第51話 レインの苦悩
ヨッテンソーム軍の騎士から伝えられた、ネプストル帝国軍侵攻の事実に、集まった傭兵たちが静まり返る。
全員がオランジェス方面への転進と考えていたところに、まったく予想もしなかった帝国軍の話。
その事実を飲み込むのに、少しばかりの時間を必要とした。
そして、それは俺も同じだった。
(二万の帝国軍だって!? 嘘だろ!?)
まさか、ネプストル帝国までもが大条約を破り、ヨッテンソーム王国に攻め込んで来るとは!
「帝国軍が……?」
「どうなってんだよ、おい!?」
あちこちで、戸惑いの声が上がり始める。
台に上がった騎士が、更に詳細な情報を伝える。
「帝国軍が国境付近に集結し、我が国に向けて移動を開始した! これが昨日の朝の情報だ!」
国境の兵士が早馬を飛ばし、各地に応援を呼びかけているのだと言う。
この情報から丸一日経過しているため、すでに帝国軍は国境を越えているだろうとの見立てだった。
(国境自体は、砦から北東か東北東の方角か……。これから向かうとして、帝国軍は更に南下しているだろう。…………接敵は、国境から南に二日三日の距離か?)
行軍速度がどの程度か分からないため、確かなことは言えないが、二万の兵がキビキビ動くとは思えない。
まあ、それもあまりアテにならない予測ではあるが。
行軍速度とは、地形、気象、情勢、兵種でいくらでも変わる。
中世の標準としては、一日に二十~二十五キロメートルくらいか。
敵地であることを考慮し、偵察を多めに出して慎重に進めば、もっと遅くなる。
速さを重視し、脱落者も厭わなければ、倍の速さで移動した記録も多々ある。
それはともかく、今重要なのは敵が帝国軍ということだ。
正規兵、それも二万という大軍だ。
数百の傭兵をぶつけたところで、まったく意味が無い。
ヨッテンソーム軍の騎士が説明を続ける。
「現在、各領地の領主軍をかき集め、足止めを考えている! 諸君には、その足止めに参加してもらいたい! ホルスカイト共和国にも援軍の要請を出している! これは、帝国軍の侵攻よりも前の話だ!」
国境近隣の領地から、足止めの兵を集めているところだと言う。
南部のオランジェス戦線に向かっていた兵も、一部が北に転進する見込みらしい。
そして、西の隣国ホルスカイト共和国にも援軍をすでに要請している。
この要請自体はオランジェス軍の侵攻に対して行われたが、状況が変わったため、対帝国軍にも振り分けるつもりだと言う。
(…………とは言え、ヨッテンソーム王国は南のオランジェス軍、北の帝国軍を同時に相手するのか?)
ホルスカイト共和国が援軍を出しても、それまで耐えられなければ無駄になる。
何より、ホルスカイト共和国からすれば、オランジェス軍を相手にするつもりだったのだ。
いきなり帝国軍の相手を頼むと言われても、「ちょっ待てよ!?」といった感じだろう。
下手をすれば、大陸一の大国の参戦を聞き、援軍を引っ込める可能性すらある。
混迷を極めるヨッテンソーム王国の状況に、俺は頭を抱えたくなった。
「俺たちも、さっさと逃げるぞ。」
結論。
やってらんねえ。
集められた傭兵たちは、大半が尻尾を巻いて逃げ出すことを選択した。
給金の支払日なんか待たず、とっとと離脱すべきだった。
そう喚く声が聞こえたが、その意見には俺も大いに賛成である。
一部の傭兵たちが「給金を払え」とヨッテンソーム軍の騎士や兵士に迫ったが、軍はこれを拒否。
銀貨一枚だって戦費が惜しい時に、逃げ出す傭兵に支払う金は無いらしい。
まあ、これは予想していたが……。
ふざけるな、とこの場にいる騎士や兵士をぶっ殺したところで、こいつらが金を持っている訳ではない。
ならば、さっさと切り替えて逃げ出すが吉である。
騎士に詰め寄り「金を払え」と言っていたのは、全員が農夫出身の傭兵だと思われる。
レンタルの剣とか鎧を身につけていたから。
専業の傭兵たちは「そういうもんだ」と諦め、さっさと逃げ出すことを選択した。
ところが、ここで一つの問題が持ち上がる。
レインである。
「帝国は、大条約を破って攻め入ったオランジェスを非難する立場でしょ!? どうしてつけ込むような真似をするの!?」
知らんがな。
そんなに義憤を感じるなら、皇帝でも何でも直接怒鳴りつけて来い。
俺は肩を落として、盛大に溜息をついた。
「それをここで言ってもしょうがないだろ? 直接皇帝に言えよ。ほら、さっさと行くぞ。何だったら、その足で帝都まで行こうか?」
レインが皇帝の居城に乗り込むのを、見学してやろう。
止めるくらいはしてやるが、付き合う気はない。
プライテスが厳しい表情で、レインを見る。
「何がどうなって今の状況になっているのか知らんが、ヨッテンソームに勝ち目は無い。命を無駄にするな。」
プライテスは、ここからヨッテンソーム王国が巻き返す手は無いと考えているようだ。
それには、俺も同意見だった。
ベリローゼも頷く。
「オランジェス軍の動きを見てから動いたにしては、帝国軍が早すぎる気がしますね。初めから仕組まれていたのではないでしょうか。」
「かもな。ただ、元々国境付近に駐屯地でもあれば、偶発的な事態でも今の状況はあり得る。とは言え、帝国やオランジェスは、大条約破りの始末をどうつけるつもりなのか。…………大分厄介なことになったのは確かだ。」
平和条約を一方的に破棄する行為。
ロズテアーダ修王国やホルスカイト共和国が黙っていないだろう。
だが……。
(それでも問題無い、と算盤を弾いたか。)
ネプストル帝国は、ホルスカイト共和国と交易で強い繋がりがある。
もしかしたら、ホルスカイト共和国には話が通っていたのか?
