第43話 明日への誓い
俺は、激しく振動する塔から、身を投げ出した。
高さは、五十メートル以上。
これは元の世界のビルでは、十階以上の高さに相当する。
ゴゴゴゴゴゴッ……!
ビュウゥゥウウーーー……ッ!
落下し始めた俺の耳には、塔の立てる振動音とともに、空気を切る音が聞こえる。
ダッ!
俺は塔の外壁を蹴り出し、駆けるように落ちる。
視界の両端に、投げられたロープの束が映る。
ロープは、解けながら落下していた。
外壁を駆け下りながら、俺はそのロープの束を追い抜く。
塔は、反対側に傾いている。
つまり、俺が駆け下りている外壁は、垂直よりは少しだけ緩やかな傾斜だ。
とは言え、ほんの数度くらいの差しかないと思うが。
ピサの斜塔を駆け下りるのと、どちらがやりやすいか、程度の違いしかないだろう。
そうして瞬く間に地面が迫ってきた。
俺は外壁に足をつき、何とか踏ん張ろうとする。
ズザザザアァァアアーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!
だが、俺の空しい抵抗は、ほぼ意味を成さなかった。
凄まじい勢いで滑り下りるが、それでも多少は減速したと信じたい。
俺の視界に、奈落への穴が迫る。
この穴は、塔の外壁と地面との隙間だ。
塔が反対側に傾いたため、七~八メートルくらいの隙間ができてしまっていた。
(【戦意高揚】! 本気だせえっ!)
きっと俺の脳内では今、アドレナリンが大盤振る舞いで出まくっていることだろう。
「どおおおぉぉりゃっしゃあぁぁあーーーーーーーーーーーーーーっ!」
ダンッ!
俺は覚悟を決めて、外壁を蹴った。
奈落の穴を飛び越えるように。
そうして飛び越えた先に、集まった傭兵たちがいる。
カンザロスに呼びかけてもらい、避難するのを待ってもらった傭兵たちだ。
その傭兵たちの先頭に、レインの姿を見つけた。
レインは両手で口元を覆い、驚愕に目を見開いていた。
ベリローゼも、絶句したような表情で固まっている。
「レイィィィンッ!」
「リコッ!」
両手を広げたレインに向かって、俺は飛んでいく。
俺も両手を広げる。
そうしてグイッと姿勢を変え、足を向ける。
受け止めようと待ち構えていたレインに、俺はドロップキックをぶちかました。
ドカァッ!
「キャアアーーーーーーッ!」
「レイン様っ!?」
俺のドロップキックにより吹き飛んだレインを、ベリローゼが慌てて追いかけた。
だって、胸から行ったら確実に肋骨折れるし。
衝撃で心臓や肺が破裂するだろ。
レインの奴、鎧着てるしな。
俺はレインの鎧に足を着く時、【加速】を発動しながら、可能な限り衝撃を和らげるようにした。
しかし、そんなことで衝撃を吸収しきれる訳もなく、レインはもんどり打って吹っ飛ぶことになった。
それでも、レインが吹っ飛ぶことで、衝突時のエネルギーを多少は流すことができた。
グッジョブ、レイン!
とは言え、俺も両手にロープを持っているため、ロクに受け身を取ることができなかった。
ゴロゴロと地面を転がることになる。
全身に擦り傷を作ることになったが、この程度で済めば御の字だ。
俺は身体中の痛みを堪えて、よろよろと身体を起こす。
「くぅぅ……痛ぅ…………ロープを、……掴めえっ! 早く!」
苦し気に俺が叫ぶと、茫然とした表情で俺やレインを見ていた傭兵たちが、ハッとなる。
そうして、次々にロープを掴み始めた。
塔は、地響きを立てながら今も沈んでいた。
傾きも少しずつ大きくなる。
徐々に、徐々に、最上階が地上に近づく。
どうやら、今も少しずつ沈み方が速くなっているようだ。
そして、地面と塔の外壁も徐々に離れていく。
最上階が地面と同じくらいの高さになった頃には、隙間は十メートルを優に超える距離になっていた。
「来い! 大丈夫だ!」
回復薬を飲んで怪我を治した俺は、崖っぷちで塔の中のケベロムたちに呼びかけた。
塔の中では、ホーマーが泣きながら抵抗していたが、ケベロムが顎先を撫でて昏倒させた。
「よーし! 行くぞ、お前ら!」
「おおうっ!」
「噛みつき子狐に舐められてたまるかっ!」
いや、俺関係ないよね?
