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魔王の権能 ~災厄を振りまく呪い子だけど、何でも使い方次第でしょ?~  作者: リウト銃士
第九章 地下神殿

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第94話 閑話 戯れ




【ホルスカイト共和国 沿岸部 海上】


 アウズ大陸の南に位置する大国、ホルスカイト共和国。

 大国と言うと、ネプストル帝国とロズテアーダ修王国を挙げる人が多いが、共和国も十分に大国と言えた。

 広大なアウズ大陸の、実に二割もの国土を持つ国家であり、大陸中の国との交易で経済的にはかなり潤っていた。

 だが、そんな共和国にも暗雲が覆い被さることになる。


 三年前、ヨッテンソーム王国とオランジェス王国が、帝国に下ったからだ。

 この、大陸を揺るがした大事件の引き金は、共和国が引いたと言っても過言ではない。

 ただし、共和国としては、決して引き金を引くつもりなどなかったのだが。


 オランジェス王国を経済的に追い込み、取り込もうとしたことがきっかけで、様々な歯車が狂いだした。

 帝国がヨッテンソーム、オランジェスの両王国を掠め取り、その上で鎖国政策を取った。


 鎖国。

 つまり、政治、経済に限らず、あらゆる分野で帝国が共和国との関係を断った。


 それまで、帝国と修王国は直接の関わりを極力避けていた。

 しかし、すべての関わりが無かったかと言えば、そんなことはない。

 帝国から修王国、修王国から帝国への交易もあった。

 共和国を間に挟むことで。

 帝国から共和国、そして修王国へ。

 修王国から共和国、そして帝国へ。

 共和国の商会が間に入ることで、交易も成り立っていた。


 その上、ヨッテンソームやオランジェスも共和国とは交易が盛んだった。

 この、様々な交易に共和国が食い込むことで、利を生み出してきたのだ。


 だが、三年前に状況が一変してしまった。

 ヨッテンソームとオランジェスが帝国に組み込まれたことで、アウズ大陸に残ったのは三つの国だけになってしまった。


 共和国と帝国と修王国。

 このうちの帝国が鎖国政策を取ったということは、交易相手が修王国だけになってしまったということだ。

 様々な『物』を動かすことで利を生み出してきた共和国にとっては、大打撃だった。


 これにより、共和国の経済は悪化。

 失業者が溢れることになった。


 だが、元々かなり富を蓄えていたため、今のところは経済が破綻するような兆しはない。

 やや不安はあるものの、物価も安定している。

 内需は堅調で、修王国との交易もあるおかげで、深刻な事態にまでは至っていない。

 というのが、評議会など、共和国の中枢の見解だった。







 真っ暗な夜の海に、一艘の手漕ぎの船が浮かんでいた。

 男は、船に置いていたランプを手に取ると、大きくゆっくりと円を描く。

 そうしてランプを回しながら、周囲を見回す。


 月明かりのおかげで、まったく見えないわけではないが、夜の海は暗い。

