山奥の村に隠されていた少年は勇者となり、そして死ぬ
昔、投稿させていただいた作品をリメイクしたものです。
よろしくお願いします。
「勇者」とは、勇気にあふれる人。
多くの者が恐れる困難に立ち向かい偉業を達した者。
今は昔、魔族や魔物が蔓延る時代。
多くの人間達は、住む町や食料、果ては魔族に奴隷にされるなど人権まで搾取されていた。そんな中、ある一人の人物が歴史の表舞台に現れた。
その名は「ブラスト」。
ブラストは、凄腕の剣士も霞むほどの剣の技術、天地を揺るがすほどの圧倒的な魔法、そしてどんな困難・恐怖にも負けない強い心を持ち、魔族や魔物を次々に打ち破っていった。そしてついには、大魔王「ガンダール」と相まみえその身を犠牲にしながら平和をつかみ取った。
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「いつかブラストのようになりたいな」
以前、父親であるイルから聞いた偉人ブラストの話を思い出しながら、レイは地面に横たわりそっと言葉を口にした。
「どうしたレイ。そんな腕前ではブラストのようにはなれないぞ」
レイを見上げながらそう言葉を口にする壮年の男はレイの剣の師匠であるガイ。
「もう一度お願いします」
「パァッン」という木剣と木剣のぶつかり合う、迫力のある音が草原に響く。
灰色の髪を靡かせ、汗を飛ばしながらレイが剣を振るう。対するガイは、余裕の表情であしらいつつ、レイの隙を見て時折鋭い反撃を繰り出す。
最初は反撃をいなしつつ攻めに転じていたが、徐々にいなしきれずに打ちのめされる。剣技を受け止められながら厳しい強打も浴び、元の体力以上に差が開いていく。肩で息をするようになったレイは、緩慢になった攻撃の手を休めた。
「今日はここまでにするか」
ガイが尋ねるが、答えは無い。息が上がっていて答えられないだけでは無いようだ。レイの目は、まだ諦めに染まってはいなかった。
対峙したガイはそれを見て、気付かれないように喜びを抑える。
昔、王宮の騎士団長を務めていた彼から見ても、出会った頃から素質のある良い少年だと思っていた。何よりも、何度失敗をしてもその失敗を糧に創意工夫で上達する様が教えていて愉しいのだ。恐らく今も、一人で練習してきた技を試すつもりなのだろう。
「あともう一戦だけお願いします」
声を上げると、レイは剣を上段に掲げて突っ込んだ。
ガイが剣を前に突き出しながら迎え撃つのを余り剣を動かさずに逸らしていく。間合いを詰めたレイは、足を大きく踏み出して剣を振りかざす。
それを颯爽と躱すのを横目に見ながらすぐに振り下ろした剣を逆さに切り替え真上に切り上げた。繰り出した切り上げは鋭かったが、上から抑えられ剣を弾かれた。
弾かれた木剣が回転しながら飛ぶ中、レイは喉元に当てられた剣先を見ていた。左耳で揺れる丸形のピアスが立ち回りの名残りを伝える。
「今日はここまでにしよう」
「そうですね。ありがとうございました」
剣を戻したガイに礼を言って、レイは大きく息を吐いた。
まだまだか、とレイは肩を落としたが、ガイは口に出さないだけで驚いていた。いくつか改善箇所があるとはいえ最後のは必殺の一撃だろう。
そこらの剣士では何十年と修練をかけても出せないような一撃であり、ガイであっても本気になって対応しなければ木剣ですら深手を負いかねない威力があった。
十六にして、これほどの逸材はなかなか類を見ないだろう。村を出て士官すれば、騎士団長の最年少記録を更新するのは間違いないだろう。
だが、少年の背負わされた使命を考えれば、その腕でもまだ足りないのだ。
ーー少年はまだその使命のことを知る由もないが…。
「最後のやつ、師匠に一泡吹かせられると思ったのですが」
「発想は良かったが、経験の差だな」
「まだ師匠には適わないか」
豪快に笑う男に、レイは苦笑で返した。その顔を白いタオルを放って覆い隠し、男は背中を向ける。
「汗で身体冷やすなよ」
大丈夫です、と答えてのろのろと歩くレイを、ガイはそのまま見送った。
幾度か、この後ろ姿へ打ち込んだ事もあって、レイに完全な隙は無い。戦闘が終わった後の普段の日常においても周囲に気配を向けている。ここまで成長したことに満足しつつ立ち去ろうとしたガイの視界に、一人の老師が入ってきた。
剣の道をひたすら進んできたガイですら名前を知っていた魔法使い。魔法使いであれば誰もが憧れ尊敬の念を集める。この村の発足にも関わりガイに声をかけたのもこの老師であった。
「お疲れガイ君。いかがかな、レイの剣の腕前は」
「お疲れ様です。順調ですね。技術面ではあと少しで超えられてしまいそうです」
ほう、と皺深い顔の中で目が見開かれる。
レイの腕では、まだガイには適わない。レイの使命を考えればまだまだといえる腕前だろう。
だが、少年に求められているのは、剣士として後世に名を残すわけでは無いのだ。戦いに関する心構えや基本的な技術は身につけた以上、レイに必要だと思うのは、後は実戦経験だけである。
「あとは実戦経験を積んでいく段階ですかね。魔法の方は如何ですか?」
「ほ、ほ、ほ。それは良いことじゃ。こちらはいよいよ、雷魔法を教えられる素養が固まったでのう」
雷魔法、と聞いて男も唾を飲んだ。
雷を操る者は、伝説級の魔法使いの中にも殆どいない。一部の魔族や、神に仕える者であるエルフにのみが操れるという、人を超えた力。魔法に疎い剣士といえど、話ぐらいは聞いた事がある魔法だった。
ガイは畏怖に打たれたようだが、老師は皺まみれの口に笑いを含んでいた。
「雷というと聞こえは凄いが、そう大したもんでも無いぞ。まあ、少しばかり威力がある炎魔法のようなものだ」
「そうなんですか?」