こうなってくると、どことどこが繋がっていたのか、外からではさっぱり分からない。
プライテスが俺の横に来る。
「では、な。私は先に行くぞ。」
「ああ。いろいろとありがとうな。いい稽古になったよ。」
「こちらこそ。いい気晴らしができて助かった。」
プライテスのその言葉に、俺は思わず笑ってしまう。
「博打もほどほどにな。」
「分かっている。……………………つもりだ。」
だめだな、こりゃ。
プライテスのあまりに自信のない言葉に、俺は肩を竦めた。
「プライテスさん、ありがとうございました。」
「ご指導、ありがとうございました、プライテス様。」
レインとベリローゼがお礼を言うと、プライテスが頷く。
「ベリローゼの筋は悪くない。教えた通りに、レインと訓練を続けるといい。そうすれば、レインにも良い影響があるだろう。」
「はい。その通りに。」
ベリローゼが、丁寧に頭を下げる。
あの『聴手』とかいう訓練を、今後も続けろ、ということらしい。
そうして俺たちは、去って行くプライテスを見送った。
プライテスは一度、南東にある近くの町に寄るつもりのようだ。
食料の調達か、酒の調達あたりが目的だろう。
おそらくは、それから南に向かい山脈を迂回し、西のホルスカイト共和国へ抜けるルートを選択すると思われる。
大半の傭兵たちが、ホルスカイト共和国へのルートを選ぶようだ。
「さあ、俺たちも行こう。」
俺たちが行くのは、プライテスとは反対方向。
北西に少し行き、来た時と同じ山脈越えのルートを使って、ヨッテンソーム王国を脱出する。
俺の声にベリローゼが頷くが、レインはプライテスを見送ったまま、こちらを見ない。
そうしてしばらくプライテスを見送っていたレインが振り向くと、その表情は真剣で、目に強い意志が宿っていた。
「…………おい馬鹿、レイン。何考えてる?」
俺が頬を引き攣らせて呟くと、レインが悲し気に微笑む。
その表情に、ベリローゼも息を飲む。
「レイン様、まさか……!」
そんなベリローゼに、レインは優しく微笑んだ。
「ごめんなさい、ベリーちゃん。」
レインが真っ直ぐに、俺を見る。
その目を見れば、何を考えているかなんて丸分かりだった。
「ごめんね、リコ。いろいろ、助けてくれたのにね……。」
「んなこたーどうでもいい。馬鹿なことを考えるのはよせ、レイン。」
だが、レインは静かに首を振る。
「今回の帝国のやり方…………私は許せない。どんな理由があるかなんて分からないけど、きっともっと、違うやり方だってあったはず。」
帝国ほどの影響力を持った国なら、確かに手段はいろいろ選べたと思う。
しかし、その選択肢の中で、帝国は大条約の破棄を選んだ。
それは、並々ならぬ覚悟があってのことだろう。
レインはしっかりと顔を上げ、はっきりと告げる。
「傭兵団を解散します。」
そうして、憑き物が落ちたかのような、すっきりとした微笑みを見せる。
「リコ、これまで本当にありがとう。お金は、返せなくなっちゃった。……ベリーちゃんも、ごめんね。元気でね。」
「レイン様っ!」
レインは言いたいことだけを言うと、そのまま俺たちに背を向ける。
傭兵たちの中で、ヨッテンソーム軍の求めに応じ、帝国軍の足止めに行く一団の方に歩いて行った。
「リコ様っ! レイン様が!?」
ベリローゼは、去って行くレインと俺を交互に見て、狼狽える。
俺は目を閉じ、小さく溜息をついた。
(あの馬鹿……。)
レインは、俺たちを説得することなど考えず、さっさと傭兵団を解散した。
