第4話 アクアヴィッテ
あの時の僕の気持ちを否定したいと思う。
一体、亮二さんは何を考えているんだ。
結局、詳しい話は聞けなかったし。
事務所で僕と目が合えば、意味ありげにも笑みを見せてくる。
そりゃあ、亮二さんに敵うとは思ってないけど、なんか……正直、腹が立つ。
調査対象の南条 幸一は大企業の社長だけあって、あちこち飛び回っているようだが、滞在場所は誰にも告げていないようだ。
今何処にいるかと、直接聞くにも接点がない事には教える訳もない。警戒されたらそこで足止めだ。
まあ、接点があったとしても今の時代、本人と直接連絡がつけられない相手に情報を教えるなど皆無だ。
僕は、気分転換しようと圭介さんの店に向かった。
「亮二は? 一人で来るなんて珍しいね」
カウンターの中から僕に目を向けながら、圭介さんはそう訊いた。
「はは……今回はパートナーじゃないんで」
カウンター席に腰を下ろしながら苦笑する僕を見て、圭介さんはクスリと笑う。
「ふうん? まあ、守秘義務もあるだろうからね。詳しい事は訊かないけど」
「何を考えているのかホント、分からないんだよ……亮二さんは」
圭介さんはいつも、僕の話を穏やかな表情で聞いてくれる。
「ねえ……圭介さんはオーナーと親友なんだよね。長い付き合いなんでしょ、オーナーの考えている事とか、分かったりするもんなの?」
「まあ、なんとくはね。そうはいったって人の心なんて不確かなもんだろ。本当のところはどうかって、それは本人しか分からない事だよ」
「そう……だよね」
「なんだ、亮二に振り回されているのか」
察したようにクスリと笑う。
「はは。それはいつもの事だけど……ね」
「それでも落ち込んでいる訳ではなさそうだね? 生き生きしてるよ。初めて来た時とは別人みたいだ」
「そうかな……? 自分ではあんまり変わったように感じていないけど……」
「変わったと言えば、亮二もね、ふらっとここに来て、ショウに声を掛けられたんだよ。君のようにね」
「亮二さんも……?」
「だからショウが君に声を掛けたのも分かるんだ。あの時の君は、何か重いものでも背負っているように暗い顔をしていたからね」
……暗い顔……って。苦笑が漏れる。
僕は周りからそんなふうに見られていたのか。
「まあ、亮二の場合、君とは真逆でハイペースで酒を飲んでいたけどね」
「ハイペースで?」
亮二さんが酒が強いのは知っているが……。
「ああ。終いにはウォッカをストレートでくれってさ」
「まあ、でも亮二さん、ウォッカしか飲まないよね、いつも」
僕の言葉に、圭介さんの表情が少し翳りを見せる。
「それには理由があるんだ」
「理由……?」
圭介さんは、その時の亮二さんの話を始めた。
「亮二はやたら陽気に店に入って来たんだ。ここに来る前から飲んでいたようでね。入って来るなりウォッカをストレートでくれと言う。流石にあの状態で飲ませる訳にはいかないから軽いカクテルを出した。初めは文句も言わずに飲んでいたけど、何杯飲んでも満足しないみたいでね、ウォッカを飲んだら帰るとせがみ始めて、水にしろと水を出したんだ。そしたら亮二のヤツ、急に暗い顔してグラスを握り締めてこう言ったんだ」
亮二さんが……そんな事を……。
「『心が渇き過ぎちまった。ただの『水』じゃ足りないんだ』ってね……」
「水……?」
「ウォッカの語源はヴァダー。水って意味だよ」
「ウォッカが……亮二さんにとっての水って事……」
心を癒す為の……。
「そして蒸留酒はね、ラテン語でアクアヴィッテ。生命の水だ」
「生命の……水」
生きる為に必要だというのか……。
亮二さんに一体……何があったというのだろう。
この一年、殆ど彼と行動を共にして来たけど、何かを抱えているようには見えなかった。
暗い顔なんて見た時がない。
「喋り過ぎだよ、圭介さん」
圭介さんとの話に集中し過ぎて、僕は亮二さんが入って来た事に気づかなかったが。
「ああ、すまない。今回はパートナーじゃないって聞いたから、何か悩みでもあるのかと。お節介だったね」
圭介さんは、亮二さんが来た事に気づいていたはずだ。
内緒の話などする人ではない事を知っている。
圭介さんがその話を僕にする事を、亮二さんは分かっていた。
「まあ、別にいいけど」
僕の隣に座る亮二さんに、圭介さんはショットグラスにウォッカを注いで出した。
亮二さんはそれを一気に飲み干すと、グラスを指で摘んで僕に見せるように向ける。
「気になる? ユウ。俺の過去」
気にも留める事はなかったが、確かに亮二さんはいつもウォッカを飲んでいる。
そして圭介さんは何も聞かず、亮二さんにウォッカを出す。
亮二さんがウォッカを飲んでいる内は、渇きは癒えていないという事か……。
「別に」
僕は、亮二さんから目線を外し、自分のグラスを手に取ると興味のないフリをして酒を飲む。
気にならない訳じゃない。
だけど……彼が自然に話してくれるまでは……。
訊かないでいよう。
「それで? どうするつもり? ユウ。何か策は見つかった?」
「言う訳ないだろ。そっちだって言うつもりはないんだから」
「まあね。だけど、そんなユウにもう一枚」
亮二さんは、写真を裏返しにカウンターに置いた。
僕が写真を手に取ると同時に、彼は席を立つ。
え……これ……。
「亮二さんっ……!」
写真を見た僕は、亮二さんを目で追ったが既に店を後にしていた。
なんなんだ……。
亮二さんが彼女に言った言葉がふいに浮かぶ。
『俺にあなたの駒になれと?』
あの言葉の意味って……。
僕は写真を握り締めたまま、頭を垂れた。
「ねえ……圭介さん……正しい事ってなんだろう」
「ユウ。君はどの角度から見て、正しい事だと決めるんだ? その基準は何処にある? 自分なのかな?」
「え……?」
圭介さんは、ふっと静かに笑みを漏らすと、僕の前にグラスを置いた。
ウォッカの入った……ショットグラス。
……亮二さん……あなたは今、何を見ている?
「ユウ……亮二は何が正しいかなんて見ていないよ」
「圭介さん……」
圭介さんの言葉に僕は。
「亮二は、何を正しいと決めたのかを見ているんだ」
渡された写真に再度、目を向けた。
彼女に渡された写真にはきっと、明らかにして欲しい何かが隠されている。
だけど、どうしてそれを話そうとしないのか……。
それはこの日付にあるのだろう。
同じ日付、同じ店での同じ構図。
テーブルに並んだ食事も、この写真は彼女が僕に見せた写真と同じだが。
彼と一緒に写っているのは、神崎 瑠衣……彼女じゃない。




