第21話 それはきっと祟りです
ガラガラガラ……。
前を進む三台の荷馬車から離れずに、俺とレインは歩く。
周囲を警戒しながら、先頭の荷馬車に異常がないかも確認する。
ここはカルダノ男爵領の街道。
商隊の護衛をしながら、俺たちはカルダノ男爵領の領都を目指していた。
ソバルバイジャン伯爵領にある、鉱山の町ノツトフで魔物討伐の依頼を達成した。
その後、領都ビゼットへ戻った俺とレインは、すぐにカルダノ男爵領を目指すことにした。
カルダノ男爵領に、雨が降らないという話を耳にしたからだ。
前回カルダノ男爵領を出る際に大雨を降らせたが、それももう一カ月も前の話だ。
それ以降、男爵領にはまとまった雨が降っていなかった。
まだ水不足を心配する状況ではないが、この辺でまた降らせておくか、という話になった訳だ。
レインに一年間の『安心パック』を提示した以上、それを反故にするつもりはない。
そうしてカルダノ男爵領を目指すことになった訳だが、どうせなら傭兵らしく行くことにした。
タイミングの問題もあるが、傭兵が町から町へ移動する時によく使う手段に「護衛しながら行く」というものがある。
目的地に向かう商隊でもあれば、その護衛をしながら向かうのだ。
こうすれば、旅費は依頼者持ち。
余程重要な荷でもなければ大した報酬ではないが、食費がかからず移動できる。
ライフハックというか、傭兵あるあるの移動方法だ。
ただし、この方法を使うには、目的地に向かう商隊があることが大前提だ。
または、目的地の近くまで行く商隊の護衛を引き受け、そこから目的地に向かうという方法を採る。
傭兵の中には、こうして大きな街から大きな街へ行ったり来たりして、日々の食費などは依頼者に出させて生活する者がいる。
一件あたりの報酬が少なくても、仕事中はほぼお金がかからないので、こうしたスタイルの傭兵は割といるのだ。
タコ部屋の臭い飯と臭い寝床をアテにする傭兵の、上位互換的な傭兵生活といったところか。
ということで、俺とレインも商隊の護衛をしながらカルダノ男爵領を目指すことにした。
正直言えば、まさか運良くそんな商隊が見つかるとは思っていなかった。
商隊の移動先で多いのは、ネプストル帝国の帝都に向かう商隊。
そして、帝都から地方に向かう商隊だ。
ソバルバイジャン伯爵領からカルダノ男爵領という、地方から地方、辺境から辺境への移動というのはあまり多くない。
今回商隊が見つかったのは、かなりラッキーだったと言える。
そうしてカルダノ男爵領の領都に着くと、報酬を貰ってお役御免。
今回の仕事は一人四万シギングの報酬だ。
一週間の護衛で、四万シギング。大銀貨四枚。
荷馬車三台の護衛を一週間も務めてこの報酬なのだから、決して高い報酬ではないだろう。
だが、この手の仕事は状況によってボーナスが付く。
実際に襲撃を受けた場合だ。
四万シギングはあくまで、荷馬車と一緒にお散歩してたら貰える報酬。
荷馬車を護るとなれば、また話は別だ。
まあ、今回は残念ながらボーナス無しだが、道中の食事はすべて依頼者持ち。
ただ荷馬車に同行しながら目的地に行けば、少額でも報酬を貰える。
そして、時々ボーナスも出る。
傭兵が移動する際に、護衛の仕事を利用するのは当然と言えよう。
ちなみに、道中の宿代は基本的に出ない。
というか、護衛中は宿には止まれない。
これも依頼内容次第ではあるが、宿で寝てる間に荷馬車や荷物が盗まれたら、誰のせい?
