第6話 三つ目の力
気持ちの良い青空の下。
俺とレインは街道を歩いていた。
「本当に歩き慣れてるのね。」
「傭兵稼業をやってればね。あちこち行くことになるから。」
どこどこで傭兵を募集している、という話を聞けば、自分の足でそこに向かうのだ。
リシャルドは小柄な割に体力があったようで、途中で歩けなくなるということはこれまでなかった。
いや、まあ、疲れますけどね。
歩幅の小ささだけは、どうにもならないから。
大人なら一歩のところを、この身体では二歩必要になる。
実際はそこまでではないにしろ、周りの人よりも多く足を動かさなくてはならない。
俺は歩きながら、澄み渡る空を見上げた。
呆れるくらいの快晴だ。
こんな陽気が二年も続けば、とても心地よいとは言えなくなるだろう。
俺たちは、カルダノ男爵領を目指していた。
ぶっちゃけ、レインの処遇にはほとほと困ってしまった。
本人は、死ぬ気でティシヤに来た。
しかし、目的の魔王がいない。
それなら大人しく帰れって話だが、本人はすでに帰る場所はないと言う。
騎士学院の寮を勝手に飛び出したため、「もう戻れない」とか言い出す始末。
かと言って、ティシヤの王城に住み着かれても困る。
そこで、「送るから帰りなさい」と説得したのだ。
文無し、宿無し、アテも無し。
賭けてもいい。
レイン、絶対行き倒れるわ。
仕方なく、周りに「どの面下げて」と言われようが、学院の寮に戻してやろうと思った訳だ。
というか、寮に押し込めないと目覚めが悪過ぎる。
さすがに身寄りのない、こんな女の子を見捨てるのは気が引けた。
自分に関わりのない人なら、考えないようにすることもできるのだが……。
■■■■■■
そうして、六日が経った。
夕方が近くなり、もうすぐティシヤ王国とネプストル帝国との国境付近だ。
俺たちは街道から外れた、森の近くを歩いていた。
いくらティシヤ王国が無人とは言え、いや、だからこそ警戒の兵が街道には置かれている。
ティシヤは何が起こるか分からない。
そのため、何か異常はないかと監視の目が配置されているのだ。
その監視の目を逃れるために、俺たちはわざと北に大回りをしてカルダノ男爵領入りを目指した。
そして、これこそがレインが王城に着いた時に飢えていた理由でもある。
カルダノ男爵領の領都で買うことのできた食料は八日分。
ギリギリの量しか買えなかったのだ。
それが、監視の目を逃れるために大回りしたものだから、途中で食料が尽きた。
俺が会った時は、ほぼ丸一日何も食べていなかった状態らしい。
予定が狂って大回りになったなら、食料を節約すればいいのに。
もしかして、節約しても足りないくらい大回りしたのだろうか?
「今日は、この辺りで休もう。」
「分かったわ。」
俺が提案すると、レインは素直に従った。
しかし、その表情は暗い。
やはり、二度と戻らないと決めて出た領地に、どの面下げて戻るのかという思いがあるようだ。
俺はそこにはあえて触れず、とにかくカルダノ男爵領を目指した。
説得は領都に着いてからでいい。
今から説得したところで、着いたら心変わりすることだってありえる。
だったら、説得の面倒は一回で済ませたい。
それに、いざとなれば実力行使だ。
どれだけ説得しても聞かなければ、一発殴って伸びたところを、学院に放り込んでやれば済む話とか考えていた。
俺は赤く染まる空を見上げる。
北東の方角。
カルダノ男爵領の空を見上げていた。
(…………?)
