第56話 白い鳥
バルコニーに、春の柔らかな陽光が降り注ぐ。
テーブルに置かれたカップに手を伸ばし、俺は紅茶を一口飲んだ。
手にした本のページをめくり、そこに書かれた一つの単語に指をなぞる。
「…………魔王崇拝者……。」
十四年前に起きた、リシャルド誘拐事件の実行犯。
魔王ラーナーを信奉する、狂信者たち。
公式の文書には事件のことは一切明記されず、今読んでいる本はある一人の騎士の手記だ。
俺たちがティシヤ王国の王城に籠って、二年の月日が流れていた。
引き篭もっていた理由はいくつかあるが、結果として俺は二年を王城にある文献などの調査にあてることにした。
父王、ユールディアス・シシア・ド・ティシヤ。
宰相、スッサーニ。
将軍、クラウデュオス。
これらティシヤ王国の重鎮、国家の中枢たる者たちの手記は、残念ながら見つからなかった。
魔法具の袋は見つけたので、おそらくその中に入れていたのだろう。
しかし、そうなると本人以外には取り出すことができない。
そのため、書庫にある古い文献や、文官や武官に伝達された命令書などの書類、遺された個人的な手記を探して読み漁るくらいしかできなかった。
個人の手記を漁るなど、プライバシーを暴く下衆な所業だが、あくまで王城内の待機所にあった物だ。
個人宅を一軒一軒回って、集めてきたわけじゃない。
職場に持ってきているのだから、誰かに見られてもそれはしょうがないよな?
そうして手記を読み進めていると、部屋に人の気配を感じた。
顔を上げると、ベリローゼがこちらにやって来るところだった。
「リコ様、そろそろお時間になります。」
「ん……、分かった。」
俺は本を閉じ、残った紅茶を飲み干すと立ち上がった。
ベリローゼがテーブルの上を片付ける。
ベリローゼは、すっかり女中として板についていた。
板についたと言うか、元々ベリローゼは女中として厳しい訓練を受けている。
以前は俺が女中としての仕事をあまり振らなかっただけで、元々こちらがベリローゼの本業ではあるのだ。
戦闘だけではなく、普通の女中としても、ベリローゼは一通りの仕事をこなす。
今では俺も、すっかりベリローゼのお世話になっていた。
ベリローゼを伴い、俺は部屋を出て階段を下りる。
そうして中庭に向かった。
「やっ! はあっ!」
廊下を歩いていると、中庭からレインの声が聞こえてきた。
剣が風を斬る、鋭い音も聞こえてくる。
俺が中庭に着くと、レインは汗だくになって剣を振っていた。
ただ、その動きは以前と比べて大きく違う。
左腕には大きな盾を着け、一度斬りつけては盾を構え、二度斬りつけては盾を押し出すといった動きになっている。
遺されていた、ティシヤ王国軍の教練に関わる本に書かれていた通りの動きだ。
レインは俺が来たことに気づくと、剣を鞘に収める。
そうして、小走りで俺の前に来ると、跪いた。
「リコ様。如何なさいましたか。」
頭を垂れるレインを見下ろし、俺は前を向いたまま、右手を後ろのベリローゼに差し出す。
その俺の手に、後ろにいたベリローゼがポンと、紙を折りたたんだ物を置いた。
俺は、その細長い紙を勢い良く振り下ろす。
ぱしーーんっ!
小気味良い音を立て、ハリセンがレインの頭を打った。
突然の乱行に、レインが驚いたように顔を上げる。
「リ、リコ様!? いきなり何を!?」
すぱーーーんっ!
