第3話 今日からゆにちゃんって呼んで下さい♪
「ちなみに……春木先輩って友達はいるんですか?」
放課後の部室。
長テーブルの向こうから唐突に聞かれた。
もちろん質問の相手は、小桜さん。
ハーフアップの髪はさらさらで、リボン型のバレッタも似合っていて、今日もアイドルみたいに可愛らしい。
ちなみに先日までは斜め前に座っていたけれど、最近、小桜さんは俺の正面にちょこんと座るようになった。
それはいい。
問題なのは今の小桜さんの質問だ。
友達はいるんですか?
俺は長テーブルに肘をつき、会議の議長のようなポーズで重々しく口を開く。
「ごほん、小桜さん……俺をなんだと思ってるのかな?」
よもや後輩から『友達いない可哀想な奴』だと思われてるのだろうか。
だとしたら大変深刻な事態である。
一方、小桜さんは悪びれることなく、にぱーと笑う。
「いえ、ただの確認です。ほら、春木先輩って人間関係にわりと一線引く方じゃないですか。だからあまり友達とか作らないのかな、って」
「いや別に一線なんて引いてないよ? クラスの男子たちとも、わりと仲は良いと思うし」
休み時間なんかは男子一同でよく馬鹿話をして盛り上がっている。女子からは呆れ顔をされることも多いけど、男子の連帯感は強い方だと思う。
「なるほど、なるほど……ちなみに放課後に遊びに行ったりとかは?」
「放課後? あー、言われてみるとあんまり遊びには行かないけど……」
まあ、半分幽霊部員ながら一応、この手芸部もあるし、バイトもあるから友人と遊ぶことは少ないかもしれない。
俺の返事に対し、小桜さんはふむふむとうなづいている。
「じゃあ、お友達のことはなんて呼んでます?」
「呼び方? 普通に苗字で呼んでるよ」
「そうですか……」
小桜さん、しばし黙考。
うーん、なんだろう?
いまいち彼女の意図が掴めない。
内心、首をかしげながら待っていると、やがて小桜さんはまた質問を重ねてきた。
「ちなみにわたしの名前は覚えてますか?」
「あのね、後輩の名前を忘れてたら、さすがに先輩失格だと思うよ」
「あは、失礼しました。では正解をどうぞ。わたしの名前は?」
「小桜ゆにさん」
「正解です」
ぽんっと手を打つ、小桜さん。
直後、彼女は笑顔でとんでもないことを言ってきた。
「それじゃあ、わたしのことは今日から『ゆにちゃん』って呼んで下さい♪」
「へ?」
思わず間の抜けた声が漏れてしまった。
一瞬遅れて、俺は高速で首と手を振る。
「いやいやいや、なんでいきなり? 呼ばない呼ばない、っていうか呼べないよ」
当然、俺の答えはノー。
でもそれを見越していたかのように、小桜さんは追撃してくる。
「でも人間関係に一線は引かないんですよね?」
「そ、それは……まあ、そう言いはしたけど」
「わたしの名前も覚えてくれてますし?」
「それは当たり前だし……」
「じゃあ、呼んじゃいましょう。ほら一回呼んじゃえば慣れますから。ほら一回、一回だけ! ゆにちゃん、って!」
「いやいやいや……っ」
長テーブルに身を乗り出してこられ、俺はパイプ椅子を引いて距離を取る。
「なんでいきなり名前呼び? 別に今の小桜さんでも不自由はないよ?」
「いきなりじゃないですし、不自由もあります」
「え、どこに? どういうふうに?」
「だって」
小桜さんは身を乗り出したまま、可愛らしく小首をかしげる。
長い髪をさらっと揺らし、彼女は言った。
「わたし、春木先輩と……もーっと仲良くなりたいんですもん!」
「……っ」
そんな直球で言われたら、こっちは二の句が告げなくなってしまう。
嬉しいやら、恥ずかしいやら、困ってしまうやら……でも俺の戸惑いなんて関係なしに、小桜さんは後輩パワーを全開にして甘えてくる。
俺の制服のネクタイをちょんちょんと引っ張りながら、
「ねー、呼んで下さい。ゆにちゃん、ってー。ねー、春木せんぱーい」
「う……いや、うぅ……」
どうしよう。後輩はいえ、さすがにこんな美少女な女の子を名前で呼ぶなんて、おこがましい気がするし、何より気恥ずかしい。
しかしそうして俺が困り果てていると、ふいにネクタイから指が離れていった。
「わかりました」
スンッという感じで小桜さんからの攻勢が止まる。
「春木先輩は……わたしのことが嫌いなんですね」
「えっ」
「嫌いだから名前で呼んでくれないんだ。わたしのことなんて、ただの可愛すぎる美少女後輩としか思ってくれてないんだぁ……っ」
うえーん、と声を上げたかと思うと、小桜さんは背中を向けて泣き出してしまった。
「ちょ、ちょちょちょ……!?」
さすがに焦った。
気恥ずかしいとは思ったけど、嫌いなんかじゃないし、泣かせる気もない。
俺は慌てて立ち上がり、長テーブルをまわり込んで彼女の方へいく。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃなかったんだ……っ」
「うえーん、うえーん」
「ただ、ちょっと気恥ずかしかったっていうか、いきなりで面食らっただけっていうか……っ」
「うえーん、うえーん」
「な、泣かないで……っ。その、ええと……っ」
「うえーん、うえーん」
小桜さんは背中を丸めて泣いていて、ぜんぜんこっちを見てくれない。
正直、大混乱だ。