レインの中で、もはや決めてしまったのだろう。
死に場所はここだ、と。
レイン一人の命で、何かが変わることなどない。
普通に考えれば、単なる犬死だ。
だが、レインにとって、犬死かどうかは特に意味はない。
誰かのために、命を捨てる――――。
出会った時から、何一つ変わらない。
レインの生きる目的だった。
ベリローゼはどうすればいいのか分からず、オロオロする。
沈む塔のような危険な場所に、自分からついて来たベリローゼだったが、今回はどうすればいいか選べないらしい。
レインを見捨てたくない。
だが、行けば確実に命を落とす。
ベリローゼは世間知らずなだけで、レインのような死にたがりとは違ったようだ。
俺がベリローゼを見上げると、ベリローゼは縋るような目で俺を見てきた。
レインを止めたい。
だが、自分ではどうすれば良いか分からない。
つまり、俺にレインを止めてくれ、という訳だ。
俺は、少しずつ遠ざかるレインの背中に視線を移す。
レインはしっかりと背筋を伸ばし、その後ろ姿は堂々としたものだった。
「…………レインを、死なせたくないか?」
「は、はい! リコ様!」
「だったら、お前も覚悟しろ。」
俺が真剣な目で射抜くと、ベリローゼはごくりと喉を鳴らし頷く。
「今止めても、多分無駄だ。次にどんな行動に出るか読めねえ。」
これまでは、暁の脳筋団という枠組みが機能していた。
俺たちは一蓮托生だ、と暗に示していたのだ。
だが、その枠組みはもう機能しない。
レイン自ら、その枠組みを外してしまった。
書類上の話ではない。
レインの中で、傭兵団という枠組みに決着をつけてしまったのだ。
「いざとなれば、レインをぶん殴って、ふん縛ってでも担いで逃げる。どれだけ恨まれようとな。」
「リコ様……。」
そうやって『今』を逃れても、結局は先送りに過ぎない。
これまではお節介で、レインに生きる理由を探してもらおうとしたが、次はもはや『無い』。
俺は振り返って、砦を見る。
おそらくは、中にいる賊たちにとって、これもシナリオ通りなのだろう。
帝国軍が動いたということは、やはり最初の読み通り、中にいるのは帝国の正規兵か。
(他国のことだが…………やってくれるぜ。)
知らなかったとは言え、俺もその片棒を担いでいた訳だ。
ヨッテンソーム王国の、北西の端の砦を落とす。
賊が暴れて砦に注目を集め、ヨッテンソーム軍が動き出すのを合図に、オランジェスを南から侵攻させる。
南に目が向いている隙に、今度は北から帝国が侵攻する。
南北から挟撃することで、ヨッテンソームには有効な手が打てなくなる。
おそらくだが、帝国の二万の軍は、単なる先遣隊だろう。
ヨッテンソーム軍の総数など知らないが、いくら南北に分断したとしても、二万では少なすぎる。
後続に、十万からの本隊がいると考えるべきだ。
ヨッテンソーム軍が傭兵をどう使う気か分からないが、二万の兵を叩いても然程意味は無い。
死ぬには、あまりに馬鹿馬鹿し過ぎる戦いだった。
俺は、ベリローゼを黙って見る。
ベリローゼは表情を引き締め、しっかりと頷いた。
「お前も、とんだ相手に仕えちまったな。」
「…………恐縮です。」
何と言えばいいのか分からず、ベリローゼが複雑な表情で答えた。
と言うか、ベリローゼ的に主は俺なのか、それともレインなのか。
財布を握ってるから、俺か?
でも、女中としての給金なんか払ってないしな。
そうなると、財布は関係ない?
