第3話 ティシヤ王国
「樹。」
俺が書類を抱えてブースに戻ろうとしたところで、後ろから声をかけられた。
軽く後ろに振り向き、そのまま自分のブースに向かう。
「何やってんだよ、お前。こんな所で。」
後をついてくる、別の課の同期に声をかける。
入社して六年ほどだが、今も付き合いのある同期は少ない。
まあ、都内の本社と地方の支社にいるのでは、物理的に付き合いようがないが。
「お前、今日は空いてるか? 空いてるよな。」
「うるせーよ。」
金曜の夕方前。
こいつが顔を出したってことは、飲みの誘いだろう。
どうせ彼女なんかいないから、金曜の夜も飲みに行く以外の用事なんかできねーよ。
「最近、お前と飲みに行ってねーなあって思ってな。いい店見つけたんだよ。」
「お前の言う『いい店』って、……どうせキャバだろう?」
俺は周囲を気にしながら、声を潜める。
さすがに就業時間中にキャバクラがどうだの、あのネーちゃんがどうのは、いろいろとまずい。
周囲には、女性社員だっているのだ。
「悪いけど今日は無理だ。また今度な。」
俺が誘いを断ると、不良同期は信じられないものを見るように、驚いた顔をする。
「おいおい、まじかよ。あの樹ちゃんが誘いを断るだと!?」
いや、断ったことくらいこれまでにもあっただろ。
大袈裟な態度の同期に、俺は苦笑する。
不良同期は何を思ったのか、俺を説得にかかった。
「今回はまじなんだって! 絶対後悔させねーから!」
「そんなことで断ったんじゃねーよ。」
つーか、少し周囲の目が痛くなってきた。
正直、不良同期と同類に見られるのは、屈辱というか、恥ずかしいというか……。
俺は抱えていた書類を自分のブースに置くと、そのまま新人君の席に向かった。
新人君はこの春に大学を卒業して、入社してきたばかり。
入社六年目にして、俺は初めて新人教育を仰せつかったのだった。
俺は、自分の仕事には責任は持つが、どうも人の管理というのは苦手だ。
これまで新人教育を担っていた先輩が昇進してしまい、お鉢が回ってきた。
目出度いことではあるのだけど……。
「どう? 何か分からない所はあった?」
俺は新人君に指示していた、資料の読み込みの進捗を確認する。
「はい! 大丈夫です!」
新人君は笑顔で、元気良く返事をする。
少々元気が良すぎる気もするが、挨拶もロクにできないような新人に困り果てていた先輩の姿を見たことがあるだけに、贅沢な話だろう。
俺も意識して笑顔を作り、頷く。
「資料を元に、自分ならどうするかを考えてみて。後で聞かせてもらうから。」
そう言いながら、俺はグラスを傾ける仕草をする。
今日は仕事の後に、新人君と仕事のことやプライベートのことなど、少し話をしようと思っていた。
「はい! 氷上さん、今日飲みに連れて行ってくれるんですよね! 僕、仕事帰りに飲みに行ったりとか、ちょっと憧れていたんです!」
屈託のない顔でそう言う、新人君。
所謂『飲みニケーション』なんて、最近の若い子は嫌がる子も多いだろうに。
いや、俺もまだまだ若いけどな。三十路前なんだから。
課の歓迎会は先週末に行っていたのだが、それとは違う、同僚とのサシ飲みに新人君は憧れがあるらしい。
そこに、不良同期がひょっこり顔を出す。
「お、今日は若い子連れて行こうって? いいじゃんいいじゃん、お兄さんがいいお店教えてあげちゃうよ。」
「お前!? まだ居たのかよ!」
新人君との話に、割り込んで来やがった。
しかも、新人君に何教える気だよ!?
