第9話 生きる理由
俺たちは、タネル子爵領からカルダノ男爵領に戻って来た。
空を見上げると、以前は乱されていた『因果』が漂っていた。
まだ、本当にか細いが、一応これで正常化したとみていいだろう。
それでも、自然に任せていては、いつ雨が降るか分からない。
「こりゃ、期待はできそうにないな。」
やはり、介入してやらないと雨は降りそうになかった。
「本当に、雨を降らせられるの?」
俺の独り言を聞き咎め、少々棘のある口調でレインが言う。
俺たちは今、カルダノ男爵領の領都に向かう街道を大きく外れ、荒野を歩いていた。
「細工は流々、仕上げは見ての御覧じろってね。」
「何それ?」
どうやら、こういう言い回しはこの世界にはないらしい。
いや、レインが知らないだけか?
とりあえず俺は、カルダノ男爵領の中心を目指していた。
気休めかもしれないが、領地全体に雨を降らすなら端っこでやるよりは、中心の方がやり易いかな、って。
それだけの理由だ。
なにせ、やったことないことをやろうというのだ。
少しでもやり易い方がいい。
「先に言っておくが、丁度いい塩梅なんてのは分からん。高い確率で水害が発生すると思う。覚悟はしといてくれ。」
「う、うん。」
俺が真剣な口調で言うと、レインも神妙な面持ちで頷く。
勿論、やり過ぎないように気をつけるつもりではあるが、それでも多少は犠牲が出ると思う。
なぜなら、俺が操作するのは災厄だからだ。
恵みの雨なんかじゃない。
山をも削り、田畑を押し流し、人々を飲み込む自然の脅威なのだから。
こんなご時世だ。
川の中州付近にキャンプしている奴はいないだろうが、いきなり大雨が降れば何らかの事故は起きるだろう。
まあ、どっちがいいか、というだけの話だ。
このまま干ばつが続き、領地全体が飢饉に陥るのと、突然の大雨で事故に遭う人が出るのと。
不自然なことをやろうとしているのだ。
そのしわ寄せがどこかに起きるのも、当然といえば当然だろう。
俺は歩きながら振り返り、レインに声をかける。
「大体でいい。領地の中心辺りになったら教えてくれ。」
「分かったわ。」
そう言って、レインは俺の横に小走りで並ぶのだった。
カルダノ男爵領に入り、丸一日が経った。
昨夜は野宿し、朝早くに出発した
今はすでに昼を回ったくらいだ。
「この辺か?」
俺がそう聞くと、レインが頷いた。
俺たちは小高い丘の上に立ち、周囲を見回す。
草もほとんど生えていない、荒野。
日照りになる前は、この辺りも野原だったらしい。
丘の上から見ていると、遠くに川が見えた。
だが、その川もほとんど干上がり、人々はどんどん水位の下がる井戸からの水で、何とか生き延びているような状態だ。
「おっし、いっちょやるか。」
良く晴れた、清々しい空を見上げて俺がそう言うと、レインは固唾を飲んで見守る。
俺は【災厄】を発動、空を凝視した。
様々な可能性。
色とりどりの、細長い煙か霧のように漂う『因果』の中から、水害に関わるものをいくつも手繰り寄せる。
あまり無理矢理動かすと、切れてしまいそうだ。
俺は慎重に、慎重に、空中を漂うそれらの『因果』を手繰る。
大雨。
元の世界でも度々悲惨な事故を引き起こしていた、身近な災害の一つだ。
やり過ぎる訳にはいかない。
できれば期間を空け、数回に分けて少しずつ発生させられればいいのだが、生憎そこまでしてやる義理はない。
領主にこの力を知らせるつもりもない。
俺はティシヤ王国には戻らず、このまま帝国内で傭兵稼業に勤しもうと考えていた。
そうすると、カルダノ男爵領のような田舎ではロクな仕事はないだろう。
俺が傭兵として活動する時に拠点にしていた街に向かうとして、カルダノ男爵領を縦断するのに、今日を除いて二日くらい。
ということは、分けるとしてせいぜい一回か二回。
その間に、それなりの雨量を降らせないと焼け石に水だろう。…………雨だけに。
俺が【災厄】を使って災害を組み上げると、どこからともなくゴロゴロゴロ……と音が聞こえ始めた。
晴れ渡っていた空に、急速に雲ができ始める。
見る間に、空を黒い雲が覆う。
水分をたっぷり抱えた雨雲だ。
明らかに高度が低く、まるでこちらに覆い被さってくるようだった。
陽の光が遮られ、急激に辺りが暗くなる。
そんな空の急変を、レインは茫然と見上げていた。
目を見開き、口を半開きにして、アホ面を晒す。
(…………折角、整った顔をしているのに。)
スマホがあれば、是非とも一枚撮っておきたかった。
後で、思いっきりからかってやれたのに。
惜しい……。
そんなレインを横目に、俺は再び意識を【災厄】に集中する。
(どのくらいの雨量でいくかな。)
一時間あたり、三十ミリリットルくらいか?