言うまでもなく、これは護衛に就いている傭兵の怠慢とされる。
そのため俺とレインは、夜中は荷馬車の中で交代で仮眠を取るという旅をしてきた。
規模が少し大きいと、護衛の半分が宿に泊まり、半分が荷馬車の近くで交代で仮眠を取るというパターンもある。
この場合は、宿に泊まる傭兵の分も依頼者が負担したりするが、そんなリッチな依頼は大きな傭兵団が掻っ攫ってしまう。
傭兵ギルドに張り出される依頼に、そんな美味しい仕事はまず無いと言えた。
「それでは、これで。」
「ありがとうございました。」
夕方に目的地に到着し、報酬もいただいた。
これで晴れて自由の身である。
俺とレインが依頼者である商人の男に声をかけると、商人の男もにっこりと微笑む。
「こちらこそ、ありがとう。思った以上にしっかりやってくれて、助かったよ。」
暁の脳筋団は、俺とレインだけの傭兵団だ。
子供二人かよ、と思われてしまうのは仕方ない。
それでも、他に引き受けてくれる傭兵がいないため、依頼者としては仕方なく俺たちに依頼したというのが正直なところだろう。
人気の路線じゃないしな。ソバルバイジャン伯爵領からカルダノ男爵領なんて。
カルダノ男爵領でまた仕事を受けなくては、帰りは自前で戻ることになる。
ただでさえ少ない報酬が、戻りの旅費で更に目減りしてしまうのだ。
そのため、中々引き受けてくれる傭兵がいなくて困っていたらしい。
俺たちは依頼者の商店から離れ、宿屋を探した。
カルダノ男爵領の領都で一泊するつもりではいたが、以降の予定は特に決めていなかった。
とりあえず、もう一回雨を降らせておくか、ということでやって来ただけだからだ。
これから宿で【災厄】を使って大雨を降らせれば、明日からの予定は何もない。
(どうすっかな。…………ティシヤに帰るか?)
そんなことを考えながら、大通りを歩く。
そうして歩いていると、レインがきょろきょろとしていることに気づく。
きょろきょろと言うか、びくびく?
そんなレインの様子に、俺は溜息をつく。
「却って目立つわ、そんなん。もっと落ち着けよ。」
カルダノ男爵領の領都には、レインのいた騎士学院がある。
おそらくだが、見知った顔に会わないか警戒しているのだろう。
俺が声をかけると、レインの肩がびくっと震え、情けない表情でこちらを見た。
「だ、だってぇ……。」
「堂々としろって。疚しいことは…………まあ、あるか。」
ほぼ脱走だもんな。
疚しさ満点だった。
俺は歩きながら、見つけた宿屋を指さした。
「あれでいいか? ――――ぅわあっ!?」
そう聞くやいなや、レインは俺の手を掴んで勢い良く駆け込んだ。
それはもう、こっちが仰け反ってしまうほどの勢いでだ。
わざと目立とうとしてるんじゃないだろうな?
さっさとチェックインを済ませ、部屋で一息つく。
何だかんだ、一週間も荷馬車で交代しながらの仮眠生活だ。
かなり疲労も溜まっている。
今日はベッドで普通に休めるかと思うと、実は俺もちょっと嬉しかったり。
宿が決まったので、これで安心して大雨を降らせられる。
最初の時のようなびしょ濡れは、さすがに勘弁してほしいからな。
「私、湯場に行くけど?」
俺が窓際に立ち、窓を開けるのと同時に、レインが声をかけてきた。
「俺は一仕事してからだ。…………荷物は置いていっていいぞ。戻ってくるまで部屋にいるから。」
「そう? ありがとう。」
レインが嬉しそうに言う。
さすがに護衛中でも湯場くらいは使うが、結構慌ただしい。
今日はしっかりと旅の汚れを落として、さっぱりしたいのだろう。
レインは着替えを詰めた袋だけを持って、湯場に向かった。
そう言えば、道中の着替えなどで汚れ物もそれなりに溜まっている。
この宿屋は、洗濯を頼めるのか?