 陸の方を見ると、遠くの街の灯が、微かに見える。

 しかし、これ以上沖の方にに進んでしまうと、もはやどっちが陸でどっちが沖か分からなくなる。

 戻れなくなる恐怖が頭をもたげた頃、少し離れた海上に、ポッと灯りが現れた。

 その灯りを見て、男は泣きそうな顔になると、船に腰を下ろしてオールを漕いだ。


 不安を押し殺し、余計なことは考えないようにして、懸命にオールを漕ぐ。

 そうして、海上の灯りに近づいた。

 それは、男の乗っている船と同じような、手漕ぎの船だ。


 二人の男が乗り、一人がランプを掲げていた。

 声が届く距離になり、男に声がかけられる。


「もう少し左に寄れ。…………そうそう、そのまま真っ直ぐだ。漕ぐのを止めろ。」


 声に従い、オールを一度船の上に置く。

 少しすると、ガン、ゴンと音が鳴り、男の船が引き寄せられる。

 向こうの船から棒を伸ばし、引き寄せたのだ。

 屈強な男が一人、こちらの船に乗り込む。

 そうして、ロープで船尾に繋いだ。


 男も立ち上がると、もう一人の男からロープを投げてもらい、船首を結ぶ。

 船首と船尾をロープで繋ぎ、男は少しだけ安堵した。


「今日はいつもよりも多いぞ。良かったな、いつもより多く稼げるぜ?」


 ロープを投げてきた細身の男から、陽気に声をかけられるが、男は黙って頷いた。

 とてもではないが、この男のように陽気にはなれなかった。


「しけた顔(ツラ)してんじゃねえよ。お前がやりたいって言った仕事じゃねえか。おい……まさか、手を引こうとか馬鹿なこと考えてんじゃ――――。」

「そ、そんなつもりはないよ……。ただ……。」


 相手に凄まれ、男は慌てて否定した。

 それでも、自分のやっていることを深く考えると、いつも恐ろしい気持ちになってしまうのだ。


「立派なお仕事じゃねえか。女房子供を食わしていかなくちゃなんねえもんなあ。胸張って言ってやれよ、『父ちゃんは頑張ってお前らを食わせてやってんだぞ』ってな。」


 細身の男の言葉に、男は顔をしかめる。

 屈強な男は向こうの船に戻ると、包みを手に取った。

 そうして、男の方に差し出す。


 男はその包みを受け取ると、自分の船に置いた。

 十キロほどの包みを全部で六個受け取り、男は溜息をつく。


「ほれ、今回はここだ。」


 細身の男が一枚の紙を差し出す。

 その紙を受け取ると、書いてあることをランプの傍で確認する。

 首都にある、小さな商会だった。

 行ったことのない店だが、この辺りの地理は多少分かっている。

 行けば、すぐに分かるだろう。


「世のため人のための、立派なお仕事だ。しくじんなよ?」

「分かってる……。」


 細身の男の言葉に、男は俯いて答えた。

 その様子に、細身の男は溜息をつく。

 そうして、船を移ってくる。

 細身の男が、男の肩に腕を回した。


「何ぐちゃぐちゃ考えてんだ。万病に効くお薬を求めてる奴は、ごまんといるんだぜ? 帝国が鎖国なんかしやがるから、こうしてこそこそ運ばなきゃならねえが、本当だったら荷馬車に山と積んで輸送するような素晴らしい薬だぜ。」