「まあ、儂が教えられるのがその程度、という事なのじゃがな。雷魔法の真の力は上位階級の魔法によって効果が出てくる。かのブラストが唱えた雷魔法は一度に数百の魔物を葬ったといわれておるのぉ」
だから雷魔法は怖れられている、と老師は締めくくった。
この世界において、魔法は大まかに低位魔法、中位魔法、上位魔法に区分されている。中には、その区分に当てはまらない魔法も存在しているが。
そして、レイはその上位魔法もいずれ修得出来ると、老師は確信していた。彼が教えたのは低位階級である炎魔法「ファイア」と爆破魔法「ボマー」。魔法使いの初歩的な魔法だが、単体目標と複数目標という魔法の基礎、あらゆる魔法の基本をこの二つで徹底させていた。
レイは、村の者から回復魔法も教わっている。
この回復魔法は、本来は神に仕えし神官やシスター達が神に祈りを捧げながら地道に修行を重ねたもののみが取得できるものであるが、レイはそれを苦もなく取得してしまった。神官学校に通っている生徒から聞いたら驚愕するであろう才能。
彼さえ望むなら、あらゆる魔法を使う基礎が整いつつあった。
話をしながら、ガイと老師の二人が村を眺めた。
山間部にぽっかりと開いたこの村は、入口以外は高く頑丈な壁に囲われており外部からの侵入を防ぐ仕様となっている。村の地下には水源があり、その水を井戸でくみ上げ利用している。農作にも工房にも適さず、その村独自の名産品なども何も無い。収入は、村の者が時折、出稼ぎに行く事で賄っている。
村の人口と出稼ぎの期間からすれば、普通なら食うのもままならないだろう。だが、それを可能にするだけの技能をこの村の者なら誰もが持っていた。
「セントラル国とウィザード国の戦争も回避されたようじゃからな。これで、腰を据えてレイを育てられるじゃろうて」
セントラル国は、昔から農業が盛んであるとともに近年は冒険者を正規の騎士団として雇うなど軍事力に力を入れている国である。
ウィザード国は、代々上級国民である「華族」が政治を牛耳っており階級制度に厳しい国であるとともに、世界的に有名な騎士団や将軍を何度も排出している国である。
「将来、あいつと共に戦えると思うと、今から胸が躍りますな」
ガイの想いは、この村の殆どの者の気持ちと同じであった。
レイをそんな戦いの中に投じたく無いと思う者ですら、避けられない事は分かっているのだ。彼に秘められた資質は、必ず魔族や魔物の標的となる。
現に数年ほど前、ガラサタイ国を含む各国では、レイと同い年の子供が攫われる事件が相次いだ。このことに関しては、事件解決には村人達も多く関わっておりレイが近い将来、否が応でも表舞台に出てしまうことを強く感じる出来事でもあった。
その頃から村人たちは薄々感じている。いくら平穏を望んだとしても、いつか崩れてしまうということを。
「心配なさいますな。我らがいる限り、レイが倒れる事はありませんぞ」
「それでも出来ればこのまま平穏に過ごしていきたいと、そう願うのじゃろうな」
そう言葉にした老師の見つめる先には、池の脇にある花畑があった。
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ウィザード国とセントラル国とガラサタイ国の3つの国のちょうど中間地点にある山脈から少し北へ離れた深い森の中。
木こりすら寄りつかない山奥に、その村はあった。
村人は決して用があるとき以外は外に出ず、余所者も寄せ付けない。極秘に村を出る者は、所在地を隠遁させる複雑な抜け道を通るほど徹底的に村の存在を表に出させないようにしていた。ひっそりと暮らす彼ら以外、そんな村がある事すら誰も知らないはずだった。
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剣の稽古により汗にまみれたレイは、いつものように池の水で汗と疲労を落とすと、水分を拭いながら歩き出した。
湖畔で釣り糸を垂れている父、イルが見えるが、腰から上が左右に揺れている。おそらくまた寝ているのだろう。自分は父親似だろうな、と口元に柔らかい笑みが浮かんだ。
生まれてこの方、レイは村以外の景色を見た事は無い。
それでも、村人達からはよく外の様子を聞かされて育った。当然のように彼は外の世界へ興味を持ったのだが、何度外に出たいと言っても出る事は許されていなかった。
「一人前にならなくては、か」
レイとて、この村が気に入らないわけでは無い。
緑あふれ豊かな平穏な毎日。剣術と魔法の修練は厳しいが、成長を実感し楽しいと感じる気持ちがあるから続けられた。満たされてはいるものの、自分にはまだまだ知らない土地や街があることを感じると、箱庭じみた生活に息苦しさを感じるのも事実だった。
村を出るには、まだまだ力不足だ。外の世界はお前が思っているよりずっと過酷だ。
剣の師匠や魔法の先生に限らず、村人なら誰もが口を揃えてそう言った。師匠達の足下にも及ばない事は分かっているが、それなりに上達しているのだ。魔物が出るとはいえ、ウィザード国辺りに行くくらいなら大した苦労も無いはずだ。
そして、村人達もそれを分かった上で反対している。この村人たちの答えが、まだレイに知らされていない隠された”なにか”があることは分かっていた。
父親や母親は茶色の髪色をしているのにも関わらず、自分の灰色の髪を見ることからわかるように自分が両親の本当の子供でないことも数年前には気づいていたし、村で生まれた他の子供が村の外に出される理由や自分以外の同世代の子供が自分を除いて一人しかいないことも気になってはいた。
いずれ認められれば、全て話して貰えるだろう。
基本的にお人好しなレイは、そう思って日々の修練に打ち込んできた。
「おつかれ、レイ」
「今日も勝つことができなかったよ、リーファ」
下から聞こえた声に足を止める。
