「見られている」
アルグリフの突進を横に転がって回避した。
地面が砕ける衝撃。結晶の破片が宙を舞う。四足獣の質量がそのまま攻撃になる。直撃すれば即死だが、予備動作は大きい。【見聞録】が読み取った限りでは、突進後に二秒の硬直がある。
その二秒で三連斬。
6,200──6,200──6,200。
通る。だがHPの削れ幅は小さい。レイドボスほどではないが、さすがにエリアボスのHP総量は多い。長期戦になる。
問題は【駆け出しの霊薬】の在庫だった。持続三十秒の消耗品で、効果が切れればATKが半減する。手持ちは残り七本。
……計算する。
現在のDPSで削り切るのに必要な時間。霊薬の効果時間と在庫。回避に専念する時間を差し引いて──ギリギリだ。一本も無駄にできない。
アルグリフが翼を広げた。【見聞録】に新しい情報が追加される。
【新規パターン検出:翼撃(範囲攻撃・風属性)】
だがダメージ範囲の詳細が表示されない。「???」のままだ。初見の攻撃は一度食らうか回避するかして、パターンを学習させる必要がある。
食らう選択肢はない。Lv1のHPでは、かすっただけで即死だ。
──勘で行く。
翼が振り下ろされた。風の刃が扇状に広がる──範囲を目視で見切り、扇の軸線、つまりアルグリフの真正面に飛び込んだ。
風が左右を薙ぎ、背後の結晶壁を切り裂く。だがアルグリフの真下──翼の付け根の直下だけは、死角になっていた。
読み通り。
【見聞録】が学習した。翼撃の範囲、ダメージ倍率、発動間隔がすべて可視化される。次からは完全に対応できる。
三連斬をねじ込む。弱点の腹部を狙い、6,800のクリティカルが三連で刻まれる。
こうして一つずつ、灰色だった情報を塗り替えていく。
冬夜は知らなかった。
この戦闘を──見ている者がいることを。
◇
ミコトは自室でモニターを二枚並べていた。
一枚はBCOのゲーム画面。もう一枚はSNSと公式フォーラムのタブが十個開いている。
昨夜のレイド配信のアーカイブは、再生数が350万を突破していた。ミコトのチャンネル史上、ぶっちぎりの最高記録。コメント数も尋常ではない。
その九割が「トワ」に関するものだった。
「……この人、今どこにいるんだろ」
ミコトはBCOにログインし、フレンドリストを確認した──が、もちろんトワのフレンド登録はしていない。昨日のレイドで申請を送ったが、返答はなかった。
公式フォーラムを巡回する。「トワ目撃情報」というスレッドが立っていた。
──「竜墓の広場にログインしたのを見た。煙幕で消えた」
──「森の方に走っていくのを目撃」
──「終夜の回廊に入ったっぽい。入口で足跡が途切れてた」
──「ソロで終夜の回廊? 推奨85のエリアをLv1で?」
──「このゲームの常識、もう通用しないんだよなあの人には」
ミコトは椅子の上で膝を抱えた。
配信者としての嗅覚が告げている。トワはコンテンツの塊だ。あの無口さ、あの立ち回り、あのログアウト前の一言──視聴者が求める「本物」がそこにある。
追いかけたい。取材したい。できれば一緒にプレイしたい。
だが、相手は煙幕で逃げるタイプだ。押せば引くのは目に見えている。
ミコトは少し考えてから、トワ宛にダイレクトメッセージを一通だけ送った。
「レイドの配信を見てくれてありがとうございました。──ではなく、見させてもらったのはこちらなので、ありがとうございました。無理にお返事しなくて大丈夫です。ミコト」
返事は期待していなかった。ただ、四百通のメッセージの中に一通くらい、圧をかけないものがあってもいいと思った。
◇
トワはアルグリフのHPを三割まで削っていた。
