終夜の回廊
新エリアへの入口は、竜の肋骨をくぐり抜けた先にあった。
巨大な竜骨のアーチが門のように連なり、その奥に青白い靄がかかっている。空気が変わるのがわかった。温度が下がり、匂いが変わる。フルダイブVRの五感再現がしっかり効いている。
【終夜の回廊に進入しました】
【このエリアは、あなたが最初の踏破者です】
最初の踏破者。
冬夜の口元が、わずかに緩んだ。
これがある。この一文がある限り、足を止められない。
自分が最初に踏んだ土地。自分が最初に見た景色。それがこのゲームの中に刻まれる。名声も報酬も関係ない。ただ、ここに来た最初の人間が自分だというのが堪らない。
回廊は薄暗く、天井が見えないほど高かった。壁面には淡い燐光を放つ苔が生えており、足元をぼんやりと照らしている。遠くから、金属が軋むような音が断続的に響いていた。
【見聞録】を発動する。
スキル名:【見聞録】
公式説明文:旅人は世界を観察し、記録する。
種別:旅人専用アクティブスキル。
公式説明文は、まるでフレーバーテキストだ。実際、ほとんどのプレイヤーは「観察って何? 記録って何?」と首をかしげて、そのまま忘れる。転職すれば上位職に本格的な鑑定スキルがあるのだから、わざわざ使う理由がない。
だが、熟練度をMAXまで上げた【見聞録】の真の効果は──対象の弱点属性、HP、そして行動パターンのリアルタイム可視化。上位職の鑑定スキルをも遥かに凌駕する、壊れ性能の情報スキルだった。
視界に情報レイヤーが重なった。周囲のオブジェクトの属性、環境効果、そして──モンスターの反応が、二つ。
【回廊の亡骸兵 Lv82】
【回廊の亡骸兵 Lv82】
推奨Lv85エリアの通常モンスター。骨だけで構成された騎士の亡骸が、剣と盾を持って巡回している。
Lv82。普通に考えれば、Lv1のプレイヤーが勝てる相手ではない。
トワは立ち止まることなく、歩きながら【駆け出しの霊薬】を飲んだ。
アイテム名:【駆け出しの霊薬】
種別:消耗品。使用条件:Lv1〜10限定。
公式説明文:冒険を始めたばかりの者に、少しだけ力を与える薬。
効果:ATK+50%(30秒間)。
入手方法:初心者の町のNPCショップで10ゴールド。
10ゴールド。初心者の小遣いで買える安物だ。Lv10を超えたら使えなくなるため、攻略wikiには「買う必要なし」と書かれている。
だが、旅人スキル【道具通】の効果を忘れてはいけない。
スキル名:【道具通】
公式説明文:旅の備えは冒険者の基本。
真の効果:消耗品アイテムの効果を二倍にする。
つまりATK+50%が、ATK+100%になる。
一本10ゴールドの安物が、最前線のバフアイテムを凌駕する代物に化ける。Lv1であることが使用条件であり、【道具通】が効果を倍増させる──旅人でなければ成立しない組み合わせだった。
【ATK+100%。持続三十秒】
亡骸兵がこちらに気づいた。二体同時にこちらへ突進してくる。
【見聞録】が攻撃パターンを表示した。
──右からの横薙ぎ、0.8秒後。左から突き、1.2秒後。
右の横薙ぎを屈んで回避。左の突きを半歩横にずれてかわす。その間に「旅立ちの剣」を振った。
武器名:【旅立ちの剣】
種別:旅人専用武器。レベル制限なし。
公式説明文:旅人に与えられる最初の一振り。
キャラクター作成時に全プレイヤーが自動で受け取る初期装備。攻撃力は最低ランク。転職した瞬間に装備不可になるため、ほぼ全員が初日にゴミ箱に捨てる。
だが、この剣には隠し効果がある。旅人のまま【熟練度】をMAXにすると、通常攻撃が『三連斬』に変化するのだ。
──誰が、旅人のまま武器熟練度をMAXまで上げるのか。冬夜はそれを、二年かけてやった。
三連斬が、右の亡骸兵に突き刺さる。
5,600──5,600──5,600。
一体の残りHPが半分になる。
CTなし。そのまま二撃目。
5,600──5,600──5,600。
