第2話 可愛いって褒めたら、アルパカ扱いされた件
暦は6月。
俺はやや蒸し暑くなってきた学校の廊下を歩いている。
「あー、本当、どんな顔して部室にいけばいいんだろう……」
独り言をつぶやいて考える。
昨日、俺は学校一の美少女な後輩――小桜さんに『好きな人がいるんです』と相談された。
で、その好きな人というのがたぶん……。
「……でも、なんでだ?」
正直、俺こと春木音也は教室でも目立たないことに定評がある。
まごうことなきモブ生徒。
いくら部活が同じとはいえ、あの小桜さんが俺のことなんて……。
「……あ」
考え込んでいるうちに部室に着いてしまった。
俺はドアの前で立ち止まり、頭をかく。
うーん……。
「……いや考えたってしょうがないか」
昨日の今日だ。
俺よりも小桜さんの方がきっと緊張しているはず。
ここは先輩として俺がしゃんとしているべきだと思う。
たとえ小桜さんが緊張でガチガチになっていたとしても、自然に誠実に接していこう。
そう決意し、部室のドアを開く。
「あ、春木先輩。こんちはです」
「……あ、うん、こんにちはぁ……」
「まだ誰も来てないんです。今日は棚の整理をしたいんで、いつも通りお願いしちゃっていいですか?」
「あ、うん、いいよー……」
……。
……。
えーと……。
小桜さん、ぜんぜん平常運転だった!
いつもの長テーブルに座って、普通に編み物をしている。
緊張したり、おどおどしてる様子もない。
至っていつも通りの小桜さんだった。
……あれ?
もしかして昨日のは夢だったのかな……?
狐に摘ままれたような気持ちで、俺は長テーブルに通学鞄を置く。
一方、小桜さんは編み物の教本に目を落としつつ、毛糸の付いた棒針をせっせと動かしている。俺にはまったく目もくれない。
あれぇ……?
「えっと、小桜さん……今回は何を編んでるの?」
「んー、サマーセーターです。半袖のやつ」
「へぇー……」
ちなみにここは手芸部だ。
もっとも真面目に編み物をしている小桜さんと違って、俺は人数合わせの名前貸しだから、たまに顔を出してるだけなんだけど。
そんな俺に対して、小桜さんはやっぱり視線を向けずに言う。
「っていうか、わたし、4月に入部してからずっとサマーセーターの練習してるんですよ?」
「あ、そうなの?」
「ええ、春木先輩はわたしに興味がないので気づかなかったみたいですけど?」
「い、いやそんなことは……っ」
ようやく顔を上げてくれたかと思うとジト目で言われ、慌ててしまった。
そもそも俺は編み物のことはよく分からない。
なので小桜さんが何を編んでても分かりようがなかったりするんだけど……まあ、でもたぶんそれは言い訳なんだろうなぁ。
「とりあえず棚の整理をしましょうか。あの辺の箱、ぜんぶ上に上げちゃって下さい」
「りょ、了解です」
小桜さんに命じられ、俺は部室の隅に積まれていた箱の方へと移動する。
ちょっと開けてみたら、なかには教本や毛糸玉が入っていた。
手芸部のちゃんとした部員は女子しかいない。
だからたまにこうした力仕事があると、俺にお鉢が回ってくる。
「小桜さん、この箱は?」
「右側の棚にお願いします」
「次、これは?」
「それは……ああ、下の棚で大丈夫です」
編み物中の小桜さんに指示をもらい、テキパキと片付けていく。
なんか……すごくいつも通りだ。
昨日のことなんてなかったみたいな日常風景。
まさか本当に夢だったのか……?