まあ、今はそれはいいか。
「覚悟ができたら行くぞ。……あの馬鹿を、思い通りになんか死なせてやるな。」
「はい! リコ様!」
俺とベリローゼは、レインの背中を追って歩き出す。
こうして俺たちは、北部の対帝国軍戦線に参加することになった。
■■■■■■
砦を囲んでいた傭兵は、七百人強。
そして、北部への転進に応じた傭兵は、二百人を超えている。
(意外に残っているな。)
というのが俺の感想だが、彼らはヨッテンソーム王国出身の傭兵たちのようだ。
他国出身の傭兵のように、逃げ帰る場所など無い。
此処こそが帰る場所であり、祖国防衛のために残ったのだ。
ヨッテンソーム王国で生まれ育った彼らにとっては、これは生まれ故郷を守るための戦いである。
そのため士気も爆上がりで、攻め入ってきたネプストル帝国やオランジェス王国を罵倒する声が、あちこちから上がっていた。
「ネプストルが何だってんだ!」
「俺たちが蹴散らしてやるぜ!」
「「「そうだっそうだっ!」」」
「「「おおおううっ!!!」」」
酒も入り、少し危険なほどに士気が高まっている。
そんな連中を尻目に、俺とレイン、ベリローゼは端っこの焚き火で夕食を摂っていた。
「メシの質が良くなったのは有り難いね。」
「は、はい。随分と良くなりました。」
「……………………。」
「ほれ、これなんか、ちゃんと肉が形を保ってる。でろんでろんから、大分奮発したもんだ。」
「そ、そうですね。味付けも、質の良い香辛料が使われているようです。」
「……………………。」
俺が何気ない会話を何とか紡ぎ、ベリローゼが必死に食いつく。
だが、レインはもそもそとスプーンを口に運ぶだけで、一言もしゃべらなかった。
これは、今に始まったことではない。
俺たちがレインと合流してから、ずっとこうなのだ。
俺とベリローゼは視線を交わし、そっと溜息をつく。
気まずい空気を払拭しようとしたが、無駄だったようだ。
俺は諦めて、ストレートにいくことにした。
「気負い過ぎだ、レイン。そんなんじゃ、いざという時に動けないぞ。」
レインは顔を上げず、もそもそと食事を続ける。
だが、ぴくりと僅かに反応した。
「このまま戦えば犬死は確定だが、帝国の奴らを二人でも三人でも道連れにしなきゃ、本当に何のために戦ったんだって話だ。どうせ死ぬなら、せめて少しは役に立って死ね。」
「リ、リコ様、それは……!」
レインが死のうとしていることを肯定するような俺の言い草に、ベリローゼが戸惑う。
ベリローゼを無視し、俺は言葉を続ける。
「お前がどんなつもりだろうと、俺とベリローゼに死ぬ気なんか欠片もない。だから、いつも通り戦える。帝国の奴らぐらい、十人でも二十人でも殺ってやれるさ。きっちり生き残った上でな。」
暗に、お前のやろうとしていることは無意味だ、と匂わせる。
レインのスプーンの動きは止まっていた。
その手が、微かに震えている。
(…………いくら覚悟をしたって、怖いものは怖いよな。)
今は、それだけでいい。
レインは恐怖心を、必死に覚悟で抑えつけているだけなのだ。
レインが死を恐れてくれていることに、俺はどこかホッとする気持ちになっていた。
大見得を切ってみせたが、実際は俺もベリローゼも、生き残れるかは運次第だ。
数の差は圧倒的。
そして、数はそのまま力である。
指揮官の考え次第ではあるが、玉砕覚悟の突撃なんか敢行されてしまえば、とても生き残れるなんて言い切れはしない。
せめて、まともな考えのできる指揮官であることを祈るしかない。
俺は一口シチューを食べると、意識して明るい声を出す。
「明日の朝には給金が貰えるって話だし、この仕事の区切りがついたら、ゆっくり休めるな。」
これまでの分と、これから帝国軍とぶつかる分を、明朝に支給するという話だった。
去って行く傭兵に支払う給金は無いが、残った傭兵にはしっかり支払ってくれる。
これは、士気にも関わる重要なことなので、軍の上層部はきちんと手配してくれたようだ。
レインは俯いたまま身動ぎもせず、つらそうな表情をしていた。
そうして一度ぎゅっと目を閉じると、再び食事を続けた。
いつも通り、三交代で不寝番を行う。
レイン一人の時間帯を作ることに若干の不安を覚えたが、だからと言って俺とベリローゼだけで行えばあからさま過ぎる。
何より、俺たちだって休めるだけ休む必要がある。
少しでも疲労を回復し、万全の状態で帝国軍との戦いに臨まなくてはならない。
今は俺が不寝番を勤める時間帯。
先程、一番目に不寝番を勤めたレインと、交代したばかりだ。
この後はベリローゼと交代し、俺はもう一度仮眠を取る流れになる。