 この薬は、万病に効くとされている。

 あらゆる病気や怪我を問わず、痛みを抑える。

 心を鎮め、安眠できるようになる。

 むずがる子供に飲ませれば、ぴたりと泣き止むなんて話もある。

 薬として服用するだけに留まらず、一部の食品にも入れられていた。

 それは、分かっているのだが……。


「最近、これを燃やして吸うような使い方をする人もいるって、噂で聞いたんだ……。」


 この薬を、そんな使い方をする人が増えていっているらしい。

 男がそう言うと、細身の男がわざとらしく、大きく溜息をついた。


「ちゃんと、用法用量は守らないとなあ。だめだぜぇ、お薬は効(・)き(・)過(・)ぎ(・)ち(・)ま(・)う(・)と(・)、おっかねえからなあ。」


 そう言って、肩に回した腕に力を籠め、男を強く引き寄せる。

 耳元で、囁く。


「……でも、気持ちは分からなくはないよあ。みーんな一緒さあ。仕事を失って、不安でいっぱいだ。それでも食わしてかにゃなんねえもんなあ。」


 評議会(うえ)は、国内の経済状況は悪化はしているが、大きな問題ではないとしていた。

 それは、評議会に属しているような人たちはそうだろう。

 彼らは大きな商会を営み、売り上げが多少落ちたって、従業員を切れば済む話だ。

 だが、それでは切られた従業員たちはどうすればいいのか。


 妻を、子供を、年老いた親を、食べさせていかなくてはならない。

 今日明日の食事を手に入れるために、多くの人が必死になっていた。

 そして……。


「いろいろ苦しくて、ついつい『サクェル』で気分を紛らわせたくなるのも、分からなくはねえけどなあ。」


 サクェルというのは、この万病に効く薬の名称だ。

 それは、どうやら心の病にも効いてしまうらしい。


「お前は止めておいた方がいいぜ。……人ってのは弱いものさ。楽することを知っちまうと、ついつい流されちまうからよぉ。」


 細身の男は肩に回した腕を解き、男の正面に回る。


「仕事があるのは有り難いだろう? こいつを無事に届ければ、五十万ペイルだ。」

「…………五十万。」

「それだけあれば、しばらくはいい物食えるな。」

「あ、ああ……。」


 細身の男が、男の顔をペシペシと叩く。


「しっかり稼ぎな。女房子供のために、よ。」


 そう言って、細身の男は自分の船に戻る。


「次の仕事は一カ月後だ。しっかりやれよ? この仕事をやりたがるのは、別にお前だけじゃねえんだぜ?」

「わ、分かってる。必ずやり遂げるから、他の奴にはっ……!」


 男が懇願するように言うと、細身の男がにやりとした。

 その顔に、男は背筋の凍る思いを抱くが、もはや引き返すことなどできない。

 一度手を染めれば、「辞めたい」と言って辞められるわけがない。

 秘密を共有しているからこそ、甘い汁を分け与え、手懐ける。


 手綱を振り解こうとする素振りを見せれば、間違いなく口を封じられる。

 今ここで、船から突き落とすだけで、それは叶う。


 そして、男の仕事を別の者に割り当てればいい。

 男以外にも、こうしてサクェルを運ぶ仕事をしている者など、実際は他にいくらでもいるだろう。

 そうでなければ、共(・)和(・)国(・)全(・)体(・)に(・)広(・)が(・)る(・)わ(・)け(・)が(・)な(・)い(・)のだ。


 今や、ごく当たり前の物として、サクェルは共和国に浸透していた。

 以前、貧民窟を中心に広がっていた薬が、名前を変え、形態を変えた物。

 それが、このサクェルだと噂で聞いたことがある。


 男は黙って、船首のロープを解き、次いで船尾のロープを解いた。

 この怪しい男たちの後ろに何者がいるのか、それは知らない。

 自分の行っていることに、罪悪感もある。

 それでも……!


(……食べて、いかなきゃならないんだ。)