コミュニケーション能力花丸のさすがの新人君でも、突然の闖入者に少々戸惑う。
「あの、氷上さん、そちらはの方は……?」
「俺は営業課の――――。」
「不良同期のことは気にしなくていい! お前も! 仕事戻れよ!」
俺は周囲を気にしながら、声を抑えつつも不良同期を追い返そうとする。
だが、そんなことで退くような殊勝な同期ではない。
さすが、営業課に配属されるだけあって、押しが強い。
「やっぱ『飲み』はサラリーマンの嗜みだよな! いい子入ったじゃん、樹。どこで見つけてきたんだよ。」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。お前、まじで帰れ。」
新入社員にどこで見つけたも何もないだろうが。
「じゃあ、まずはいつもの店でいいだろ? 予約入れておくわ。」
「あ、おい! お前!」
すちゃっ、と手を挙げ去って行く不良同期。
すでにその手にはスマホが握られていた。
その素早いフットワークに、呆気に取られる俺と新人君。
俺は気を取り直して、新人君に苦笑を向ける。
「……悪い。あーいう奴なんだ。」
「あはは……、すごいですね。」
新人君は、不良同期が部署を出て行くまで、苦笑いしながら見ていた。
「まあ、営業課と繋がりを持っておくのも悪くないさ。あいつはあれで、営業の中じゃ成績がいい方だしな。」
「そうなんですか。」
ノリの良さからか、不良同期はやや強引ところがあっても、あまり嫌な印象を相手に与えない。
こういうのって、天賦の才だよな、本当。
俺にはとても真似できない芸当だ。
「それじゃ、そのまま続きをよろしく。何かあったら聞きに来て。」
「はい!」
俺が資料を指さして言うと、新人君も頭を切り替えて返事をする。
俺は「朝まで付き合わされるんだろうなあ」とか「新人君だけは、絶対に早く帰らせてあげよう」とかを考えながら、自分のブースに戻った。
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薄っすらと、視界が明るくなっていることに気づく。
ゆっくりと目を開くと、薄汚れた天井が見えた。
抱えていた短剣と魔法具の袋を横に置き、むくりと起き上がる。
そうして、頭をぽりぽりと掻いた。
「朝か……。」
ぎしり、とベッドを軋ませ、俺はベッドの縁に座った。
部屋のドアを見ると、立て掛けていた椅子と、椅子を押さえるように置いたテーブルが目に入った。
昨夜、仕掛けておいたままの状態だ。
「熟睡し過ぎたか。」
だから、あんな夢を見たのだろうか。
この世界に来る前の、氷上樹だった頃の夢を。
俺は気持ちを切り替え、装備を身につけ始めた。
革の胸当てに手甲、腰に短剣と魔法具の袋、腰の後ろにはナイフも装着する。
そうして、革のブーツに足を突っ込む。
ガタガタガタ……。
テーブルと椅子を元の位置に戻し、部屋の中をぐるりと見回す。
「忘れ物はないな。」
忘れ物や落とし物を宿の人に届けたり、交番に届けたりするような文化がこの世界にはない。
というか、交番自体がない。
少しでも価値のある物だった場合、ネコババされるのが当たり前なのだ。
それが嫌なら、自分で気をつけるしかない。
「よし。」
俺は軽く声を出し、部屋を出た。
これからの行動を頭の片隅で考えながら、階段を下りる。
(朝食、買い出し、水袋の入れ替えをして……。)
少し寝すぎたようなので、急ぐ必要がある。
これから、十日ほどかかる旅を予定していた。
消耗品は途中の町でその都度補充できるが、できるだけ整えておく必要がある。
(あー……、銀行にも行っておかないと。)
仕事の報酬を、魔法具の袋に入れっぱなしだ。
誰でも使える袋に、大金を入れてうろうろするのは、さすがに落ち着かない。
そうなると、銀行が開くまで待つ必要がある。
(出発が遅くなるなあ。)