パチパチと木の爆ぜる焚き火に、一本だけ薪を放り込む。
新たな薪に潰され、ボワッと火の粉が舞い上がる。
(……ごめん、か。)
レインと不寝番を交代する時、テントに入る間際にぽつりと呟いたのだ。
消え入るような囁き声で。
ただ、ごめん……、と。
(多分、自分でも持て余しているんだろうな……。)
自分自身の激情を。
おそらくレイン自身も、死にたくはないのだ。
だが、感情がそれを覆い隠す。
心は騎士らしく、潔く、と。
その行き着く先の答えが、レインの中に一つしかないのだろう。
誰かのために命を捨てる、という答えしか。
それは、騎士の一面としては間違ってはいない。
だが、それだけで騎士らしいかと言えば、そうではない。
なのに、レインはその答えを選べない。
選べないというか、レインの中にそれ以外に騎士らしくあるための答えが存在しないのだ。
(まあ、脳筋だしな。)
実のところ、俺にはレインの求める答えの別の一つが見えていた。
しかし、俺はその答えを選べないし、教えることもできない。
(できれば、レイン自身に生きる理由を見つけてもらいたいんだけどな。)
焚き火の揺らめく炎を見つめ、俺は一人考える。
とは言え、俺が考えるべきはレインのことだけではない。
聞きかじった話によると、帝国軍はここから東に一日の距離に野営しているらしい。
つまり、二十~三十キロメートルほどの距離。
もはや、至近と言ってもいい距離だ。
明日も帝国軍は南下するだろうが、急げば明日中にも接敵しかねない距離である。
(一当てして、壊滅。壊走までは確実だな。)
急ごしらえの領主軍が合流しようが、精々一千~三千が関の山だろう。
五千も集まるものか。
出せる兵は、そもそもオランジェス方面にすでに出しているのだから。
そんな数でぶつかったところで、一発で消し飛ぶ。
これは、確定事項だ。
(…………でも、もしも【災厄】を使ったら、どうなる?)
フレイムロープの大軍を巻き上げた竜巻を起こせば、帝国軍を叩き潰すことは可能だろう。
しかし……。
(帝国軍を壊滅させたとして、それが俺に何の意味がある?)
他国の戦争で、俺の意志で片方を勝たせる。
それに一体どんな意味があるというのか。
もし仮に二万の帝国軍を壊走させたところで、本隊がまたやって来るだろう。
本隊まで、俺が潰すのか?
(無駄だな。だったら、さっさと負けて、さっさと逃げる方がいい。)
こう言っては何だが、ヨッテンソーム王国がどうなろうが、俺にとってはどうでもいい。
下手に二万の帝国軍を潰して、レインに本隊との戦いに興味を持たれる方が困った事態だ。
(ぶつかる。逃げる。これが最善だな。)
ぶつかる時も逃げることを念頭に、適当に戦う。
すぐに総崩れになるだろうから、壊走する傭兵やヨッテンソーム軍を囮に使い、上手いこと逃げ果せる。
(その時に逃げる方向はどっちだ? …………東か、西?)
北はおそらく、帝国軍の本隊がいる。
本隊の兵に見咎められれば、身ぐるみを剥がされる。
多分だが、略奪を禁止したりはしていないだろうし。
南はオランジェス王国だ。
こちらも戦火がどこまで伸びてるか分からないし、この時期にヨッテンソーム王国からオランジェス王国にスムーズに入国できるとは思えない。
そのため東か西が逃亡の候補になるが、ほぼ西一択と見ていいか?
東は、大陸の端となる。
つまり、船を使ったルートだ。
(このタイミングで、ヨッテンソームからの船を帝国は受け入れるか?)
まあ、帝国に向かう船ではなく、ホルスカイト共和国やロズテアーダ修王国行きに乗れればチャンスはある。
しかし、海上封鎖されていない保証はないし、それ以前に船に乗り込めるかも未知数だ。
ならば、西に向かうルートが良いだろう。
(つまりは、元々の予定に戻るだけだな。)
砦から東に来た訳だが、帝国軍にぶつかった後は、同じようなルートを使って砦に戻る。
そうして、山脈越えのルートを使って帝国に入国するのだ。
この場合のリスクは、山脈のルートを帝国軍が封鎖していないか、ということ。
(まともに軍が通れる道じゃないしな。放っておかれてても不思議はない。)
若しくは、より安全を期すならば、プライテスと同じようにホルスカイト共和国へ逃れるルートだ。
どちらを選ぶにしても、一度は砦に戻ることになる。
俺は薪を手に取ると、再び焚き火の中に放り込んだ。
勢い良く火の粉が舞い上がる。
(…………こんな、他人の思惑で命を落とすなんて。馬鹿らしいぞ、レイン。)
夜空に昇る火の粉を見つめ、そんなことを思うのだった。