半日で六時間。
合計で百八十ミリリットルの降水量。
十分驚異的な雨量だ。
元の世界でも、このくらいの雨量だと冠水が起き、土砂崩れなども発生することがあった。
発達した治水能力を備え、災害対策を行っていた現代でさえもそうなのだ。
この世界の治水能力では、どこかで河川の氾濫が起きてしまうかもしれない。
たかが水、されど水。
水害というのは、どれほど人が抗おうとも抗いきれない、自然の脅威の代表格と言っていいだろう。
だからこそ、太古より水も雨も川も海も、人々は敬い畏れてきた。
神として祀り、恵みをもたらしつつも決して侮ってはならない、感謝を忘れてはならない存在だと。
俺としても災害など起こしたくはないが、介入できるのが災害級の事象だけなのだ。
なるべくミニマムに……、と気を使いながら調整を進める。
まあ、計ったようにぴったりできるわけではないが、大体こんなもんかな、という感じでセットする。
やったことないのだから、ただの勘になってしまうが。
ぽつり、ぽつりと降り始めた雨は、瞬く間に大雨へと変わる。
地面を叩く雨の音が、あっという間にバシャバシャッといった水音になった。
当然ながら、遮る物のない場所でそんな雨に打たれれば、一瞬でびしょ濡れだ。
雨に巻き上げられた土埃が、鼻に独特の臭いを感じさせた。
俺は雨に濡れた髪をかき上げ、レインを見る。
「ご要望に沿えましたかな。」
そんな、おどけた俺の言葉など耳に入らないように、レインはずっと空を見上げていた。
叩きつける雨の中、瞬きもせずに、ずっと。
ただただ、降り注ぐ雨、空を覆う雨雲を見つめていた。
茫然と立ち尽くすレインの前に行き、俺も空を見上げる。
そうして、レインの顔を見た。
その顔は、涙を流しているようだった。
叩きつける雨に、涙も何も分からないが、おそらくレインは涙を流している。
まったく動かなくなってしまったレインに、俺はやれやれ……と首を振る。
「浸水して、どっかイカれたか? 防水仕様になってないのか、お前は。」
そんな憎まれ口をぶつけてみるが、それすらも聞こえていないようだ。
…………と思ったら、ゆっくりとレインの顔が下がる。
雨に張り付いた髪もそのままに、俺のことをじっと見る。
「んだよ。何かご不満か。」
そんなことを言ってみるが、やはり反応がない。
やっぱ壊れたか?
バシャッ!