花畑の中で寝転がった少女は、右手首に付けた大き目なリングを揺らしながら小さく伸びをしていた。手足も体も、抱きしめたら折れてしまいそうなくらいに細い。
この少女こそが彼以外の唯一の同世代の人物であり、幼馴染のような関係でもある。
彼女も、レイにとっては不思議な存在だった。
彼が物心ついて以来、リーファの見た目がほとんど変わっていないこともそうだが、1番不思議なのは、他の村人たちと話をしている時とは異なる感情が出てくることだった。
「こうして寝転がっていると、とっても良い気持ちよ」
誰もが目を向けるであろう綺麗な顔を向けにこにこ笑いながら、ぽんぽんと隣を叩いている。素直に従って隣に寝転び、レイは空を眺めた。
ーーどうして、彼女には逆らえないのだろうか。
ーー何故、一緒にいるとこんなにも安らぐのだろうか。
世の中のどんな不可思議よりも、少年にとっての疑問が隣にあった。
ふと目をやると、微笑みが返ってくる。
彼女の鮮やかな翠色の髪が風に靡かれて揺れていた。
物心がついた頃には姉の様で、気がついたら友達になり、いつの間にか恋人になっていた。
レイにとって、リーファが隣にいるのは当然の事であり、いつか村の外に出る時、彼女と一緒に旅をする事は、彼にとって考えるまでもなく決まっている事だった。
例え何があっても、彼女さえ傍にいてくれれば、何だって出来るはずだから。
「そういえば、1つレイに見せたいものがあるの」
お気に入りの物を友人に見せるような嬉しそうな顔で、右手のつけている大き目のリングを指さした。
「このリングに魔力をこめるとね」
「わ!」
リーファがリングに魔力を込めた瞬間、「びっくりした?」という文字が空中に浮かんできた。
「すごいな、これ。魔力で動く魔防具の1つ?」
「そうなの。このリングは指定した魔力を込めると、前もって準備したメッセージが浮かび上がる仕組みなの」
「伝言とか伝達の時に使いそうだね」
ほぉ~と感心したようにレイがつぶやく。そんなレイを横目で見ながら、リーファは神妙な顔で声をかけた。
「ねえ、レイ」
「ん?」
「このままずっと二人で仲良く過ごせたらいいのにね。」
いつか訪れる旅立ちに反対している、だけでは無い言葉にレイは返事を探す。
だが、いくらリーファの顔を覗き込んでも、答えは見つからなかった。だから、よく分からないけれど、と前置きして彼は告げる。
「リーファとこれからもずっと一緒にいたいな、俺は」
「ありがとう。私もそうだよ」
何かを怖れているように少し強張っている彼女の顔にレイは心当たりがあった。それを振り払ってやる為に、少しおどけて聞いてみる。
「もしかして、村の掟が破られた事を心配してるの?」
「掟? ああ、あの冒険者さんね」
世界の未開の地を探求していた、という冒険家が助けられたのは二日ほど前の事だった。レイはその世界の未開の地の話や昨年ウィザード国で行われたという剣魔武道大会についての話が聞きたくて、よくお見舞いに行っている。
その大会で優勝したのは、レイナという旅の女剣士。身長は一般男性並みに高く腕も師匠並みに太いんだろうなと想像したのだが、冒険家の話では可愛らしいお嬢さんだったという事。
当時十五歳だから、今は十六歳であり同い年ということにかなり驚愕をしたのを覚えている。
村に余所者を入れる事は今まで掟により禁止されるほど厳しいものであったが、不思議と、レイが話を聞きに行ってもそれを咎められる事は無かった。
「傷だらけで倒れていたのだから、助けるのは自然だと思うわよ。彼も、ここの村のことや秘密は守ると約束してくれたし。ただ……」
「彼が怪我をしていた理由だね」
答えを求めない問いかけに、リーファは自分の考えをまとめるように頷いた。
彼はこの村からほど近くの山脈の麓を歩いていた際に魔物に遭遇したという。しかも、その魔物というのが世界を旅している冒険家である彼ですら深手を負うほどの強敵であった。
セントラル国辺りは騎士団が定期的に討伐隊を編成する為に強い魔物は存在しない。その為、この付近は自警団や賞金稼ぎが現われる事も無く隠れ住むには絶好の場所であった。
それなのに、この辺りで見かけなかった強力な魔物であったことがリーファや村の人たちが一抹の不安を持っている理由である。
冒険家の容態は、村のシスターが看たのだが旅立てるようになるには、かなり時間がかかるらしい。
「師匠や老師もいるし、いざとなったら俺も戦う。リーファは俺が守るから」
切れ長でありながらパチリとした目を少し細目ながら片側の口元を持ち上げて、レイがニヤリと笑った。
剣の師匠譲りのその笑みは、人の良さそうな彼の顔には場違いだった。
「やっぱり似合わないよ、それ」
リーファが笑いながら、彼の鼻をつまむ。そうかなあ、とやや拗ねる様子に吹き出して、彼女が彼に身を寄せた。
「ありがとう」
何故か寂しそうに聞こえる声に、レイは問い質したかったのだが、「グゥ~」という自分の腹の音に遮られて中断させられてしまった。
深刻ぶった顔は似合わないとばかりに、顔を赤らめたレイをリーファがくすくすと笑う。レイが気恥ずかしくなって視線を逸らすと、リーファがその肩を優しく叩いた。
「午後は、魔法の修業があるんでしょう? お腹空いてると大変よ」
「そうだね。それじゃ、終わったらまた」
お腹に力を入れ勢いをつけて起き上がったレイが、草を払って歩き出す。
それを見送ったリーファは、そっと小さく囁く。
「君は命に変えても守るよ」
その声は、風の流れにのり消えていく。
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花畑から数分歩いたところに石造建ての一軒家が見えてきた。煙突から香ばしい香りが漂っている。
レイは逸る様な気持ちでドアノブに手をかけた。
「お疲れさま。今日の剣の稽古はどうだったの?」