あと、そのあだ名で呼ぶのやめろや。
ホーマーをケベロムが担ぎ、その後ろにメッジスがつく。
女の子をカンザロスが担ぎ、その後ろにはウラコーがついた。
四人は、意を決して塔から飛び降りた。
奈落のように深い穴に、その身を躍らせる。
重力に従い、振り子のように四人の身体は岩壁に叩きつけられる。
だが、四人とも足で岩壁に着地した。
「よし! 引き上げろ!」
俺が合図を送ると、ロープを持っていた傭兵たちが、掛け声を上げながらロープを引いた。
少しずつ、少しずつロープが引き上げられる。
四人はロープの動きに合わせ、自分たちも足を動かして、岩壁を歩く。
最初に、カンザロスの抱えていた女の子が引き上げられた。
そうして、すぐにカンザロスも穴から上がってきた。
もう一本のロープでは、苦労しながらホーマーを引き上げている。
ホーマーは、未だに昏倒していた。
まあ、途中で目を覚まされる方が危なかったろう。
これは仕方ないね。
次々と穴から上がり、協力してくれた傭兵たちと喜び合う。
最後にメッジスも引き上げられ、全員が無事に脱出を果たした。
よかった、よかった。
「ちょっと、リコ! 何てことするのよ!」
そこに、ようやく動けるようになったらしいレインがやって来た。
レインは全身砂まみれになり、何やら大変ご立腹な様子だ。
「よお、レイン。ナイスアシスト!」
俺がびしっとサムズアップを送ると、その手がぱしっと叩き落された。
「ナイスじゃないわよ! 何で蹴っ飛ばしたりするの!」
「何でって……。」
そりゃあ、死にたくないからだが?
アクション映画じゃないんだから、あんな受け止め方されたら普通に死ぬが?
「状況的には、あれが最善だ。だから、こうして俺たちが生きてる。」
そう説明するが、レインはぷりぷり怒っている。
あー、面倒くせえ。
「リコ! やったな!」
「とんでもねえガキだと思ってたが、やっぱりとんでもねえな、お前!」
俺が、レインをどうしようか考えていると、ケベロムたちがこちらに歩いてきた。
どうやら、ホーマーも気がついたようだ。
ウラコーに支えられながら歩いていた。
「おお、みんな。丁度いいところに。」
「丁度いい?」
俺がそう言うと、カンザロスが怪訝そうな顔になる。
「今回の立役者、暁の脳筋団の団長のレインだ。彼女の協力がなければ、こうは上手くいかなかった。」
「そうなのか?」
俺の説明に、ケベロムは不思議そうな顔になる。
だが、すぐに頭を下げた。
「そうか。協力に感謝する。おかげで命拾いしたようだ。」
「へ!?」
いきなり、厳つい大男に頭を下げられ、レインがどぎまぎする。
カンザロスやメッジス、ウラコーが次々と礼を言うと、レインは照れながらも戸惑い、訳が分からずあたふたした。
フ……やっぱちょろいな。
「キャアアーーーーッ!? な、何!? 何なの!?」
その時、悲鳴が聞こえてきた。
みんなでそちらを見ると、塔で倒れていた女の子だった。
どうやら女の子は目を覚ましたが、状況が理解できずにパニックになっているようだ。
「気がついたみたいだな。」
俺は、女の子の方に歩いて行きながら声をかけた。
女の子は俺の方を見ながら、驚いたように目を見開く。
「あ、あの時のガキ! 何であんたが!?」
「……憶えてないのか?」
こっちとしても、なぜ塔の最上階にこの女の子がいたのか謎だった。
是非とも、理由を教えてもらいたいところではある。
「す、すみません! 通してください、すみません!」
そこに、いつかの男の子も人垣を掻き分けて現れる。
「お兄ちゃん!」
「おお、妹よ! 気がついてたか!」
男の子は女の子に駆け寄ると、ほっとした表情になる。
女の子も、ごつい傭兵たちに囲まれていた状況から、男の子の姿を見つけて安堵しているようだった。
「これは何の騒ぎだ! 塔はどうなった!? 誰か説明せよ!」
そうして兄妹の再会シーンを見ていると、聞き覚えのある声が人垣の向こうから聞こえてきた。
まったく次から次へと……。
ちょっと、順番を守ってくんない!?