そんなレインに、俺は再びハリセンを振り下ろした。
ふんすっ、と鼻息を荒くし、左手をぱしんぱしんとハリセンで軽く叩く。
「今日はどっちだ、レイン?」
その一言で、レインは自らのミスに気がつく。
慌てた様子で立ち上がると、危うく右手を挙げて敬礼をしそうになり…………下ろす。
「も、申し訳ありま…………っ!?」
俺がギランと睨みつけると、口を噤む。
そうして、恐るおそる口を開く。
「…………ごめんなさい、リコ。」
レインの言葉を聞き、俺は溜息をつくと、後ろにいるベリローゼにハリセンを返した。
レインにはこの二年間、徹底的に騎士としての礼儀作法を教え込んだ。
といっても、儀仗隊になるわけじゃない。
典礼用の特殊なものではなく、あくまで日常的な振る舞いだ。
そうして二年間でしっかりと作法を固めたところで、今度はあえて普通の振る舞いを取るように命じた。
俺は、このまま王城に籠っているつもりはない。
ティシヤ王国の人々が消えてしまった原因を探しに行く。
つまり、外に出るのだ。
そして、外では再び俺は傭兵になる。
傭兵のリコだ。
そんな俺に跪く騎士など、どう考えても違和感しかない。
外では、普通に接する必要があるのだ。
そのための訓練として、二週間ほど前から、朝に「今日は騎士として接しろ」「今日は傭兵として接しろ」と命じていた。
レインは臨機応変な対応がまだまだ難しいらしく、時折こうしてミスをする。
「今日から出掛ける。そのために傭兵として接するように言っておいただろう?」
「うん…………ごめんなさい。」
レインがしょんぼりしながら、謝る。
そんなレインに、俺は笑いかけた。
「まあ、まだ二年だ。準騎士ならこの程度のミスは許すさ。…………準騎士なら、な。」
正式に王国軍で訓練を行っても、準騎士から正騎士になるには早くても五年はかかると言われていた。
教練の本はあるとしても、独学で身につけていくなら、もっと時間がかかるだろう。
むしろ、レインの礼儀作法そのものは、俺から見ても十分及第点を上げられる。
騎士の家系に生まれたとあって、その辺りはレインも元々はある程度は身につけていたのだ。
騎士の振る舞いを間近で見ていた、リシャルドの記憶に照らしても、レインの振る舞いは悪くない。
問題は、切り替えだけなのだ。
「軽く汗を流してこい。支度ができたら出発するぞ。ベリローゼ、手伝ってやれ。俺は外に出てる。」
「はい、リコ様。」
「ごめん、すぐに支度するから。」
レインが汗を流しに湯場に向かうと、ベリローゼが後をついて行く。
俺はそのまま勝手口に向かい、王城の外に出た。
王城を出ると、城壁の門に向かう。
門の横のドアから外に出て、王都の街並みを眺めた。
さすがに、人がいなくなった街はかなり荒れてしまっていた。
家屋は汚れ、部分的に崩れてしまったり、ツタが絡まったり。
雑草も生え放題だ。
王城から真っ直ぐに延びる、王都のメインの道にも所々雑草が生えていた。
そんな街を見ていると、何とも言えない感情が湧いてくる。
俺がそうして街並みを眺めて時間を潰していると、レインとベリローゼがやって来た。
だいぶ慌てていたようで、レインの髪はまだ濡れていて、息も上がっている。
レインが身につけているのは近衛用の上等の鎧で、最近はそれなりに着慣れてきたようだ。
別に近衛に抜擢したというわけではなく、せっかく質の良い装備があるのだから使えばいいと、俺が許可しただけである。
「そんなに慌てることもないだろう。ただの散歩だぞ?」
「…………あまり待たせるのも、あれだし……。」
言外に、主君を、というのが含まれていそうだった。
それについてはスルーし、俺たちはそのまま王都の中を歩いた。
三人で歩いていると、レインは周囲を警戒し、いつでも俺の身を護れるように振る舞う。
その辺りはベリローゼが非常に自然に行うが、レインはまだちょっとぎこちない。
それでも、言われるまでもなく警戒することが身についているのは、大きな成長の一つだ。
そんなレインを嬉しく思いつつ、俺は建物を眺めながら大通りを歩く。
すると、アウズ教の教会を見つけた。
以前はあまり気にしなかったが、文献を漁ることで、この二年間にいくつか気になることを見つけた。