リビングの方から母であるマオの優し気な声が聞こえてきた。
「今日も師匠にはかなわなかったよ。早くブラストのように強くなりたいな」
「そうかい。でも母さんは純粋な強さよりも心の強さが大事だと思うわよ」
マオの言葉を聞いたレイは納得しつつも、少し悔し気な表情を浮かべながら、リビングで手を洗い色とりどりの食事が並ぶテーブルの前に腰かけ、目の前のご馳走に手をつけた。
「まあ、でも。お前にはリーファみたいに、寄り添い支えてくれる芯の強い娘がお似合いだと思うけどね」
いきなりの言葉に、レイは口に含んでいたスープを吹き出してしまった。
余りに急で、何の脈絡も無い言葉に動転したレイ、母親がけらけらと笑う。
「あたしに一本取られてるようじゃ、お師匠さんにはまだまだ勝てないわよ」
「無茶言うなよ」
膨れて口を拭うレイを、余裕たっぷりに母親が笑い流した。
顔つきは余り似ていない上に髪の色も違う。血の繋がりが無い事は、レイも両親も知っている。だが、食卓を囲む姿は、親子そのものであった。
「それでもねえ。あたしも、早く孫の顔が見たいわね。あんたの子をこの手に抱いてみたいもんさ」
「そういうのは授かりものだって、シスターも言ってたよ」
「……ちっ。照れて否定するぐらいしなよ。可愛げの無い子だね」
「親に似たんだろうな」
不敵に昼食を再開した息子を、暫くつまらなそうに睨んでいたが。母親の茶色い髪の下で、茶色い目が優しく緩んでいった。
「あんたも、こういう話ができるぐらい大きくなったんだねえ」
しんみりした母の顔を見たレイも気分を整える為、紅茶を流し込みさっぱりとさせてから、記憶を確かめるように口を開く。
「父さんも同じようなこと言ってた。十六になって、そろそろ大人の仲間入りだ、って」
「あの人が? そうかい」
その時の父親の表情が何かを固く決意した顔をしていたことはレイの胸の内に秘めておく事にした。
そろそろ大人の仲間入りから、「そろそろ」が取れた時。恐らく両親が、自分の出生の秘密や、この村が隠れ住む理由を教えてくれるはずだから。それまでは、自分の口から尋ねるものでは無いと。
静かな空気が流れ、どちらからともなく食事を再開しようとした時。「ドカン」という荒々しく入り口のドアが開かれた。
「大変だ、大量の魔物達が村に攻めてきた!!」
駆け込んできた村人は、汗をほとばしながら焦る表情でそう告げた。外からは人々が忙しく立ち回る音が聞こえてきた。
「魔物たちはどこまで来ているんだい?」
「奴ら、すぐ近くまで来てる」
聞いて立ち上がったレイは、背後からの気配に咄嗟に身体を身構えた。顔の目の前に粉状のものがキラキラと舞っていた。レイは驚愕に顔を引きつらせて、粉の持ち主を見た。
だが、母親は穏やかに優しく微笑んでいる。
「無事でいてねレイ、早くお逃げ」
「かあ、さん。な、んで」
鼻と口から入り込んだ麻痺毒に神経を犯され、レイの舌が回らなくなる。見開いた目は余すところなく、母親が自分を村人に預けるのを見ていた。
自力で動く事の出来なくなったレイを抱えて、村人が家を飛び出す。家の中では、床底の扉を開き弓を携えた母の背中が見えた。
「ウウ―!ウ―!」
レイは口をいっぱいに開けて叫ぼうとしたが、力無い呻きが漏れるだけだった。
「魔物をレイのもとには行かせるな。とにかく、レイを安全なところへ」
村の入り口を固めていた一人が振り返って、レイを抱えた男に叫ぶ。見かけによらず、人一人抱えながら、素早く目的の場所に向かう男の足取りに乱れは無かった。
「勇者を探せ―!」
「必ずここにいるはずだ!草の根を分けてでも見つけろ!!」
獰猛で凶悪な耳を覆いたくなるような声が村全体に響き渡る。
驚愕と混乱に掻き乱されたレイの目の前に、翠色の髪が入り込んだ。
「リーファ」
大声で叫んだつもりだったが、レイの声は小さかった。それでもそれが届いたのか、リーファが駆け寄ってきて、強く決意を秘めた悲しみに揺れている大きな瞳で彼を覗き込むと同時にリーファの細くひんやりとした手が彼の手を包み込んだ。
一心に身を案じてくれる姿に、レイの心に不吉が渦巻いていく。
「あなたのことは絶対に守るから……とにかく隠れて。無事でいてね……」
リーファの手が離れると共に、村人の背からまた誰かの背へとレイの体が受け渡された。
喧噪へと遠ざかるリーファの背中を、レイが必死に目で追う。だがその姿は、涙で視界が滲んでしまっている間に忙しく駆け回る村人達の中へと消えていってしまった。
どうにかして解毒薬を飲み麻痺を治したい。
レイがそう考えながら首を巡らすと、父親が駆け寄ってきた。
いつも寝ているような印象がある、ぼんやりとした父。大らかで、穏やかでいつもにこやかな人。それが、服装や姿形は変わっていないのに、雰囲気がまるで変わってしまっていた。
「私達は、お前の本当の親では無い。こんな状況の中で、告げなければいけなくてすまない。だが、私達はレイと今まで過ごしてきた日々は本当に幸せだったと思っているよ」
別れ話のような、もう二度と会えないような言い方に、レイの顔が強張る。レイが言葉を発しようとしたが、父親に促された、彼を担いだままの人物はそのまま歩き出した。
動きたくても自由にならない体。
見開いたまま全てを映していく目。
村は戦いの準備へと突き進んでいる。だというのに、何故、日夜訓練を欠かさずに来た自分が外されようとしているのか。
悔しさで奥歯を噛みしめながら、レイは意識を集中させる。麻痺しきった体から、絞り出すようにして声を出した。
「俺、も戦、う」
「駄目だ」
レイの言葉をすぐに否定した、彼を抱えている人物は剣の師匠のガイであった。
「魔物たちの狙いはお前だ。お前に秘められた力を奴らは恐れている」