一体撃破。間を置かず、振り向きざまに残る一体へ。
六秒で二体。
経験値が入る表示が出たが、冬夜は見なかった。見る必要がない。経験値を得てもレベルは上がらない──Lv1のまま固定している。
正確には、固定している理由がある。
転職しない限り、レベルアップに必要な経験値分は破棄されるのだ。
だから【旅人】という職業の経験値効率は、最悪。運営がとにかく早く転職させたい意図が透けて見える設計だった。
逆に言えば──レベルが上がらないからこそ、【初心の心得】のCT短縮が最大値で維持される。Lv1であることが、トワの強さの前提条件だった。
スキル名:【初心の心得】
公式説明文:冒険の基本を忘れない心構え。
この旅人専用スキルには、効果も何も書かれていない。誰も気にしない、直ぐに転職する旅人スキルなのだから当然だ。だが、このスキルの真の効果を、トワだけは知っている。
真の効果:レベルが低いほどスキルCTが短縮。Lv1時は全スキルCTがほぼゼロになる。
初心者専用の旅人クラスは、初心者が気持ちよくなってゲームを続けてもらうことを想定している。
だから、こんなバカげた性能のスキルが用意されている。1lvで、無限にスキルを連発できる。
つまり、最弱であることが最強の条件。
しかし、それを冬夜が意図的に選んだのかと問われれば──答えはノーだ。
ただ旅をしていたら、こうなっただけのことだった。
◇
回廊を進むにつれ、風景が変わっていく。
苔むした石壁が、やがて半透明の結晶に変わった。結晶の内側で、光が脈動している。壁面に手を触れると、ひやりとした感触の後に、微かな振動が指先に伝わった。
──きれいだ。
冬夜は足を止めて、しばらくそれを見ていた。
こういう瞬間のために、このゲームを続けている。まだ誰も見ていない景色。自分だけが立っている場所。光と、静けさと、未知の空気。
新たなる地を踏んだことで、マップが灰色から変わっていく。色付く地図。未開拓の新エリア。
回廊は奥に進むほど広くなり、途中で分岐点もあった。左右の道の先はまだ灰色だ。全部歩かないと気が済まない。
右の道を選んだ。
小さな広間に出た。中央に朽ちた噴水があり、水は枯れている。その向こうに──宝箱。
未踏エリアの最初の宝箱。【ファーストオープンボーナス】がつくはずだ。
開けた。
【竜骨のランタン(アクセサリ)を入手しました】
【ファーストオープンボーナス:追加効果「夜目」が付与されました】
【竜骨のランタン】。装備すると暗所での視認範囲が拡大し、ファーストオープンボーナスの「夜目」は暗闇での命中率低下を完全に無効化する。
ファーストオープンボーナスとは、そのエリアで最初に宝箱を開けたプレイヤーだけに付与される追加効果のことだ。同じ宝箱を後から開けても、通常の【竜骨のランタン】しか手に入らない。
このエリアに最適な装備だ。まだ誰も来ていないからこそ手に入った。
装備した。ランタンの淡い光が足元を照らし出す。
──いい旅になりそうだ。
そう思った直後、【見聞録】が警告を出した。
赤い反応。通常モンスターとは異なる表示。
【回廊の守護者・アルグリフ Lv88 ──エリアボス】
広間の奥、闇の中から重い足音が近づいてくる。
結晶の壁に反射して、巨大な影が浮かび上がった。四足の獣のシルエット。背中に翼を持ち、尾は蛇のようにうねっている。キメラじみた異形だ。
Lv88のエリアボス。ソロで、Lv1で。
普通なら逃げる場面だ。
トワは剣を抜いた。
【見聞録】がアルグリフの情報を描き出していく。HP、攻撃パターン、弱点──全てが可視化される。
だが、情報の一部が「???」のまま埋まらない。未知の攻撃パターンが複数存在する。
初見殺しがある、ということだ。
冬夜は小さく息を吐いた。
──面白い。
知らない相手。見たことのない攻撃。地図と同じだ。灰色の情報を、自分の目で、自分の足で確かめる。
アルグリフが咆哮し、突進してきた。




