《聖都の日常》
聖都ルクスでの友好度上げは、地道な日々の積み重ねだった。
毎日ログインして、NPC一人ひとりに話しかける。果物を渡す。質問をする。反応を待つ。──始まりの町で二年間やったことの繰り返し。ただし今回は、相手が記憶封印されている分、反応が遅い。
でも、トワには関係なかった。七千時間歩いてきた男に、待つことへの抵抗はない。
パン屋のNPC。友好度が5/10になった日。
「旅人さん……わたし、思い出したの。──パンに入れる香草の名前。『ルーチェ草』っていうの。光の草原に咲く、小さな白い花」
「ルーチェ草か、探してこよう」
「えっ──本当に?」
「旅人だからな、探し物は得意だ」
パン屋のNPCの目に、涙が浮かんだ。笑顔のままでも、今度は上辺の笑顔ではなかった。
【パン屋のNPCの名前が復元されました:エリー】
【友好度:5/10】
「わたし……エリー。わたしの名前……エリーだったの……!」
名前を思い出した。友好度が一定以上になると──名前が戻る。
「エリー……いい名前だ」
「ありがとう……本当にありがとう、旅人さん……!」
トワがルーチェ草を探しに行くと、聖都の入口付近で数人のプレイヤーに出くわした。
「あ、トワさんだ!」
「うおおおおおおトワだ! 本物だぞ、みんな!」
「分かってるって、あんまはしゃぐな! ……おい俺が見えねえだろ、早くどけよ!」
Lv80台の剣士と弓使いのパーティ。ルミナリアに来たばかりらしく、装備が砂だらけだ。
「トワさん! 聖光の森のボスって、もう復活してますか!?」
「まだだ。あと二日くらいで復活するだろう」
「二日か……あの、光蠍の効率的な狩り場ってどこですか? 砂漠の東と西で、密度が違う気がして」
「東の砂丘帯が密集している。ただし、光蛇も混ざるから、温度センサー持ちがいないと不意打ちを食らうはずだ」
「温度センサーか……うちのパーティにはいないなあ」
「見聞録がなくても、砂の表面温度が周囲より低い場所に光蛇がいる。目視でも判別できる。砂が僅かに青白い」
「マジですか!? それ知らなかった!」
「フォーラムに書いてくれませんか!?」
「書かない。自分の足で歩いて、確かめろ」
「やっぱり、そう言うんだ……」
「うわ、本物のトワだ……」
「でも今、教えてくれたじゃないですか」
「目の前にいる相手には教える。フォーラムの向こうにいる相手には教えない」
ぶれない旅人のトワに、プレイヤーたちが感動している。トワはさっさと歩き出した。ルーチェ草を探さなければ。
◇
光の草原──聖光の森の外周部に、白い花が群生していた。ルーチェ草。小さな花で、光を吸って淡く輝いている。
摘んでいると、セレスがトワの肩から花畑に飛び降りた。
「きれい。──セレス、おはなすき」
セレスが花の上に寝転がった。手のひらサイズの妖精が、白い花に埋もれている。
「トワ、みて。セレス、おはなのベッド」
「……可愛いが、潰れるぞ」
「セレス、かるい、つぶれない」
ルーナが影の中から声を出した。
「……わたしも、花畑に出たい。でも……光が強くて……」
「ルーナ、でてきて。セレスが、かげつくる」
セレスが月光を小さく灯して、花畑の一角に影を作った。その影の中に、ルーナがそっと現れた。紺色の髪の小さな妖精が、影の中で花に触れている。
「……つめたくない。この花……やさしい」
「でしょ。ソルシアのおはなとは、ちがうけど、きれいなのは、おなじ」
二人の精霊が花畑にいる。セレスは光の中、ルーナは影の中。隣り合っているが、境界線がある。──でも、手を伸ばせば届く距離。
シロが走ってきて、花畑に飛び込んだ。花が散る。
「あー! シロ! おはな!」
セレスが怒っている。シロが尻尾を振っている。ルーナが影の中で笑っている。
トワはルーチェ草を摘みながら──この光景を、冒険日誌に記録した。
記録する必要はなかったが、なんとなく。
◇
ルーチェ草を持ってパン屋に戻ると、エリーが待っていた。
「旅人さん! 見つけてくれたの!?」
「ああ、光の草原に群生していた」
エリーがルーチェ草を受け取り、嬉しそうに匂いを嗅いだ。
「この匂い……。思い出す。この匂いで、パンを焼いてたの。毎朝──お母さんに教わった焼き方で」
記憶が──少しずつ戻っている。友好度と、きっかけ(ルーチェ草)が合わさって、封印の下から記憶が上がってきている。
【パン屋エリーの友好度が上昇しました:5/10 → 6/10】
「旅人さん。──明日、このルーチェ草でパンを焼くわ。食べに来てくれる?」
「来る」
「約束ね♪」
トワがパン屋を出ると、外でタマキが待っていた。
「トワさん。わたしも聖都の薬屋のNPCと仲良くなりました。友好度3/10です」
「もうか、早いな」
「薬の話をしたら、すごく反応が良くて。──封印されていても、薬師としての記憶は身体に残ってるみたいです。手が覚えてるって」
「武器屋も同じことを言っていた。手が覚えている、と」
「身体の記憶は、頭の記憶より深いのかもしれませんね。カレンの封印でも消しきれなかったもの」
聖都のNPCたちが──少しずつ、人間に戻りつつある。