レイが再び声を出したが、村人たちの足音に掻き消されていた。自分の声が戦いの準備にすら消されるほど小さい事に、彼は目の前が赤くなるほど怒りを覚える。
「お待ちしてました! さあ早く!私は先に守備隊の方へ向かいます」
倉庫前にいた男が、レイを背負ったガイに声を掛けて走り出していく。特殊な操作で隠し通路を開いたガイが、レイを背負いながら中へと入る。闇に閉ざされていく視界は、レイに言い様の無い焦燥を与えた。
「絶対に生き延びろ、レイ。そして、強くなれ。身も心もな」
力強い眼差し、少年を心から思っての言葉。聞かされたレイは、今の状況で何もできない無力な自分に対して、どうしようも無いほどに激しい怒りを覚えた。
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戦いが始まると聞いた冒険者は、ベットから起き上がり自分も手伝う事を申し出た。こんな山奥の村で、戦える者などそういるはずが無いのだ。それならば、多少の怪我を押しても、戦える自分が加わるべきだと。
冒険者は、人間界の中では精鋭と呼べるであろう実力であった。
その実力の裏付けとして、この世界は冒険者ギルドというものがあり、強さや貢献度によりランクがSランクからEランクまである中で、世界に数十人しかいないとされているAランク冒険者である。
そんな彼だからこそ、魔族の動向を探るという王命を携わり部下を引き連れずに一人で世界を回っていた。
だが、這い出た彼が見た物は、そこらの国の騎士団が霞むような完全武装の部隊だった。
鋼の鎧と剣でもあれば、セントラル国辺りでは一端の戦士扱いだろうに。竜鱗を着込んだ戦士や、魔法の法衣を着た僧侶の姿が見える。
そして、誰もがその武防具を着こなしていた。経験に満ちた、迷いのない己のやるべき事を知る一つの精鋭団がそこにあった。
「これは、一体……」
呆然と呟いた彼の元へ、彼を助けた男が駆け寄って来るのが見えた。
前に見た、純朴そうな店主の衣服とは違い、魔法の光沢を帯びた武具を着込んでいる。それを見る限り、彼の本職は戦士なのだろう。
その時ふと思った。
冒険者を助けた時には、彼はろくな武装もしていなかった筈である。なのに、冒険者に深手を負わせた魔物を、あしらったというのだろう。それが武闘家ならばまだしも、戦士が武器を持たずに素手で対応したという事実に旋律した。
この村の者達は一体何だというのか。
「すまないな」
「何が、ですか?」
戦いに関する命令でも無く、第一声が謝罪だった事に冒険者は戸惑った。
「村のものでないあんたは出来れば逃がしてやりたかったんだがな、どうにも無理そうでな…」
「しかし、これだけの精鋭揃いなら、そこらの魔物には負けないのでは……」
黙って男が指さした方を見上げて、冒険者は眉をしかめた。
何百いや何千、それ以上にいるであろう魔物の群れが村の入り口の奥から見えてきている。さらには、上空にも真っ黒い雲のように見える魔物の集合体がこちらに近づいてきている。遠目に見える魔物たちは、世界を回っている冒険者ですら見たことがない魔物たちばかりであった。
「少しでも生きる気力があれば、こっちへ来るんだ」
店主の声に、冒険者は青い顔で頷いた。
冒険者が着いた時、既に村人たちの用意は整っていた。家を遮蔽物をとし魔法を使える一団を後衛に多く配置しながら、戦士がその周りを守るように配置されている。
さらには随所に魔法使いと戦士の少数部隊を配置することにより各部隊との連携ができるように地形や陣容を熟知した、効果的な防御陣が敷かれていた。
百やそこらでは、決して破れない。
千でも持ち堪えられるだろう。
だが、周りを囲んでいる魔物の数は、千どころではなく万に上るかもしれない。
「弓隊、用意!」
良く通る低い声が、村人の中から発せられる。それに従って、あちこちで弓を弾く者や魔法の詠唱が始まった。
上空から紫色の鱗をまとった竜の一団が口を開いた。口蓋の中で炎が渦巻き、今にも吐き出されようとした瞬間。
「放て!」
号令のもと、一斉に標的に向かって雨のような攻撃が舞い上がった。
先頭にいた一団が、次々と撃ち落とされていく。飛ぶ力を失って叩きつけられた魔物が、地上で戦士に刈り取られた。
だが、魔物たちもおとなしくしているわけではない。地上部隊の先頭集団である体長2メートルでは超えているであろう四つ足の獣族やゴブリン族の最高種ゴブリンキングなどが奇声を上げながら、戦士たちへ襲い掛かっている。
上と下、双方から飛び交う炎と氷、弓矢や血しぶきが、地面に空に広がっていく。
強襲の勢いを消された先頭部隊に代わるように続く一団が防御低下魔法や動きを遅くするといった、戦闘能力を削ぐ魔法で攻撃してくる。
ただ、闇雲に攻めてくるだけでなく相手の戦力を削ぐような戦法を使ってくる敵に対して、村人たちは後ろに控えている魔物たちを指揮している強敵の姿を意識していた。
それでも連携の取れた村人達の攻撃に、戦況は睨み合いとなって膠着した。
そんな彼らの中へ、明らかに纏う雰囲気が周りと異なる一匹の魔獣が姿を現した。
それが魔法を放つ前に、と何人もの戦士が斬りかかる。が、あっという間に数人の戦士たちの上半身が吹き飛ぶ。魔法の演唱をフェイクとし、腰に携えたサーベルを手に大きく円を描くように振り払ったのであった。
新たに現れたその魔獣を見て村人の一人がそっと呟く。
「まずいな」
「周りの魔物とはレベルが違うのう」
村人の言葉に返事をしながら老師は続けて言った。
「じゃがここで一匹でも強敵を倒せばレイの負担も減るじゃろう」
老師の傍に立ったガイも、不適に口元を歪めて見せた。ここで一匹倒す毎に、後のレイの苦労が減るのだから。可能なら、親玉を取ってしまえば彼に辛苦を味わわせる事も無い。
この思いを胸に抱きまだまだと心を奮い立たせる。