それらは多岐に渡っているが、その一つが王都にあるアウズ教の教会と、千修教の寺院だ。
ティシヤ王国は、国教を定めていない。
そのため、ネプストル帝国の国教に定められているアウズ教と、ロズテアーダ修王国の国教に定められている千修教の施設が、それぞれある。
アウズ大陸における二大宗教だが、この二つの宗教はとても仲が悪く、時折いざこざを起こしていた。
もっとも、いざこざを起こすのは血の気の多い信者が勝手にやっていることで、教会や寺院が何かを命じていたわけではなさそうだが。
それらについては、騎士たちの日誌や申し送りなどの書類を見つけて、知ることができた。
まあ、それはいいのだが、もしかしたらティシヤ王国にはもう一つ、別の宗教があったのではないだろうか。
そんな疑問を、文献を読み漁ることで抱いた。
アウズ教は一神教で、唯一の神をヤーム・ラユという。
千修教は多神教で、火の神や水の神、鍛冶の神、酒の神などがいて、全部で千もの神がいるらしい。
ヤーム・ラユという神は、どうやら男神のようだ。
千修教の神は男神も女神もいるが、地の神は男神だ。
つまり何が言いたいかと言うと、「大いなる地母とは何だ?」ということだ。
ティシヤ王国、ティシヤ王家にまつわる様々な文献を読んでいると、「大いなる地母」「母なるもの」といった言葉が散見された。
レインに行った騎士叙任式でも、やはりこの言葉が出てくる。
俺自身、盟いの宣明にこの言葉を用いたが、改めて「誰や、それ?」と思ったのだ。
王家の先祖、特に開祖となる者や、その近しい者に女傑でもいたのだろうか。
王朝を開いた者が神格化を狙って、そうした工作をすることがあるのは、いくつか例を知っている。
そうした類のものかもしれないが、こんな身近にもちょっとした謎があることを知り、つい面白いと思ってしまった。
もしかしたらアウズ教や千修教以外の、別の宗教施設もあるかもと思って王都を探したが、見つからなかった。
王家の地下墓所が王城にあるが、ここでも何かの宗教を表すような象徴は見つけられなかった。
いったい、俺は何に対して宣明したのだろうか。
後になって思い返し、思わず苦笑いしてしまった。
そんなことを考えながら、王都を出る。
今、俺たちが向かっているのは、ティシヤ王国の北端。
所謂、魔王領との国境だ。
王都からは、歩いて六日くらいかかる湿地帯である。
ようやく暖かくなってきて、少し遠い散歩に行けるようになった。
王城に籠っていた二年の間に、俺はこの魔王領との境に行きたいとずっと思っていた。
思ってはいたが、なかなか行けなかった。
気軽に行くには少々距離があるし、レインとベリローゼが止めたからだ。
俺も行きたいとは思っていても、行って実際に何をするという目的があるわけじゃない。
単にもう一度見ておきたいと思っていただけだ。
そうして二年が過ぎ、そろそろ本格的に動き出すため、ティシヤ王国を出る前に魔王領との国境に行くことを決めた。
さすがに魔王領に何があるのか分からないまま、ただ好奇心で足を踏み込もうとまでは考えていない。
魔王領に入れば、戻って来れない。
それが本当か嘘かは分からないが、気が向いたから、で入るには少々リスクが高かった。
もっとも、魔王領と同様に『帰れぬ地』と語られるティシヤ王国については、比較的安全なのは経験によって理解している。
だからこそ、ここを拠点に二年もの間、調査を行っていたのだから。
それでも、ティシヤ王国も決して安全とは言い切れない。
実際に、帝国軍や修王国軍の屍が散らばっている地域がある。
何らかの危険があるのは、確かなのだ。
そうして歩きながら、そわそわするレインを横目に見る。
レインは一生懸命に周囲を警戒し、横を見たり後ろを振り返ったりと忙しい。
「落ち着け、レイン。そんなんじゃ、こっちが落ち着かねえわ。」
「……でも、魔王領の方に行くんだから。警戒はしないと。」
「ここからどれだけ距離があると思ってんだよ……。いいから、深呼吸しろ。いざって時に動けねえぞ、それじゃ。」
レインは言われた通りに深呼吸し、何とか落ち着こうと努力をする。
ただ、あまり上手くはいっていないようだった。
「気配を探ることに関しちゃ、俺もベリローゼもいる。お前は、言われた時に全力で動けるようにしていればいい。」
