それぞれの夜
水曜日の夜。霧底の森。
マーサの友好度が8/10に達した。新しいレシピと、新しい情報が解放された。
「お前さん、よく来てくれるねえ。──もう一つ、教えてあげよう」
マーサが鍋の蓋を開けた。中に──液体ではなく、白い粉が入っていた。
【マーサの友好度8到達──レシピ「霧散らしの粉」を習得しました】
アイテム名:【霧散らしの粉】
種別:消耗品(料理派生アイテム)。
公式説明文:霧に混ぜると、霧が晴れる。
効果:使用すると、半径30メートルの霧を60秒間完全に除去する。
素材:星草×5、清水×3、霧底の苔×10。
──霧を晴らす手段。
冬夜の手が止まった。
マーサが最初に言った言葉。「あの子は、霧がないと弱い」。【霧喰いのベヘモル】を倒す鍵は、霧を消すこと。
そしてその手段は、料理NPCとの友好度の先にあった。
「ありがとう、マーサ」
「なぁに。料理は人を助けるものさ。──ところで、あの子を倒すつもりかい?」
「ああ」
「気をつけておくれ、あの子は霧がなくなると暴れるよ。昔から、怒りっぽい子でねえ」
霧が消えるとパワーアップする可能性もある、ということか。弱体化と暴走が同時に来る。
素材を集めた。星草と清水は既に持っている。霧底の苔は──苔原から採取できる。
三十分かけて素材を揃え、【霧散らしの粉】を五個作成した。品質は「上質」。料理スキルの成長が効いている。
──準備は整った。ベヘモル戦は次の探索日にやる。
今夜はまだ時間がある。霧底の森の踏破率は82%。残りの未踏部分は最深部のベヘモル周辺だが、そこは後日に回すとして──【旅人の羅針盤】を確認した。
針が、霧底の森の外を指していた。
南東。霧底の森のさらに先。地図上では完全な灰色──まだ名前すら表示されていないエリア。
霧底の森の南東端まで歩いた。森が途切れ、岩肌が露出している。崖ではなく、緩やかな下り坂。霧が薄れ、空気が乾いていく。
下りきった先で、足が止まった。
──砂漠だった。
赤い砂が地平線まで広がっている。空には星が降るように輝いていて、砂の表面が星光を反射して無数の金色の粒に見えた。遠くに、砂に半分埋もれた巨大な建造物のシルエット。塔か、神殿か。
【新エリア「星砂の廃都」に到達しました】
【このエリアはあなたが最初の踏破者です】
【環境効果:灼熱の砂漠 ── 日中は毎秒最大HP-4.2%。夜間は効果なし】
夜間は効果なし。今は夜だから問題ない。だが昼間に来たら、HPの低いトワには致命的だ。
砂を踏みしめた。靴底に伝わる感触が、苔原とは全然違う。ざらざらと乾いていて、熱を感じる。
──まだこんな場所があったのか。
霧底の森は湿った闇の世界だった。だがその先には、正反対の乾いた光の世界が広がっている。BCOの世界は本当に広い。
砂漠を少し歩いた。遠くの建造物に近づくにつれ、それが巨大な円形の遺跡であることがわかった。
砂に半分呑まれた柱と、崩れたアーチ。かつて栄えた文明の名残りだ。
遺跡の入口に石碑があった。旅人のマークが刻まれている。
──旅人の石碑。ここにもあるのか。
触れた。
【旅人の手記を1個回収しました(所持数:402/999)】
そしてもう一つ、石碑に未知の言語が刻まれていた。【見聞録】が翻訳する。
【「砂に埋もれし王国は、月と星の間に生まれ、太陽に焼かれて滅びた。──その魂は、世界の果てで待っている」】
世界の果て。
その単語に、冬夜の目が止まった。「旅人の最終試練」への門にも、グランの壁の地図にも、「世界の果て」という言葉があった。そしてここにも。
──繋がっている。
点と点が線になりかけている。だが、まだ全貌は見えない。この遺跡が何なのか、「砂に埋もれし王国」とは何か、「世界の果てで待っている魂」とは何か。
答えを知るには、歩くしかない。
遺跡の奥を覗き込んだ。暗いけど、奥から微かに風が吹いている。地下に繋がっているようだ。