何となく、違和感のようなものを感じていた。
その違和感は、俺の中にある。
(もしかして……これか。)
俺がいつの間にか手にしていた、不思議な力の三つ目。
【加速】と【戦意高揚】とともに手に入れた力。
これまで使うことのなかった力によって、俺はその違和感を感じていた。
「どうしたの?」
森の中に入り、薪を拾い始めたレインが声をかけてくる。
「いや、綺麗な夕焼けだなって。」
俺がにっこりと微笑むと、レインが呆れたような顔になった。
「私は、こんな雲一つない空よりも、土砂降りの雨がみたいわ。」
「それはそうだろうね。」
俺も薪を拾いつつ、少しずつ森に入る。
焚き火が監視に見つからないように、今夜は少し森に入って過ごすことを、すでに話し合って決めていた。
水はたっぷり持って来ているので、「川の近くで」とかは考えなくても済む。
干ばつの発生しているカルダノ男爵領では、水の補給も難しいかもしれない。
そう思って、いくつもの小さな樽に、水を詰めて来たのだ。
元々はワインらしき物が入っていたが、俺もレインも酒なんか飲まない。
中身を捨てて、十数リットルは入るような樽に水を馬鹿みたいに確保してきた。
ヴィンテージ物のワインだったら……。
まあ、水の方が貴重だな、うん。
水と食料の確保で、俺の魔法具の袋はぱんぱんになってしまった。
元々大した物は入れてないからいいんだけどさ。
森には魔物や魔獣が棲息しているため、あまり奥には入らない。
監視に見つからず、魔物や魔獣も少ないであろう、浅い場所で夜を明かすことにした。
■■■■■■
監視を逃れ、一日分くらい大回りして国境を越え、カルダノ男爵領入りを果たす。
ティシヤ王国とカルダノ男爵領では地面の感じがガラリと変わった。
乾き、ひび割れ、雑草さえロクに生えない。
春だというのに。
「……これは、聞いてたよりも深刻だな。」
思わず呟いてしまう。
「こんな状態だから、食料も高騰しちゃって……。今年は、飢饉がきたら乗り越えられない人も多いだろうって。」
昨年は、まだ何とかなったらしい。
そして、今年は近隣領が何とかなりそうだから、運んでくることで食料自体も無い訳ではない。
しかし、それが買えない人も多く出る。
レインが八日分の食料しか買えなかったというのも、食料の高騰が起き始めているからだという。
俺たちは黙って歩き、領都を目指した。
そうしてカルダノ男爵領に入ることで、俺の中の違和感はほぼ確信に変わっていた。
俺たちは今、東に向かって歩いている。
国境を越える際に街道を避け、北に大回りしたため、現在地からほぼ真東の方角に領都がある。
「レイン。領都はこっちなのか?」
俺は歩きながら、進行方向を指さした。
「ええ、そうよ。明日の夕方には着くかな。」
その答えを聞き、今度は北の方角を指さす。
厳密には、北北東くらいか。
「こっちには何がある?」
「そっち?」
俺の指さす方角を見て、レインは首を傾げる。
「そっちに大きな街とかあったかしら。ずっと行くと、隣のタネル子爵領があるけど。」
「タネル子爵領……。」
聞いた憶えはない。
だが、俺は立ち止まり、空を見上げた。
そうして、タネル子爵領の方角をじっと見つめる。
「どうしたの?」
俺のただならぬ雰囲気に気づき、レインが声をかけてくる。
俺はレインを見て、思いついたことを提案した。
「タネル子爵領に行こう。」
「…………へ?」
八日も歩き、目的地にあと一日となった所での、いきなりの寄り道の提案である。
レインが目を丸くするのも分かる。
「もしかしたら、だけど……。」
呆気に取られるレインに、俺は空を睨みながら言う。
「干ばつを何とかできるかもしれない。」
■■■■■■
俺たちは目的地を変更した。
今日は英気を養うために、夜に着いた町で宿を取った。
久しぶりに湯場で汗も流し、宿で出た貧相な夕食を済ます。
そうして、部屋でくつろいでいた。
「いい加減、説明して。どういうことなの?」
レインが怒気を纏って仁王立ちし、俺の前に立つ。
いきなり予定を変更し、更には「干ばつを何とかする」と言いながら、俺はレインに何も説明していなかった。
まあ、俺にだって自信がある訳ではない。