気配を探るなんてのは、そう簡単に身につくものではない。
何より、才能も必要だ。
ある程度の水準までは努力で身につけることは可能だが、それにも早い遅いがある。
才能のある者はあっという間に身につけ、才能のない者はなかなか身につかない。
この分野において、レインはおそらく才能が乏しい部類なのだろう。
だからといって「諦めろ」と言うつもりはないが、ほどほどでいい。
今のレインに求められる役割は、そこではないのだから。
「レインに一番必要なのは、意識の切り替えの早さだ。普段は力を抜き、戦闘になれば即座に動く。この切り替えの早さを、常に忘れるな。」
普段がだらけきっていようと、いざ戦闘になれば誰よりも早く戦う準備と心構えが整う。
そうした切り替えこそ、レインには身につけて欲しい。
この二年の間に、レインは大きく成長した。
それまでは俺も、あまり煩いことは言わず、明らかに直すべき点しか言ってこなかった。
しかし、誓いを立て騎士となったからには、そうもいかない。
一挙手一投足、言葉の端々、考え方に至るまで、事細かに注意した。
もちろん、なぜそうしないといけないか、というのも教えた。
時には強権を発動して、レインが納得しようとしまいと関係なく、「四の五の言わずにまずはやれ」と命じた。
未だに理解の及ばない部分もあるが、とりあえず『型』に嵌めることには成功した。
あとは理解が追いつけば、より洗練されるし、慣熟もしていくだろう。
(…………まるで、ヒ〇ンズ教授にでもなった気分だったけどな。)
花売り娘を淑女に育てられるかを実験した、とある音声学者のお話だ。
もっとも、レインは花売り娘ではないし、俺も音声学者ではない。
目指しているのも淑女ではなく、騎士ではあるが。
それでも、一人の女の子を思い通りに育て上げるというのは、少しだけ面白いと思ってしまった。
…………本当に少しだけだぞ?
まあ、実際はヒ〇ンズ教授というより、育成シミュレーションゲームでもやっている時の方が、より近いかもしれない。
ゲームのように育成結果が目に見えないので、若干イラっとすることもあったけど。
レインに施した訓練は、当然ながら礼儀作法だけではない。
戦闘訓練、戦術、戦略。
この辺りはベリローゼも随分と叩き込まれていたようで、一緒にレイン育成計画を練り、指導役も手伝ってもらった。
レインがくたくたにくたびれて、泥のように眠っている間に、「次はどうやって鍛えてやろうか」と夜な夜な会議を行っていた。
最初は戸惑っていたベリローゼだが、やはり思い通りに成長していくレインを見ているうちに、喜びを知ってしまったようだ。
一年くらい前からは俺よりも熱心に、また内容も非常に濃くなっていった。
むしろベリローゼがやり過ぎないように、俺の方がブレーキをかけることもあるほどだった。
■■■■■■
一週間ほどをかけて、ティシヤ王国をほぼ縦断する。
長い長い散歩の終着点。
俺たちは今、魔王領との境にある湿地帯に来ていた。
草が生い茂り、足元が見えにくいが、このまま進むとどんどん足元が悪くなってくるはずだ。
所々に底なし沼もあるようで、地元の住民は近づくこともしない、と文献にあった。
「前に来た時よりも、霧が出ているな。」
「…………話には聞いてたけど。やっぱり不気味ね。」
国境のティシヤ王国側には、霧は出ていない。
しかし、魔王領側は真っ白い霧が立ち込めて、精々百メートルか二百メートルくらいまでしか、視界が利かない。
そして、霧の向こうから何かが忍び寄ってくるのではないかと錯覚してしまうほどに、不気味な雰囲気が漂う。
(…………この霧の向こうに、何か手掛かりがあるのだろうか。)
霧の先を見透かさんとばかりに、俺は魔王領を睨む。
沸々と湧き上がる、駆け出したくなるような衝動を抑える。
「リコ様。今は、堪えてください。」
「分かっている……。」
ベリローゼは、俺がいつ走り出してしまうかと、ハラハラしているようだった。
ティシヤ王国の人々が消えた原因。
それはやはり、魔王にあるのではないだろうか。
話によれば、帝国も修王国も、魔王領との国境の閉鎖を継続している。
彼らは、もしかしたら何かを知っているのではないだろうか。
(魔王領には、きっと何かあるはずだ……! きっと……っ!)