部屋を出て行くレインを見送り、俺は窓の外に視線を戻した。
そうして、【災厄】を発動する。
空に漂う、いくつもの『因果』。
隣のタネル子爵領の行っていた原因を取り除きはしたが、相変わらず水害に関わる『因果』だけが極端に細い。
これはおそらく、根本的に日照りが起きやすい、何かの要因があるのではないだろうか。
それが、たとえば太陽の活動の変化や海流の変化などでは、どうしようもない。
俺は慎重に『因果』を手繰り、雨を降らせるための災害を組んでいく。
もう少し精緻な制御ができれば、普通の雨を降らせることも可能なのだろう。
だが、そこまでのことはできない。
俺はあくまで、【災厄】を介してしか、災害に介入することができない。
スープを飲むのにスプーンではなく、スコップを渡されるようなものだ。
便箋に手紙を書くのに、一抱えもあるような筆を渡されようなもの。
飲めりゃいいんだろ、書けりゃいいんだろ、というレベルの話でしかない。
結果として雨が降るのだから、それ以上を求められても困る。
それでも何とか被害が最小で済むように、災害を組んでいる。
これ以上の精度を求めるなら、「じゃあ代わりにやってくれ」としか言いようがなかった。
俺は何とか大雨を組み上げ、降り出した雨を見る。
大粒の雨に、見る間に窓の周辺がびしょびしょになった。
俺は慌てて窓を閉める。
外では、降り出した雨に慌てて駆け出す人が見えた。
通りを行き交う人たちが、建物に駆け込んだり、どこかに走り去っていく。
突然の夕立ちにも、人々の表情は明るかった。
つい一カ月前までは雨が降らず、生命にかかわる不安を抱えていた人たちだ。
いくらびしょ濡れになろうと、雨が降らない不安や恐怖よりは遥かにマシだと実感しているのだろう。
「何を見てるの?」
そうして外を眺めていると、レインが戻って来た。
どうやら、ぼんやりと外を眺めている間に、結構時間が経っていたらしい。
「いや、別に。」
俺が窓を離れると、代わりにレインが窓際に来て、外を眺める。
濡れた髪を拭きながら、表情が柔らかくなった。
「ありがとうね。」
湯場に行く支度をしている俺に、お礼を言ってきた。
俺は支度の手を止め、レインを見る。
レインは、微笑んでいるようだった。
そんなレインを見て、俺も微笑む。
それはもう、とびっきりの無垢な微笑みだ。
「これくらい、お代さえいただければいくらでも。」
「うっ……。」
レインが苦し気な表情になったのを見て、俺は満足して湯場に向かった。
湯場に行く前に、一階のロビーで洗濯について聞いてみた。
有料ではあるが、この宿は洗濯を代行してくれるようだ。
ただ、仕上がりは明日の昼以降になりそうだと言う。
雨が降り出してしまったため、ある程度乾くまでに時間がかかってしまうためだ。
いくらアイロンがあると言っても、さすがにびしょびしょの状態からという訳にはいかない。
(そうなると、もう一泊する必要があるか。)
まあ、次の予定などないので、一泊増えたところで大した問題ではない。
もう一日ゆっくり休むのも、選択肢としてはありだ。
「連れの分を先に始めてくれ。俺も、湯場を出た後に頼む。」
宿の店主に洗濯を頼んだ。
店主はすぐに、従業員のおばちゃんに指示を出す。
おばちゃんが階段を上がって行くのを見届けてから、俺は湯場に向かう。
「お客さん、タネル子爵領のことは何かご存じですか?」
ところが、そこで店主に呼び止められた。
タネル子爵領のこと?
俺が眉を寄せて首を傾げると、店主が愛想笑いを浮かべた。
「いや、すみません。ご存じないならいいんですよ。」
「気になるじゃないか。何の話だ?」
話を打ち切ろうとした店主に、俺は話の続きを促す。
店主は愛想笑いを引っ込め、軽く周囲を確認すると声を潜めた。
「これは噂なんですけどね。…………何でもタネル子爵領に、魔王の祟りが、って。」
魔王の祟り?
その、穏やかじゃないワードに、俺も周囲を見回す。
「何の話だ……? どういうことだ?」
そう、声を潜めて尋ねた。
「…………うちは、こういう商売ですから。いろんな所を行き来した人が泊りに来ます。」
店主の話に、俺は黙って頷く。
「それで、ここ二週間くらいですかね。……そんな話をする人がちらほらと。」
どうやら宿泊客の中に、そんな噂を話す人がいるらしい。
俺はやや視線を下げて、考え込んでしまう。
魔王の祟り。
そう噂される現象に、俺は二つ心当たりがあった。
一つが、大陸中で頻発する災害。
そしてもう一つが、ティシヤ王国の滅亡だ。
(…………もしかして、何かの手掛かりになるか?)
ティシヤ王国の人たちが消えた理由は、まったく掴めていなかった。
俺は、ティシヤの王城で過去の記録などを調べて手掛かりを探していたが、正直手掛かりの気配すら見つからない。
これには、調べる文献が多すぎて調べきれないというのも理由にあるが。
そのため、そろそろ違うアプローチも必要かもしれないと思い始めていたところだった。
「祟りの内容は、どんなものか聞いているか?」
「ええ、勿論です。」
そう言って店主は、神妙な顔をして幾つか挙げる。
どうやら、相当に噂好きの店主のようだ。
神妙な表情の中に、微かに「誰かに話せる喜び」が感じられた。
「いろいろ噂はあるんですがね。領主が病気に臥せってるとか、領主の館が爆発したとか。」
「爆発? 本当に?」
爆発なんて現象自体、この世界…………というか、この大陸では滅多に起きない。
主に使用されている燃料が『薪』という文化水準だからだ。
照明用のオイルランプもあるにはあるが、普及度合いはいまいちだ。
以前の仕事で少しだけ使った『夜光石』の方が、むしろ普及しているくらい。
ただ、こちらは繰り返し使用できるというメリットがあるため、照明として十分な光量が確保できる質の良い物になるとべらぼうに高い。
一般の家庭では、せいぜい蝋燭が関の山か。
天然ガスや石油のような燃料が普及していないこの大陸では、爆発事故はほとんどあり得ない現象と言っていいだろう。
それこそ、火山の噴火レベルで稀な事象だった。
いや、それはちょっと大袈裟か?
