「再戦」
土曜日。ゼクスとの再戦当日。
冬夜は朝から妙に落ち着いていた。緊張はない。新しい場所に足を踏み入れる前の、静かな高揚だけがある。
午前中に洗濯と買い出しを済ませた。スーパーの帰り道、スマホを確認する。フォーラムは大変なことになっていたが、見ないことにした。
宮瀬からメッセージが来ていた。
宮瀬:「今日ゲームの大事な日だって、前に言ってたよね。頑張ってね」
冬夜は少し考えてから返した。
冬夜:「ありがとう」
お礼を言えるようになった。少しだけ、成長している気がする。人間として。
◇
午後八時。ログイン。
特設コロセウム。前回より観客が増えている。運営発表の観戦者数は十二万人。配信視聴者は──百万人を超えていた。
『皆さんこんばんは、ミコトです! 本日は公式PvPエキシビションマッチ第二戦! ゼクス選手 vs トワ選手の再戦です! 視聴者数が百万人を突破しています! BCOの歴史が動く夜です!』
> 来た来た来た
> 百万!?
> 前回3.2秒で終わったからな……今回はどうなる
> ゼクスが煙幕対策してくるって宣言してたよな
> トワの煙幕が封じられたらどうなる?
東側からゼクス。黒装束。前回と同じ冷たい目つき──だが、どこか違う。目の奥に、前回にはなかった熱がある。
西側からトワ。旅人の初期装備。【旅立ちの剣】を腰に。
ゼクスがボイスチャットで言った。
「今回は【煙散らし】を使う。煙幕系アイテムはすべて無効化される。前回の手は通用しない」
スキル名:【煙散らし】
種別:暗殺者専用パッシブスキル。
効果:自身の周囲二十メートル以内の煙幕系アイテムを自動的に消去する。
煙幕が使えない。前回の勝ち筋が完全に潰されている。
トワはボイスチャットで短く答えた。
「知っている。今回は煙幕を持っていない」
ゼクスの眉が僅かに動いた。
「……別の手段があるということか」
「さあな」
【PvPエキシビションマッチ第二戦 ── カウントダウン 3…2…1…】
【START】
ゼクスが消えた。【影潜り】。
前回はここで煙幕を使った。今回はそれがない。
トワは目を閉じた。
視覚センサーOFF。聴覚センサーOFF。振動センサーOFF。
温度センサーと魔力感知センサーだけの世界。
0.1秒。
闇の中に、温度の分布が浮かぶ。観客席の大勢の体温が赤い壁のように広がり、フィールドの砂が黄色く、夜空が青い。
その中に──動く赤い点。
0.15秒。
右後方。四メートル。急速に接近中。
同時に、魔力感知が微細な乱れを捉えた。【影潜り】が消費する魔力の残滓。空気中にわずかに漂う紫色の糸が、移動方向を示している。
0.2秒。
位置を確定。右後方、二メートル。首を狙っている。
──前回より、速い。ゼクスも本気だ。
0.25秒。
トワは動いた。振り向かず──後ろに倒れるように身体を反らした。
ゼクスの短剣が頭上を通過する。首を狙った一撃が空を切った。
0.3秒。
ここからが前回と違う。
トワは倒れ込みながら【旅立ちの剣】を抜き、地面すれすれの体勢から三連斬を放った。
ゼクスの脚を斬る。
3,800──3,800──3,800。
浅い。ゼクスが咄嗟に跳んで距離を取ったため、脚先をかすめただけだ。
だが、当たった。
ゼクスの目が見開かれた。
「目を閉じたまま──当てただと?」
ゼクスが着地する。距離十メートル。
トワは立ち上がった。目を開ける。
「【影潜り】は視覚と聴覚と振動を消す。だが──体温と魔力は消せない」
「……温度と、魔力で読んだのか」
「そうだ」
ゼクスが歯を食いしばった。
「面白い。だが──一度かわしただけで勝てると思うな」
ゼクスが姿勢を低くした。再び【影潜り】に入ろうとしている。
ここからが本番だ。初撃をかわしても、ゼクスのステルスは何度でも使える。そのたびに温度と魔力で読むのは──集中力が持つか。
トワは武器を切り替えた。【旅立ちの剣】をしまい──弓を構える。
切り替え時間、0.17秒。
「──速い」
ゼクスが驚く間もなく、トワが矢を放った。
ゼクスが【影潜り】に入る直前──姿が半透明になる一瞬に、矢が肩を貫いた。
2,400。
ステルスに入る前に当てる。姿が消えてからでは遅い。だが消える「直前」には、0.1秒の移行モーションがある。そこを狙った。
ゼクスのステルスが中断された。ダメージを受けるとステルスが解除される仕様だ。
「くっ──」
ゼクスが姿を現したまま距離を取ろうとする。
だがトワは弓をしまい──0.17秒──槍を構え、突進モーションを発動した。
弾丸のような速度でゼクスに迫る。ゼクスが短剣で受ける。金属音。火花。
鍔迫り合い。
「──お前、前回と全然違うぞ」
「旅の途中で拾ったものがある」
押し合いを切り離し、0.17秒で杖に切り替え。至近距離から氷の魔法。
ゼクスが横に跳ぶ。だが──0.17秒で剣に戻し、跳んだ先に三連斬。
4,200──4,200──4,200。
直撃。ゼクスのHPが大きく削れた。
『何今の!? 武器四回切り替えた!? 速すぎて目が追いつかない!!』
> は????