人垣が分かれ、姿を現したのはムバイト主教だった。
ホーマーが青い顔をして、慌てて駆け寄った。
「フン……ホーマーか。ケベロムもいるようだな。塔の攻略はどうなっておる? まさかとは思うが……。」
鋭い目つきで、ムバイトがじろりと睨む。
ケベロムはムバイトの前まで進み出ると、跪いた。
「ご安心ください、特使様。回収は済んでおります。」
ケベロムが振り向いて目配せすると、メッジスとウラコーも進み出た。
その言葉を聞き、ムバイトは満足そうに頷く。
「よくやった、ケベロム。其方らもな。其方らの信仰は、しかと見届けた。」
そうして回収してきた物を引き渡す話になるが、さすがにここで広げる訳にはいかない。
駐屯地に行き、そこでメッジスとウラコーが回収してきた物を、引き渡すということになった。
「じゃあ、メッジスとウラコーは来てくれ。カンザロスとリコは、明日またそこの門に来てくれればいい。」
回収した物を持っているメッジスとウラコーが一緒に行き、俺とカンザロスは、今日はもう解散で良いという話になった。
俺は面倒から逃れられたとホッとするが、カンザロスは少し残念そうだった。
お褒めの言葉を期待していたのかもしれないが、ムバイトに褒められたいか?
攻略隊の、最終的な報酬の分配は、明日行うことになった。
最終目標だった、祀られていた“何か”を回収したことで、教会から報酬がもらえることになっている。
ついでに、飾られていた燭台なども換金し、そのお金も分けるそうだ。
教会騎士たちに守られながら、ケベロムらはムバイトについて行った。
去って行く教会の一団を見送り、俺は横に並んだカンザロスを見上げた。
「カンザロスは、これからどうするんだ?」
でかい図体をしながら、カンザロスは少々しょんぼりしている。
「さあな。特に決めてないが…………久しぶりに聖地に行こうか。メッジスやウラコーが行くらしいんでな。」
聖地とは、帝都の近くにあるらしい、アウズ教の総本山だ。
もしかして、今回の依頼達成を神に感謝しに行く、とか考えているのだろうか。
カンザロスが、俺をじっと見下ろす。
「あのことは、黙っておく。ケベロムにも言っておく。……隠しているんだろう?」
あのこととは、【加速】のことだろう。
俺は顔をしかめた。
「生き残るのに必死なんだよ。」
俺がそう言うと、カンザロスが頷く。
「最初は正直、『こんなガキが何の役に立つ』と思ったが……。その辺の連中より、よっぽど強いよ、お前は。」
「比較対象がその辺の連中じゃな……。俺もまだまだか。」
俺は肩を竦めて、首を振る。
カンザロスは軽く笑うと、拳を出してきた。
「それは失礼した。今度も、敵として会わないことを祈っておく。」
「ああ、俺もだ。」
そう言って、カンザロスの拳に、俺も拳をぶつける。
敵として会いたくない。
これは、傭兵にとっては最高の賛辞だ。
「それは、そうとして……。」
俺は周囲を見回す。
いつの間にか、例の女の子と男の子が姿を消していた。
俺がきょろきょろしていると、ベリローゼが横にやって来る。
「先程の二人なら、こそこそとあちらの方に。」
そう言って指さすのは、穴を挟んだ反対側の石壁だ。
木箱が置かれ、乗り越えようと思えば乗り越えられるようになっていた。
もしかして、普段から出入りしていたのか?
