第7話 死に場所
周囲を警戒しながら、森を奥へ奥へと進む。
どうやらこの森は、あまり魔物や魔獣の類はいないようだ。
野犬などの動物にも警戒しながら、俺たちは森の中を進んだ。
「…………ストップ。」
俺が小声でレインに言うと、レインも動きを止める。
緊張した面持ちで、周囲をきょろきょろとし始めた。
俺は近くの木に寄ると、慎重に奥を窺う。
俺の隠れた木にレインも隠れ、俺の真似をして奥を窺った。
「……どうしたの?」
だが、木々が邪魔しているからか、遠すぎるからか、レインの位置からは見えないらしい。
声を潜めて聞いてきた。
それには答えず、俺は屈みながら素早く前方にある木に移る。
レインには「そこで待て」と手でゼスチャーを送り、更に慎重に進む。
(…………領主軍の、騎士……?)
百メートルは離れていない辺りに、馬に騎乗した騎士が四人見えた。
騎士たちは森の外に向かっている。
特に慌てている訳ではないので、ただの警邏かもしれない。
(正規の巡回ルート?)
当然ながら、俺にはタネル子爵領軍の巡回ルートなど分かる訳がない。
急いでいる感じではないので、ただの見回りのように見える。
(見回るってことは、見回る必要のある施設がある……?)
今現在使っていても、いなくても、日々異常がないか確認しておくべき『何か』がある。
(…………かもしれない。)
さすがに、そんなのは行ってみなければ分からないだろう。
騎士たちが来た方向を確認する。
それから、レインの下に戻ろうとして――――。
カサ……。
草の擦れる音が鳴った。
(――――ッ!?)
俺は咄嗟に腰のナイフに手を伸ばし、逆手に持ったナイフで切りつけ――――、ようとして何とか手を止めた。
レインだった。
レインはびっくりした顔をして、口をぱくぱくしていた。
目をまん丸にし、視線をゆっくりと下げる。
そうして自分の喉元、数センチメートルに迫ったナイフを恐るおそる見る。
「危――――うぶうぶ、んんっ!?」
大声で抗議しようとするレインの口を、俺は力いっぱいに塞いだ。
ナイフを放り捨て、背後に周り込んで引きずり倒す。
「何やってんだ、お前はっ!」
レインの耳元で、囁き声で怒鳴った。
「ゼスチャーで、待ってろって分からないのかよっ!」
「んっ、んんーーっ……!」
口を塞がれたままのレインが抗議するが、さっぱり分からん。
つーか、分かりたくもない。
もう、いっそこのまま鼻も塞いでやろうか。
騎士たちが十分に離れたのを確認し、俺はレインの口を塞いでいた手を放した。
「ぷはぁーーーーーーーーっ!? ぜぇ……ぜぇ……っ。」
レインは深い呼吸を繰り返し、久しぶりの酸素を堪能しているようだった。
いや、鼻は塞いでないんだから、鼻で呼吸しろよ。
口を塞がれ、思わず息も止めていたようだ。
「あのなあ、あの状況で何で後ろから近づくよ? 殺されたって文句言わせねーぞ?」
「どこのっ……法律よっ……それっ……!」
レインが肩で息をしながら、息も絶え絶えに言う。
俺はそんなレインを放置し、ナイフを拾うと鞘に戻す。
「別に、常に『俺の後ろに立つな』とか言う気はないけどさ。もう少し考えろよ。ここは、敵地なんだぞ。」
「敵地って……。」
俺の言葉に、レインは驚いた顔になる。
どうやら、レインにはそもそもの危機感が無かったらしい。
あくまで警戒しているのは魔物や魔獣、危険な獣の類だけだ。
(まあ、俺も憶測でしかないから、いちいち説明はしなかったけどさ。)
可能性として、考えておいて欲しかった。
俺は大きな木の根っこに座り、レインに向かいに座るように手で示す。
レインは訳が分からないながらも、大人しく従った。
「レインは、カルダノ男爵領に雨が降らない原因を魔王だと考えていたよな。」
「ええ、そうよ。」
それは今も変わらないらしく、素直に頷く。
「まあ、誰の仕業でもいいさ。要は――――。」
「よくないわよ。魔王だったら倒さなくちゃダメじゃない。」
レインは俺の言い方が気に入らないのか、突っ込んできた。