 評議会の連中は、男の不安や苦しみの、ほんの一欠片さえ味わったこともないだろう。

 他人のことなど、もはや男には思いやれるような余裕はない。


 男は、愛する家族の顔を思い浮かべながら、懸命にオールを漕いで陸へ向かうのだった。







■■■■■■







【ネプストル帝国 水晶城(クリスタルキャッスル)】


 ネプストル帝国、第四十七代皇帝。

 シグフリッド・キリアーン・ディ・ティ・ネプストル。

 そのシグフリッドの私室では、重苦しい空気が漂っていた。


 シグフリッドはソファーに座り、頬杖をついている。

 冷めた目で、目の前のテーブルに置かれた遊戯盤を眺めていた。

 そんなシグフリッドの向かいに座るのは、一人の男。

 ネプストル帝国の伯爵家の縁者で、このクインク・スピシスという盤上遊戯の名手と言われている。


 クインク・スピシスとは、五種類の駒を二十個ほど使ったゲームだ。

 王、戦車、騎馬、弓兵、歩兵を模した駒を交互に動かし、相手の王を取り合う。


 シグフリッドの向かいに座った男の顔は真っ青で、震える手で駒を掴もうとして、失敗してしまった。

 指先で弾かれた駒がカツンと音を立て、盤上を転がった。


 盤面は決定的だった。

 どこにどう指そうと、あと十数手でシグフリッドが勝っていた。

 それが理解できるだけの技量が、男にはあった。


「……ここまでだな。連れて行け。」


 シグフリッドが、冷めた声で室内の騎士に命じる。

 一瞬、ざわり……と騎士たちに動揺が走るが、すぐに二人の騎士が男を両側から抱えた。


「へ、陛下っ!?」


 男が、泣きそうな顔になりながら、シグフリッドに懇願する。


「陛下っ! ご、ご慈悲をっ!」


 男の訴えにも、シグフリッドは一顧だにしない。

 二人の騎士に引きずられながら、男は涙を流して懇願した。


「陛下! 陛下ぁあっ! ご、ご慈悲をっ! ご慈悲を、何卒(なにとぞ)! 陛下ぁぁあ!!!」


 しかし、もはや男の存在に興味を失ったシグフリッドは、ソファーから立ち上がるとテラスへと歩き出す。

 テラスに置かれたテーブルに着くと、女中(メイド)にお茶を用意させる。

 秋も深まり、そろそろ年が改まる頃合いのはずが、今日は春のように暖かかった。







 ゆっくりと午後のお茶を楽しんだ後、シグフリッドは執務に精を出した。

 帝国における政(まつりごと)の多くを宰相のコルエーが受け持っているが、皇帝であるシグフリッドの裁可を必要とするものもある。


 むしろ、そうした案件がなければ、皇帝などいる意味がない。

 だが、実際はこうして形だけ『皇帝が裁可した』としているだけで、シグフリッドがいなくとも帝国の政治、経済などあらゆるものは回っていく。

 すでに、そ(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)で(・)き(・)て(・)い(・)る(・)のだ。

 シグフリッドは書類に目を通し、サインをすると、横に立つ官吏に渡した。


 そうして数枚の書類にサインをした頃、私室のドアがノックされた。

 ドアが開けられ、入室してきたのは宰相のコルエーだった。

 コルエーは眉間に深い皺を寄せ、唇を引き結んで、真っ直ぐシグフリッドの下へやってくる。


「……陛下、少々よろしいでしょうか。」


 コルエーの表情を見なくとも、その声の固(・)さ(・)で、何となくの用件は見当がついた。

 シグフリッドは目を通していた書類を机の上に置き、コルエーを見上げる。

 その表情の真剣さに、シグフリッドは肩を竦めた。


「お前たち、出ていろ。」


 官吏や女中(メイド)たちに退室を命じる。

 護衛の騎士も、ドアの内と外に配置して、会話が聞こえないようにした。


 シグフリッドは、苦笑してコルエーに話しかけた。


「どうした、そんなに真剣な顔をして。まさか前線が崩れたか?」


 先日、アウズ教の総大主教ヤイヒムの陳情を聞き、ホルスカイト共和国への侵攻を開始した。

 やるからには確実に領土を削り取り、確保する必要がある。

 取って、取られてを繰り返すような泥沼を避けるため、戦力の増強も行った。

 そのため、前線が崩れるなどということがあり得ないことを承知で、シグフリッドは言ったのだ。


「先程の、クインク・スピシスの件です、陛下。」


 コルエーは、厳しい表情でシグフリッドに言う。


「なぜ、負ければ首を刎ねる、などと脅すような真似をされたのですか?」


 コルエーは、なるべく非難するような口調にならないよう、細心の注意を払ってシグフリッドに尋ねた。


「命懸けであれば、死に物狂いでかかってこよう?」

「普通の者は、そのように脅されればとても冷静になどなれず、力を発揮できませぬ。」


 即座に言い返され、シグフリッドは首を振った。


「では、どうすればよいと言うのだ。普通にやらせれば、手を抜いた挙句『さすが陛下、稀代の名手であらせられる』だぞ。勝てば褒美をやると言っても、畏れ多いと勝とうとせん。脅してやれば、本気になるかと思っただけだ。」