「…………話を聞きそびれたな。」
まあ、仕方ないか。
腑に落ちない部分はあれど、もう二度と会うこともあるまい。
二人の兄妹が、これからも強く生きていくことを、俺も祈ってやろう。
今後、この街は観光の目玉を失って、衰退していくことになるだろう。
この街で生きていくのは、これからもっと大変になるだろうが、兄妹で力を合わせて頑張って生きて欲しい。
「俺たちも帰るか。」
俺がレインとベリローゼにそう言うと、レインはまだぷりぷり怒っていた。
「戻ったら、じっくり説明してもらうからね!」
「はいはい。」
レインをてきとーに受け流し、俺たちは宿に戻るのだった。
リベルバースの街。
いつ作られたかも不明な、巨大な塔で有名だった。
観光名所として知られていたリベルバースの塔だったが、数年前に突如、塔が沈み出した。
これにより、「今のうちだけ」という特別感が加わり、更に観光客を集めた。
そのリベルバースの塔が沈んでしまったため、この街の観光資源は失われた。
…………と思っていたら、別の観光資源が生まれた。
リベルバースの大穴。
巨大な塔すら飲み込んだ穴は、底の見えない恐ろしい大穴として観光客にアピールされ始めた。
数日後、この話を耳にした俺は、人の逞しさをしみじみと実感するのだった。
■■■■■■
塔攻略の翌日、俺はケベロムから報酬を受け取った。
日当は三万シギングで、十七日分で五十一万シギング。
これは、色をつけてもらった上での総額だ。
それとは別に、塔攻略の成功によるボーナスが出た。
これが一人、四百万シギング。
教会は、回収成功の報酬として、二千万シギングを懸けていたらしい。
それを五人で頭割りした、という訳だ。
なぜ五人かと言うと、ホーマーが含まれていないからだ。
なんとホーマーは、今回の塔攻略も『神への奉仕』とされ、無報酬なのだと言う。
さすがにこれは、俺も同情を禁じえなかった。
そして、五十五階層で回収した二本の短い杖や鏡も、その時にボーナスを貰っている。
これが一人、二十五万シギング。
更に塔内で魔物を倒した分も、しっかりと手当てが出た。
これだけで、百万シギング以上の稼ぎになった。
つまり、今回の塔攻略による報酬は、俺個人で五百八十万シギングにもなった。
…………まあ、苦労と危険に見合っているかは、置いておくとして。
また、レインとベリローゼも、それぞれ警備の日当を受け取っている。
十七日分で、総額二十二万一千シギングだ。
レインはこれにプラスして、鳥頭五体分の手当が出ている。
鳥頭は、一体につき一万五千シギングだったらしい。
これにより、レインには七万五千シギングが加算して支払われた。
本来なら、ここから傭兵団の運営費用を徴収するところだが、今回は無し。
俺の稼いだ報酬から八十万シギングを運営に回し、二人は稼いだ報酬をそのまま受け取らせることにした。
二人には、運営資金に余裕があるから、という理由にしておいた。
そして、それとは別にいつも通り行われることがある。
そう、レインの返済だ。
「………………。」
レインが死んだ魚のような目で、返済のサインをする。
今回の返済額は、二十九万シギング。
初日に使ってしまった分を入れても、四千シギングくらい差があるが、これはレインに持たせることにした。
「今度はスられんなよ?」
「…………気をつけます。」
命からがらに手に入れた報酬としては、泣きたくなるくらいに少ない手取りだが、少しだけレインに持たせることにした。
またスられるも良し、懸命に守り抜くも良しだ。
何度でも痛い目に遭い、反省させて警戒心を身につかせていく。
そのために、俺はまたレインに現金を持たせることにした。
こうして、レイン個人の返済、暁の脳筋団としての清算も終わり、一区切りついた。
「次は、どうするか決まっているのですか?」
テーブルに突っ伏してさめざめとするレインの頭を撫でながら、ベリローゼが尋ねる。
俺はベッドに腰掛け、後ろ手につき、くつろいだ姿勢になる。
「すぐにすぐ、次の仕事は決まらないさ。でも、とりあえずカルダノ男爵領に行く。」
「…………カルダノ男爵領? あの田舎にですか?」
ベリローゼは、なぜそんな田舎に行くのか、不思議といった感じの表情だ。
そんなベリローゼに、軽い感じで答える。
「まあ、これは俺個人の義務みたいなもんだ。」
「義務?」
これこそが、レインの借金の理由であり、そのために俺が負っている義務だ。
来年の春までは、責任を持って、カルダノ男爵領の水不足を解消しなければならない。
これを反故にすることは、レインの信頼のすべてを失うことに等しい。
レインの信頼を抜きにしても、俺自身が約束したことを反故にするのは、やはり気持ちのいいものではない。
一度約束した以上は、最後までやり遂げたい。
「しばらくは新しい仕事より、片付けておくべきことを片付ける、って感じになるかもな。」
「そう、なのですか……? 私に、何かお手伝いできることは?」
「あー……、すぐには思いつかんな。まあ、何かあれば頼む。それまでは、レインのおもりをしててくれ。」
俺がそう言うと、レインがいじけたような顔で、俺を見る。
「しばらく実戦から遠のくからな。勘が鈍らんように鍛えてやれ。ベリローゼが実際にやっていたような訓練で。」
「そ、それは……!」
俺の提案に、ベリローゼが青褪める。
ベリローゼがこんな顔色になるような訓練か。
どうやら、俺でも遠慮したいようなメニューのようだ。
「いいわよ! やってやるわよ! 今に見てなさいよ、リコ!」
しかし、相変わらずの脳筋気質であるレインは、考えなしに受けて立つ。
うん、やっぱこいつアホや。
とりあえず、明日の朝にこの街を発つということで、話がまとまった。
今日は部屋でゆっくり休み、明日からの移動に備えることにした。
レインたちを部屋から追い出し、俺は窓辺に腰掛ける。
先日までは、ここからもリベルバースの塔が見えていた。
建物と建物の隙間に、僅かに、ではあるが。
しかし、今は地に沈んでしまったため、そこには何も無くなっていた。
「…………魔王、か。」
俺がこの街にやってきた目的は、金稼ぎなんかじゃない。
魔王の情報が目的だ。
そうした意味では、ほぼ無駄足という結果になってしまった。
『……自らは来ず…………こんな蟻どもを送り込むとは……。』
老人が口にしていた言葉を思い出す。
自ら?
