月が重なる夜
火曜日の夜。ログインして銀月の草原を歩いていると、異変に気づいた。
空の二つの月が──近い。
通常、BCOの二つの月は離れた位置にある。だが今夜は、明らかに距離が縮まっている。ゲーム内時間で月の位置が変わるのは知っていたが、ここまで近づくのは初めて見た。
【見聞録】で天体情報を確認した。
【天文情報:月蝕まで残りゲーム内時間6時間】
月蝕。
設定資料で読んだ記憶がある。二つの月が重なる現象。ゲーム内時間で180日に一度──リアルでは一週間に一度あるかどうか。タイミングが合わなければ、何週間も見られないこともある。
そして、銀月の草原の最深部には──月蝕の夜にだけ出現する【隠しエリア】がある。
【月蝕の祭壇】
こういう一期一会のイベントに出くわすのも、オープンワールドの醍醐味だ。
草原の最深部──あの丘へ向かった。踏破率100%を達成した丘。二つの月が最も大きく見える場所。
丘に登ると、いつもと違う光景が広がっていた。
丘の頂上に、石の祭壇が出現していた。普段は何もない場所に、月光を集めるかのような白い石台が浮かんでいる。
【隠しエリア「月蝕の祭壇」が出現しました】
【入場条件:ソロプレイヤーのみ。パーティ参加中は入場不可】
【制限時間:月蝕の間のみ(リアル時間約30分)】
ソロ専用。時間制限あり。
トワは一人だ。問題ない。
祭壇に手を触れた。
世界が白い光に包まれ──転送された。
◇
転送先は、月の上だった。
──正確には、月の上に見える場所。
白銀の大地が広がっている。足元は硬い結晶で、歩くと澄んだ音が鳴る。空は深い群青色で、星が近い。そして、もう一つの月が──目の前に、巨大に浮かんでいた。
【「月蝕の祭壇」に進入しました】
【このエリアはあなたが最初の踏破者です】
【残り時間:29分48秒】
また一番乗りだ。
だが、景色に見惚れている暇はない。30分しかない。
【見聞録】を起動。正面に──巨大な反応。
【月蝕の古龍ルナティス Lv95 ── ソロ専用レイドボス】
結晶の大地の向こうから、白銀の龍が姿を現した。
グラオザームが漆黒の龍だったのに対し、ルナティスは白銀。全長五十メートル超。翼を広げると月光が透けて虹色に輝く。美しい──だが、Lv95のソロ専用レイドボスだ。
【見聞録】が情報を描き出す。
HP──膨大。ソロ用に調整されているはずだが、それでも通常のフィールドボスの三倍はある。
弱点──光属性。
攻撃パターン──六種類。うち二つが「???」。初見殺しが二つある。
そして──特殊効果。
【ルナティス固有能力:月光回復 ── 月の光が当たっている間、HPを毎秒回復する】
HPが毎秒回復する。月の光が当たっている限り。
ここは月蝕の祭壇だ。二つの月が重なっている。だが──月蝕が終われば月が離れ、月光が戻り、ルナティスの回復が始まる。
つまり、月蝕の間に倒しきらなければならない。
残り時間29分。
冬夜は深呼吸した。
──これは、旅人としてのソロの極致だ。
全スキル、全アイテム、全経験を注ぎ込む。
【駆け出しの霊薬】を飲んだ。ATK+100%。持続30秒。在庫は──今日は100本持ってきている。始まりの町で大量に補充してある。
【マーサの霧底スープ】は──ここでは効果がない。霧がないからだ。代わりに、【旅路の糧食】を使った。移動中HP/MP自動回復。
さらに、【星読みのランタン】。ここは夜間フィールド判定のはずだ──確認する。
【環境:夜間】
MP回復速度10倍(【道具通】込み)。魔法も撃てる。
準備完了。
トワは走った。
ルナティスが咆哮した。結晶の大地が震え、白銀の光が弾ける。
第一撃。ルナティスの首が振り下ろされる。
【見聞録】が軌道を読む。右に二歩。首が結晶の大地を砕いた。破片が飛ぶ。
懐に飛び込む。三連斬。
8,200──8,200──8,200。
通る。だがHPバーの減りは……少ない。
このペースでは、29分で削りきれるか怪しい。
──武器を切り替える。
0.17秒。弓。【万象の腕輪】の強化で弓使いの「精密射撃」付随効果──必中。
距離を取りながら三連射。弱点の額を狙う。
4,800──4,800──4,800。クリティカル。
0.17秒。杖。氷魔法──ルナティスの弱点は光属性だが、手持ちに光魔法はない。だが氷で動きを鈍らせることはできる。
0.17秒。槍。突進。鈍ったルナティスの脇腹に深く突き刺す。
9,600──クリティカル。
0.17秒。剣に戻して三連斬。CTゼロ。二撃。三撃。
四武器の連携攻撃。全てCTゼロ。切り替え0.17秒。
DPSはこれまでの戦闘で最高を叩き出していた。
だが、ルナティスも反撃してくる。
翼を叩きつける範囲攻撃。【見聞録】が読む。回避。
尾の薙ぎ払い。跳んでかわす。
そして──「???」。初見殺しが来た。
【新規パターン検出:月光砲(全域攻撃・光属性)】
ルナティスが口を開き、白い光が充填される。全域攻撃。回避不能──
──本当に回避不能か?