突然レインが動き出し、抱きつかれた。
鎧を着たレインに抱きつかれたって、単に鎧に押し付けられているようなものだ。
ていうか、普通に痛い。
「何だよいきなり。」
俺がそう言っても、レインはぎゅーー……っと抱きしめる腕に力を籠めるだけだった。
い、痛い……苦しい。
「…………あり、が……とう……。」
激しい雨音に掻き消されながら、耳に微かに聞こえたのは、感謝の言葉。
レインは、何度も何度も、声を詰まらせながら俺に「ありがとう」と言った。
■■■■■■
「あらあらぁ、二人とも大変だったわねえ。」
宿屋のおばちゃんは、びしょ濡れで駆け込んできた俺たちを見るなり、タオルを出してくれた。
どうやら、今日は突然の雨にやられて駆け込んで来る客が多く、カウンターに用意してくれていたようだ。
雨の中、様々な思いでいっぱいになり、動けなくなっていたレインに喝を入れて、俺たちは町を目指した。
さすがに、いつまでも濡れたままではいたくなかったからだ。
雨が降っていなければ野宿でもいいが、雨の野宿は本当に大変だ。
そのため、三時間ほど苦労しながら歩き、ようやく町に辿り着いた。
ぶっちゃけ俺は、この時ばかりは雨を降らせたことを後悔していた。
…………いいんだけどさ。
町の中では、土砂降りの雨の中を小躍りしている人の姿をいくつも見かけた。
まとまった雨が降ったことを喜んでいるのかもしれないが、どんだけ踊ってんだよ。
風邪ひくぞ、まじで。
宿に着くと、即行で湯場を借りて身体を温める。
さすがにまだ春ということで、濡れた状態ではひどく体温を奪われた。
俺もレインも、宿に飛び込んだ時には、唇が真っ青になっていたくらいだ。
そうして温まり、おばちゃんが温かな食事も用意してくれた。
俺たちは人心地つき、部屋で休んでいた。
レインは窓を開け、外を眺めている。
すでに雨は上がっているが、濡れた地面や水溜まりを、鼻歌交じりに眺めていた。
鬱陶しいくらいに上機嫌である。
俺はベッドに横になりながら、そんなレインをぼんやりと見ていた。
「ご機嫌なところ恐縮だけど、何かお忘れじゃあありませんかね?」
放っておいたら、空にまで浮き上がりそうなほど浮かれきったレインに、俺は冷や水をぶっかける。
しかし、そんなことではレインの気分はびくともしない。
にっこにっこしながら、俺の方を向いた。
その、弛み切った頬を引っ張ってやろうか。
「忘れてなんかいないわよ。報酬でしょ?」
「ああ。」
忘れていなかったようで何より。
俺は起き上がって、ベッドの端に座り直す。
「いくら払えばいいの? 今は手持ちはないけど、絶対に払うわ。」
少しばかり表情を引き締め、レインが言い切った。
まだ、少し頬が緩んでいるけどな。
そんなレインに、俺はにっこりと笑顔を向ける。
「一億シギング。」
「…………………………え”?」
俺の提示した金額に、浮かれきったレインの表情が凍りついた。
「日照りの原因の調査、及びその排除。そして実際に雨を降らせてみせた。明日また降らせてやるし、カルダノ男爵領を出る時にも降らせてやる。そんだけ降れば、数カ月は問題ないだろう。」
固まってしまったレインに、これからの予定を説明してやる。
「今後……そうだな。来年の春までは、状況を見て雨を降らせてやる。そこまでを『込み』だ。アフターサービスもばっちり、良心的だろ?」
一年間の保証付き。
我ながらお人好しだなあ。
だが、そんな俺の『安心パック』にレインが異議を唱える。
「そんなに払えないわよ!」
「おいおい、今更そりゃないだろう?」
舌の根も乾かぬうちに発言を翻すレインに、俺は肩を竦め、やれやれ……と首を振る。
「自然には降らない雨を降らせてみせた。来年の春までは安泰。これで今年の飢饉はほぼ無くなったと言っていいだろう。一体いくらの価値があると思う? いくらなら妥当なんだ?」
「そ……それは、そうかもしれないけど……。」
俺の言い分に、レインは反論できない。
それはそうだ。
こんなの、お金で解決できるようなことではない。
一億が百億だって、一兆だって無理なものは無理だ。
本来なら。
天にも昇るような浮かれっぷりだったレインが、今度は地を這いずり回るような絶望のどん底に堕ちた。
つーか、本当に床に崩れ落ちたな。
そんなレインに、俺はきらきらとした笑顔を向ける。
「何も、レインが払う必要はないんだよ。」
そう、アドバイスを送る。
床に伏し、がっくりと項垂れたレインが、僅かに顔を上げて俺を見上げた。
「領主に払わせればいいんだよ。私のおかげで雨が降ったんだ、代金を払えって。」
俺はレインと契約したので、レインに請求する。
だから、レインも領主から取り立てればいいのだ。
領地に責任を持つのはレインではなく、領主なのだから。
(ま、払う訳ねえけどな。)
一体、そんなことをどうやって証明するのか。
普通に考えれば、あり得ないし、信じない。
事前に取り決めておけば、それも可能だったかもしれないが。
その手順を怠ったのは、レインの落ち度だ。
まあ、怠ったと言えば、先に報酬の金額を確認しなかったのが何より致命的だね。
とは言え、先に確認したとしても、せいぜい十分の一程度で決着しただろう。
それだって、レインに払えるとは思えない。
俺は、あえてレインに払えない金額を提示し、飲ませた。
レインに生きる目的を与えるために。
実際、金なんか然して困っていない。
必要なら自分で稼ぐだけだ。
だが、何の制約もなくこの一件が片付いたら、その後レインはどうしただろうか。
また死に場所を求めて彷徨う?
