第8話 【災厄】
茂みに潜み、俺は森の中の建物を窺う。
レインとは一度別れ、昨日泊った宿屋で合流することにした。
日照りを何とかしてやる、と大見得を切った訳だが、実は自信がある訳ではない。
それでも、きっとできる。
俺は、そう確信していた。
(……死に場所を求めていたことよりも、領民を救う方を採ったな。)
レインのことだ。
彼女は、根が真面目なのだろう。
立派な騎士に憧れ、死に方も騎士らしくと考えていたくらいだ。
見ず知らずの誰かが目の前で行き倒れようと知ったことではないが、何だかんだ二週間は一緒に旅をしている。
レインの身の上を知り、このまま死なせるのはさすがに不憫だ、と思ってしまった。
(空手形の報酬でこんなことをしているのだから、俺も大概甘いな。)
自分の行動に少し呆れるが、まあ仕方ない。
レインを、死なせたくない、と思ってしまったのだから。
そんなことを思いながら建物を監視していたが、俺は一旦レインのことを頭から追い出す。
まずは、やるべきことをやる。
仕事という形を取った以上、下手を打つのは俺のプライドが許さない。
全戦全勝とはいかなくとも、それなりの成果を出したいと思う。
お仕事ですから。
俺は、自分の中の力を発動した。
ここまで、流れを探ってきた力だ。
俺はこの力で、見えないはずのものが見える。
それは、もしかしたら『因果』と言われるようなものかもしれない。
災厄。
地震、雷、火事、親父。
まあ、最後のはちょっと違うか。
俺には、災害が発生する因果が見える…………んだと思う。
例えば水害。
普段から、水害に関わる因果が空などに漂っている。
当然ながら、それが漂っているからといって、すぐに水害が発生する訳ではない。
あくまで『水害に繋がりそうな因果』、つまり『可能性』というだけだ。
そして、俺はその因果を引き寄せることもできる。
よく分からん、不思議な力によって。
いつの間にか俺が手に入れていた不思議な力。
【加速】【戦意高揚】、そして【災厄】。
傭兵として活動するのに、前の二つはよく使っていた。
だが、三つ目の【災厄】については、これまで試したことはない。
俺はこれらの力のことを、誰かに教わった訳じゃない。
自然と気づいたのだ。
どうすれば、どうなるか。
こうすれば、こうなる。
そんなことを誰に教わる訳でもなく、実際に試した訳でもないのに、理解していた。
そのため、名称は俺が適当につけただけだ。
というか、傭兵の中にはこうした特殊な力を持つ者が稀にいる。
それは、【加護】なんて呼ばれているようだが。
通常、【加護】を得るにはプロセスがある。
俺はそんなプロセスを無視して、なぜか手に入れてしまったが。
【加速】【戦意高揚】については、そんな力を持っている人がいると話を聞き、同定した。
あり得ない速さで動けるようになる【加速】。
通常よりも大きな膂力や体力を得て、やる気上げ上げの【戦意高揚】。
この二つは、どうやら既知の【加護】であるらしかった。
だが、【災厄】。
これは聞いたことがない。
これまでは使い道もないので使わないでいたが、今回はこの力を使ってみようと思う。
世界を漂う因果から、選び取る。
俺は意識を集中し、じっと凝視するように虚空を睨む。
色とりどりの様々な因果が、まるで細長く延びる煙か霧のように漂っていた。
その中から、求める災害を手繰り寄せる。
それは、か細い可能性。
本来起きるはずではない災害を、意図的に引き起こすのだ。
ゼロではなかった可能性から、必然へ。
確定事項へと因果を捻じ曲げる。
(――――これだっ!)
一つの因果を手繰り寄せ、調整を行う。
ただ引き起こすだけではだめだ。
確実に、あの施設を壊滅させる精度で起こさなくてはならない。
引き寄せた因果が途切れないように、細心の注意で位置を定める。
いきなり試すには厳し過ぎる精度で、俺は災害という事象を組み上げた。
(ふぅーーっ……。)
一通りの作業を行い、大きく息を吐き出す。
額に浮いた汗を拭って、軽く頭を振る。
少しくらくらした。
(チョコレート食べたい……。)
頭を使い過ぎると、少し糖分を補給したくなる。
気分転換に一欠片のビターチョコかチョコミント、そしてエスプレッソをいただくのが、俺のルーティンだった。
元の世界では。
当然ながら、この世界にそんな物はない。
若干の禁断症状を感じつつ、俺は引き上げ――――ようとして、立ち止まる。
(………………。)
視線を建物に戻す。
(何やってんだろうな、まじで。)
建物の中でやっていることが、ちょっとだけ気になった。
そうして建物を見ていると、小さな黒っぽい物が建物から飛び出す。
いくつも。
列をなし、地面を駆けて行った。
(鼠か?)