その分、道中の移動を早めなくては、次の町に着くのが深夜になってしまう。
そんなことを考えながら、俺は宿を出た。
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鬱蒼とした森を前に、俺は一息ついた。
人の往来のない街道に立ち、森を眺める。
「ようやく、帰って来れたな……。」
森を抜ける街道が真っ直ぐ延びるが、昼間でも薄暗い。
この森を半日かけて抜け、そこから更に一日歩くと目的地につく。
俺は水袋を口にくわえると、一口飲む。
春だというのに、今日はやけに暑い。
だが、この森の中は妙に冷え込む。
夏場でさえ、長袖を着たくなるほどだ。
十日ほどを見込んでいた旅路も、残り二日。
俺は気合を入れ、森の中に足を踏み入れるのだった。
ティシヤ王国。
アウズ大陸の中央付近にある、この鬱蒼とした森を抜けた先の、今は亡き国だ。
ティシヤ王国は三年前に滅びた。
原因は不明。
ある日、突然滅びたのだ。
アウズ大陸の中では、もっとも小さな国だった。
それでも、東西にも南北にも四百キロメートルほどはある土地が、丸まる所有者が消えたのだ。
そこに手を伸ばす国がいるのは当然だろう。
しかし、その試みは失敗に終わる。
差し向けた軍の全滅という結果をもって。
この地に踏み入った者には、災厄が降りかかる。
侵攻した軍の度重なる全滅という結果に、ティシヤは呪われた地と噂されるようになった。
そして、三年前のティシヤ王国が滅びたのと同時期、魔王が討たれた。
当然のように、これと関連付けて考える人が現れる。
大陸の北西部は、魔王が支配していた。
そのため、魔王領と呼ばれている。
そして、ティシヤ王国はその魔王領と隣接していたのだ。
魔王が討たれ、同時に一つの王国が滅びた。
それも、侵攻した軍が尽く全滅。
こうして、ティシヤ王国は誰も近寄らない土地となった。
今も魔物が生息する、魔王領と同様に……。
俺は森を半日かけて抜け、一泊して、緩やかな丘陵地帯を歩いていた。
ここには、野ざらしにされた帝国軍の兵士たちの屍やら装備が散らばっていた。
三年も経つため、すでに遺体は白骨化が進んでいる。
弔ってやりたい気持ちもあるが、彼らはこのティシヤ王国を侵略にきた軍だ。
原因は分からないが、確かに噂どおり、侵攻してきた軍は全滅している。
丘を一つ越えると、遠くに王城が見えてきた。
ティシヤ王国の王城。
遠目には普通に見えるが、王城も、王都も人のいない廃墟の都だ。
そこが、俺の目的地だった。
すべてを見て回った訳ではないが、王都どころか王国内の街という街、村という村から人がいなくなった。
荒らされた形跡などない。
ある日のある瞬間に、忽然と人が消えたような、そんな状態だった。
俺は王都の町並みを眺めながら、大通りを王城に向かって歩く。
人がいない街というのは、少々気味が悪い。
黄昏時ともなれば猶更だ。
だが、それ以上に、胸を締め付けるような痛みを感じた。
「あんまり変わってないな……。」
ちょくちょく戻って来ているので、いきなりは変わったりはしないだろう。
通りのあちこちで雑草が伸びたりしているが、建物などが崩れたりはしていない。
ただ、やはり人の住まない家は傷んでくると言う通り、壁にひびが入ったりなどが目立ってきた。
俺は大通りの先に見えてきた、城壁の門に視線を向ける。
大きな城門は閉じられていて、それも変わりがないようだ。
とても一人では開けられないような大きな門だが、人が出入りできる小さな扉が横に作られている。
俺は城壁と、その先に見える王城を眺めながら、懐かしさを感じていた。
そうして城門の前に着くと、そこから王城を見上げる。
夕日に赤く照らされた王城は、とても美しく見えた。
「ただいま。」
そう呟き、俺は門の横にある扉に向かう。
魔法具の袋からゴツイ鍵を取り出して鍵穴に差し込む。
ガチャンッ!