あの老人は、誰かを待っていたのだろうか?
『……まんまと、……しくじりおったか…………。』
しくじった。
そう、あの老人は言っていた。
首を刎ねても、倒せなかった。
ただ「眠る」と言った。
(分からんことだらけだな……。)
俺は肩を落とし、溜息をつく。
それでも、収穫もあった。
そもそもの話、あの老人と鰐は何なんだ、ということだ。
まともな存在ではない。
首を刎ねても、平然と笑っていた。
そうした存在がいる。
それを知ることができたのが、一番の収穫と言っていい。
また、まったく別の切り口としては、教会も不可解な動きを見せている。
教会は、なぜ塔にある“何か”を求めたのか?
塔に“何か”が存在することを、なぜ知っていた?
そして、俺が一番不思議に思うのは、なぜ今なのか、ということだ。
リベルバースの街は、帝国のど真ん中にある。
これまでは、観光地として長らく放っておいたのだ。
もし仮に、塔の最上階にいた存在が、神だの魔王だのと言われるような存在だったとしよう。
そんな存在を、なぜこれまで放っておいた?
一神教であるアウズ教にとって、あの祀られていた存在は容認できるものではないはずだ。
とっくの昔に、攻め滅ぼしていなければおかしい。
千修教の神を、魔物だと言い放つアウズ教が、なぜ塔の存在を放っておいた?
帝国のど真ん中に存在する、異教の象徴を、だ。
鰐の魔物の存在が公になっても、特に『滅ぼせ』といった命令は出ていなかった。
あくまで、祀られている“何か”を盗って来い、というだけだ。
教会のこうした行動は、どうにも理屈に合っていない気がする。
それとも、俺の知らない要素によって、これらの行動に説明がつくのだろうか。
「チッ……。」
イライラが募る。
まったく掴めない手掛かり。
俺の知らないところで、勝手に何かが進んでいる。
そんな無力感に、更にイラつく。
外から聞こえてくる喧騒に、少しだけ意識が向く。
俺は俯いていた顔を上げ、町並みに視線を向けた。
そこには、いつもと変わらない人々の営みがあった。
世の中のほとんどの人にとっては、何かが勝手に変わり、勝手に進んでいく。
それは、当たり前のこと。
自分にできることなど、目の前にあるものでさえ限られている。
それが当たり前なのだ。
俺は空を見上げた。
細い筋のようなような雲が、風に流されていく。
そろそろ夏も終わり、秋が訪れようとしていた。
俺は見上げていた視線を落とし、自分の内側に意識を向ける。
しかし、特には変わったものを感じることはできなかった。
(あの【加護】は、何だったのか……。)
いきなり使えるようになった【隠蔽】のことだ。
だが、今その力を使おうとしても、何の手応えもない。
そして、白昼夢。
またもや、あの現象が起きた。
自分のことなのに、自分の意志ではどうにもならない。
それが、ひどくもどかしい。
俺は、そっと息をついた。
「……一歩前進。」
ということにしておこう。
そうとでも思っていないと、やってられない。
たとえ僅かでも、知ることができた。
見聞きしたこと、経験したことは、きっと俺の中に残るはずだ。
諦めずに進み続けることで、いつか届く。
…………と、いいな。
俺は、握った拳を見る。
「少しずつでも、進み続ける。」
そう、自らに誓うのだった。