店主は、俺の疑問に首を振る。
「……まあ、これらはどうやらただの噂みたいですけどね。」
どうやら先に挙げたものは、ただの噂らしい。
まあ、噂なんてのはそんなものか。
俺は拍子抜けし、軽く息をつく。
しかし、俺の興味が薄れたことを感じ取り、店主がとっておきの話を切り出した。
「ですが、一つだけ確実な祟りがあるんですよ。これはもう、本当も本当。大真面目な話です。」
「……ほう。」
この店主、さすがは噂好きだけあって、話への引き込み方が上手い。
先に価値のない噂をばら撒き、とっておきの話は後に回す。
悔しいが、店主の思惑通り、俺はその確定した祟りとやらの話にかなり興味が出てきた。
店主が少し身を乗り出す。
俺も軽く耳を傾け、店主の話に集中する。
「これは、実際に見てきた人がいるんです。一人じゃないですよ? 噂を聞いてから確認しに行って、実際にそうだったって話も聞いているんです。」
「……つまり、ただの噂じゃない。」
「ええ……。」
目撃者がいるのだという。
祟りの目撃者。
やばい、まじで興味が出てきた。
俺はごくり、と喉を鳴らした。
店主が、更に声を潜める。
「それについても、やはり爆発らしいんです。ただ、爆発の瞬間ではなく、その痕跡です。」
「…………痕跡?」
「ええ。」
店主は軽く咳払いし、軽く周囲に目配せをする。
そうして、ついに核心を開示した。
「タネル子爵領のある森で、大爆発が起きたらしいんです。噂じゃ森が消滅したなんて話もありましたが、そこまでじゃない。」
「…………森?」
俺は、そのキーワードを呟く。
「大きな森なんですがね。その森の中心、百メートルくらいのすべてが吹き飛ぶような爆発ですよ。とんでもない爆発だったらしくて、木なんかもう、何百本って根こそぎ吹っ飛んでてね。中心あたりから、土ごと抉れるくらいだって話です。」
「百メートル? …………根こそぎ?」
「そうなんです!」
興が乗ってきたのか、店主の声がやや大きくなる。
しかし、店主のテンションとは正反対に、俺のテンションは急降下していった。
(森の爆発? 土が抉れるって、それさ…………クレーター?)
俺はすんとなり、表情から一切の色が消えた。
魔王の祟りじゃなかった。
完全に俺の仕業だった。
森の中の施設を破壊するのに隕石を落としたら、魔王の祟りになっていた。
(すまん、魔王とやら。お前のせいになってるわ。)
しかし俺は、そこで間違いを訂正するような殊勝な人間ではない。
やや前のめりになっていた姿勢を正す。
「もしかしてだが、一カ月くらい前の話じゃないか?」
「ええ、そうですが…………ご存じでしたか。」
「ああ……祟りなんて言われてるのは知らなかったが。」
とっておきの話を、俺がすでに知っていたことが、店主は少し悔しそうだった。
まあ、悔しいと言えば俺も悔しいけどな。
ティシヤ王国で起こったことの、手掛かりになるかと期待していたのだから。
「中々面白かったよ。森で何かあったらしいってのは聞いていたが、あれが魔王の祟りだったとはね。」
「魔王の祟りじゃないんですか? …………もしかして、何かご存じで?」
そう店主に聞かれるが、俺は肩を竦める。
「いや、生憎魔王に知り合いはいないんでな。」
「ははは、それはそうでしょうね。」
そんな言葉を交わし、俺は話を打ち切る。
今度こそ湯場に向かい、汗を流すことにした。
■■■■■■
俺とレインは宿に二泊することにし、ゆっくりと今後の行動方針を話し合った。
レインはテーブルに鎧を置き、布を使って磨いてている。
俺はレインの向かいに座り、その鎧を眺めていた。
「とりあえず、カルダノ男爵領じゃロクな仕事はない。どこかの大きな町にさっさと移動する方がいいだろうな。」
「その場合、また護衛をしながら?」
レインの確認に、俺は頷く。
「ああ、できれば移動はすべて護衛をしながらだ。そうやって護衛をしながら、町から町へ移動したい。…………そう上手く、毎度毎度仕事があるとは限らないけどな。あと、行き先も少しは選ばないと、着いてから仕事が無くて困ることになる。」
おそらく、大きい街から大きい街への護衛は、すでにそうやって生計を立てている傭兵がいる。
