第2話 二重依頼
依頼人、神崎 瑠衣が帰った後、ソファーでくつろぎながら珈琲を飲む亮二さんに近づき、僕は言った。
「どういう事?」
不機嫌な僕の口調に彼は、ちらりと僕に目線を向けるとカップをテーブルに置く。
「なにが?」
そう答えてニヤリと口元を歪めて笑った。
惚ける気かっ。
「さっきの依頼だよ」
「ああ、人探しね。頑張れよ」
人ごとのようにさらりと言う亮二さん。
「亮二さんが僕に投げたんだろ」
「結果、OKだしたの、ユウだろ」
そう言って彼は、クスッと揶揄うように笑う。
ああーっ……! これじゃあ、平行線だ。
出来れば、そっちの情報が欲しいところだが。
「文句言わずに早くやれ。依頼は依頼なんだから」
「亮二さん……何を考えているんだよ? 依頼人の素性まで調べていたくせに、受けるなんてあり得ない」
「なにを言っている。人助け、だろ?」
「そんな事、本気で思ってないだろ」
「思ってるよ。本気でね?」
ニヤリと笑うその笑みには、思惑が滲んでいる。
僕は、呆れるように大きな溜息をついた。
「なに? まだ何かあんの? ユウ」
僕が何を思っているか分かっているくせに。
僕だって気づいてるよ。
彼をじっと見る僕は、少し間を置いて答えた。
「二重依頼だろ、亮二さん」
僕のその言葉に彼は、満足そうな顔を見せる。
「勘が良くなったね、ユウ?」
……やっぱりそうか。
「俺の依頼人は彼女の探し人の南条 幸一だよ」
笑って言い切る彼に、僕は言葉を返さなかった。
それは彼が次に言う言葉を分かっていたからだ。
「俺とお前は敵同士って事になっちゃうね?」
僕の反応を楽しんでいるかのようだ。
なんだか負けたような気がして悔しくなるが、引き下がるもんかっ。
まあ……亮二さんと勝負したい訳じゃないけど。
「じゃあ、亮二さんに口を割らせれば、居場所が分かるって事だね?」
悔しさに顔を引き攣らせながらも、嫌味っぽく言った。
「そう。俺の口を割る事が出来れば、ね?」
出来る訳ないだろうといった顔だ。
確かに簡単に口を割らないだろう。
だけど、なんだ、この微妙な情報の小出しは。
僕と亮二さんが敵同士……それは亮二さんの依頼人である南條 幸一は、僕の依頼人である神崎 瑠衣に探して欲しくないという事になる。決別だ。
それならば、双方の依頼人にそう伝えればいいだけの話にもなるが……。
そんな単純な話なら、探偵を頼る程の事でもない。
当人同士でどうにか出来る問題だ。
なのにそれを亮二さんが受けたって事が僕には引っ掛かる。
そもそも、依頼内容はなんだ?
こんな二重依頼、探偵事務所が別であるならまだしも、同じ事務所の探偵が受けるのはおかしいだろ。
かち合うに決まってるんだから。
だけど、守秘義務はあるが、同じ事務所の探偵同士なら、それも知る事が出来る。
そしてこの事務所のオーナー、北川 ショウ……彼に報告は勿論の事だが、オーナーはこの件を了承している。
しかも、あっさりと、だ。
よろしく頼むと言い残して、何処かに出掛けて行ってしまった。
まあ……オーナーが事務所にいる時はあまりないのだが。
「ねえ……亮二さん。先に依頼を受けたのは亮二さんの方で、ここに彼女が来る事は南条 幸一も知っていたって事? 彼は彼女が自分を探すだろうと思っていたから、それを阻む為に彼女が依頼に来そうな探偵事務所の探偵に……だからあのタイミングで亮二さん、あの場に顔を出したんだろ?」
「南条 幸一も? 『も』って何?」
「何って……亮二さんは知っていただろ」
「ああ、知っていたよ。だけど『も』じゃない」
笑みを浮かべていた亮二さんの表情が真顔になる。
「ユウ。彼は『探偵』に依頼したんだよ」
「それは分かってるよ。だからそれを今、訊いているんじゃないか。いつ依頼を受けたのか、僕は知らなかったけど」
亮二さんの向かい側のソファーに座った僕を、彼はじっと見る。
「なに……亮二さん?」
圧を掛けるような目に、僕は戸惑った。
なんかマズイ事でも言ったか……?
「お前……それ憶測?」
「え……?」
「お前の話から見えるのは、彼は彼女と別れたくて、それでも彼女が追って来るだろうからそれを止めてくれって? それも数ある探偵事務所の中からピンポイントでここ? へえ? 凄い偶然だな?」
「あ……えっと……いや……あ。あ」
やってしまった。
目前に知り得た情報だけで形を作ってしまった。
これじゃあ、僕が受けた人探しの依頼は成り立たなくなる。
相手の動向を探るにしても、これではやりづらくなるだけだ。
だけど。
「だって……亮二さん、僕とは敵同士になるって……言うから……」
ああ、言い訳だ。
僕だってそう思っていたし。
「あのな、ユウ。彼の立場ならそんな話、いっその事、和解金でも積んで弁護士に依頼すれば済むんだよ。顧問ついてんだろーが。企業専門っていったって、その手の話はいくらだって都合つくんだよ」
「あ」
「あ、じゃねえよ。お前、簡単に解釈出来るところだけ拾い過ぎ。楽しようとすんな。そもそも俺たちのようなところに来るのは、複雑なんだよ。依頼人が全部を話す訳でもないが、調査に当たってある程度のラインは当然、俺たちにもある。ただそのラインは俺たちの方が有利に動く」
「弁護士よりもって事……だよね」
「法廷でやり合う訳じゃないからね。法廷では認められない証拠も証拠に出来るって事」
「それって……盗撮……とか?」
「言い方悪いな、お前」
「結果そうなるだろ。他にどんな言い方が? ああ、隠し撮り、か」
「お前ね……そういう時だけ無駄に刃向かうな。証拠は証拠、だろ」
そう言って亮二さんは、テーブルに一枚の写真を置いた。
僕はそれを手に取る。
「……どういう事……?」
写真を見て驚く僕に、亮二さんは言った。
「写真ってさ、一瞬である程度の情報を得る事が出来るけど、それが真実か偽りかまでは判断出来ない。必要なのはその前後だ。それで判断基準が出来るって訳だが。その写真、それは『前』彼女がお前に見せた写真のね」
「前って……」
どうやってこれを手に入れたんだ……?
似たような構図の写真。
だが、店は同じようだが服装は違う。
そもそも、亮二さんの受けた依頼って一体いつから……。
亮二さんは、僕の手から写真をスッと抜き取ると、僕に向けてテーブルに置き、ある位置を指でトントンと差し示す。
日付……。
『わざわざ日付を入れてるって事は、記念日でもあったのかな?』
記念日……確かに同じ日付だ。
だけど。
この写真は去年だ。