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ブレイブ・クロニクル・オンライン ~全員が捨てた初期職を7000時間やり込んだら、Lv1で最強になっていた~  作者: ぶらっくそーど


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【深度1】


 最初に気づいたのは、音だった。

 ——ない。

 音がない。

 足音はある。自分が石畳を踏む音は聞こえる。だがそれ以外が——何もない。BGMがない。環境音がない。風の音もない。虫の声もない。


 BCOを七千時間やってきた。始まりの町にも、ソルシアにも、エルシオンにも、どこにでもBGMがあった。戦闘曲、探索曲、街の喧騒、森の静寂——「静寂」にすら音があった。葉擦れの音。遠くの水の音。何かが鳴いている音。


 深淵には——何もない。



 自分の足音と、自分の呼吸だけが聞こえる。

 イベントでも何でもない「完全な無音」のエリアは、ここが初めてだった。



「……静かですね」


 ハルが囁いた。囁いたのに、声がやけにはっきり聞こえた。他に音がないから。

 声が響くというよりかは……正確には、声が「残る」。ハルの囁きが消えた後も、耳の奥に残響がある。深淵が声を記憶している——そんな感覚。


 石畳の道を歩く。天井は高い。三十メートルはある。壁に発光鉱石が点在していて、青白い光をぼんやりと放っている。完全な闇ではないが、見通しは悪い。


 セレスの月光が足元を照らしている。銀色の光が石畳を這う。それと星巡りの靴の光。暗闇の中に二つの光源。


 見聞録と【深読み】を起動した。環境データを取る。



【深度1環境情報】

【属性エネルギー密度:地上比12%(極めて希薄)】

【回復アイテム効果:地上比65%】

【見聞録精度:地上比90%】

【浸蝕度:3%】



「タマキ……この上層で、もう回復効果が65%だ」

「はい、そして――【浸蝕度】が3%……」

「【浸蝕度】って、何ですか?」


 ハルが画面の端に表示された新しいゲージを見ていた。


「確か公式の説明によると、深淵に滞在するほど蓄積するゲージだ。100%になったら、強制帰還。深淵が俺たちを吐き出す仕組みになっている」

「50%を超えると、画面にノイズが走り始めます。70%で視界が歪む。90%だと画面がほぼ灰色になって——まともに戦えなくなります」


 タマキが補足した。


「つまり、100%が制限時間ってことですね。——今のペースだと」

「一時間で20%前後。単純計算で、五時間が限界だ。それに戦闘すると加速するし、被弾すればもっと加速する」

「流石に……最難関コンテンツですね」

「ああ、油断は一時もできない」


 石畳の道を進む。百メートルほど歩いたところで——壁の模様に気づいた。

 発光鉱石の光に照らされた壁の表面に、彫り込みがある。装飾的な模様。直線と曲線の組み合わせ。

 見覚えがあった。


「この模様——」

「師匠?」

「聖都の壁だ。ルクスの大聖堂の外壁と、同じ模様」


 ハルが壁に近づいて確認した。


「……本当だ。同じです。なんで聖都の壁模様が深淵に——」

「深淵は世界が分かれる前の記憶が沈殿している場所だ。聖都の壁は——その記憶の一部が、ここに残っているのかもしれない」


 知っているものが、知らない場所にある。

 その違和感が——不気味だった。




    ◇




 深度3。

 石畳の道が広がった。通路ではなく——広場のような空間に出た。

 そこに……建物があった。

 石造りの平屋。木の扉。窓が二つ。見覚えのある形。始まりの町の民家に似ている。

 だが——おかしい。

 窓が壁の真ん中ではなく、地面すれすれの位置についている。扉は普通の位置にあるが、取っ手が上端についている。天井の高さに取っ手がある扉を、どうやって開けるのだろうか。


