日常
木曜日。二限の講義が休講になった。
久坂冬夜は空いた時間を持て余して、大学の食堂で一人、窓際の席に座っていた。学食のかけうどんと、紙パックのお茶。いつもの昼食だ。
周囲では学生たちがグループで喋っている。課題の話、バイトの話、週末の予定。冬夜の耳にはぼんやりと入ってくるが、会話に参加する相手はいない。
別に友人がいないわけではない。幼馴染の岡野蓮──BCOでは「オーレン」がいる。ただ蓮は別の学部で、時間割が合わない。
スマホを開く。癖のようにBCOのフォーラムを確認する。
トップスレッドが変わっていた。
【PvPランキング1位・ゼクス「Lv1の旅人に挑む」──公式対戦要請を宣言】
冬夜の指が止まった。
ゼクス。BCOのPvPランキングで一年以上不動の一位を維持している暗殺者。通称「不敗の影」。公式大会三連覇。BCOの対人戦において、最も強いとされるプレイヤー。
そのゼクスが、公式フォーラムに声明を投稿していた。
──「Lv1の旅人がPvEで無双しているのは結構だが、あれはゲームバランスの欠陥を利用した行為だ。本来の強さではない。BCOの競技シーンを守るためにも、俺が正面から叩き潰す。トワ、逃げるなよ」
スレッドのレス数は既に五千を超えている。
──「ゼクスとトワの対決とか胸熱すぎる」
──「PvP最強 vs PvE最強、夢のカードだろ」
──「いやでも、トワってPvPやったことあるのか?」
──「ないだろ。ソロで旅してただけだし」
──「ゼクスの先制攻撃くらったら即死じゃね? Lv1のHPって120だぞ」
──「ゼクスの初撃ダメージ、普通に5,000超えるからな……」
──「終わったな」
──「いや、グラオザームのブレスも全部避けてた男だぞ?」
──「PvEとPvPは別ゲーだよ」
冬夜はうどんを啜った。
PvP。対人戦。やったことがない。興味もなかった。
だが──挑まれている以上、逃げるのは性に合わない。逃げるのは煙幕でファンから逃げる時だけで十分だ。
スマホをしまい、うどんを食べ終えて、食堂を出た。
正門に向かう並木道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「あの、すみません」
振り返る。
女子学生が立っていた。同じ学部の顔だが、名前は知らない。肩までの黒髪で、教科書を胸に抱えている。少し緊張した様子だった。
「久坂くん……だよね? 二年の」
冬夜はうなずいた。
「あの、三限の比較文化論、ノート取ってる? 先週休んじゃって、もし良かったらノート見せてもらえないかなって……」
「ああ」
冬夜はカバンからノートを取り出した。講義の内容を簡潔にまとめたメモ。字は小さいが読みやすい。
「え、すごい綺麗にまとめてる……写真撮ってもいい?」
「どうぞ」
女子学生がスマホでノートを撮影する。その間、冬夜は特に何もせず、並木道の木漏れ日を見ていた。
「ありがとう! 助かった! あの、久坂くんっていつもこの辺でお昼食べてる?」
「食堂」
「あ、そうなんだ。私もたまに食堂使うから、もし見かけたら声かけてもいい?」
「別にいいけど」
女子学生が笑った。
「じゃあまた! ノートありがとうね!」
小走りで去っていく。冬夜は特に何も思わず、正門に向かって歩き出した。
──ノートくらい別に貸すだろう。なぜわざわざ「また声かけてもいいか」と聞くのかは、よくわからなかったが。
◇
帰宅。カップ麺を作りながら、蓮に電話した。
「ゼクスの対戦要請、見たか」
『見た見た。お前どうすんの?』
「受ける」
『マジか。PvPやったことないだろ、お前』
「ない」
『……ゼクスだぞ? 公式大会三連覇の』
「知ってる」
蓮が電話の向こうで盛大にため息をついた。
『お前さ、普通は「練習してから」とか「戦術を考えてから」とか言うもんだぞ』
「歩いたことのない場所を歩くのと同じだ。行ってみないとわからない」
『旅感覚でPvPに行くな。死ぬぞ』
「死んでもデスペナルティだけだろう」
『……まあ、お前がやるっていうなら止めないけど。いつ受けるんだ?』
「フォーラムに返事を書く。明日中に」
『短っ。もうちょっと焦らしてもいいんじゃないか? フォーラムめちゃくちゃ盛り上がってるし』
「焦らす意味がわからない」
『お前って、本当に……』
カップ麺が出来上がった。電話を切り、麺を啜りながらスマホを開く。
BCOのフォーラムに、一行だけ書き込んだ。
トワ:「受ける。場所と日時はそっちで決めろ」
スレッドが爆発的に加速した。
──「来たああああ!!」
──「短すぎて草」
──「かっこいい」
──「『場所と日時はそちらで決めろ』ってお前」
──「完全に挑まれた側の台詞じゃなくて挑む側の台詞で返してるんだよな」
──「ゼクスが長文で宣戦布告して、トワが一行で返すの最高すぎる」
──「この人、普段からチャットこんな感じだからな」
──「いい旅だった の人だもんな」
冬夜はスレッドを閉じて、カップ麺を食べ終えた。