数十匹の鼠が建物から飛び出し、森の中に消えていく。
辺りの鳥たちの囀りが、これまでより騒がしい気がした。
(もしかして、気づいてるのか……?)
災害が起こる。
その前兆として、動物たちの普段と違う行動が話題になることがある。
鼠が逃げ出した。
鳥たちが一斉にいなくなった。
普段は湖底にいる鯰が、湖面に現れた。
そんな話を、これまで耳にしたことがある。
(動物たちって、この『因果』が見えてんのかね。)
視覚なのか他の感覚なのか分からないが、『因果』を感じる力を持っているのかもしれない。
俺が捻じ曲げ、災害をセットしたことに気づき、逃げ始めた?
(いい傾向だ。)
そんなことを思う。
あとは、しっかり命中させるだけである。
俺は建物の周囲を注意深く観察し、慎重に近づいた。
高い位置にしか窓がないので、近づいて中を覗き見るのは難しい。
建物の横で、窓に向かってぴょんぴょん飛び跳ねていたら、確実に見つかるだろう。
まあ、各種装備を外して、子供の振りをして誤魔化すという手もあるが。
俺は歩哨が背を向けているタイミングで、近くの木に登った。
まだここからでは遠いが、窓の中を覗き見できそうな木に当たりをつける。
(あの辺りの木なら、見やすいか?)
建物に近く、それでいて近すぎない。
それなりに高さのある木をいくつか見繕う。
こればっかりは、やってみないと分からないが、一応の見当をつけた。
そうして静かに木を下り、建物に近づく。
歩哨をやり過ごし、木によじ登る。
しかし、この木では前にも大きな木があり、窓の中は見えなかった。
諦めて、木を下りる。
そうして、先程邪魔だった木に登ることにした。
葉も覆い茂っているので、上にいれば歩哨が来てもバレないだろう。
俺は窓の中を観察した。
しかし、何も見えなかった。
というか、窓は廊下に付けられた物のようで、部屋のドアと壁しか見えない。
(くそ……これじゃさっぱり分からないな。)
さすがに中に侵入するのは無理だ。
砦攻略では単独潜入をしたが、あれは事前に様々な内部情報を聞いていたからだ。
それでも相当に危険があるため、報酬は弾んでもらった。
何かいい方法はないかと考えていると、窓から見えるドアが開いた。
廊下に出てきたのは、黒衣のローブを纏った男。
何だか、随分と不景気な面をしている。
男は後ろ手にドアを閉めると、窓の外に視線を向けた。
…………ばっちり目が合う。
数瞬、ぽかんとした男に、俺はにっこりと微笑みかけた。
ついでに手のひらもひらひらと。
すると、ゆっくりと男の目が見開かれた。
「しっ……侵入者だぁああーーーーーーーっ!」
外にいても聞こえるほどに、男は大声を上げた。
ガササッ!
俺は慌てて木から飛び降り、脱兎のごとく逃げ出した。
(【戦意高揚】! 【加速】!)