 その異様な建物を目に、タマキが立ち止まった。


「……何ですか、あれ」

「建物だな。——まあ、かなり配置がおかしいが」

「窓が地面にあるんですけど」

「扉の取っ手は天井にあるぞ」

「住めないだろ、これ」ゼクスが呟いた。


「住むための建物じゃないな。——窓も扉も位置がでたらめだ。建物の『形』だけを覚えていて、使い方を忘れている。そんな感じだ」


()()()()()()()——誰が?」

「わからないが……聖都の壁模様もそうだった。地上にあるはずのものが、ここに——少しだけ間違った形で存在している。きっと、偶然じゃないだろう」



 建物は一軒だけではなかった。奥に二軒、三軒——通路の先に、歪んだ街並みが続いている。

 看板がある。文字が読める。見聞録で翻訳する。


「パン屋」

 ——パン屋。


 扉を開けようとした。取っ手が天井にあるので届かない。【果ての道標】を槍に切り替えて、取っ手を引いた。


 扉が開いた。中に——

 NPCがいた。

 女性のNPC。カウンターの後ろに立っている。エプロンをしている。パンを並べている。

 エリーに——似ていた。

 けれど、髪の色が違う。目の形が違う。それでも雰囲気が、佇まいが、エリーに似ている。



「いらっしゃい。パンはいかがですか」



 声も——似ている。だがイントネーションが微妙に違う。録音した声を逆再生してからもう一度正再生したような、ほんの僅かな歪み。


 名前を確認した。



【NPC名:表示なし】



 名前がない。友好度のシステムもない。話しかけてもステータスが出ない。




「いらっしゃい。パンはいかがですか」


 同じ台詞を繰り返した。


「……一度、話しかけていいですか」ハルが聞いた。

「やめておけ。——名前もない。友好度もない。同じ台詞しか言わない。NPCですらない【何か】だ」


 セレスがトワの肩の上で、じっとNPCを見つめていた。不安そうに角を光らせている。


「トワ、このひと——エリーじゃない」

「ああ、エリーじゃないな」

「にてるけど——ちがう。めが、ちがう。エリーのめじゃない」



 トワは確信した。

 ここには『似ているけど違うもの』が並んでいる。【深淵】の不気味さの正体はこれだ。暗いから怖いのではない。知っているものが——()()()()()()()()()()