こっちは目立たないことに定評のあるモブ生徒なので、女子に泣かれた経験なんて皆無も皆無。どうしたらいいか、わからない。
でも、こうなったらさすがに覚悟を決めるしなない。
俺は視線をさ迷わせながら、おずおずと口を開く。
「わ、わかった。わかったから、もう泣かないで、その、あの、ゆ……」
「ゆ?」
「……ゆにちゃん」
その直後。
ファサァと華麗に髪が舞い、キラキラーッとした顔の小桜さんが振り向いた。
「はいっ! わたしを呼びましたか、春木先輩っ!」
笑顔だった。
満天の星空みたいなキラッキラの笑顔だった。
俺、絶句。
3秒フリーズし、直後に絶叫。
「まさか……ウソ泣きぃ!?」
「えー、なんのことですかー?」
「いやいやウソ泣きだったの!? ズ、ズルい!」
「ズルくないですよー? 涙は女の子だけに許された、七つの武器の一つです」
スカートを揺らし、ご機嫌にステップまで踏んで断言。
完全に騙された……。
ウチの後輩、もしかしてとんでもない悪女の才能があるんじゃ……。
戦慄している俺に対して、彼女は「ふふん♪」と得意げに顔を覗き込んでくる。
「むしろ、これぐらいで騙されちゃう春木先輩の方が心配ですよ、わたしは」
「いや女の子が泣いてたら、普通は信じちゃうって……」
「そうですか? じゃあ、なおさら気をつけて下さいね?」
えへ、と笑顔。
「わたし、結構、ハイレベルなウソつきですから♪」
お、おお……。
可愛い顔してなんて怖いことを言うんだ……。
俺はさらに戦慄し、体がカタカタと震え始める。
「怖い。女の子、怖い……」
「怖くないですよー? 怖くないですからねー。よしよーし」
頭をなでなでされてしまった。
俺、先輩なのにぃ……。
「じゃあ、これからは『ゆにちゃん』でお願いしますね♪」
「……はい、ゆにちゃん」
小桜さん――いやゆにちゃんに言われ、俺は従順にうなづいた。
先輩の威厳が粉々で、もう逆らえなかった。
「じゃあさ……」
「はい?」
せめてもの意趣返しにと、頭をなでられながら視線を向ける。
「ゆにちゃん……も?」
「? わたしがなんですか?」
俺の頭をなでるために彼女は少し背伸びしていて、そのままの体勢で首をかしげた。
俺は軽く咳払いし、おずおずと口を開く。
「ゆにちゃんも俺を名前で呼んでくれるよね? 音也って」
「呼びませんよ?」
「え」
ひらりと身をひるがえすと、彼女は部室の後ろのロッカーの方へいく。
「わたしに名前呼びをさせるには、春木先輩はまだまだ修行が足りません。調子に乗ったらダメですよー?」
ロッカーの方へいって何をするのかと思ったら、ゆにちゃんは道具箱を取り出し始めた。どうやらいつものサマーセーターを編み始めるらしい。
その背中が『話はここまでです』と言っていた。
くそう、逆転の機会すら与えてもらえないようだ。
「悔しいなぁ……。じゃあ、俺がゆにちゃんって呼ぶだけ?」
「……そうですね」
「そういえば、サマーセーターの方は順調なの、ゆにちゃん?」
「はい。ま、まあ……」
「あ、そうだ、ゆにちゃん。クラスの友達がチョコくれたんだけど、食べる? 俺、あんまり甘い物食べないからさ」
「…………」
「ゆにちゃん?」
返事がない。
見れば、彼女は道具箱を持ったまま、フリーズしていた。
動きを止め、なぜだか肩がカタカタ震えている。
「ん?」
さらにゆにちゃんをよく見てみると……耳が赤くなっていた。
あれ?
これもしかして……?
「あのさ、ゆにちゃん。ひょっとして……」
俺もロッカーの方へいき、顔を覗き込んだ。
「照れてる?」
「――っ!?」
見られちゃったっ、って顔だった。
あとイチゴみたいに真っ赤っ赤だった。
「な……」
「な?」
俺が聞き返した直後、彼女は盛大に叫んだ。
効果音でいうと、どっかーんっという感じで。
「なんなんですか、もうーっ!」
「おおっ!?」
「照れますよ!? そりゃ春木先輩に名前呼びされたら照れますよ⁉ ええそうですよ、自分で呼ばせておいて、いざ呼ばれたらすっごい照れちゃって、慌ててセーター編んで誤魔化そうとしましたよ! 策士、策に溺れるってこのことですね! どうぞ笑って下さい、アハハハ!」
「あ、あはは……」
「笑ったら泣きますからね!?」
「ええっ!? じゃあ、どうすればいいのさ!?」
どうやらゆにちゃん、俺以上に照れてしまっていたらしい。
自分が呼ばれてこの状態なら、そりゃあ俺のことを名前で呼ぶのも無理だろう。
気づかなくてごめんね、と申し訳なくなった。
「っていうか、春木先輩がおかしいんです! なんで名前で呼ぶって決めた途端、普通に『ゆにちゃん』って連呼できちゃうんですか! そういうところ、そういうところですからねっ」
「いやだって決めたことだし……」
「決めたことだし、じゃありません! ああもう……」
ハーフアップの髪をぶんぶん振って、ゆにちゃんは悔しそうに叫ぶ。
「春木先輩のアルパカーっ!」
部室いっぱいに響き渡る、ゆにちゃんの声。
いつの間にか、アルパカがデリカシーなしみたいな意味になっている。
うん、なんか……全国のアルパカにもごめんなさいって気持ちになった。
次話タイトル『第4話 ゆにちゃん、俺の外堀を埋めにくる』
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