第21話 一番星が輝いて、この手は地上の星を抱き締める
玄関を飛び出すと、すぐにゆにちゃんの背中が見えた。
部屋で長く話していたせいか、すでに夕焼けが辺りを照らしている。
アパートの正面はちょっとした広場になっていて、すぐ左が駐輪場。
奥の道路側には、敷地の柵がある。
ゆにちゃんは広場を駆け、もう柵の先へいこうとしていた。
その背中を見て、俺は瞠目する。
「え、なんで!?」
まさか玄関から出ただけじゃなく、アパート自体から走り去ろうとしているなんて。
俺がすぐ追いかけるって読んでたのか……っ。
さすがゆにちゃんだった。
俺はすぐさま地面を蹴って加速。
今日はゆにちゃんとのおウチデートだった。
一緒にお昼御飯を食べ、『アルパカ先輩・人間化計画』の話も一段落し、あとはもう本当に告白するだけだった。
しかしその間際にクラスメートの哀川さんと俺が仲良くなってる疑惑を議題に上げられ、ギルティ判定と共にゆにちゃんは部屋から出ていってしまった。
しかし、それがゆにちゃんの策だと俺はもう看破している。
彼女は付き合う前に哀川さんの脅威を排除したいのだ。
でも舐めてもらっては困る。
他の女の子の脅威なんてどこにもない。
それくらい、俺はゆにちゃん一筋だ。
今からそれを分からせる!
俺は走りながら大きく息を吸い、叫ぶ。
「ゆにちゃんっ!」
ワンピースの背中に向かって大声で呼びかけた。
すると彼女は走りながらビクッと振り向く。
「え、そんな!? 春木先輩……思ったより復旧が早い!?」
「当然さ! ゆにちゃんの人間化計画のおかげで、もう迷いはないからね!」
彼我の距離はおよそ15メートル。
うさぎキャラだけにゆにちゃんは足が速い方だ。
でも俺はもう未来を向いている。
一歩一歩を力強く踏み出し、すぐにワンピースの背中が近づいてきた。
「話を聞いて、ゆにちゃん!」
「ふあ!? もうすぐ後ろに!? 春木先輩、足速すぎませんか!?」
あれ?
なんか……ゆにちゃんの顔が赤いぞ?
んん?
てっきり哀川さんの牽制をしたいんだと思ってたけど、これはもしかして……。
「ゆにちゃん、もしかして猛烈に照れてる?」
「なっ!? ち、違いますぅ!」
思いのほか、全力の否定が返ってきた。
ちょっと全力過ぎるくらいだった。
「いよいよお付き合いする空気になってきて、すっごい緊張して照れちゃって策士キャラ的に恥ずかしいから、とにかく理由を付けて離脱して一度冷却期間を置きたいなんてことないですからーっ!」
なるほど、完璧に理解できた。
どうやら哀川さんの件は無理くりなでっち上げだったらしい。
だとしたら、これは明確な勝機だ。
ゆにちゃんは……すでに万策尽きている!