ドクンッと心臓が跳ねた。
途端に視界が水色に染まり、身体が重くなる。
空中で止まったかのような落ち葉をスローモーションで躱しながら、俺は森の外を目指した。
まずはできる限り距離を離す。
初動でアドバンテージを稼ぐ。
追手が来ても返り討ちにするだけではあるが、できれば穏便に逃げ切りたい。
そのため断続的に【加速】を使い、引き離す作戦である。
水中を走るようなもどかしい動き。
それでも、これがもっとも速く逃げる方法なのを、経験として知っている。
気持ちは焦るが、俺は淡々と作業のように【加速】を繰り返した。
(……馬で追われたら厄介だな。)
森を出て野原になれば、身を隠すこと自体は難しくない。
人海戦術でローラーをかけられるとそれでも大変だが、果たしてそこまでの人員があの施設にいるだろうか。
なるべく街道を使わず、草叢を移動することにして、俺は夕方にようやくレインと町で合流した。
■■■■■■
「あ痛たたた……っ。」
俺は湯場から出て部屋に戻ると、魔法具の袋に入れておいた回復薬を飲んだ。
そうすると、顔中についていた細かい傷が瞬く間に消えていく。
大きい怪我では治しきれないが、ちょっとした切り傷くらいならあっという間に治る。
こんなのがたった三千シギングで売ってるんだから、すげー世界だよな。
「大丈夫なの……?」
「ああ、ようやく落ち着いた。」
宿屋の前で合流したレインは、俺の顔を見た途端に、悲鳴を上げた。
俺の顔が血だらけだったからだ。
別に騎士たちと戦ってきた訳じゃない。
これは、逃げる際にできた傷だ。
素早く動くことのできる【加速】は超便利な力だが、草叢で使うのは避けた方がいい。
なぜなら、草で傷ができるからだ。
普通にいじっていたって稀に指先を切ってしまうことがあるくらいだ。
そんな中を常人の数倍以上の速さで駆け抜けたらどうなるか。
言うまでもないだろう。
一応、全身守られてはいる。
長袖のシャツに長ズボン。
手甲やブーツ。
ただし、素肌が剥き出しの箇所が一カ所だけある。
そう、顔だ。
手で顔を守るようにしてはいたが、庇いきれなかった。
そうして細かい傷で顔面がズタズタになった。
そんな俺を見て、レインは悲鳴を上げた訳だ。
俺が両手で顔をゴシゴシ擦って、傷の具合を確認していると、レインが怒ったように頬を膨らませた。
「もう、びっくりさせないでよ! 何事かと思ったじゃない。」
まあ、文句の一つも言いたくなるのも分かる。
俺はレインの言葉を、甘んじて受けることにした。
「悪かったよ。とりあえず、今日はいつもより早く寝るぞ。明日は陽が出る前に街を出る。」
俺がそう言うと、レインは少しだけ訝し気な顔になるが、反論はせずに頷いた。
「それはいいけど、あの建物はどうなったの?」
当然気になるところだろう。
だが、今は仕込みだけで、成果はまだだった。
「ここに居ても聞こえるかな? ……さすがに無理か。」
「どういうこと?」
はっきりと明言しない俺に、少し苛立たし気に、視線が剣呑さを帯びる。
「目で見ないと不安なのは分かるけど、勘弁してくれよ? 近づくのが危ないのは分かるだろ。」
「それは、まあ……分かるけど。」
依頼した以上、果たした仕事を信じてもらわないと、そもそも傭兵なんて仕事は成立しない。
職人のようには成果物を披露できない仕事だってあるからだ。
「俺は上手くいったかどうか、空を見れば分かる。そこは疑ってないだろ?」
「ええ。」
そうやってここまで来て、あの施設を見つけたのだから。
「上手くいくと信じて、とりあえず今日は早く寝よう。カルダノ男爵領に戻ったら、もう一つの条件もすぐ達成させるから。」
「大雨を降らせるってやつね。」
レインが長い髪を揺らし、笑顔を見せる。
俺は頷いた。
深夜。
ズズゥーーン……。
ベッドで寝ていると、地震が起きた。
地響きだけではない。
窓ガラスもビリビリと震えた。
「ん……。」
隣のベッドで寝ているレインが、微かに呻いた。
ズズゥーーン……。
そうして、再び地響きが聞こえた。
「んんー……。」
レインが寝返りを打つ。
「……もう一つ。」
俺が呟くのと同時に、再びズズゥーーン……と響いた。
その音を聞き、俺は満足して寝直した。
天体衝突。
隕石落下の膨大な運動エネルギーにより、地表に巨大なクレーターを形成することもある。
自然災害の一つであり、俺が昼間に仕込んだ災害だ。
あまり大きな隕石では、影響が大き過ぎる。
今回は地表到達で、数メートル程度の大きさの隕石を選んだつもりだ。
これくらいなら、どれだけ被害が大きくても、せいぜいあの森が一つ消滅する程度だろう。
実際は、森のど真ん中に大穴が空けられた程度だと思う。