霊薬の残りは二本。全攻撃パターンの学習は完了し、回避率は百パーセントを維持している。だが火力が足りない。あと二本分の霊薬──六十秒の攻撃時間で三割を削り切れるか。
計算上は、わずかに足りない。
──なら、別の手を使う。
アイテムストレージを開いた。旅の途中で拾い集めた雑多なアイテムが並んでいる。その中から一つ、ほとんどのプレイヤーが存在すら知らないアイテムを取り出した。
アイテム名:【旅人の手記】
種別:旅人専用消耗品。
公式説明文:旅の思い出を、力に変える。
効果:現在地に「しおり」を設置し、以降そのエリアでの全ステータスが微量上昇する。効果は永続。重ねがけ可能。
入手方法:各地のフィールドに点在する「旅人の石碑」から回収(旅人のみ石碑が見える)。
本来は低レベル帯のフィールドで使い、初心者が少しだけ楽になるためのアイテムだ。上昇量は一個あたりATK+0.5%。微々たるもの。転職すれば使えなくなるし、わざわざ石碑を探して回る物好きもいない。
冬夜はこれを、二年間の旅の中で──四百個以上回収していた。旅人にしか見えない石碑を、全マップを歩く過程で一つ残らず拾い集めていたのだ。
ただし効果があるのは過去に「しおり」を設置したエリアのみ。初めて来た終夜の回廊では効果は乗らない。
だから、ここで使う。今この場で「しおり」を設置すれば、終夜の回廊にも効果が乗る。
【旅人の手記】を開いた。しおりが設置される。微量のステータス上昇──ATK+0.5%。
たった0.5%。だが、ここで先ほど説明した【道具通】が効いてくる。消耗品の効果を二倍にするスキル。
ATK+0.5%が、ATK+1%に。
さらに、【初心の心得】のCT短縮。Lv1であるトワは、【旅人の手記】の使用間隔すらゼロになる。つまり──連打できる。
二個目。ATK+2%。三個目。ATK+3%。
連打した。
霊薬の効果時間が切れるまでに、手記を十二個重ねた。ATK+12%。
──これで足りる。
最後の霊薬を飲んだ。三十秒。勝負をかける。
アルグリフが最後の大技を放つ。全身を回転させる尻尾攻撃──【見聞録】は完全に読んでいる。跳躍して尾の軌道の上を越え、着地と同時に三連斬。
腹部のコア──最大弱点を一点集中で叩く。
9,200──9,200──9,200。
CT消失。二撃目。三撃目。
アルグリフが悲鳴をあげる。結晶の壁が共鳴して震えた。
──HP、ゼロ。
【エリアボス「回廊の守護者・アルグリフ」討伐】
【初討伐ボーナス:称号「回廊の先駆者」を獲得しました】
称号。これもまた、最初の踏破者だけが得られるもの。
トワは剣を鞘に収めて、ドロップアイテムの確認もそこそこに、回廊の奥へと歩き出した。
ボスの先には、さらに道が続いている。
結晶の壁の向こうに、微かに空が見えた。この回廊を抜けた先に、まだ見ぬフィールドがある。
歩きながら、ふとメッセージボックスを開いた。未読が四百を超えている。読む気はなかったが、一通だけ目に留まった。
ミコト、という名前。昨日の配信者か。
文面を読んだ。短い。圧がない。
トワは少し迷ってから、一言だけ返した。
「配信は見ていない。だが、礼は受け取った」
送信して、メッセージボックスを閉じた。
回廊の出口が近づいている。結晶の隙間から差し込む光が強くなる。
一歩、また一歩。
光の中に踏み出した瞬間──視界が開けた。
見渡す限りの星空と、銀色に光る草原。夜なのに明るい。空に浮かぶのは、二つの銀色の月。
【新エリア「銀月の草原」に到達しました】
【このエリアはあなたが最初の踏破者です】
風が吹いた。
──ああ。
やめられない。
この景色を見るたびに思う。まだ続けていいのだと。まだ歩いていいのだと。
トワは草原に一歩を踏み出し、灰色の地図を塗り替え始めた。