根拠などない。
ただ漠然とした胸の騒めきに、俺は焦燥感を感じていた。
「あれは何かしら?」
その時、レインが空に向かって指さす。
霧の中を、何か白い点が浮いていた。
「鳥……でしょうか。」
「まあ、そんなとこじゃないか。」
霧の中を、何かが飛んでいるようだ。
「何か、ふらふらしてない?」
「そうだな。」
レインは眉を寄せ、白い点を凝視している。
その視線の先にある鳥らしきものは、何となくふらふらしていた。
ベリローゼもその白い点を凝視し、若干警戒を強める。
「…………こちらに、向かってきていませんか?」
ベリローゼの指摘する通り、どうやら白い点はこちらに向かってきているようだ。
ただの点にしか見えなかったものが、はっきりと鳥らしき翼を持っていることが視認できるようになる。
……ピィィーー……ッ……。
白い鳥の鳴き声だろうか。
澄んだ笛のような音が聞こえた。
俺たちが白い鳥を眺めていると、今度は別の方角に黒い点が飛んでいるのが見えた。
白い鳥は北からこちらに向かってきているが、黒い点は東の方角からだ。
速さは、黒い点の方が明らかに速い。
黒い点だったものは、細長い胴体をしているようだ。
やや細めの翼を広げ、真っ直ぐに白い鳥に向かう。
「あっちは、小型の飛竜か……?」
「そう、なのかな? 初めて見るから分からないけど。」
俺も、傭兵ギルドの依頼書に描かれていた絵でしか知らないが、何となくそんな気がした。
飛竜は狂暴で、時々家畜を襲うことがある。
飛竜狩りはそこそこいい報酬の仕事なのだが、俺は受けたことがない。
飛んで逃げられたら手の出しようがないので、あえて避けていた。
そうして眺めていると、白い鳥と飛竜が空中で衝突した。
飛竜は足の爪で白い鳥を掴み、尻尾を絡みつかせて捕獲する。
「ピィィイイイッ……!」
鳴き声が上がり、白い鳥と飛竜が錐揉み状態で地上に落ちた。
「焼肉定食か。南無……。」
俺は両手を合わせ、白い鳥の冥福を祈った。
そんな俺を、レインが不思議そうに見る。
「……何それ?」
「強きものが、弱きものを糧にする。自然の摂理だ。せめて、あの鳥の冥福を祈ってやろうじゃないか。」
「リコ様…………それは、弱肉強食では?」
「だからそう言ったろ?」
レインとベリローゼが、微妙な表情をして俺を見る。
何だ?
「ピィィイッ! ピィィイイイーーーッ……!」
地上に落ちた白い鳥が、懸命に鳴き声を上げる。
それはまるで、悲鳴のようだった。
「ピィィイイイィィーーーッ……!」
「……やっぱり、可哀想になってくるわね。」
「まあ、そうだな……。」
仕方のないことと分かってはいるが、やはり可哀想なものは可哀想である。
自然の無情さに、少し胸が痛む。
俺はそっと息をつくと、短剣を抜いた。
「ちょっと、リコ!?」
「お前たちはここにいろ。すぐ片付ける。」
「お、お待ちください、リコ様!」
二人の制止を無視し、俺は【加速】を発動した。
ドクンッと心臓が跳ね、視界が水色に染まる。
草に顔を切られるが、痛みに堪えながら草叢を走る。
五十メートルほど先で、白い鳥の翼に齧りついている飛竜を発見する。
飛竜の細い尻尾が白い鳥に巻きつき、逃げることを防いでいた。
白い鳥は、身体の半分ほどを赤く染めている。
飛竜の牙、鋭い爪によってあちこち怪我をしているようだ。
(悪いな。)
俺は短剣を一閃し、飛竜の首を刎ねる。
この飛竜が悪いわけではない。
生き物が、他の生き物の生命を糧にすることに、善も悪もないと思う。
ただそこに、俺のエゴが介入しただけ。
俺は【加速】を解除すると、白い鳥を持ち上げる。
「ピイイィィイイイッ! ピイイィィイイイイイ……ッ!」
「分かった分かった、そう暴れるな。もう大丈夫だ。」
白い鳥は、必死になって翼をバタつかせる。
俺は白い鳥を胸に抱えると、頭を撫でてやった。