ひどい話ではある。
俺の考え一つで、あの施設にいた者は全員が死亡。
少なければ数十人、多ければ数百人。
それでも、一つの領地に干ばつを引き起こしてるような連中なら、何人死のうがどうでもいいだろう。
中で何をやっていたのか確認できなかったのは惜しいが、まあそれだってどうでもいい。
願わくば、もうこんなことを仕出かす馬鹿が現れませんように……。
■■■■■■
白み始めた空の下を、俺はレインと並んで歩く。
街道にはすでに、ちらほら人や馬車が見える。
俺は空を見上げ、気持ちの良い朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
先程から、時折馬車が物凄い勢いで走っていく。
馬車に載せているのは、兵士であったり、物資であったり。
カルダノ男爵領に向かう俺たちとは反対に、馬車はタネル子爵領の中心へと向かっている。
レインがすれ違った馬車を視線で追う。
立ち止まり、振り返り、急いでどこかに向かう馬車を見送っていた。
「どうかしたのかしら?」
普段、あんな勢いで走る馬車などほとんど見ない。
それを、町を出て一時間もしないうちに、もう四回も見かけているのだ。
「さあね。」
俺はそんなレインに構わず、軽く肩を竦めると、悠々と歩き続ける。
空には、昨日まであったおかしな流れは無くなっていた。
■■■■■■
タネル子爵領、領都。早朝。
まだ空が白み始めたばかりだというのに、タネル子爵は早馬の到着によって叩き起こされた。
まだ昨夜の酒が残っているようだった。
微かに感じる頭の痛みに顔をしかめながら、シャツに袖を通す。
少々きつくなってきたベルトを頑張って締め、腹を撫でた。
若い頃は、騎士としての訓練も修めたタネル子爵は、スラッとしていた。
だが、年々引き締まった身体は弛み、あまり動くこともしなくなってきた。
まだ「太っている」と言うほどではないが、五十も近くなると年月の流れの無情さに、やるせなさを感じてしまう。
少々後退を始めた額を撫で、髪に軽く櫛をいれる。
そうして、屋敷内の執務室に向かった。
執務室の前には、警備の騎士以外に一人の騎士がいた。
その騎士は青褪め、強張った顔をしている。
タネル子爵は執務室に入ると、早馬でやって来た騎士に入室を許可した。
「それで、こんな朝早くにどうした。」
執務机に着くと、早速用件を尋ねる。
騎士はごくりと喉を鳴らし、口を開いた。
「事故……だと思われますが……。森にある、例の施設が……。」
例の施設。
その濁した言い方で、タネル子爵には何のことを言っているのか、すぐに見当がついた。
「…………あれが、どうした?」
「森の一部が……まるで吹き飛ばされたように……。」
「吹き、飛ばされた……?」
騎士からの報告に、タネル子爵は怪訝そうな顔になる。
「何があった? 被害はどの程度だ?」
そう、詳細な報告を求めるタネル子爵に、騎士は困った顔を向ける。
「夜中だったため、詳しい状況の把握はまだできていません。ですが、凄まじい轟音が響き、森の木々が薙ぎ倒されて……。」
「薙ぎ倒された?」
「何百本という木々が薙ぎ倒され……。おそらくその中心が…………例の。」
タネル子爵の顔も、報告する騎士同様に強張る。
「…………カルダノ男爵が気づいたか?」
そう呟くタネル子爵に、騎士は首を振る。
「おそらく、それはないかと。被害が大き過ぎます。あれは、人の手でできることではありません。」
森の中心付近に、直径で百メートルにもなるような範囲の地面が抉れているという。
周辺の木々が薙ぎ倒され、森林火災も発生しているらしい。
騎士からもたらされた報告に、タネル子爵は呆気に取られた。
「何が、起こったんだ……?」
呻くように言うタネル子爵に、騎士は何も答えられない。
何が起こったのか。
それは、騎士の方が教えてほしいくらいだった。
騎士は、例の施設のあった森の、近隣の町に常駐している騎士隊の副隊長を務めていた。
夜中に突然の轟音と地響きが起き、隊員たちが何事かと調査を始めた。
そうして、燃えている森に気づいたのだ。
森にある施設の詳細を知る者は少ない。
騎士の所属していた騎士隊でも、その施設の実際を知るのは隊長と副隊長の二人だけ。
見回りの巡回をさせてはいるが、部下たちはあの施設が何なのか知らされていなかった。
「詳細はともかく、一刻も早くご報告が必要かと、急ぎ参りました。」
「……そう、だな。」
騎士の意見に重く頷き、タネル子爵は椅子の背もたれに力なく寄りかかった。
あの施設。
怪しげな呪いの類ではあるが、確かに効果はあった。
タネル子爵領は、昨年から続く日照りに頭を悩ませていた。