魔獣の放つ火炎の一発が、レイの生家を焼き払う。 吹き飛ぶ瓦礫の中、周囲にいた一団が次の防衛拠点へと移動していく。身体に吹き付ける熱風を感じたガイは魔獣に向かおうとした。
そこへ、一人の少女が近づいてきた。
深く被ったローブの下に、身体を小刻みに震わせながらも、決意ある瞳で恐怖を押さえつけた表情があった。彼女は周囲の爆音が嘘であるかのように、凛として立っている。
ガイは、その少女を見ると一度体勢を立て直す。
軽く会釈するリーファに、老師は瞑目して声をかけた。
「すまんのう」
「レイの為ですから」
言ってフードを被り直すと、リーファは身を翻していった。
「目の前の魔獣には、近づけすぎず牽制しながら後方からの攻撃をメインで行え!その他の敵に関しては隊を保ったまま乱戦とする」
号令が届いたかの確認をせずに、ガイは長剣を握り魔獣の元へ駆け出した。降下部隊への対応をしつつ、村人達も各個に周囲の敵へと打ちかかっていく。
老師はガイに続いて走りながら、横目に見える戦火に焼けた花畑を見た。
この村、唯一の少年と少女が、いつも寝そべっていた花畑。その光景を見て胸を痛めつつ、より一層気を引き締めた。
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最後にレイの様子を見ようとリーファは、倉庫へと足早に向かっていた。倉庫の扉は一種の魔法扉になっていて、暗号を言わない限り、仕掛けた老師の死後半日は経たないと解除されない代物だ。
その間、どんな衝撃に対してもびくともしない。それは、外からもだが、中から開けられる事を恐れての細工だった。
中に入ると、リーファの目からおもわず涙がこぼれた。
神経性の麻痺によって指一本すら動かし難いはずであるにもかかわらず、レイは自らの全身を引き擦って戸口の方へと這っていたのである。
床に突き立てた爪から血が滲み、その痛みで麻痺を散らして進んでいた。扉まではまだ遠いし、どうやっても間に合うはずは無いだろう。それでも、少年の心にリーファの胸は苦しくなった。
「君、はここ、に、いて。きみ、も、村、のみん、なも、俺が、守る。なん、のために、いまま、で……」
続きは、舌がもつれて言葉にはならなかった。それでも、レイの体は入り口へ向かうのを止めようとはしない。
上から響く、魔法や金属の音、魔物の咆哮。隠し部屋が揺れる度に少年の心も揺れているのが、リーファには手に取るように分かる。
それでも、例え恨まれても、彼女はレイの願いを聞くことはしない。
なぜなら、彼女はレイの存在が、どんなことより、自らの命よりも大事だから。
「レイ。いままで、あなたと過ごした日々はとっても幸せだった」
「な、に、いって……」
続きを言わせない為に、レイの口をリーファは自分の口で塞いだ。離れた後、いつもなら優しく微笑んでくれるはずの彼は、辛さと怒りに満ちていた。
レイにこれから告げる言葉は、レイはきっと望んではいないと思いながらも、必ず自らの言葉で伝えたいとリーファ自身が望んでいたため発した言葉だった。
「あなたを絶対に殺させはしない」
告げて、リーファは部屋の片隅にある一つの薬を手に取り飲み干した。止めようと、自由に動かない手を必死に伸ばすレイの目の前で。
「この薬は魔族が飲むと一時的に身体能力が数倍に膨れ上がる禁忌の薬」
そう言葉にした愛しい少女の目は赤く輝いており、頭の上には2本の角が生えていた。
「ごめんね、レイ。私は昔、ブラストに命を救われた魔族の孤児だったんだ」
「!?……そん、な、こと、俺、たちには、関係な、い、君は君、だ」
「ありがとう。でね、レイはブラストの血筋と意思を継いだ人物なんだ。でもそんなこと関係ないぐらい、私はレイのことが好きだし大切だと思っている」
リーファはレイにそう告げながら倉庫に収めってあった、およそ勇者が着ててもおかしくないような鮮やかでそれでいて魔法の付与がある神秘的な武器防具一式を身につけた。
レイの頭に、異常なほどの高い音で警告音が響き渡る。彼女のこれからの行動を思い浮かべ、ギンギンと響くような酷い頭痛が頭に危険を訴えてくる。
「駄、目だ」
「さよなら、レイ。あなたは私が守るよ」
叫び声を上げる彼を振りきって、リーファは倉庫を飛び出した。リーファの顔には、拭っても拭っても涙がこぼれ落ちる。それでも、彼の幸せな未来を案じながら、彼女はそれを押し殺した。
自らが着ている鎧を見ながら、ふとある日のことを思い出す。
これを着た彼の隣に立って、一緒に世界を冒険したい。鎧が出来た時には、そう思っていたはずなのに。
気がつけば、いつまでもそんな日が来ない事を望んでいた。魔物が世界を滅ぼしても、自分達だけ放っておいてくれれば良いと、そう願ったから。だから罰が当たったのだ。
キュッと口を結びながら扉を開け放つと、周囲から熱気が押し寄せてきた。
既に守備隊は崩壊し、あたり一面は炎に包まれていた。残りの村人たちは倉庫周辺の一角へと押し寄せられている。
目をやると、敵の塊を二つ超えたところに、それらしい大将首の姿がある。
「こっちじゃ、リーファ!」
生き残っていた老師が、リーファに頷きかける。
魔物の目が自分へ向けられる中、リーファは大群の中央を突っ切った。全身を焼き尽かさんとする炎を盾で防ぎながら、上半身を裂こうとしてくる大きな爪を剣を使い上手く避ける。息つく暇もなく左右から突っ込んできた敵を躱し、正面に現れた魔物を踏み越える。
「貴様ら、早く殺してしまえ!」
巨竜、スナイザーが苛立ちを吸い込みながら、高熱の炎を吐き出した。リーファは踏み越えたゴーレム系の魔物を壁に、それをやり過ごして走る。
左から骸骨の剣士が振るう剣を持っている剣で受け流し、上から落ちてきたハイオーガーの棍棒を転がって逃げる。
そして、守備隊の中へと駆け込んだ。
