ダンジョンの非常食
とあるダンジョンには、姿なき怪物が住んでいるという噂がある。
名を「ニエンテ」という。
誰も姿を見たことがなく、出会った冒険者はひとりも帰ってこない。
どんなに腕利きであっても例外なく、忽然と姿を消す。
装備品は見つかれば運が良い方。基本的には遺体すら戻らない。
そんな噂は人々の好奇心や功名心を掻き立て、多くの冒険者をそのダンジョンへと誘った。
□ ■ □
剣士と魔導師、それから僧侶。
この3人のパーティーもまた、好奇心でダンジョンを訪れたひと組だった。
通路を歩く彼らは、行く先にある物を見つけた。
「あ、ルビナグがあるよ!」
「おお、少し採っておこう。この階層までくると少ないから」
「先程の戦闘でかなり消耗しましたし……ありがたいですね」
このダンジョンにはとある鉱石が存在する。
なめらかな曲線と透き通る薄赤が特徴のそれは、「紅玉寒天」と呼ばれる。
大きさは1mほどで、多くは1個~5個で集まっている。純度は高く美しいが、金属片や宝石といった不純物が混じっていることもある。
鉱脈があるのではという話もあったが、見つかる場所はいずれも通路や広い空間の隅のため、その可能性は薄いとされた。
現在では、ワープポイントや湧き水のような、ダンジョンによる生成物の一種だとか、ニエンテの痕跡だと噂されている。
ルビナグは不思議な鉱物だ。
宝石のような見た目なのに柔らかく、ナイフで簡単に切り分けられる。
ほんのりと甘く、無毒。HPやMPの回復もしてくれる。回復量は個体によってまちまちだが、深層で見つかる物ほど回復量が大きい。
その便利さから、冒険者達の間では便利な非常食として愛されている。
今日見つけたルビナグにはいくつかの不純物があったが、それさえ避ければ問題なく食べられるものだった。早速彼らは切り分けて袋に入れ、小さなカケラを口に放り込んだ。
「それにしても、ニエンテって本当に居るのかなあ」
ルビナグをもごもごと口の中で転がしながら、剣士は呟いた。
そうですわね、と僧侶の少女も頷く。
「誰も見たことないし、結局都市伝説みたいなもんじゃない? ねえ。イアムはどう思う?」
「……」
呼びかけた魔導師からは返事がなかった。
気付けば足音も無い。
「……イアム?」
足を止めて振り返った剣士は、一瞬その状況を疑った。
魔導師は、壁に寄り掛かるようにして動かなくなっていた。
「えっ」
魔物の気配もトラップもなかった。何が起きたか分からない。
瞬時に警戒を高め、剣の柄に手をかける。
僧侶が駆け寄り、魔術師の肩を揺する。
「イアムさん! 一体どうされたのですか!? とりあえず回復を……」
異常な状況の中でも持ち前の判断力を発揮し、回復魔法を唱えようとした彼女は何かに気付いて悲鳴を上げた。
「オレガン!?」
剣士も駆け寄る。後ずさった彼女が、自分の身に何が起きたのかを確かめるように手を見ようとして――動かなくなった。
2人はさっきまで歩いていた。喋っていた。
なのに、何もできずに動かなくなってしまった。
「オレガン! イアム!」
名前を呼んでも揺すっても返事はない。 そのうち、彼も異変に気付いた。
彼らの身体が、結晶になっている。
光を透かすように淡く輝きながら、じわじわと変化していく。血管の影が赤く滲み、指先がひび割れる。肌を日に透かしたような。血の色を滲ませたような。――不気味な薄赤い鉱石へ。
それは剣士の手も同様だった。
「え、ちょっと……!? なに、これ」
気付いた時はもう遅い。
自分の身体が石へとすり替わっていく。
声が出ない。膝が折れる。先に赤い鉱石となった2人を見上げる。
息も、熱も、意識も。全てが薄赤に飲み込まれていく。
剣士の目が最後に映したのは、僧侶の護符が鉱石に沈む瞬間だった。
全身が結晶化した彼らは、形を保てず崩れ落ちた。
その輪郭は飴を溶かし固めたように、艶やかでなめらかになっていく。
彼らの纏う装備や装飾品も溶けていく。銀細工の護符も魔法の杖も、透明度が上がるにつれてその形を失っていき、溶けきれなかった物は小さな破片として結晶に閉じ込められた。
そうしてそこに残されたのは。
美しい薄赤に輝く3つの塊だった。
□ ■ □
とある冒険者達が、ダンジョンの奥深くを歩いている。
「知ってるか? またニエンテが出たらしいぞ」
「嘘だろ? あの3人、かなりの腕利きだったじゃないか」
「でも、食糧もとっくに尽きてる頃なのに戻らないって聞いた」
「ああ、それは……」
そして彼らは、通路の先に3つ並んだ薄赤の鉱石を見つけた。
「あ、ルビナグだ」
「丁度良い、少し採っていこう」