昨年は何とか乗り越えたが、今年も雨が降らないとかなり深刻な状態に追い込まれる。
気休めと分かっていても、雨乞いの儀式なども行った。
しかし、雨は降らなかった。
そんな時、まさに怪しげな一団がやって来た。
黒衣のローブを纏ったその一団は、雨を降らせてみせると言う。
勿論、そんなのを信じはしない。
そうして人の弱味につけ込む連中は、これまでも何度となく訪れて来たからだ。
だから、タネル子爵も会うことはせず、追い返した。
だが、その一団が他と違ったのは、門番に予言していったのだ。
「五日後、午前中だけ僅かに雨を降らせます。」
領都の周辺だけ、雨を降らせると言い残し去って行った。
報告は受けたが、そんなことはすぐに頭から追い出した。
しかし、本当に五日後に雨が降ったのだ。
予言の通り、午前中だけ。
雨の降った翌日、再び怪しげな一団が訪れた。
ただの偶然だ。
そう、頭の片隅で必死に叫ぶものがある。
「信じていただくための、特別サービスです。」
怪しげな一団の代表らしき男が、嫌らしい笑みでそう言った。
「残念ながら、何もしなければ雨は降りますまい。そう、なってしまったのです。」
「そう、なった……?」
男の言う事はよく分からなかった。
だが、雨を降らせる方法はあると言う。
「お代は必要ありません。ただ、我々が儀式を行う場所を提供していただきたいのです。」
怪しげな一団の衣食住を保証すれば、領地に雨を降らせると言うのだ。
場所は怪しげな連中が選ぶ。
儀式の効果を得やすい場所というのがあるからだ、と説明した。
大した報酬も取らず、こんなことをする者がどこにいるというのか。
やはり、こいつらは怪しい。
そう考えた時、男は危険な光を目に湛え、言い放った。
「このことは、秘密になされた方が良いでしょう。特に、お隣のカルダノ男爵には。」
何でも、怪しげな一団の行う儀式は、無から雨を作り出す訳ではないと言う。
少ない雨を掻き集め、タネル子爵領に雨を降らせる。
「そうなると、少ない雨を奪われた土地はどうなりますかな。」
元々少なかった雨を、奪われる。
そうなれば、どうなるか。
考えるまでもない。
「こちらの土地では、奪いやすいのはカルダノ男爵領です。それでもよろしければ、雨を降らせます。どうしますか?」
隣のカルダノ男爵領も、昨年からの日照りで苦しんでいた。
そこに、更に追い打ちをかけようと言うのか。
そう、カッと頭に血が上る。
だが、男の次の言葉で、一瞬でタネル子爵の思考が凍りつく。
「子爵が結構だとおっしゃるなら構いません。次は、カルダノ男爵の下に伺うだけですから。」
日照りに苦しんでいたのは、カルダノ男爵も同じだ。
自分はこんな怪しげな連中の話を突っぱねたとして、果たしてカルダノ男爵はどうするだろうか。
そう、一瞬でも悩んでしまった時点で、話は決まりだった。
例えば、これからカルダノ男爵の領地で雨が降り、自分の領地に降らないようなことが起きた場合。
自分は冷静でいられるだろうか。
もしそれが、ただの自然現象だとしても、カルダノ男爵を疑うだろう。
食料を融通し合い、協力すべき近隣領を疑ってしまう。
そうなることが目に見えていた。
(…………済まん。)
タネル子爵は拳を握り締め、心の中でカルダノ男爵に詫びた。
カルダノ男爵領が食料難に陥れば、可能な限り融通しよう。
そう、自分の中で言い訳をし、タネル子爵は怪しげな一団を受け入れることを決めるのだった。
タネル子爵は、椅子にもたれたまま、目を閉じる。
そうして逡巡した後、身体を起こした。
「連中は?」
「断言はできませんが、おそらくは……。」
相当にひどい被害なので、森を出ていた者でもいない限りは、全員が亡くなっているだろうという見通しだった。
「……警備につけていた騎士隊も、か。」
タネル子爵が呟くと、騎士は苦し気に頷いた。
これは、罰だろうか。
良からぬことを企む者を、神はお見逃しにならないのかもしれない。
だが、たとえそうでも、皇帝陛下から賜ったこの領地を守る義務がある。
「森に誰も近づけさせるな。すぐに命令書を用意する。お前は先に領主軍本部に行って、騎士隊二個を手配しておけ。」
「……どう、なさるのですか?」
鬼気迫る表情のタネル子爵に、騎士が尋ねた。
タネル子爵は、重い口調で命じる。
「例の施設周辺を徹底的に調べ、一欠片の証拠も残すな。もし生き残った者がいたら……。」
そこで一度区切り、はっきりと命じる。
「消せ。」
如何なる理由があろうと、カルダノ男爵領を陥れるようなことをしたのは事実。
その事実だけは、絶対に漏らす訳にはいかない。
領主の下した非情な命令に、騎士は目を見開き一瞬躊躇する
しかし、すぐに姿勢を正し、力を籠めて敬礼するのだった。