俺は少々うんざりしながら説明を続ける。
「いいから聞けって。そこは重要じゃないんだ。重要なのは『何者かの恣意によって、カルダノ男爵領に日照りが続いている』ってことなんだ。」
「しい……?」
レインが眉間に皺を寄せ、首を傾げる。
こりゃ、分かってねえな。
「誰がやってんのかなんて分からないけど、誰かがカルダノ男爵領に日照りをもたらしてる。まあ、日照りを起こすことが目的なのか、他の目的の影響で、副次的に日照りになってんのかは知らないけど。」
「日照りを、起こしてる……。」
「そうだ。レインはそれを魔王のせいだと断定しているみたいだけど、俺はそうは思っていない。」
そこで俺は一息つく。
そうして、真剣な目でレインを見た。
「誰が何のためになんて、どうでもいいんだ。重要なのは、誰かが、日照りを起こしてる。」
俺は親指で、自分の背を指さす。
「その原因が、この先にある。そして、おそらくタネル子爵はそれに一枚噛んでる。」
俺がそう言うと、レインは絶句した。
突拍子もない話だろう。
まさか、隣の領地の領主がやっているなど。
「確信がある訳じゃない。実際に見てみないことには、断定はできないし。だけど、無関係ってことはないと思う。」
こんな森の中に巡回来ていた騎士。
領主の命令で、見回る必要があるのだ。
それが、タネル子爵も関係していると考える根拠だった。
まあ、まだ根拠としちゃ薄いが、可能性としては十分ある。
そして、それはもう目の前にあるのだ。
なら、それを見てくればいい。
「タネル子爵の騎士は、敵側だ。そう思って行動してくれ。」
そこで、俺は冷えた視線でレインを射抜く。
「じゃないと、後ろから刺されかねないぞ?」
レインは青褪めた表情で、ごくりと喉を鳴らす。
俺は、そんなレインに満足し、立ち上がった。
軽く周囲を見回す。
「覚悟ができたら行くぞ。できれば今日中に、状況の把握だけでも済ませたい。」
そう言って、さっさと森の奥へ歩き始めた俺に、レインは慌ててついて来るのだった。
森の中には、小屋があった。
いや、小屋と言うには少々大きいかもしれないが。
建物は二階建てのようで、幅も一般的な家屋よりも大きい。
五十メートルほど先にある広場に建てられたその建物には、周囲に領主軍と思しき騎士が歩哨をしていた。
つまり、領主軍の関連施設か、領主の持ち物ということだ。
領主に関連する施設ということは、ほぼ間違いないだろう。
(……こんな森の中の施設にしては、しっかり警備してんな。)
これは、迂闊には近づくのは無理だ。
俺は茂みに隠れながら、同じように建物の様子を窺っていたレインの腕を叩く。
そうして、『退く』と合図を送る。
警備の警戒網に引っ掛からないように、慎重に離れる。
そうして、十分に離れた所で、一息ついた。
「はぁー……、ありゃやべえ。」
俺がそう漏らすと、レインは深刻な表情で先程の広場の方を見ていた。
「ねえ、何なの、あれ。」
レインのその問いに、俺は肩を竦める。
中で何をやっているかなど、探りようがない。
「外からじゃ分からないし、聞いて教えてもらえるとも思えないね。」
俺がそう答えると、レインが思い詰めたような顔をして振り返る。
「あれが原因なの?」
「ああ。それについては間違いない。」
距離があったとは言え、ただならぬ力があの建物から出ていた。
その力は空に伸び、カルダノ男爵領に向かっていた。
俺の返答を聞き、レインが思い詰め顔のまま、建物の方を睨む。
そんなレインを見て、俺は半目になる。
「おい、脳筋。何考えてる?」
魔王をぶっ飛ばす、とティシヤの王城にやって来たレインのことだ。
どうせロクでもないことを考えているのだろう。
「このままにできないでしょ!」
「どうして?」
原因は分かった。
なら、後は領主同士で解決してもらえばいいではないか。
カルダノ男爵がタネル子爵にどこまで物言えるか分からんし、何なら証拠もない。
しかし、原因として報告ぐらいはしてやってもいい。