「ならば、本当に首を刎ねようとせずとも――――!」

「余に嘘をつけと言うのか。」

「そうではございませぬ。陛下は――――。」


 コルエーの説得にシグフリッドは顔をしかめ、うんざりしたように首を振る。


「あぁー……もうよい。其方(そち)の小言はたくさんだ。ただの戯れに、いちいち首を突っ込んでくるな。」

「陛下……。」


 コルエーは、沈痛な面持ちでシグフリッドを見た。


 シグフリッドは、非常に多くの才に恵まれていた。

 音楽、芸術のみならず、武芸から、果ては遊戯に至るまで。

 政治学や経済学、社交ですら、軽々とこなしてしまうのだ。

 本人なりに努力をしているのだろうが、傍目には「簡単に何でもこなす」としか見えないほどに、様々な分野でその才を発揮した。


 才ある者の孤独と言えばいいのか。

 シグフリッドの思いを、本当に理解できる者はいない。

 ネプストル帝国ほどの大国の、皇帝という地位にあれば猶更だ。

 人々が羨む才に恵まれ、至高の地位にいても、シグフリッドは孤独なのだ。


 おそらくシグフリッドは、「首を刎ねる」と言った男に対して、脅したつもりはないのだろう。

 シグフリッド自身が、もしそうした立場に立たされれば、死に物狂いで全力で挑む。

 そう考え、試しただけなのだ。

 もしかしたら、相手にそう宣告した以上、自分が負ければ同様に首を刎ねさせるつもりでいたのかもしれない。

 それを、本当に実行できる騎士がいるならば、ではあるが。


「先程の者は、家に帰しました。」

「そうか。」


 コルエーがそう報告しても、シグフリッドは興味なさげに答えるだけだった。


 コルエーはたまたま、連れ出される男に出くわした。

 みっともなく泣き喚き、引きずられる男を見て何事かと問い質すと、シグフリッドにクインク・スピシスで負けたために処刑するところだ、という騎士からの返答。

 慌てて、泣き喚く男と騎士を近くの会議室に連れて行き、詳細な事情を聞き出した。

 そうして事情を把握すると、男に他言無用をよく言い含め、幾ばくかの金を握らせて帰らせた。

 もし漏らせば、次は助ける者はいないだろう、と付け加えて。


 男を連れ出そうとしていた騎士も、さすがに処刑はやり過ぎだと考えていたようで、「陛下には私の方から仕儀を伝える」と言って、今日は別の任に就いてもらった。

 今後、同じようなことがあった場合、すぐにコルエーに報告するように厳命した上で。


 皇帝陛下の命令を勝手に止めさせることなど、宰相と言えど普通ならあり得ない。

 だが、コルエーだけは特別だ。

 摂政として十年以上もシグフリッドを支え続け、帝国を維持し続けてきた。

 シグフリッドが成人し、皇帝として権力を振るえるようになると、宰相として変わらず支えた。

 騎士たちも、コルエーならば陛下の行き過ぎた行動を諫められる、と託したのだった。


 誠実で、実直。そして、公正。

 これは、シグフリッドという皇帝の気質を端的に表している。


 シグフリッドは、嘘をつかない。

 嘘をつく必要がないからだ。

 皇帝という至高の地位にあるシグフリッドなら、どんな行いをしても許される。

 いや、許されるという言い方は正確ではないだろう。

 そもそも、咎(とが)となり得ない。

 だから、何かを隠そうなどと考えもしない。


 自分だけ得しようなどと思わない。

 すでにあらゆるものが満たされているため、出し惜しむ必要がないからだ。

 シグフリッドは、ただ与えるだけ。

 もっとも、そのシグフリッドの与えるものも、元を辿れば臣民のものであり、代々受け継がれてきたものではあるが。


 しかし、自身でそれを得ようとしなくても、富と権力が勝手に集まってしまうのだ。

 そう、仕(・)組(・)み(・)が(・)で(・)き(・)あ(・)が(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)た(・)め(・)に(・)。