齧りついたままの飛竜の頭を取り、ついでに首から血を流す飛竜の胴体も回収。
レインたちの下に戻った。
■■■■■■
「よし、こんなもんか。」
「ピィ!」
胡坐をかき、膝の上で白い鳥の翼に包帯を巻く。
これで、とりあえず一通りの治療が終了した。
最初に回復薬で治らないかと試してみたが、だめだった。
どうやら、回復薬は人間専用のようだ。
「ふふ……可愛いね、この子。すごく大人しいし。」
レインが頭を撫でてやると、首を竦めてされるがままになっていた。
野生の動物にあるまじき従順さである。
助けてすぐは暴れていた白い鳥も、飛竜が退治されたと分かると、あとは大人しくなっていた。
おかげで治療はしやすかったが、少々困った事態ではある。
「さすがに、このまま放してやるのは無責任か。」
白い鳥は、翼以外にもあちこち怪我をして、飛べなくなっていた。
この状態で放せば、野垂れ死ぬか、他の生き物に捕食されるかのどっちかだ。
目の前で捕食されるのが可哀想だと助けておいて、あとは知らん、では無責任が過ぎるだろう。
「せめて、怪我が治るくらいまでは面倒を見てやるか。」
「そうですね。それがよろしいかと。」
ベリローゼが喉を撫でてやると、実に気持ち良さそうにしている。
猫か、お前は。
この白い鳥は、随分と愛嬌のある姿をしていた。
体高は三十センチメートル近いが、巨大な雀のような姿だ。
丸々とした体形だが、体重自体は軽い。
羽根が空気を溜め込み、こんもりしているのだろう。
顔は鷲や鷹を思わせる精悍な感じだが、丸っとした体形と合っていなかった。
「こいつ、何ていう鳥だ? 見たことないんだけど。」
鳥を、顔の高さまで持ち上げ、よく観察してみる。
レインとベリローゼに聞いてみるが、二人も分からないようだ。
「それより、この子の名前は何にする?」
「飼うわけじゃないぞ? 名前をつけるのはやめておいた方が良くないか?」
レインが名前を付けようとするが、俺はそれに反対した。
情が移れば、放す時につらい思いをするだけだ。
「ですが、名前が無いと少々不便ではないでしょうか。」
「少しの間のことだし、別に構わないだろ。」
ベリローゼも名前を付けよう派のようだが、却下する。
レインとベリローゼが、じっとっとした目で、俺を見た。
「……リコって、時々妙にドライだよね。」
レインの言葉が、やけにトゲトゲしている気がするのは、気のせいだろうか。
「時々っていうか、常にそうあろうとはしているぞ。」
まあ、なかなか思い通りにはいかないけどな。
「坊ちゃまの言いたいことも分かりますが、こんな時までそんなことを守らなくても良いのではないでしょうか。」
「おい、坊ちゃまって呼ぶなっ! ていうか、何なんだ、お前ら!」
二人の明らかな反抗的態度に、俺は声を荒げた。
「いいじゃない、名前くらい。こんなにも可愛いのに。名前も付けてあげないなんて可哀想よ。」
「ええ、レイン様の言う通りです。たとえ短い間でも、名前をつけて可愛がってあげるべきです。」
レインとベリローゼが結託していた。
つ-か、こんな鳥の名前一つで、なぜここまで非難されにゃならん。
「却下だ! もういい、行くぞ!」
そう言って立ち上がると、俺はレインたちに背を向け、来た道を引き返した。
わざわざ一週間もかけてやって来て、成果はこの鳥一羽。
元々無駄足上等のつもりで来たのだから、別にいいのだけど。
レインたちとの関係に思わぬ溝ができたが、さてこの鳥との出会いは俺にとって吉兆か、それとも……?
そんなことを考えながら、俺は胸に抱えた鳥の頭を撫でてやった。
「ピイッ!」
白い鳥の元気な鳴き声に、俺の頬はつい緩んでしまう。
先に行ってしまったリコを見て、仕方なさそうにレインとベリローゼは顔を見合わた。
そうしてリコを追い、二人も歩き出す。
和気藹々と、白い鳥の名前を話し合いながら……。