最後の箱を棚に乗せながら、俺はいよいよ自分の正気を疑い始める。
すると、ふいに小桜さんが手を止め、棒針をテーブルに置いた。
「春木先輩、わたしって……可愛いですよね?」
「え? あ、うん、可愛いと思うよ?」
棚から振り向き、俺はうなづく。
小桜さんはウチの学校でも随一と評判の美少女だ。
ハーフアップの髪はサラサラで、リボン型のバレッタはよく似合っていて、瞳の透明感と顔立ちの整い方もアイドル級。
可愛いかと問われたら、肯定以外の返事なんてあるわけない。
なのに突然、ギンッと睨まれた。
「そういうところですっ!」
「ひえっ!?」
迫力に気圧されて、仰け反ってしまった。
しかし小桜さんの謎のお怒りは収まらない。
「普通、わたしみたいな美少女に『可愛いですよね?』って聞かれたら、もっとドギマギしちゃうものなんですよっ。なのになんですか、当たり前みたいに『うん、可愛いと思うよ?』って!」
「えっ、普通に褒めたのに怒られてるの、俺!?」
「普通に褒めたから怒られてるんです!」
小桜さんは頬っぺたを可愛らしく膨らませ、足音高く迫ってくる。
「一体、春木先輩はどういう精神構造してるんですか!? 普通、そんな気の抜けたアルパカみたいな顔で答えられないでしょう!?」
「気の抜けたアルパカって……ひ、ひどい! アルパカだけでもぼんやりムードなのに、気が抜けてたら絶対野生じゃ生きられないよ!?」
「そこじゃなーいっ!」
思いっきり地団太を踏む、小桜さん。
俺の背後には棚、目の前には学校一の美少女。
完全に俺を追い詰めた形で、彼女は叫ぶ。
膨らんだ頬っぺたを真っ赤にして。
「昨日、あんなことがあったのに、なんでそんなに平常運転なんですかーっ!?」
……あっ。
ああー……良かったぁ。
どうやら夢じゃなかったらしい。
俺はホッと胸を撫で下ろす。
すると、そのまま安堵が口から出てしまった。
「良かったぁ」
「なにがぁっ!?」
俺の気が抜けた一言に、小桜さんが思いっきり目を剥く。
しまった、と思った時には小桜さんはハーフアップの髪をぶんぶん振ってお怒りモードに突入していた。
「昨日の今日だから春木先輩、ぜったい緊張してくると思ったのに、なんか平然と部室に入ってくるし! わたしが目も合わせられないのに当たり前みたいに箱運ぶし! あまつさえっ」
半泣きで詰め寄られた。
「普通に可愛いとか言うし! もうっ、なんなんですかぁ!? わたしだけドキドキしてばかみたいーっ!」
「お、おお……」
勢いに圧倒されてしまった。
どうやら……小桜さんが平常運転に見えたのは、俺の勘違いだったらしい。
小桜さんも俺と同じように色々戸惑っていたのだ。
しかも彼女からは俺の方が平常運転に見えていたらしい。
分からないもんだなぁ、と思った。
「えっと……俺も緊張してたよ?」
「ウソです。春木先輩は緊張なんてしてません。どこまでいっても気の抜けたアルパカです」
アルパカは決定なんだ……。
しかも気が抜けたアルパカかぁ……。
内心、がっくりしていると、小桜さんは腰に手を当てて仁王立ちになった。
「わたし、理解しました。春木先輩には昨日の恋愛相談がなんにも響いてません」
「や、そんなことは……っ」
「あります!」
ビシッと断言されてしまった。
「あれだけはっきり言えば届くと思ったけど、結局、先輩の芯にはぜんぜん響いてない。まったく、一筋縄ではいかないアルパカですね……っ」
「や、あの、俺……今日結構、意識してたよ、小桜さんのこと」
「だから、してません。してたらあんなに自然に『可愛いと思うよ?』なんて言えません」
ずいっと顔を寄せて、ジト目。
「今の春木先輩は『年下の可愛い後輩が俺のことを……?』って表面的に浮かれてるだけです。あくまで表面的! だからふとした瞬間に素のリアクションが出来ちゃうんです」
むぅーっとむくれる、小桜さん。
「すっごくムカつきます。許せません。可愛さ余ってムカムカ100倍、キッチンで煮て焼いてアルパカ鍋にしてやりたいです」
「た、例えにしても、もう少し容赦して……っ」
戦慄する俺をよそに、小桜さんはハーフアップの髪を颯爽とかき上げる。
「決めました」
次の瞬間、俺の右手がふわりと浮いた。
彼女に手首を掴まれたのだと、遅れて気づく。
そして。
小桜さんは両手で俺の手をギュ……ッと握り締めた。
そして、告げる。
アイドルみたいに可愛い顔と。
透き通るような瞳で見つめて。
「これから先、攻めて攻めて攻め尽くして、いつかあなたの心をわたしでいっぱいにしてみせますからっ!」
真っ直ぐな好意に心臓が跳ねた。
や、正直、もう俺はだいぶ君にやられていると思うのだけど……っ。
でも小桜さんは満足しない。
攻めの小桜とアルパカの春木。
これが後にとくに語られることもない、手芸部の一大恋愛決戦の幕開けなのであった――。
次話タイトル『第3話 今日からゆにちゃんって呼んで下さい♪』
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