今まで盤面がこの状況になったことが一度でもあっただろうか。
いや、ない。
策士のゆにちゃんの策が尽きたこの状況、まさしく千載一遇のチャンスである。
「観念するんだ! ここが年貢の納め時だよ!」
「い、いやですーっ! わたしは策士なのでむしろ年貢は納められる立場ですから!」
アパートの柵を越え、道路に出た。
その瞬間だった。
後ろ向いて走っていたせいだろう。
「……あっ!?」
ゆにちゃんの足がつまづいた。
体が倒れていく先、彼女の顔の前には電信柱。
「危ない!」
反射的に腕を引っ張り、ゆにちゃんを俺の側へ引き寄せた。
「あ……」
長い髪がさざ波のように宙を舞う。
ゆにちゃんの細い体は俺の胸の中へ。
持っていた紙袋が弧を描き、ポスンッと地面に落ちた。
「…………」
「…………」
とっさのこととはいえ、抱き締めてしまった。
鼓動は激しく高鳴り、俺の胸に顔をうずめた彼女に聞こえてしまうんじゃないかと思う。
でももう逃がさない。
その意志を込め、ぎゅっと腕に力を込めた。
「はう……っ」
可愛らしい声を上げ、ゆにちゃんの体が固まる。
その耳元へ俺は優しく囁く。
「捕まえた」
「うぅ……」
ようやく観念してくれたらしく、彼女の体から徐々に力が抜けていく。
「また……」
水面に雫を落としたような、小さな囁き。
「……助けられちゃいました」
夕日に照らされるなか、彼女は俺の胸へほんの少し頬ずりしてくる。
「わたし、これダメみたいです……。春木先輩に助けてもらうと、あの日のことを思い出しちゃって……」
「じゃあ、もう逃げない?」
「はい……」
素直なうなづきが返ってきた。
ホッと吐息をこぼし、俺はゆにちゃんの背を撫でる。
「あのね、さっき部屋で言いそびれたことがあるんだ。ゆにちゃんの人間化計画は本当に見事な策だった。おかげで俺は色んなものを取り戻せた。でもそれだけじゃないんだ」
「え?」
不思議そうに彼女は顔を上げる。
俺は目を細めて笑いかけた。
「一番俺の心を包んでくれたもの、一番俺を救ってくれたもの、それは……ゆにちゃんの真っ直ぐな気持ちだった」
だんだんと夕焼けは役目を終え、空には夜の帳が下り始める。
そんな変わっていく空の下、愛しい人を抱き締めて、俺は言葉を紡いだ。
「両親が事故でいなくなってから……俺は誰かに好かれるっていう感覚が持てなくなってたんだと思う。知らない間に暗い夜のなかにいたんだ。でもそこに……」
思い出すのは、彼女が初めて想いを伝えてくれた時のこと。
分かりやす過ぎる恋愛相談に俺の胸は高鳴って――。
「君が光をくれた」
気づけば、頭上に星が輝いていた。
あの橋で彼女が告白してくれた時も輝いていた、一番星だ。
「誰かに好きだと思ってもらえることが、こんなに嬉しいことだなんて思わなかった。あの日から毎日、君のことを考えてる。いつだって君のことを想ってる。そして気づいたら……我慢できないくらい、気持ちが溢れ返ってた」
彼女の瞳を見つめる。
透明感に溢れた瞳には涙のしずくが浮かび始めていた。
何度も想いを伝えた。
何度も『付き合ってほしい』と頼んだ。
でも過去のどれとも比べものにならないくらい、自分の言葉に『重み』があるのが自覚できた。
ようやく、俺は彼女に追いついた。
だから今こそ伝えようと思う。
とてもシンプルだけど、何より意味のある言葉を。
「小桜ゆにさん――」
風が吹き、彼女の髪を揺らした。
「――君が好きです。俺と付き合って下さい」
星が流れた。
彼女の瞳から流星のようにこぼれ落ちた。
そして、彼女は小さく笑う。
「……あは」
白い手が彼女自身の胸を押さえる。
「本当だ……好きって思ってもらえるの、こんなに嬉しいことなんですね」
俺はほのかに笑い返す。
「伝わった?」
「伝わりました……」
とん、と彼女は俺の胸におでこを押し当てる。
「本当は……あの橋で春木先輩をフッた時点で、わたしの策は終わってたんです。あとは春木先輩自身の行動に賭けるだけ。あなたならきっとたどり着いてくれると思っていました。でも……」
吐息のように言葉がこぼれる。
「……怖かった」
細い方は小さく震えていた。
まるで迷子の子供のように。
「自分をフッた女の子のことなんて、途中でどうでもよくなってしまうかもしれない。計画が上手くいってお友達が増えても、その中から他の子が彼女になってしまうかもしれない。毎日、不安で苦しくて……」
「ゆにちゃん……」
そんな思いを抱えながら頑張り続けてくれてたのか。
ただひたすら俺のためだけに。
あまりに大きな献身に胸が熱くなった。
俺は強く、思いっきり彼女の体を抱き締める。
「もう不安になんてさせない! 俺が好きなのはゆにちゃんだけだ! 一生、幸せにします! 俺は生涯、ゆにちゃん一筋です!」
だから、と腕のなかの彼女を見つめる。
「恋人になって下さい! 俺、ゆにちゃんの彼氏になりたいよ……っ」
直後、感極まったようにゆにちゃんの瞳がまた潤んだ。
「……言質取りましたよ?」
「うん」
「……わたし、浮気とか一瞬で察知しますよ?」
「うん」
「……ぜったい、一生そばにいて下さいね?」
「うん!」
そして。
ぽろぽろと涙を流しながら、彼女は泣き笑いの顔で微笑んだ。
「よろしくお願いします。わたしを彼女にして下さい。わたしも……あなたが好きです!」
その瞬間、胸がいっぱいになった。
やっと。
やっと。
やっと……!