そこに食い込むことは、仕事の取り合いでトラブルになる可能性があった。
まあ、そんなトラブルくらいどうということはないが、レインに覚悟だけはさせておく必要がある。
俺はレインの鎧に手を伸ばし、指の背で軽く叩いた。
コンコンという固い音が響く。
「レインの訓練もしたいところだけど、折角実戦を経験したからな。あまり遠ざかって、実戦の勘を失くすのもな。」
できれば立て続けに実戦に挑みたいところだが、危険度を見誤ればレインが死ぬ。
そこは、慎重を期すべきだと考えていた。
俺は鎧をコンコン叩きながら、レイン育成計画をぼんやりと思い浮かべる。
「私は、いつでも戦う準備はできているわ。」
レインが立ち上がり、鎧を少し引く。
俺の手が届かないようにして、俺が指で叩いた場所を布を使って拭いた。
意外に神経質な奴だな。
脳筋のくせに。
「ようやく初陣を終えたばかりの奴が、大きな口を叩くんじゃないっての。言いたかないが、前回は死んでたからな。まじで。」
魔物に追い詰められ、死地に落ちた。
生き残ったのが、奇跡のような状況なのだ。
思い上がりは挫いておく必要がある。
(ま、結果オーライの世界でもあるけどな。)
結果として生き残ったのだから、それが一番ではある。
どれほど慎重を期そうと、運悪く命を落とすこともあるのだ。
結果がすべて。生き残った者が正義だ。
「死んでたって意味では、俺も同じだ。次は見捨てる。」
前回の反省点。
レインを助けたこと。
以上。
俺が「見捨てる」宣言をしたことで、レインがいじけたような顔になった。
そんな顔しても知らんわ。
「わ、私はリコを見捨てないわ。」
「それはどうもありがとう。」
レインがそうすると言うなら、それを拒否するようなことはしない。
だが、俺はレインを見捨てる。
それだけだ。
俺が前言を撤回しないので、レインがジト目で見てくる。
俺は、そんなレインの視線を微笑んで受け入れた。
「…………リコって意地悪だよね。」
レインがぼそりと呟くが、俺は聞き流す。
ここの宿代は、誰が出してると思ってんだ?
ああん?
そんなこんなを話し合い、とりあえず目下の行動方針は、護衛をしながらあちこちに行くことに決まった。
これまではあまり目立ちなくなかったので、魔王関係の情報収集をあまり行っていなかった。
しかし、今後は少し、情報を外から集めてみることにする。
俺は心の中で、そう方針転換を行うのだった。
■■■■■■
ネプストル帝国の、とある山中。
生い茂る草木を掻き分け、一人の女性が駆ける。
ザザザアーーーーッ、ダン!
急な斜面を物とのせずに滑り降り、勢いを殺すことなく走り抜けた。
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
女性の恰好は、女中がよく身につけている物だ。
所謂、メイド服。
真っ黒いロングスカートに、白いひらひらのエプロン。
それは、どこからどう見てもメイドだった。
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
なぜ、メイドがこんな山の中にいるのか。
それもたった一人で。
きっと、このメイドを見る者がいれば、そうした疑問を誰でも抱くだろう。
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
そのメイドは一瞬だけ後ろを振り返り、追跡者を確認する。
木々が邪魔をするが、おそらく…………無い。
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
白っぽい灰色のショートヘアーには草や葉が付き、褐色の肌に汗が流れる。
それでもメイドは、場違いなロングスカートを翻しながら、器用に山を駆け下りる。
ザザァーーーーッ!
メイドは、少し先に見えた街道を警戒し、木の陰に隠れた。
そうして左右をよく確認する。
人影はない。
「ハァ……ハァ……ハァ……ッ!」
荒い呼吸を繰り返し、ごくりと唾を飲み込んだ。
「早く……ここを……っ!」
そう呟くとメイドは、少しの間呼吸を整える。
「よしっ……!」
メイドはもう一度左右をよく確認し、街道に出るのだった。