正直言えば、俺には分からない。
分からないが、この心根の真っ直ぐな少女が、死に場所を求めるような生き方をするのを「嫌だな」と思った。
そのため、無理矢理にでも生きる理由を与えた。
別に、本気で一億シギングを取り立てる気などないのだ。
ただ、次の目標を見つけるまでは放っておけないな、と思っただけのこと。
(…………本当、大概だな俺も。)
甘すぎる。
そう思わなくもない。
それでも、この少女と少々深く関わり過ぎた。
踏み込み過ぎてしまった。
俺は立ち上がると、レインの下に向かう。
そうして、床に這いつくばって動かなくなったレインの横にしゃがみ込むと、ぽんとその肩に手を置いた。
「それじゃあ、お支払いのプランについて話し合おうか。」
そう、穢れのない笑顔を見せるのだった。
■■■■■■
カルダノ男爵領に滞在している間、俺はもう一度だけ【災厄】を使って雨を降らせた。
やはり、あまり連続で降らせると川の氾濫などが起きそうだった。
そのため、移動中は降らせるのを中止し、男爵領を出る時に置き土産として雨を降らせた。
川の堤防などがしっかりと整備されている訳ではないので、これくらいが限界なのだ。
俺とレインは、カルダノ男爵領を出て、一週間かけて南下した。
そうして着いた街は、俺にとっては馴染みのある街。
ネプストル帝国ソバルバイジャン伯爵領、領都ビゼット。
「やっと着いたな。」
街の入り口に立ち、見慣れた風景を眺める。
夕方というには少し早い時間。
いくつもの馬車や人が、忙しなく行き来していた。
隣に立つレインは、初めて見る大きな街に落ち着かないようだ。
さっきから、周りをきょろきょろと見回している。
「とりあえず宿を取るぞ。」
そう言って歩き出した俺に、レインは慌てて付いてくる。
「リコはこの街、詳しいの?」
「よく使う所だけだな。隅々まで知ってる訳じゃない。」
この街は、俺の傭兵稼業の拠点と言うべき街だ。
勿論、仕事によって王国のあちこちに行ったりするが、まず起点になるのはこの街。
ここで仕事を探すのがお決まりのパターンだ。
砦攻略の帰りにも、この街に寄っていた。
単に通り道というだけではあるが、ティシヤ王国との国境にある森は、このソバルバイジャン伯爵領にあった。
広大な帝国の中では比較的端っこに位置するが、そこそこ大きな街だ。
人口は確か、十万人に近いような話を聞いたことがある。
ここの領地は縦長で、領都はほぼ北の端に位置する。
南の広い土地は田畑が広がり、その更に南は山脈となっている。
山脈からは鉱石なども採掘できるらしく、農業と鉱業で潤っている、という訳だ。
力自慢の荒くれ者の多い街だが、俺はこの街のちょっと殺伐とした雰囲気が結構気に入っていた。
そうして、雑多な感じのする通りを進み、裏路地に入る。
裏路地と言っても、そんなに薄暗い感じではない。
単に、大通りから少し入っただけの場所だ。
俺はいつもの宿屋に着き、その建物を見上げた。
築二十~三十年ほどの、コンクリートも使用された三階建ての宿屋。
大通りに面した宿屋は、それだけでいい値段がしてしまう。
俺は、立地の割にお手頃価格のこの宿を好んで使っていた。
宿屋に入ると、やや頬のこけた、痩せた女性がこちらを見た。
この女性が宿の女将だ。
陰気な感じの、どう見ても商売になど向かないオバハン。
カウンターの向こうに座った女将は、俺の顔を見るなり、顔をしかめた。
「フン……また来たのかい。」
「おい。それが客に対する態度か?」