キィー……ッと耳障りな音を立て、扉を開ける。
扉を潜り鍵をかけると、王城の入り口へ向かった。
手入れのされていない庭園は雑草が伸び放題だが、懐かしさが込み上げる。
威圧感のある、重厚な扉で閉ざされた入り口の前を素通りし、王城の横へ。
使用人たちの使っていた勝手口があり、そこの鍵を開けて中に入る。
陽が当たらないため、少々薄暗い。
俺は勝手口の扉を閉めると、鍵をかけた。
そうして、奥へ奥へと進む。
広いエントランスに出て、階段を上がる。
階段の踊り場にあった大きな鏡に、自分の姿が映った。
金髪、碧眼。
小柄で、優しそうな眼差しの少年が鏡には映っていた。
リシャルド・シシア・ド・ティシヤ。
ティシヤ王国、第一王子リシャルド。
それが、氷上樹の現在の姿だった。
いろいろ訳が分からない。
それでも、食っていかなくてはならないし、生きていかなくてはらない。
まだまだ分からないことだらけだが、足掻きながらも前に進むことを俺は選んだ。
俺は鏡に映った姿を見ながら軽く身なりを整えた。
そうして、再び階段を上がる。
階段を上がった先に、大きく豪華な扉が見えた。
謁見の間だ。
俺は扉に手をかけて引き、僅かな隙間に身体を潜り込ませた。
広々とした、薄暗い謁見の間。
奥の真正面は階段状になっていて、壇の上には王の玉座があり、その左右に王妃と王太子用の席もある。
リシャルドはまだ子供だったこともあり、立太子していなかった。
そのため、あの席には座ることができなかった。…………公式の時は。
非公式には結構座っていた。
父王に見つかると、「まだ早い」と叱られたが。
俺はカーペットを真っ直ぐに進み、階段の手前で跪く。
そうして、恭しく頭を下げた。
「ただいま戻りました。」
主のいない玉座に、帰還の報告をする。
こんなことに意味はない。
それは分かっている。
それでも、リシャルドとしての記憶を合わせ持つ弊害か、謁見の間で粗野な振る舞いをする気にはなれなかった。
しばらく、かけられることのない声を黙って待ち、軽く息を吐く。
俺はゆっくりと立ち上がると、今度は真っ直ぐに玉座を見た。
そこに、父王の姿を思い浮かべて。
確か、まだ二十代だったはずだ。
前王である祖父が急逝し、若くして王位に即いた。
リシャルドの誕生は、国民に待ち望まれたらしい。
前王の崩御で沈んでいた国民に、希望を与える王子。
これでティシヤは安泰だ、と国を挙げてのお祭り騒ぎだったと聞く。
俺は階段を一歩一歩、ゆっくりと上がる。
そうして、玉座の後ろから壇の袖へ。
カーテンで隠されるようにされた、王族専用の出入り口から奥へ向かう。
さすがに明かりも灯っていない通路は、謁見の間よりも暗かった。
そんな薄暗い通路を通り、自分の部屋に俺は向かった。
部屋の中は、二カ月ほど前に出て行った時のままだ。
窓には厚手のカーテンがかけられ、漏れ入る光も少ない。
もうすぐ真っ暗になるだろう。
それは分かっているのだが、少々億劫になり、俺はソファーに向かった。
王国が滅んでからの三年間。
俺はここを拠点にしていた。
なぜティシヤ王国は滅んだのか。
王国で暮らしていた民はどこに消えたのか。
何より、なぜ氷上樹はここにいるのか。
そうしたことを調べるために、ティシヤ王国中を回った。
だが、結果は芳しくない。
手掛かりらしい物を見つけることはできなかった。
俺は腰に佩いた短剣を外すと、ソファーにドサッと座る。
短剣を脇に置き、背もたれに寄りかかった。
天井を見上げ、ぼんやりとする。
ぐぅぅ……。
その時、腹の虫が声を上げた。
今日も一日歩きっ放しだった。
汗も流したいが、ここではすべてを自分で準備しなくてはならない。
「今日はもう、面倒くさいな……。」
ちょっと疲れが溜まっている。
魔法具の袋に手を入れると、糧食を取り出す。
固いパンと、固い干し肉を水で流し込む。
そうして、そのままソファーに横になった。
(…………みんなもう、全部明日でいいや……。)
横になると、途端に眠気が襲ってきた。
俺は眠気に抵抗することやめ、そのまま意識を手放す。
久しぶりの我が家に、俺は警戒することも忘れて眠りにつくのだった。