【見聞録】を最大感度にした。攻撃の詳細データが、不完全ながら流れ込んでくる。
全域攻撃。だが──ルナティスの真下、影になる部分だけは光が届かない。
月光砲。光属性。「光が届かない場所」には当たらない。
トワはルナティスの真下に滑り込んだ。巨体の影に潜る。
白銀の光が結晶の大地を焼いた。轟音。だが、影の内側は無傷。
「……読み通りだ」
CTゼロ。影の中からルナティスの腹に三連斬を叩き込む。
戦闘開始から12分。ルナティスのHPが半分を切った。
残り時間17分。──足りる。ぎりぎりだが、足りる。
冬夜は霊薬を飲み直し、再び走った。
白銀の龍と、Lv1の旅人。結晶の大地の上で、月蝕の夜だけの戦いが続く。
◇
残り時間2分。ルナティスのHPが残り一割を切った。
霊薬の在庫は残り三本。ギリギリだ。
もう一つの「???」がまだ来ていない。
HPが一割を切った時に来る技──フォルセイドの時と同じパターンだ。
ルナティスが翼を大きく広げた。結晶の大地が共鳴して鳴り、全身が白銀に輝く。
【新規パターン検出:名称不明(自己強化・光属性)】
自己強化。攻撃ではなかった。
ルナティスの全ステータスが上昇する。そして──
【月光回復が強制的に発動しました(月蝕中にも関わらず回復開始)】
月蝕中なのに、回復が始まった。
ルナティス自身が光を放つことで、「月光」の条件を自力で満たしたのだ。
HPが回復していく。一割が──一割五分に。二割に向かって戻り始めている。
残り時間1分30秒。
──急ぐ。
最後の霊薬を三本まとめて飲んだ。効果は重複しないが、持続時間が延びる。90秒間ATK+100%。
【旅人の手記】を連打した。【初心の心得】でCTゼロ。十二個重ねる。ATK+12%。
全武器の連携攻撃をフルで叩き込む。
剣。弓。槍。杖。剣。弓。槍。杖。
回復速度とDPSの競争。削る速度が回復を上回っている──ぎりぎり。
残り時間30秒。HPが3%。
15秒。HPが1%。
5秒。
トワは剣を掲げ──全力の三連斬をルナティスの額に叩き込んだ。
【月蝕の古龍ルナティスのHPが0になりました】
【ソロ討伐達成】
【初討伐ボーナス:称号「月を喰らう旅人」を獲得しました】
【ドロップ:月蝕の結晶(旅人専用最終武器素材1/3)】
残り時間──3秒。
ルナティスが光の粒子に分解され、結晶の大地に消えていく。
残り3秒。間に合った。
月蝕が終わる。二つの月が離れ、祭壇が消え始める。
トワは白い光に包まれて、銀月の草原に送還された。
◇
草原の丘に立っていた。二つの月が離れ、通常の夜空に戻っている。祭壇は消えていた。
手の中に、【月蝕の結晶】がある。最終武器素材の一つ。三つのうちの一つ目。
──間に合ったのは、運がよかったからだ。
あと3秒遅ければ負けだった。ルナティスの自己回復を想定できていなかった。次に挑むなら、もっと効率的な攻撃ルートを組む必要がある。
だが、それは次の月蝕の夜に考えればいい。
冬夜は丘を下りた。鹿を探す。
いた。銀月の鹿。月光の中で草を食んでいる。
手を伸ばした。
【友好度が上昇しました:50/100】
──半分。
長い道のりだ。でも、今日はルナティスも倒した。急がなくてもいいだろう。