「貴様、装備を見る限り伝説の勇者の生まれ変わりに見えるが、随分と細見だな」
一群を率いていた鎧を全身に纏った魔剣士、カイザーがリーファを指差す。リーファは顔だけ上げてそれに応じる。レイがよくやる、口元の片方だけ吊り上げる笑みと共に。
「そうか、女か。しかし女だろうが勇者の代わりで相違はない。死ね勇者!」
2本の長剣を左右に振りかざしながらカイザーがリーファに襲い掛かった。ガイの剣速よりもさらに早い速度にたまらずリーファは首と身体をひねりながら転がりよける。
ただ、その転がった拍子で被っていた兜が転がり落ちてしまった。
「その角!貴様もしや魔族か!なぜ魔族のお前が人間の味方を…いや、なぜ勇者の真似をする!!」
「バレては仕方ないか。そうだよ、私は魔族。あなたたち魔族に捨てられ復讐するために人間達に協力してきた」
リーファは、髪をかき上げながら相手を睨めつけるように敵を見つめた。
「伝説の勇者の末裔なんて、全部私が作った噂話。ここであなたたち魔族をおびき寄せてせん滅するため」
言葉を言い終えると、リーファは、大声で1つの魔法を演唱した。
「アビリティゲート」
周囲の村人の耳にだけ、魔法体系には乗っていない、その魔法が届いた。
この魔法は、魔族が禁忌の薬を飲むことにより発動できる魔法。友軍全員の潜在的な力を強制的に引き出す効果がある。
ただし、引き出された人物は二度と魔法が使えず戦えない身体になってしまうが。
「アビリティゲートだと!!こいつ本当に我らをせん滅するつもりか!」
取り囲まれ、最早全滅を待つだけであった筈の者達。その連中の腕の一振りで、ゴーレムの腹に大穴が空く。魔法の一撃で、竜の一団も吹き飛ぶ。極めつけは、枯れ木のような老師の振り下ろした杖が、骸骨を叩き潰した。
「くそ、裏切り者風情が!」
切りかかったカイザーは、リーファの振るった剣の一撃で森まで吹き飛ばされた。木々を薙ぎ倒し、彼を地に這いつくばせた。
「落ち着け者ども。残りは僅かだ、遠距離から焼き尽くしてしまえ!」
浮き足立った魔物軍へと、凛とした力強い声が響き渡った。赤黒髪の男の声に冷静さを取り戻し、配下の側近が魔物を下がらせる。村人の手が届かない位置まで退き、炎や吹雪、暴風などの魔法を浴びせていく。
一人、二人と倒れていくが、それでも村人達は一丸となって赤黒髪の男へ迫った。
いかに桁外れの力を引き出したところで、取り囲んだ魔物全てをせん滅することは不可能だった。そうなると後は、少しでも敵を倒し敵将の首を取って、レイの負担を減らすことのみ。
だが、周囲を焼き払う攻撃は厚く、どんどん村人達は力尽き倒れていく。
「老師!」
誰かの叫びにリーファが振り返ると、老魔法使いが地面に横たわっていた。
「戦いの最中に隙を見せるとは!バカめ!」
先程吹き飛ばされたカイザーが襲い掛かり、リーファの背中から剣を突き入れる。胸の先から出た剣先を見つめる彼女の視界を、自らが吐き出した血が覆い尽くした。
突き入れられた剣を引き抜き、振り向き様に剣をかざしたが、カイザーには避けられてしまう。地面に剣を突き立てたリーファは、赤黒髪の男を睨み上げた。
「少しはできる人間どもと協力したとしても我らを滅ぼすことなどできぬ」
赤黒髪の男は、愉快そうに笑いながら言った。
「つまるところお前らは犬死にであり、勇者もいないとわかった今、余は、これから本格的に世界を滅亡させる準備を進められる」
「そうはいかないわ…。あなた達はここで私が倒す!」
そう力強く宣言するリーファは、自らの右手に魔力を集中させていく。集まった魔力が圧縮され目に見える濃度にまで膨れ上がっていく。
「この魔力は…!?」
「ありえん…」
周辺にいる魔物達は、その魔力により足が震えだしている。
「スナイザー!」
赤黒髪の男が叫ぶと、巨竜は命令を最後まで聞くまでもなく、素早く自らの凶悪な牙を覗かせた口を開き炎のブレスを吐き出した。他の魔物達もスナイザーに合わせ、右手が光輝く人物へと四方から魔法や息吹を浴びせた。
攻撃の余波である煙があたり一面に立ち昇る中、そこから見えたのは少女を庇いながら剣を前に突き出しているガイであった。
「リーファ…、あとは、任せた、ぞ…」
崩れ落ちるガイを横目で見つつリーファは涙を浮かべながら、その魔法を紡いだ。
「--------ゼロ―グ!!」
「まずい!!全軍回避せよ!」
カイザーが叫んだが、自らの身を犠牲にするその魔法の衝撃は凄まじく、あたり一面に光線が走った。赤黒髪の男の前に、漆黒のローブを羽織った魔族が自らの魔力を前に放出し魔法の壁を張り巡らせる。
吹き荒れる煙が落ち着いてくると、焼野原の中心地には大きなリングが一つだけ落ちていた。
最期に命をかけて唱えた魔法の威力はまさに規格外の威力を誇っていた。少し離れた場所でさえ、無傷の者は一人として存在しない。立ち上がれないカイザーとスナイザーに代わり、配下の魔物が爆心地を調べる。敵の肉片一つ残さず滅びたのを確認すると、赤黒髪の男へ報告した。
「リバルト様!ここら一体の人間は全員死んだようです」
「よくぞやった。しかし、結局勇者はいなかったというわけか」
「あのペテン師めの言うことは当てになりませぬな」
魔法の障壁を作っていた法衣の男が、苦虫を噛み崩したような顔をしながらリバルトに声をかける。
「まあよい。隠れていた人間どもの精鋭達を滅ぼせたのだ。よしとしよう。勝鬨だ!皆のもの!」
「「おおー!!!」」
「「リバルト様!バンザイ!!」」
魔族、魔物達の掛け声が、つい数時間前まで村として栄えていた焼け野原に響き渡った。
勇者の誕生の予言を聞いて以来、各地で勇者と思しき年齢の子供らを狩りに行っていた魔族達はようやく肩の荷を下ろせていた。
並んで歩いていた赤黒髪の男は、時空魔法を唱える前に法衣の男に声をかける。