「出るぞ……ここに長居するな」



 パン屋を出た。歪んだ街並みを抜ける。

 街の奥に——もう一軒、見覚えのある建物があった。鍛冶屋。ガルドの店に似た構造だが、炉の位置が逆で、金床が天井から吊り下がっている。


 中には誰もいなかった。なのに——金槌を打つ音だけが聞こえた。中に誰もいないのに。



「あの……とっても、帰りたくなってきました」タマキが小声で言った。

「帰りたくなるのが正常だ、気味が悪い場所だからな。それでも、今は帰れない」

「はい——頑張ります」




    ◇




 深度5。

 歪んだ街並みを抜けた先に、壁の発光鉱石の一つが——他と色が違った。

 青白ではなく、淡い金色。


「止まれ」


 全員が止まった。金色の鉱石に近づいてスキャンした。


「人工物だ……壁に埋め込まれている」


 鉱石に触れた。



【隠し要素を発見しました】

【「アルヴァの道標」——かつてこの深淵を歩いた旅人が残した目印です】

【効果:周囲30mを60秒間の安全地帯にします。モンスターが近づきません】

【浸蝕度が5%回復します】


 道標に触れた瞬間——空気が変わった。重かった圧が、ふっと軽くなる。



「浸蝕度が下がりました——!」タマキが安堵の声を漏らした。

「アルヴァが千年前に埋め込んだ、安全地帯のマーカーだ。——次の旅人のために、道標を残した」

「師匠、他にもありますか」


【深読み】で壁をスキャンした。——まだ他にもある。点々と、不規則な間隔で。



「各深度に一つか二つ。アルヴァが降りながら埋め込んだんだろう。道標を辿れば、アルヴァが歩いたルートがわかる」




    ◇




 深度7。

 異変に気づいたのはゼクスだった。



「トワ。——足元を見ろ」


 足元を見た。

 石畳に——足跡があった。星巡りの靴の光ではない。古い足跡。

 石畳にうっすらと刻まれた、千年前の足跡。


「アルヴァの足跡か……?」

「ああ、千年前の足跡が——まだ残っている」


 深淵では時間の経過が地上と違う。千年前の足跡が消えずに残るほど、時間の流れが遅い——あるいは、時間という概念が薄い。


 アルヴァの足跡を辿って歩いた。千年前の旅人と、今の旅人の足跡が重なる。

 その途中で——足を止めた。

 前方二十メートル。見聞録がモンスター反応を拾った。



【深淵の残影(ざんえい) Lv?? HP:??? 属性:???】



 三体。通路の真ん中に——立っている。

 立っているだけだ、動いていない。半透明の人型。骨格と関節だけが妙にくっきり見えて、他はぼんやり霞んでいる。まるでレントゲン写真が立ち上がったような——



「師匠。あれ——動いてないですよね」

「動いてない、静止している」

「攻撃してきますか」

「わからない。——だが、一つ試したいことがある」


 トワは、見聞録を切った。


「師匠!? 見聞録を切ったんですか!?」

「静かにしろ。——スキャンせずに通り過ぎるぞ」



 残影はまだ、こちらに気づいていない。おそらく……『認識されたら』反応するタイプのモンスター。見聞録でスキャンした瞬間に目覚める個体がいるかもしれない。


 なら——スキャンしなければ、反応しないかもしれない。

 全員に手信号で指示した。静かに、ゆっくり、見聞録を使うな。

 残影の横を——通り過ぎた。

 三体とも——動かなかった。

 二十メートル離れてから振り返った。まだ立っている。静止したまま。



「……通れた」ハルが息を吐いた。

「全部の残影がこうとは限らない。だが——深淵では『見ないこと』が正解の場合がある」

「でも、珍しいですね。師匠が、初めて見るモンスタ-と戦おうとしないって」

「これまでのモンスターと違って、属性も『???』の不明表示だった。そして、この深淵の不気味さ――戦うべきではない相手と判断した」

()()()()()()()()()()……」


 ハルはごくりと息を呑んで、前だけを見た。

 決して振り返ってはならなかった。




    ◇




 深度8。

 通路が分岐した。左と右。


「トワさん、どっちですか」


【深読み】で両方をスキャンした。


 左——モンスター反応なし。

 右——モンスター反応あり。二体。だが、奥に空間がある。


「右だ」

「反応がある方ですか?」

「深淵のモンスターが何かを守っている場合がある。空の道には、おそらく何もない」

「……MMOの定石ですか」

「定石だ」



 右に進んだ。残影が二体、こちらは静止型ではなかった。近づいた瞬間に——動き出した。


「トワさん、どうしますか!」

「不気味な敵だが……戦うしかない。――いくぞ」



 見聞録を再起動。センサーを切り替えて、部分情報を取る。

 半透明の人型。体重二百キロ。体温ゼロ。核は胸の中心——。

 一体目。腕を振ってきた。軌道を視覚解析で読んで紙一重で避ける。槍に切り替えて核を突く。



【弱点クリティカルダメージ:8,920】



 のけぞるが倒れない。ゼクスが背後から短剣で、アストレアが正面から核を貫く。



【弱点クリティカルダメージ:11,400】

【弱点クリティカルダメージ:13,700】




 崩れた。二体目も同じ手順で。三十秒。被弾ゼロ。

 奥の空間に——宝箱があった。




【深淵の宝箱を開きました!】

【「深淵の地図・断片1」を入手しました!】

【効果:深度1〜10のマップが解放されます】

【「アルヴァの薬瓶」×3を入手しました!】

【効果:深淵専用の回復薬。属性減衰の影響を受けません。侵蝕度とHP全回復】




「深淵の地図——師匠、これって!」

「属性減衰を受けない回復薬……侵蝕度とHP全回復ですか!?」タマキの目が輝いた。

「だが、たった三本だ。切り札として、温存しよう」

「します、大事にします! すっごく大事に」


 タマキが薬瓶を両手で抱えた。薬師が薬を見つけた時の顔は、子供がお菓子を見つけた時と同じだ。


「セレスも、おかしほしー」

「お前は後だ」




    ◇




 深度10。

 歪んだ街並みが途切れて、石畳の道だけになった。壁の発光鉱石が減っている。暗さが増す。