まあ、名乗り出るつもりはないので、匿名の怪文書での情報提供にはなるが。
俺がそれらを説明してやると、レインは唇を噛んだ。
刻一刻と、水不足は深刻になる。
それが実感として分かるだけに、今すぐ解決できないことが悔しいのだろう。
俺はやれやれ……と首を振り、レインの正面に立つ。
そうして、その顔を見上げた。
「何でそこまで必死になる。」
「何でって! みんなが困っているんだよ!?」
「関係ないじゃん。」
「関係、ないって……っ!」
怒りの籠った目を向けるレインに、俺は思っていたことをぶつける。
「だって、関係ないだろう? どうせ死ぬ気なのに。」
「っっっ!?」
俺のその言葉に、レインは目を見開き、絶句した。
わなわなと口を開き、何かを言いかけ、だが言葉が出ない。
やがて唇を引き結び、力なく項垂れた。
「……もう、嫌になったんだろう? 人の悪意に。どこまでもついて回る、不名誉にさ。」
レインは、両手をぎゅっと握り締めた。
震える拳が、真っ白になるほどに。
レインはもう、生きるつもりがない。
ティシヤに来たのだって、魔王を倒すのはついでだ。
レインは、死に場所を求めていたのだ。
…………それは、今も。
「どうして、そこまでする。すべてを諦めた君が。」
死ぬ前に、最後にひと花咲かせようってことだろうか。
やるだけやった、という自己満足のために。
俺が思っていたことをぶつけると、レインは俯き、唇を震わせた。
ただただ顔を歪め、それでも何かを言い返しては来なかった。
動かなくなってしまったレインを、どうしようか悩んだ。
とりあえず放っておくことにしたが、さすがに自棄を起こして突撃でもされては目覚めが悪い。
仕方なく俺は近くの木の根に座り、ぽけ~……と待った。
一応は周囲の警戒を続けるが、この森は不自然なほどに獣がいない。
おそらくだが、あの施設を作るにあたり、害になりそうな魔物や魔獣、獣を駆除したのかもしれない。
あの建物のただならぬ気配に、逃げ出した可能性もありそうだ。
俺が木の幹に寄りかかってレインを見ていると、ゆっくりと顔を上げた。
そうして、真っ直ぐにこちらを見る。
レインの表情は、とても穏やかだった。
すべてを諦めた顔。
まるで、解脱したかのように、すべてのしがらみから解き放たれたようだった。
「いつから、気づいてた?」
そう、とても優しい声音で問いかける。
その表情は、いっそ微笑んでいるかのよう。
「身の上を聞いた時には思ったよ。あ、もう生きる気がないんだなって。」
俺がそう言うと、レインは何度も頷いた。
「バレバレだった?」
「ああ。」
レインの苦笑に、俺もつられて笑う。
そうして、一頻り笑い合う。
笑いを収めると、レインはぽつりぽつりと話し始めた。
騎士への思いを。
レインは、騎士に憧れていた。
代々騎士を輩出してきた家柄であることは誇らしかったし、勇敢な父を見て育ったからだ。
兄は少々頼りなかったが、それでも騎士への道を進んだ。
そうして、自分も騎士になろうと心に誓った
だが、父の死からすべてが変わってしまった。
兄が嫌々騎士の道に進んだのは、何となく分かってきた。
それなら普通に辞めればよいものを、最悪の手段を採ってしまった。
初陣の最中に逃げ出した。
敵前逃亡だった。
他に男の兄弟がいれば、また違ったかもしれない。
だが、ミシェット家に残されたのは、母と娘だけ。
『ミシェット家は終わった。』
『騎士の面汚し。』
『あんな恥さらしな真似をして、まだ騎士の名誉を汚し足りないのか。』
そう、面前で堂々と罵られた。
懸命に耐えた。
兄は確かに騎士として失格かもしれないが、父は立派に戦ったではないか。
自分が立派な騎士となれば、きっと不名誉は雪げる。
そう思い、石に噛じりつくように耐え忍んでいた。
そんな時、母が命を断った。
これ以上の生き恥には耐えられない、と。
自ら、喉を突いて。
その話を聞き、俺は喉がひりつくのを感じた。
意識して唾を飲み込み、声を絞り出す。