まあ、この女将のこの態度はいつものことだった。
カチンとくる女将の態度ではあるが、慣れればどうということはない。
少々口は悪いが、そんなのはお互い様だ。
何より、ぶつぶつと文句を言いながらも、意外と気を利かせたりする一面もあったりする。
立地の割に良心的な値段で泊まらせてくれるのだから、それなりの理由が無くては、却って怪しく思えるくらいだ。
そんな女将が、俺の後ろで落ち着かない様子のレインに視線を向ける。
そうして、露骨に顔をしかめた。
「ガキが色気づきやがってっ……。ウチは連れ込み宿じゃ――――。」
「ふざけんな、ババア! いいからツインを一部屋用意しろ。」
「ちょ、ちょっと、リコ!?」
これまでも、そこまで礼儀正しかった訳ではない。
ただ、女将に対する俺の態度のあまりの悪さに驚き、レインが止めに入った。
「レインも怒っていいぞ? 今のはレインに『商売女』って言ってるようなもんなんだから。」
「え、えーと……。」
俺にそう言われ、レインは戸惑った表情でおどおどする。
その様子に、女将が片眉を上げ、訝し気な顔になった。
「どういうことだい……? リコがカタギ連れてるなんて。」
「あのなあ……。」
それでは、まるで俺がカタギじゃないようではないか。
まあ、傭兵稼業に片足を突っ込んでるような奴は、普通の人たちからすればならず者と大差ないのだろうが。
俺は「はぁ~~~~……」と特大の溜息をつき、女将を半目で見上げた。
「さっき着いたばかりで疲れてんだよ、こっちは。部屋は空いてんのか? いないんか?」
一応確認してやる。
まあ、女将がこの調子だから、満室になることなどほとんどないけどな。
渋々といった感じに、女将が帳簿をつけ始める。
それを見て、俺はとことこと歩き出す。
カウンター横から、奥にある食堂を覗き込んだ。
「大将は?」
「……仕込みが終わって、休憩に行ってるよ。」
「ふーん。」
そうしてカウンターの前に戻ると、レインが俺の服を引っ張った。
「リコは、よくここを使うの?」
その質問に、俺は眉を寄せた。
「それなりに常連のはずなんだけど……。」
そう言って、女将をちらりと見る。
「そろそろ拠点を変えることを考えた方が良さそうだ。」
俺の言葉が気に食わないのか、女将が「フン」と鼻を鳴らした。
本当に商売に向いてねえな、この女将。
「四千シギング。」
女将にそう言われ、俺は魔法具の袋に手を突っ込んだ。
そうして宿泊料を取り出している時に、女将がレインに話しかける。
「お嬢ちゃん。悪いことは言わないよ。こういう輩と関わるのはおよし。」
それは、俺が聞いたこともないような、優しい声音だった。
俺は銀貨四枚をカウンターに置き、鼻で笑った。
「余計なお世話だ。部屋は?」
「二階の奥。」
カウンターに置かれた鍵を取り、俺は二階に上がる階段に向かった。
レインは俺と女将を交互に見て、ペコリと女将に頭下げる。
そうして、ぱたぱたと俺の後を追いかけてきた。
女将は、少し憐みの籠った目をレインに向けるのだった。
「リコ、さっきの人だけど……。」
部屋に着くと、レインが少し困ったような表情で口を開く。
「気にしないでいいよ。挨拶みたいなもんだから。」
「挨拶って……。」
あっけらかんと話す俺に、レインは増々困った顔になった。
俺は腰に佩いた短剣を外すと、テーブルの上に置いた。
ベッドが二つに、テーブル、椅子が二脚。
典型的なツインの部屋だ。
部屋は、若干狭いか?