 そして——足元がおかしい。



「トワさん。地面が——柔らかくないですか」タマキが足元を見た。


 石畳が——僅かに沈んでいる。足を置いた場所が、数ミリ沈む。



【沈降現象が発生中。5分間、同じ場所にいると地面ごと沈みます】




 地面ごと沈んだらどうなるのか。

 末恐ろしいシステムメッセージが表示された。



「だ、そうだ。——止まらずに、歩き続けよう」

「ちなみに……止まったら、どうなるんですか」

「沈む、【深淵】に」

「……歩きます。絶対、歩き続けます」




 深度10の通路の先に——前方二百メートルにモンスター反応。複数だが……残影とは違う。

 四足歩行。体長五メートル。体重一トン以上。



「新種だ」




【深淵の捕食者 Lv?? HP:??? 属性:???】




 暗闘の中から——出てきた。

 四足の獣。頭がない。首から上が口に置き換わっている。歯が三列。

 残影とは明らかに違う。体が大きい。五メートルはある。そして——速い。

 見聞録のセンサーで読む。体重一トン以上。加速力は残影の倍。



「残影とは別の敵か。——注意して、いくぞ」


 弓で注意を引いた。捕食者が突進してくる。

 斜めに避けた。ゼクスの影縫いで三秒止めて、アストレアが腹の下に滑り込む。ハルのスキャンで核の位置を確認——腹にある。聖剣で突く。



【弱点クリティカルダメージ:18,700】


 倒れない。ハルの煙幕で姿をくらませ、ゼクスの二撃目。


【弱点クリティカルダメージ:12,800】



 捕食者を倒した、被弾ゼロで。



「——倒せたな。残影より硬いが、手順は同じだ」

「師匠……ちょっと待ってください」

「なんだ?」

「見聞録のスキャン履歴が——一件、消えてます」

「なに……?」

「深度3の歪んだ街並みのマップデータです。さっき記録したばかりなのに——なくなってる」



 見聞録を開いた。確かに、深度3のマップが白紙に戻っている。記録した覚えがある。確かに歩いてマップを埋めたはずなのに——消えている。



「……戦闘中に、何かされたのか」

「被弾はゼロでした。物理的なダメージは受けてません。でもデータだけが——」

 被弾ゼロなのに、何かを奪われた。HPではなく——情報を。

「こいつ——まさか、【データを食う】のか」

「食う?」

「戦闘中に、見聞録のスキャンデータを吸い取ったんだ。物理的に殴ってくるだけじゃない。——近くにいるだけで、【記憶】を吸われる」

 旅人にとって、記憶を奪われるのは——腕を切られるのと同じくらい痛いことだ。

「次からは長引かせるな。こいつらとは——短期決戦だ。接触時間が長いほど、食われるデータが増えていくはずだ」

「でも、腹の核だけだと二撃かかります。一撃で倒す方法がないと——」



 二体目の捕食者が来た。

 弓で引きつける。突進してくる。首の口が開いている。

 ——冷たい。

 口から、冷たい空気が漏れている。微かだった。走っていなければ気づかない温度差。

 核のある場所は周囲より温度が低い。腹の核もそうだった。同じ冷気が——口の奥からも漏れている。

 もう一つ、核がある。

 避けなかった。トワは口の中に——剣を突き刺した。



【隠し弱点クリティカルダメージ:32,500】



 一撃で崩れた。

 接触時間は一秒以下。データの吸収が始まる前に倒した。



「師匠——! 今の——!」

「口の中に、核がもう一つあった。——冷たい空気が漏れてた」

「じゃあ、今のでデータは——」

「消えてません! 一撃で倒したから、吸収が間に合わなかったみたいです!」

「これだ。こいつらは一撃で倒す。それ以外の選択肢はない」



 深淵の戦闘は——地上とは根本的に違う。

 地上では「倒せればいい」。深淵では「どう倒すか」まで問われる。

 残り三体の捕食者を全てを口の中の核で一撃。被弾ゼロ。データ損失ゼロ。



【深度10踏破報酬】

【称号「深淵の先駆者」を取得しました】

【効果:深淵内での見聞録精度+5%】



 深度10を踏破した。

 だが浸蝕度が——47%。半分近い。



「タマキ、浸蝕度が47%だ」

「戻った方がいいです。50%を超えると、画面にノイズが走り始めます」

「ああ。——今日はここまでだ」



 全員が安堵の息を吐いた。

 帰り道。星巡りの靴の足跡を辿る。光の道が暗闇の中に続いている。来た道を戻る。

 歪んだ街並みを通り過ぎる時、パン屋のNPCがまだ立っていた。



「いらっしゃい。パンはいかがですか」

 同じ台詞。同じ声。

 セレスがNPCを見つめて——小さく手を振った。

「ばいばい」

 NPCは反応しなかった。



 門から出た。地上の光が——眩しかった。

 音が——戻ってきた。風の音。鳥の声。BGM。始まりの町の喧騒。

 音がある世界が——こんなに温かいとは思わなかった。



 フォーラムでは、深淵から帰還したトワの報告が話題になっていた。



 ——「トワが深淵から帰ってきた。深度10までだってよ」

 ——「捕食者っていう新種がいるらしい。戦闘中にスキャンデータが消えたとか」

 ——「データが消える? バグじゃなくて?」

 ——「バグじゃない。捕食者が【記憶】を吸い取るらしい。戦闘が長引くほど食われるって」

 ——「それ、トワの知識に対するメタじゃん。運営わかってるな」

 ——「深淵に歪んだ街並みがあるらしい。始まりの町に似た建物が——全部おかしい」

 ——「怖すぎる。行きたくない」

 ——「行かなくていいぞ。深度3で全滅した俺が言う」

 ——「あと深淵は、完全無音らしい。BGMなし。環境音なし」

 ——「VRで完全無音って、想像以上に怖いだろ」

 ——「トワのパーティの薬師が『帰りたくなってきました』って言ったらしい」

 ——「正直で良いな」

 ——「トワは帰りたくならなかったのか」

 ——「トワが帰りたがるわけないだろ。あいつは楽しんでたはず」

 ——「深淵を楽しむ男。やっぱ化け物だわ」


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