──今日は入らない。装備と消耗品の準備が要る。だがここが新しいエリアで、しかも物語の核心に触れる場所である可能性が高い。
転送水晶で銀月の草原に戻った。
◇
草原に出ると──違和感があった。
プレイヤーが、異常に多い。
しかも、全員がトワのいる方向を見ている。
「あ、あそこだ!」
「トワだ! ほんとにいた!」
二十人ほどのプレイヤーが、トワに向かって走ってきた。
──またか。
煙幕を取り出そうとしたが、集団の先頭を走るプレイヤーの装備を見て、手が止まった。
全員──Lv1の旅人だった。
初期装備。使い古された旅人服。腰に旅立ちの剣。
先頭の一人が息を切らしながら叫んだ。
「トワさん! 俺たち、旅人で始めたプレイヤーです! 『旅人の集い』っていうコミュニティを作りました! ぜひ一言いただきたくて!」
冬夜は固まった。
二十人の旅人。全員Lv1。目をキラキラさせてこちらを見ている。
「あの、旅人のスキルの効率的な上げ方を教えてもらえませんか!」
「【旅路の極意】って何時間歩けば解放されるんですか!」
「旅立ちの剣の熟練度、全然上がらないんですけどコツありますか!」
「トワさんって普段何食べてるんですか!」
「最後のは関係ないだろ」
「いや、食事でバフかかるって聞いて!」
質問の嵐だった。冬夜は一歩後退した。
チャットを打とうとしたが、何を打てばいいのかわからない。二十人に同時に答える方法を持っていない。そもそも二十人に囲まれること自体が想定外だ。
──レイドの千人に囲まれた時は煙幕で逃げた。だが、こいつらは旅人だ。旅人の後輩だ。煙幕で逃げるのは、さすがに悪い気がする。
しかし何も答えられず硬まっていると、レナが走ってきた。
「ちょっと! トワさんに群がらないでよ! この人シャイなんだから!」
「シャイ!? あの千人レイドでMVP取った人が!?」
「シャイなの! 千人倒せても、二十人に話しかけられると固まるの! そういう人なの!」
レナが両手を広げてトワの前に立ちはだかった。即席のボディガードである。
トワは助かった、と思いながらも、レナの説明が微妙に不本意だった。シャイとは違う。ただ、二十人同時に対応する気がないだけだ。
レナが旅人たちを整理している間に、トワはチャット欄に一言だけ打った。
「歩け。答えは歩いた先にある」
二十人が同時に黙った。
「……かっこいい」
「名言出た」
「スクショした」
「俺も」
「トワ語録に追加だ」
そして二十人が口々に「ありがとうございます!」と叫びながら散っていった。
レナがため息をついた。
「トワさん、一言で二十人を満足させるの天才だよね」
「何も教えていないんだが」
「だからいいんだよ。あの人たちは答えを聞きたかったんじゃなくて、トワさんに声をかけてもらいたかったの」
「……よくわからない」
「わからなくていいよ。トワさんはトワさんのままでいて」
鹿に会いに行った。
【友好度が上昇しました:65/100】
レナからメッセージが来た。
レナ:「あのさ、さっきの旅人たちから聞いたんだけど、『旅人の集い』ってコミュニティ、もう百人超えてるんだって」
トワ:「百人」
レナ:「うん。全員旅人のまま、転職しないで続けてるプレイヤー。トワさんに憧れて始めた人たち」
トワ:「……三日で転職すると言ったのは、撤回する」
レナ:「あはは! 成長したね、トワさん!」
トワ:「成長とは違う。事実の修正だ」
レナ:「素直じゃないなぁ」
旅人が百人も。自分と同じ道を歩いている人間が、百人だ。
冬夜は鹿の隣に座って、月を見上げた。
──星砂の廃都。あの遺跡の石碑に刻まれた言葉。「世界の果てで待っている」。
まだ答えは遠いけど、歩く仲間が増えた。全員が同じ場所に辿り着くかはわからない。
それでも、同じように歩いている人間がいるのは……まあ、悪くない。