> 弓→槍→杖→剣を2秒で切り替えた
> あれ全部違う武器種だぞ
> 旅人の全武器装備可能ってこういうことか……
> 反則だろこれ
> 反則じゃねえよ、旅人の正規仕様だ
ゼクスが体勢を立て直した。HPは残り四割。対して、トワはまだ無傷。
だがゼクスの目は死んでいなかった。
「──認めた上で、言わせてもらう」
ゼクスの身体から、黒いオーラが立ち昇った。
スキル名:【死影覚醒】
種別:暗殺者専用バフスキル。HP50%以下で使用可能。
効果:30秒間、全ステータス1.5倍。代償として効果終了後に行動不能(5秒間)。
暗殺者の奥義。一発逆転の切り札。
「本気を出す」
ゼクスの速度が跳ね上がった。
一瞬で距離を詰められた。短剣が閃く。三連撃──暗殺者の基本コンボだが、速度が別物だ。
一撃目を剣で受ける。衝撃で腕が痺れた。二撃目──かわしきれず、左腕をかすめる。
HPが削れた。120のうち、40が消えた。残り80。
三撃目。首を狙う突きが──
トワは三撃目に合わせて、剣ではなく盾を出した。
アイテム名:【冒険のお守り】。被ダメージ60%カット。
さらにもう一つ、咄嗟にアイテムを使った。
アイテム名:【旅路の糧食】
種別:旅人専用消耗品。
公式説明文:歩き続ける旅人に、力を。
効果:使用後60秒間、移動中にHPとMPが自動回復する。回復量は移動速度に比例。
入手方法:各地のフィールドに隠れている料理NPC。
HPが回復し始めた。動いている限り──回復が止まらない。
ゼクスの三撃目が【冒険のお守り】の防御軽減に阻まれ、ダメージは15。残りHP65。そして【旅路の糧食】の回復が毎秒入る。
「……回復だと? Lv1で回復手段があるのか?」
「旅人には旅人の備えがある」
ゼクスの【死影覚醒】は30秒間。その間は手がつけられない。だが、30秒を耐えきれば──5秒間の行動不能が待っている。
トワは走った。
攻撃ではなく、回避。フィールドの外周を走り続ける。移動している限り【旅路の糧食】が回復を続ける。【冒険のお守り】の速度バフ込みで、ゼクスの追撃を半歩ずつかわしていく。
「逃げるのか!」
「逃げるんじゃない。──歩いているだけだ」
> 走って回復してる!?
> 移動するだけでHP回復するの何のアイテム??
> 旅人ってどこまで引き出しあるんだよ
> 耐久戦に持ち込む気か
> ゼクスのバフ、30秒だぞ。切れたら……
20秒。ゼクスの猛攻をかわし続ける。何度か被弾するが、回復が追いつく。
25秒。ゼクスの動きが雑になる。大きな焦りが見えた。バフの終了が近いんだろう。
28秒。
29秒。
30秒。
ゼクスの身体から黒いオーラが消えた。
同時に──ゼクスの動きが止まった。行動不能。5秒間。
トワが振り向いた。
剣→弓→槍→杖→剣。全武器を高速で切り替えながら、5秒間に叩き込めるすべてを叩き込む。
三連斬。矢三連射。槍突進。氷魔法。再び三連斬。
ゼクスのHPが──ゼロになった。
【ゼクスのHPが0になりました】
【勝者:トワ】
試合時間──38秒。
◇
コロセウムに観客たちの声が波のように湧き立った。十二万人の歓声がフィールドを震わせる。
『勝った!! トワ選手の勝利です!! 今回は──38秒! 前回の3.2秒とは全く違う、本物の死闘でした!!』
> うおおおおおおおおおお
> 38秒!!!
> ゼクスの奥義を耐久で凌いだ!!
> 走って回復する旅人、発想がおかしい
> 武器四種の連撃やばすぎ
> でも、ゼクスもすごかった。本気のゼクスを見たの初めてだ
> これは名勝負だろ
ゼクスが復活した。
しばらくトワを見ていた。
「……完敗だ」
ゼクスは放心していた。悔しさはある。だが、それ以上に──何か別の感情が混ざっている。
「一つ聞いていいか」
「なんだ」
「お前、あの30秒──死影覚醒の間、楽しそうに走っていたな」
トワは少し黙った。
「……そうか?」
「ああ。俺が全力で追いかけてるのに、お前は旅でもしてるみたいな顔だった」
「旅だからだ。知らない相手の知らない攻撃をかわしながら走るのは、新しいエリアを歩くのと似ている」
ゼクスが、今度ははっきりと笑った。
「……お前には敵わないな。強さの次元が違う」
「そうは思わない。初撃をかわせなければ俺の負けだった。HP120は変わらない」
「だからこそだ。HP120で勝つ方法を見つける──それが、お前の強さだ」
ゼクスが手を差し出した。
「フレンド申請を送る。──受けてくれるか?」
トワは一瞬だけ間を置いて、承認した。
「次は──もっと長い試合がしたいな」
「ああ」
ゼクスが去った後、コメント欄はまだ止まらなかった。
> ゼクスがフレンド申請!?
> 不敗の影がデレた
> 「旅でもしてるみたいな顔だった」って最高の台詞
> このゲーム、トワを中心に世界が回り始めてるな