それに、原因を取り除いたところで、それで雨が降るとは言えないだろう。
…………普通なら。
どう説明したものかと、頭をぽりぽりと掻く。
俺は腰掛けたベッドに後ろ手をつき、仁王立ちするレインを見上げた。
「まず、カルダノ男爵領の干ばつだけど、おそらく自然のものではないと思う。」
「それは、だって魔王のせいでしょう?」
何を当たり前のことを、といった感じでレインが言う。
俺は首を振った。
「魔王のせいかどうか、俺には分からない。でも、少なくとも原因はタネル子爵領か、若しくはその方角の別の領地にあると思う。」
「…………どういうこと?」
レインは怪訝そうな顔になった。
だが、俺はそのまま後ろにバサッと倒れる。
「説明したって、どうせ信じられないよ。でも、原因を取り除けば、雨が降るかもしれない。それでいいじゃん――――ぐっほぉ!?」
俺が適当に流そうとすると、レインが勢い良く馬乗りになった。
襟首を両手で掴まれ、がっくんがっくん揺らされる。
「ちゃんと説明して! 原因って何!? どうして、そんなことが分かるの!?」
「おっ……重っ……!」
思わず本音が漏れる。
「せ、説明するっ、説明するからっ、やめ!?」
俺が苦し紛れにそう言うと、レインの手が止まった。
しかし、襟首を掴んだ手は放してくれなかった。
俺はジト目でレインの手を「放せ」と叩くが、レインも同じようにジト目で俺を見下ろす。
どうやら、放す気はないようだ。
はぁ……と、思わず溜息が漏れてしまう。
俺は諦めて、そのまま説明を始めた。
「流れがおかしいんだ。」
「……流れ?」
俺の言葉を繰り返すレインに、頷いてみせる。
「カルダノ男爵領の流れを乱すものが、タネル子爵領から流れてきている。だからタネル子爵領に行くんだ。もしかしたらタネル子爵領も素通りして、実際はもっと向こうから流れてきているのかもしれない。けど、そんなのは行ってみなければ分からないだろ。だからタネル子爵領に行く。以上。」
俺が早口に一気に説明すると、レインが変な顔になった。
考えてるプラス訳が分からないプラス何言ってんのお前、を混ぜたような顔だ。
「説明したんだから、どいてくれって。重いんだよ。」
俺がそう言うと、レインが両手の襟首を掴んだまま搾り上げる。
「ちょっ、入ってる入ってるっ!?」
頸動脈が締まり、俺は慌ててレインの手を叩いた。
両手締めが極まっていた。
「…………何か言った?」
「言ってません! よろしければ、その手を放していただけないでしょうかっ!」
白い光の粒が、視界にふわふわと漂い始めた。
俺は、必死になってレインに懇願する。
そんな、俺の必死な様子を見て、レインが手を放す。
「もう……余計なこと言わないの。」
「はぁぁーーーーーー……っ。」
レインの言葉を聞き流し、俺は盛大に息をつく。
つーか、体重差を考えやがれ。
重いに決まってんだろが、バーカバーカ。
そんなことを考えていると、レインのじとっとした視線を感じた。
俺は横を向いて、その視線から逃れる。
「流れがおかしいとか、流れ込んでるとか、何でそんなことが分かるのよ。」
どうやら、まだご納得いただけていないようだ。
レインは馬乗りになったまま、聞いてくる。
「知らないって。何となくそう思うだけだよ。」
俺がそう言うと、再びレインの両手が伸びてきた。
俺は慌ててその手を掴む。
「本当に俺だって分からないんだよ! 何年か前から、そんな風に感じることがあるだけなんだから!」
レインは半信半疑の視線でじっと見つめてくる。
今度は俺もその視線から逃げず、睨み返すようにレインを見た。
そうしてしばらく視線を交錯させると、レインが力を抜いた。
「…………分かったわよ。」
「分かったんならどいてくれ。」
俺がそう言うと、レインは渋々ベッドから下りる。
俺は身体を起こすと、少しだけレインから離れるように座る位置をズラした。
「もうさっさと寝るよ。タネル子爵領の領都は、ここから六日くらいはかかるんだろ?」
「ええ。」
また、余計な出費である。
レインの食費も俺が出しているので、単純計算でも、自分一人だけの場合と比べて倍はかかる。
実際は、こうして宿代もかかるので倍どころではない。