「お母さんが亡くなったのは、病気じゃなかったのか……。」
俺の確認に、レインは重く頷いた。
遺書には、ただひたすらに謝罪の言葉が並べられていたという。
夫に、家名を汚してしまった先祖に、領主に。
そして、レインに詫びる言葉が綴られていた。
その遺書の、涙で滲んだ文字を見た時に、もはやこれまでかとレインの心も折れてしまった。
俺は上を向いて両手で顔を覆い、胸の中の熱を吐き出す。
十四歳の少女が背負うには重過ぎる、過酷な運命に言葉が出ない。
そんな俺を見ても、レインは微笑んでいた。
きっと、涙などとうに枯れ果ててしまったのだろう。
「それでも、私はやっぱり騎士でありたかった。」
母の後を追おうと考えた時、どうしても一つ心残りがあった。
それが、騎士だ。
「私は、騎士にはなれない…………だけど、心は騎士であろうと思ったの。」
ただ死ぬ訳にはいかない。
せめて「自分は騎士だったのだ」と誇りを持って死のう。
そう覚悟を決め、学院を出た。
領主のため、領地のため、領民のために、この命を使う。
それこそが騎士であり、それだけがレインの望みだった。
レインの話を聞き、俺はようやく納得ができた。
(何で生きることを諦めたレインが、日照りにここまでこだわっているのかと思ったけど。)
死んだ後の領地のことなんか関係ないじゃないか、と思っていたが、そういう事情だったらしい。
今レインが必死にもがくのは、「思い残すことがないように」ということだろう。
俺は視線を落とし、逡巡した。
そうして、大雑把に方針を定める。
黙って俺の様子を見ていたレインに視線を向けると、言い放つ。
「お前の死に場所なんかどうでもいいし、カルダノ男爵領がどうなろうが、俺には関係ない。」
「関係ない!?」
「ああ、関係ないね。領民が飢饉で死のうが、俺の知ったこっちゃない。」
平然と言ってのける俺を、レインが怒りを滲ませる視線で射抜いた。
「お前だって見たろ? あそこに突撃したところで何も変わらない。犬死して終わりだ。」
俺の指摘に、レインは悔しそうに歯を喰いしばった。
まあ、悔しがったって、事実は事実だ。
中で何をやってるのかは分からないが、常駐している騎士が歩哨していた奴らだけってことはないだろう。
たとえ命懸けで暴れたって、レイン一人であの施設を潰せはしない。
だが、そこで俺は不敵に口の端を上げる。
「でも、俺なら何とかできる。」
「…………え?」
俺が何を言っているのか分からず、レインがぽかんとした顔になる。
「少なくとも、レインが一人で突撃するよりは目があるぜ。」
「本当、に……?」
「ああ。」
普通なら信じられない話だろう。
しかし、これまでに俺は不思議な力の片鱗を見せてきた。
だからこそ、この施設を突き止めることができたのだから。
俺は、すっと手のひらを上にして、レインに突き出す。
そんな俺の手のひらを、レインはきょとんとした顔で見る。
「…………何?」
俺が何をしているのか分からず、レインが尋ねた。
「報酬。」
俺がそう言うと、レインが驚いた顔になる。
「お金取るの!?」
「当たり前だ。俺は傭兵だぞ? ただ働きなんか御免だ。」
レインは複雑な表情で、俺の手のひらと顔を交互に見る。
まあ、金なんか持ってる訳ないわな。
今だって俺が食料も宿代も、すべて出しているのだから。
「成功報酬、後払いでいいぜ? あの施設を潰すだけじゃない。カルダノ男爵領に大雨も降らす。そこまで叶えて、成功ってことでいい。どうする?」
俺が自信まんまんに提案すると、レインは迷う。
信じられない、だけど信じたい。
自分の死に場所、命の使い場所を求めていたレインにとっては、これは不本意な手段だろう。
俺が黙って答えを待つと、レインは真剣な表情で頷いた。
「それでいいわ。」
そうして、丁寧に頭を下げた。
「お願い。みんなを助けてあげて。」
「ああ、任せておけ。」
その、真摯なレインの態度に、俺はしっかりと頷くのだった。




