立てて木製のテーブルが真っ二つに割れ、その破片の一つが鋭く跳ね上がって、エディス皇女の額を直撃した。
プツリと皮膚が裂け、そこから鮮血が流れる。
その瞬間、会場の空気が凍りついた。
一度目のどよめきは、気高い皇女が出血したことに対して。
二度目の、そして最大のどよめきは、その流れ出た「血の色」が、人間のものではない、透き通った『青色』だったことに対してだった。
「……魔物、だぞ?」
「皇女殿下が……魔物だったのか……?」
「フェルグ帝国の頂点に立つ者が、よりによって魔物の血を引いていたなんて……」
皇女は額に触れ、自身の指先についた青い血を見つめた。
周囲の人間よりもわずかに遅れて、自分が何を露呈したのかを理解したらしい。
「ち、違う……! 私は魔物などではない! 人間だ、れっきとした人間だ!」
必死の叫び声むなしく、誰一人としてそれに返事をする者はいなかった。
「そこのお前、私がどれだけの金を与えてやったと思っている! こっちのお前には役職を、あっちのお前には屋敷をやってやったではないか!」
しかし、かつて平伏していた者たちは冷ややかな目で彼女を見つめるだけで、誰も口を開かない。
「この薄情者どもが! 私が施してやった恩を、こうも簡単に忘れおって!」
その絶叫は、広い大広場に虚しく響き渡るだけだった。
十三もの国々を恐怖と利益で従えてきた帝国の最大の栄華は、この夜会の崩壊とともに、音を立ててついえたのである。
それから一か月が経過した。
帝国の求心力の低下は止まらず、離脱国は最終的に九か国にまで膨れ上がり、かつての覇権国は多数派から完全に少数派へと転落していた。
「これで本当に良かったのでしょうか、オアス王子?」
「フェルグ帝国が形勢挽回のための報復戦争を仕掛けてくるのではないかという噂が、まだ心配ですか、シモーヌ王女?」
「はい」
何かと差別意識の高かった帝国から抜け出し、気の合う者同士で『仲良しグループ』を結成できたところまでは良かった。
だが、それが原因で帝国にひとひねりで踏み潰されては元も子もないのだ。
政治というものは、好き嫌いの感情論だけで回せるほど甘くはない。
目の前に立ちふさがる現実的な脅威に対しては、常に万全の対策を講じておく必要がある。
「ここしばらく帝国の分析を続けてきましたが、国の数ですでに倍以上の差がついたいま、帝国が無謀な賭けに出る可能性はほぼゼロに近いと言っていいでしょう。仮に無理やり仕掛けてきたとしても、敗北する方向へと近づきます」
「それでも、突発的な狂気に走られたらどうなります?」
「帝国側からすれば、一か国でも奪還できれば大したものですが、失敗すれば国家そのものが滅びます。そんなリスクが高い戦争を、いまの落ち目のエディスに決断できるはずがありません」
「エディス皇女って、どちらかといえば合理的というよりもリスク選好型に見えましたが……」
「それに、彼女には我々にかまけている暇などないはずです。なにせ、帝国にとっての最大の脅威は、いまも国境の向こうに控えているのですから」
「我々以上の人間の国は、そうそう探してもありませんが……」
「いや、あります。魔王軍です」
「あー、確かに……」
「十三か国すべてを従えていた全盛期でさえ、帝国と魔王軍の戦力はほぼ互角だった。それが四か国にまで減ったいま、防衛戦ですら苦戦は必至でしょう。今後どうやって魔王軍の侵攻を防ぐか、いまのエディス皇女はそれだけで頭がいっぱいのはずですよ」
オアス王子が遠い地平線を見据える。
私はその隣に歩み寄り、ふと疑問を口にした。
「ところでオアス王子。日頃、あなたの頭の中を占めているのは何なのですか?」
「最近はフェルグ帝国の動向分析ばかりでしたね」
「私のことは考えてないのですね」
「はい、すみません」
「前から少し気になっていたのですが……」
私はあえて彼から視線をそらしてみせた。
「オアス王子はたった一日で私との婚約を決めました。というよりも、たった一時間です。その一時間にはマリン国の王女との破談も含まれていて、あのときは極限状態にあって冷静な判断などできていなかったはずです。そうでしょう?」
「……そうかもしれません」
「本当は私のこと、そんなに好きではないのではないですか? あれは一時の気の迷い、勢いでしてしまった婚約だったのではないですか? このような婚約は破棄したほうが良いのでは?」
オアス王子は私を見つめる。
「すみません、確かに勢いでやったことです」
「じゃあ、婚約破棄をいたしましょう。やっぱりいまは好きではな――」
「けれども、いまも好きです! 確かに仕事の最中は帝国の脅威ばかり考えていたのも事実です。だが!」
王子は私の両手をしっかりと包み込んだ。
「仕事以外の時間、私の脳内を埋め尽くしているのは、あなたのことだけだ! 私は、あなたという一人の女性を、心底愛している! あなたが婚約を破棄するというなら、二回目の婚約をするまでです!」
その真摯な瞳の奥に宿る澄んだ青い光には、偽りのない熱情が満ちていた。
私は彼の真っ直ぐな眼差しを真っ向から見つめ返し、小さく微笑んだ。
「私も、あなたを愛しています、オアス王子」
魔物と人間。
その間に横たわる歴史や偏見の壁を思えば、これからの道のりが平坦でないことは分かりきっている。
王族の前例がないだけに、不安が消えるわけではない。
もしかしたら、すぐに破局を迎えるかもしれない。
いや、完全に前例がないわけでもないか。
エディス皇女は魔物と人間のハーフだったし、かつてのフェルグ皇帝もまた魔物と愛し合っていたのだろう。
暗い歴史のトンネルの先には、かすかに明るい光も差しているのだ。
オアス王子の顔がゆっくりと近づいてくる。
私たちはそっと唇を重ね合わせた。
前途多難な未来が待ち受けていようとも、この人と一緒ならば、きっと乗り越えていける。
仮面を失った素顔のまま、私は確かな温もりの中でそう実感していた。
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