ティシヤの王城に籠っている時より、遥かに早いペースで資金が減っていた。
(…………この旅が終わったら、ティシヤに戻らず、そのまま傭兵の仕事を探すかな。)
予定よりも大分早くなるが、また傭兵をやって稼ごうか。
もっとも、前回の仕事のおかげでまだまだ資金には余裕があるが。
慌てて稼ぐ必要はないが、ティシヤを出たついでに、一稼ぎするのも悪くない。
切羽詰まると仕事を選べなくなってしまうし。
どうせ稼ぐなら、タコ部屋に押し込められるような仕事よりは、もう少し割りのいい仕事にしたいところだ。
そんなことを考えながら、俺は腰に着けた魔法具の袋をくるんと回す。
そうして袋を腹に抱え込むようにし、短剣も手にする。
ベッドに横になり、目を閉じた。
「そんなに警戒しなくてもいいのに。」
寝る時でさえ袋と短剣を手放そうとしない俺に、レインが呟く。
「いつもこうしてるだけだから。…………ランプ消して。」
レインが動く気配がし、部屋が暗くなる。
隣のベッドから、微かにシーツの擦れる音がした。
「おやすみなさい、リコ。」
「ああ、おやすみ。」
こうして、もうしばらくレインとの旅が続くことになった。
■■■■■■
タネル子爵領の領都を目指して四日目。
俺たちは、ほぼタネル子爵領の中心辺りまで来ていた。
街道を歩いているだけでも分かる、カルダノ男爵領とタネル子爵領の違い。
カルダノ男爵領では地面が乾き、雑草さえ生えないような状態だったのに対し、タネル子爵領ではごく普通の春の光景だ。
一面に草が生え、花が咲き、虫たちが飛ぶ。
山脈で隔てられている訳ではない。
それなのに、ここまで気候に差があるのは、やはり異常だと感じた。
現在、俺たちは北東にある領都を目指して歩いていた。
だが、そこで俺は立ち止まった。
横を歩いていたレインが、俺が立ち止まったことに気づいて振り返る。
「やっぱり、違う?」
「ああ……。」
不自然な流れの原因は、現在地から西にある。
つまり、北東の領都が原因ではなさそうだ。
「これ以上領都の方に行くと、原因の発生源からは遠ざかりそうだ。」
「じゃあ、どうするの?」
そうレインに聞かれ、俺は逡巡する。
だが、すぐに西の空を見上げた。
「領都に行ってもしょうがない。俺は、原因を探しに来たんだから。」
その答えを聞き、レインが頷く。
ぶっちゃけ、レインをここまで連れて来た意味はあまりなかった。
カルダノ男爵領では道案内と、何より本人を領都に連れて行くことを目的にしていた。
しかし、目的が変わった今、レインはあまり役に立たなかった。
タネル子爵領のことは、レインにも分からなかったのだ。
というより、レインも初めて来るらしい。
つまり、俺と大して変わらない。
だったら、レインをカルダノ男爵領の学院に放り込んでから来れば良かった、と俺はちょっと後悔していた。
(まあ、今更か……。)
旅は道連れ、世は情け。
俺は、そんな達観なのか諦観なのか分からない心境で、街道を外れて野原に入って行くのだった。
そうして野原を半日ほど進み、俺たちは森の前に来ていた。
「森の中なの?」
「……遠くから見ている限り、そんな感じなんだけど。」
森を抜けた先、という可能性もある。
森に入るか、森を迂回するか。
少し迷う。
(途中の町で食料の補充もできたから、何日野営になっても問題はないけど……。)
森に棲息する、魔物や魔獣の類には気をつけなくてはいけない。
そうでなくても、野犬や狼などの狂暴な動物もいる。
場所によっては熊だっているかもしれない。
余程不意を突かれなければ、やられる気はない。
だが……。
俺はちらりと、隣で森の中を窺っているレインを見た。
(さすがに、足手まといまで守り切る自信はないぞ。)
騎士見習いという話だが、どの程度の腕があるか分からない。
どうするか。
「自分の身は自分で守れよ。」
俺がそう言うと、レインは笑顔で力こぶを作った。
全然できてねえけどな。
「任せなさい。リコのことも守ってあげるわ。」
よし。
言質は取った。
これなら見捨てても文句は言われないだろう。
「化けて出るなよ。」
「…………どういう意味?」
本気で分かっていないらしいレインが、首を傾げる。
そんなレインを放置し、俺は森に入って行くのだった。