でも俺の感情が爆発する直前、ゆにちゃんが感極まったように思いっきりしがみついてきた。
「うわーん、やっとオッケーできましたーっ!」
「わっ⁉」
勢いが良すぎて、慌てて支える。
「春木先輩、好きです好きです! ずっとずっと大好きでしたーっ!」
「あはは! よしよし」
ゆにちゃんは感情が大爆発して号泣してしまった。
そんな彼女の背中を俺はあやすように撫でる。
一番星に見守られた夜。
長い長い遠回りを経て、こうして俺たちは――ようやく恋人同士になれました。
………………。
…………。
……。
「そうだ、これ! これ、もらって下さい!」
しばらくして泣き止むと、ゆにちゃんから紙袋を手渡された。
ウチに来た時に持っていたものだ。
なかを見て、俺は目を見開く。
「あ、これって……っ」
それは手編みのサマーセーター。
手芸部の部室でゆにちゃんがずっと編んでいたものだ。
「俺のために編んでくれてたの!?」
「そうですよー? お付き合いしたら渡そうと思って、ずーっと大切に編んでたんです」
「ありがとう……っ。手編みのセーターもらったのなんて生まれて初めてだっ。すっごい嬉しい!」
俺はいそいそと袖を通す。
さすがゆにちゃん、丈もぴったりだった。
サマーセーターを着た俺を見て、ゆにちゃんはまた瞳を潤ませる。
そして感極まったようにつぶやいた。
「やっと渡せました……」
どれほどの気持ちがこもっているのか、その一言で伝わってきた。
俺は自然に両手を広げる。
すると彼女はぎゅっと抱き着いてきてくれた。
「春木先輩……」
「一生、大切にするよ」
「セーターをですか?」
「セーターも、ゆにちゃんも」
「えへへ♪」
嬉しそうに胸に顔をうずめてきてくれる。
その背中を俺はとても幸せな気持ちで撫で続けた。
……幸せ、か。
ふいに自分の思考で気がついた。
その瞬間、まるで嵐のように気がついた。
ああ。
ああ、そうか。
俺は……幸せになったんだ。
両親が事故で死んで。
親戚の間で取り合いをされて。
誰も求めないような生き方をしてきて。
でも今、幸せになれた。
この可愛くて優しい、策士な彼女のおかげで。
ちょっと涙が出そうになった。
でもせっかく腕のなかにゆにちゃんがいるのに、泣いたりしたらもったいない。
「ねえ、ゆにちゃん」
「なんですか?」
「ようやく恋人になれたし、ちょっとだけ……髪に顔うずめてもいい?」
「むう……」
ゆにちゃんは困ったような顔で頬を赤らめる。
でもすぐくに小さな声で応えてくれた。
「ちょっとだけ……ですよ?」
「やった!」
「本当にっ、本当にちょっとだけですからね!?」
「ん、りょーかい!」
細い体をめいっぱい抱き締めて、サラサラの髪に顔をうずめた。
「きゃっ」
「極楽、極楽♪」
「も、もう~……♡」
満更でもなさそうな恋人の声を聞き、俺は世界一の幸せ者になりました――。
次話タイトル『エピローグ ゆにちゃん、押し倒されて真っ赤な顔でジタバタする』
次回更新:土曜日(完結)