「これで、残るは大魔王ガンダール様の復活の準備だけか。あの方の復活は我ら魔族にとっての宿願だからな。」
「はは。ただ、復活の方法を知っているのが、遥か昔ガンダール様の手下として暗躍していた、現ウィンダール国の王族しか知らないというのが、いささか面倒ではありますが…」
ふむ、と暫く考えてから、赤黒髪の男は笑いながら傾いた。
「大魔王の復活の方法を知っているものが人間とはおかしなものだな」
「ですな。この件に関してはお任せをリバルト様」
「期待しているぞ」
「はは!」
魔族の帝王、リバルトを尊敬の眼差しで見つめる男、デスソーサが、法衣を幅かせながら礼をとり主君を見送った。
彼は、主君が覇道を突き進むならば、どんなことでも行う覚悟があった。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
日が傾き辺りが暗くなってきた頃、倉庫からレイが地面を這いつくばるように出てきた。
身に纏っていた服の腕部分は破れ、地面と何度も擦り合わせたのか血が出ている。ようやく辿り着いた扉の向こうは、不自然なまでに静寂が支配していた。
先刻、大きな衝撃音が聞こえてきたのが噓のように。
きっと村の皆んなは、村のはずれのどこかで休んでいるんだ。魔物は全員蹴散らして、誰1人かけることなく笑って傷を癒している。そう願わずにはいられないほど、レイの心の内情は揺れていた。
震える足を叱咤しながらレイは進んでいく。
ひんやりとした薄暗い地下室の匂いに混ざるのは、煙とツンと鼻につく嫌な匂いだった。まともな戦いの後で、こんな匂いがするわけが無い。
それでも、地下室に留まり続けるわけにもいかない為、レイは、未だ少し痺れる腕に力を入れながら、祈る様な思いで外への隠し戸を押し開けた。
だが、目の前に見えた現実は、彼の感情を一瞬で凍らせるほどの物だった。
堅牢な石造建ての家々は、戦闘の衝撃で壁は崩れ落ち、野菜畑は高熱で焼け野原となり焦土と化している。村の中央にあったはずの池は干上がっており、代わりに血と泥が混じった沼地となっていた。
魔物と人の血が、余りに多く流された跡だ。
激しい戦闘の行われた土地が、毒を持った沼地に変わる事があると教えてくれたのは誰だったか。
小さな村だけに、全員が顔見知りであり、家族のような付き合いだった。特に、同世代の子供がおらず一人だけ子供だったレイは、小さい頃から皆に可愛がられていた。そんな村だからこそ、村の隅から隅まで全て見て回っても大した時間がかかるわけでは無い。
瓦礫をどかし、沼地や盛り土を掻き分け、周囲の焼野原に目を凝らす。しかし、何も見つからなかった。
遺体一つさえ。
そして彼は、意図して避け続けていた場所へと足を向けた。
父母の死体でさえ探したのに、それが見つかることを恐れ、彼女に繋がる場所を避けていた。
ひと際、ひどく地面が削れている箇所に足を進める。位置的には間違いない辺りにも、死体は見つからなかった。
燃え残った枯れ草だけが、風に靡いている。
顔からすっかり表情の失せたレイが、その場に立ってられず膝から崩れ落ちた。
何も感じ無い。何も考えられない。
絶望に下を向いていると、泥にまみれながらも光り輝くものを見つけた。
それは、つい数時間前に大切な彼女が身につけていた大きめなリング。
両手で包むように持ち上げたレイは、視界が滲んでいることに気づく。
「……あれ?」
とめどなく溢れ出る雫が頬を伝い地面に落ちていく。冷たい頬の感触に分かりたくも無い現実を突きつけられる。
先程まで村の中を歩き回っていた時は、まだどこか現実ではないかのように心と身体が自身と切り離れていたが、最愛の人の形見を見つけたことにより、嫌でも現実がレイを襲ってきた。
何で泣いているんだろう、とは思わない。
思ってはいけない。
ふと、手に持っていたリンクが光輝く。無意識にレイの手から魔力が流れていたのだ。
空中に浮いた文字はたった3文字。
「生きて」
レイは、その言葉を見て、溢れ出る涙を止めることは出来なかった。
「リ、リー、ファ、う、うう、」
口から彼女の名前が出ても、それは言葉にならない。今まで魔族や魔物に対して傷つけたり、生活を邪魔するようなことは一度たりともしたことはなかった。
にもかかわらず、大切な人たちと暮らしていた場所は、『勇者』がいるからと理不尽な侵略に遭い、村人全員が死んでしまった。
やるせない気持ちが少しずつ恨みへと変わっていく。
恨むって誰をだ。
そんなの、決まってるじゃないか。
「……リバルト」
地下室にいた時に唯一聞こえてきた言葉を発する。
地下室を出てから感情が消えていた目に光が宿った。
ーーそれはとても暗い闇がのぞいていた。
魔族の王リバルトを殺す。
侵略してきた魔物どもを全て滅ぼす。
それは誰もが無謀と思う困難であり、達成すれば歴史に名を残す偉業でもある。
「勇者は今日死んだ…」
ニヤリと笑ったレイは、以前に見せた笑みとは異なるような不気味な笑みをしていた。
リングを握りしめたレイは、倉庫を出た時とは打って変わり、力強い一歩を踏み出しながら街の入り口へ歩いていく。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
復讐に囚われた彼に、いつか彼を支える仲間ができ、数多の苦難を乗り越え、彼が本当の意味で『勇者』となるときは近い将来必ず訪れるであろう。
歴代最高の勇者と名高い『勇者レイ』の旅たちはここから始まった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
この物語は、私の別作品である「おとぎ話のゼロ勇者 ~憧れた勇者は今日死にました~」の初期版でした。
かなりオチが変わっているので、ご興味あればそちらもお読みいただけると嬉しいです。