「俺が初めて傭兵やるようになった時も、まあいろいろ気にしてくれたよ。」
「だったら……。」
俺の態度に一言ありそうなレインに、俺は指を向ける。
「傭兵をやるようになったら、そんなこと言ってられなくなるよ。」
そう。
レインもこれから、傭兵稼業に片足突っ込むことになるのだ。
俺への、報酬支払いのために。
「とにかく殺伐とした世界だ。ひどい仕事だと、まじでばんばん死ぬから。」
そんな世界に引きずり込もうというのだから、ひどい話ではある。
だが……。
「剣で、俺への報酬を支払うのだろう?」
俺が顎でレインの腰の剣を示すと、レインは真剣な顔つきになり、しっかりと頷いた。
レインは、短い期間ではあるが、騎士学院に通っていた。
そして、その前からそれなりに修行もしていたようだ。
剣で稼ぐとなると、職種としては大分限られる。
名声がそれなりにあれば、直接雇ってもらうことも可能だろう。
だが、無名のレインにそんな仕事がある訳がない。
そうなると、必然的に傭兵のような仕事しか無くなるのだ。
世襲を基本とするこの国で、戦いを生業とする仕事は数少ない世襲を無視できる職種だ。
騎士になるには騎士学院を修了する必要があるが、逆を言えば要件はそれだけ。
親の職業など関係なく、誰でも騎士学院には入れるし、修了すれば騎士になれる。
王か貴族が雇ってくれれば、だけど。
とは言え、騎士ならともかく、傭兵なんかやる奴はならず者と大差ない、とイメージは最悪だ。
その意見には、俺も概ね同意だし。
「まあ、レインには俺がいろいろ教えてあげるから、まだマシだろうけどね。俺が一人でこの稼業に飛び込んだ時は、右も左も分からなかったからさ。」
それはそれは、ひどいものだった。
そうしてどんどん精神をすり減らしていた俺に、女将が口煩くいろいろ言ってきたのだ。
女将としては、子供がそんな商売に染まっていくのを、黙って見ていられなかったのだろう。
ただ、女将はあの通り口が悪い。
そして、その頃の俺も、女将の気遣いに気づけるような精神状態ではなかった。
結果、顔を合わせるたびに、喧嘩をするような口調で言い合うようになった。
それでもこの宿屋を使い続けていたのは、やはり立地が良くて便利だったことと、安いこと。そして、大将がいたから。
大将、つまりは女将の旦那のおかげだ。
大将は本当にいい人で、何であんな人が女将となんか結婚したのか、本気で謎だった。
俺も真剣な顔になり、レインを見つめる。
「レインの希望する、世のため人のためになるような仕事をなるべく探してやる。でも、そんな希望通りの仕事ばかりじゃない。そこは飲み込んでくれよ。そもそも、素人が仕事選べるような甘い世界じゃないんだ。」
「うん。分かってる……つもり。」
レインが、不安混じりの複雑な表情で頷いた。
レインにはもう、騎士学院に戻る気がない。
学院に戻って騎士を目指すというなら、それでもいいと思っていたが、本人が拒否した。
騎士にはならず、それでも誰かのために戦いたい。
それが、レインの選んだ道だった。
「それじゃ、今日はゆっくり休んで。明日傭兵ギルドに行くぞ。」
必ず傭兵ギルドに登録しなくてはならないという訳ではないが、仕事の仲介、斡旋を行ってくれるので、あえて登録しないことを選ぶメリットもない。
俺は意識して明るく言ったのだが、あまり効果はなかったようだ。
レインは不安を隠しきれない引き攣った笑顔で、躊躇いがちに頷くのだった。
【お知らせ】
他作品のことで恐縮ですが……。
本日発表になりました第5回アース・スターノベル大賞にて、リウト銃士の作品「神様なんか信じてないけど、【神の奇跡】はぶん回す ~自分勝手に魔法を増やして、異世界で無双する(予定)~」が入選いたしました。
有難いことに多くの方に応援していただき、審査員の目に留まることができたようです。
驚くことにコミカライズ賞もいただけるということで、書籍化&コミカライズが決定いたしました。
本当に、本当にありがとうございました。
詳しいことは分かりませんが、なにせ人生初の書籍化作業。
勝手に妄想して、ちょっとどきどきしております。
詳しいことが分かり次第、活動報告などでご報告させていただきます。
少しでも良い作品を皆様にお届けできるよう、精一杯頑張っていきたいと思っております。
今作ともども、引き続きのご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。
リウト銃士