 帝国という機能が、そのようにできている。


 故に、シグフリッドは誠実で実直で公正なのだ。

 だからこそ、と言うべきか。

 …………ただ一点だけ、懸念があった。


 コルエーは、内心で溜息をつく。

 コルエーには、この若く優秀な皇帝を、危うく感じることがあった。

 シグフリッドはひどく冷めたものの見方をすることがあり、そこに「感情」が欠如しているように感じる時がある。


 自分で苦労して手に入れた物ではないから、簡単に与えるし、手放せる。惜しむことがない。

 そこに、自分自身も含まれているように思えてならないのだ。

 皇帝という地位も、自身の生命(いのち)さえ、惜しんでいないような……。


 コルエーが言葉を続けられずにいると、シグフリッドが立ち上がる。


「そんなことを言うためだけに、わざわざ来たわけではあるまい。」


 そうしてソファーに移ると、コルエーにも向かいの席を勧める。

 コルエーはソファーに座ると、やや言いにくそうに口を開いた。


「教会には、少々不穏なところがあるようです。」


 先日の、共和国への侵攻についての陳情もそうだが、教会はたびたび政(まつりごと)に口を挟んでくる。

 それを、シグフリッドも容れてしまうのだ。

 コルエーの中で、教会は警戒すべき存在だった。


 上手く使えば、あの巨大組織は有用な道具ではあるが、いちいち出過ぎる。

 コルエーからすれば共和国などどうでもよく、国境に軍を張りつけていたのは、評議会を締め上げるため。

 戦後賠償という名目で搾り取るための、交渉カードだったのだ。


 以前から、教会の思惑に不審なものを感じていたコルエーは、内偵を進めていた。

 しかし、教会の上層部(うえ)は完全に固められ、ロクに調査が進まなかった。


 何より、多くの者がアウズ教を信仰しているのだ。

 コルエーの部下も、例外ではない。

 下手をすれば取り込まれ、逆にこちらの情報を盗まれる危険もあった。

 そのため、あからさまに反目することも避けなければならない。

 内偵を進めるのも、あくまで実情の把握が目的、と部下にも意図を隠さなければならないほどだった。

 それほどまでに、アウズ教は臣民に浸透している。


「放っておいてよい。それとも、教会が反逆でも企てると思っておるのか?」


 シグフリッドは、ソファーの背もたれに寄りかかると足を組み、軽く答えた。

 コルエーが懸念を伝えても、シグフリッドはまともに取り合わない。

 みなはシグフリッドのことを信仰が篤いと言っているようだが、コルエーから見たシグフリッドは、特に信仰が篤いようには思えなかった。

 なのに、どういうわけかシグフリッドは、教会に関して非常に寛大だ。


「そうではありませんが……。」

「ならば、気にせずともよい。好きにやらせよ。」


 その、寛大すぎるシグフリッドの態度が、教会の思い上がりを助長させている。

 そう思うが、コルエーはそれ以上は言わず、ただ「御意」と受け入れた。

 シグフリッドの心を動かすには、やはり何か決定的なものを掴む必要がある。

 しかし、それが非常に難しいことを、コルエーは理解していた。


 シグフリッドが、コルエーの苦し気な様子に、笑いかける。

 あからさまに態度には出さないが、それは長い付き合いの甥と叔父だ。

 コルエーの苦しい胸中など、シグフリッドには丸分かりだった。


「そう心配せずともよい。教会の意がどこにあろうと、それを利用すればよかろう。其方(そち)の、得意とするところだろう?」

「はっ……。」


 だが、そのためには教会の真意を知っておく必要がある。

 そうでなければ、その時々で応急的に対処しなければならなくなる。

 すべてが後手に回り、ただ振り回されるだけの状態。

 つまり、現状維持ということだ。


「そんなことよりも、今度空く民部副大臣の人事はどうだ?」


 シグフリッドが、高齢のために退く副大臣の人選について問う。

 副大臣というのは大臣に次ぐ地位で、大臣の代わりを務めることもある重要な地位だ。


「そちらは問題ございません。繰り上げていくだけですので。最終候補として、今度ご報告いたします。」

「そうか。」


 コルエーの返答に、シグフリッドは頷く。

 だが、すぐに何かを思いついたように足を解き、身を乗り出す。


「そういえば、其方(そち)の三男はどうだ? 確か、まだ無役であろう。」


 急に話を変えられ、コルエーが動揺した。


「あ(・)れ(・)で、ございますか……?」

「もういい年齢(とし)だ。いつまでも、無役のままでは格好もつかなかろう?」


 シグフリッドが笑いかけるが、コルエーはハンカチを取り出し、額の汗を拭った。


「へ、陛下のご配慮、まことに有難い限りでございますが…………あれはとんだ放蕩者でして。とても、このような大任を任せられるような者では……。」


 無役の者をいきなり副大臣のような要職に就けるなど、無茶な話ではある。

 だが、それが不可能かと言えば、そんなことはない。

 貴族が突然要職に抜擢されることなどは、ごく普通に行われているし、それでも問題なく機能するように組織が作られている。

 お飾りならお飾りで、実務は下の者が受け持てばいい。

 コルエーの息子なら、いきなり大臣に抜擢させるようなことも、可能は可能だろう。

 勿論、そんな馬鹿な真似をするつもりはないが。


 取り繕うこともできないほどに、コルエーが焦った様子を見せる。

 その様子がおかしくなり、シグフリッドはさらに突くことにした。


「他の息子は、立派に職務を果たしておろう? 其方(そち)の息子は、みな優秀だからな。」

「い、いえ……お恥ずかしい限りで。今も、どこで何をしているやら……。」


 コルエーには、三人の息子がいる。

 長男は財務省で、財務副大臣を務めていた。

 次男は法務省で、帝都における法を司る局長を務めている。

 どちらも、もう少し下の役職から経験を積ませており、いずれは大臣に就ける予定だった。

 しかし、三男は何が気に食わないのか、家を飛び出した。


 兄たちが文官の道を選んだのに対し、一人だけ武官の道を選んだ。

 騎士学院を出はしたが、騎士として数年務めただけ結局は辞めて、現在は根無し草の生活をしている。

 コルエーにとって、もっとも触れて欲しくないことだった。


「…………あれのことはいいとして、陛下のご婚姻についてですが。」


 形勢不利と見て、コルエーが戦線を拡大する。

 不利な戦場を捨て、有利に戦える戦場を選ぶ。

 途端に、シグフリッドが苦り切った顔になった。


「余は、結婚などせぬぞ。」

「そうはいきませぬ。帝国の安定のためには、陛下のお血筋を繋ぐことこそ最も大事な――――。」

「其方(そち)も、元は同じであろう。」


 シグフリッドから見て祖父、コルエーから見て父が、先々代の皇帝である。


「重みが違います。陛下のお世継ぎであればこそ、帝国が安定するのです。私の家が継ぐことになれば、国が割れますぞ。」


 コルエーの力説に、シグフリッドは大仰に肩を竦め、そっぽを向いた。


「余の死んだ後のことなど知らん。」

「陛下。また、そのような我が儘を。先日のパーティーでお目通りいただいた工務大臣の末娘が、器量も良く――――。」

「……絶対性格悪いぞ、あの娘。間違いない。」

「へ、陛下っ!? 滅多なことをおっしゃられないでください!」


 本人や工務大臣の耳にでも入れば、帝国を揺るがす、後の禍根になりかねない。

 貴族家にとって婚姻とは、それほどに重要な政治だ。


 コルエーはコホンと軽く咳払いをし、真剣にシグフリッドを説得する。


「陛下のお相手に相応しい家格を持ち、年回りも良い見目麗しい女性となると、そう多くはございません。」


 皇帝陛下の妃になるなら、上級貴族家であることは必須。

 そうなると、公爵家か侯爵家。

 その上でシグフリッドと年齢の近い、二十歳前後の女性となると、どうしても候補が絞られる。


 家格を下げれば候補は増えるが、やはり釣り合いが取れない。

 この釣り合いというのは非常に重要で、もしも家格の劣る家と婚姻となれば、一生陰口を叩かれることになる。

 皇族が侮られ、婚姻を結んだ貴族家も、上級貴族から疎まれることだろう。

 婚姻を結ぶ当事者だけでなく、陰口を叩く方も、鬱屈としたものを腹に抱えることになる。

 それは、誰にとっても不幸なことだった。


 とはいえ、背に腹は代えられない。

 コルエーは、苦肉の策を提案する。


「今度、陛下の主催としてパーティーを開きましょう。密かに、妃候補を選ぶパーティーとでも噂を流せば、国中から殺到してきましょう。それだけいれば、陛下のお気に召す女性の一人や二人は――――。」

「どこが密かだ。……主催はしてもよいが、余は出席せぬぞ、そんなパーティー。」

「主催者(ホスト)の出席しないパーティーなど、前代未聞です!」


 その後も、懸命に説得するコルエーと、気乗りしないシグフリッドの攻防は続いた。







 ドアの前に立った護衛の騎士は、表情は変えずに内心苦笑しながら、その様子を見ていた。

 皇帝であるシグフリッドに直言できる者など、コルエーしかいない。


 シグフリッド、コルエー体制が続く限り、帝国は安泰。

 そんなことを思うのだった。





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