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第2話 平和な時代




 備蓄倉庫の前の廊下で周囲を窺い、リコは素早く窓から外に出た。

 そうして茂みに身を潜ませ、頭の中に砦の見取り図を思い浮かべる。


(……ここが隊舎の東のはずだから…………門はあっちか?)


 どこから調達したのか知らないが、ブリーフィングで砦の詳細な見取り図を見せてもらった。

 砦内のあちこちには松明がかけられ、分かる範囲で位置関係の確認を行う。

 そうして移動経路をシミュレーションし、リコは静かに移動を開始した。







 建物に沿って茂みを移動し、見回りの兵士をやり過ごす。

 門が見える場所まで移動して来ると、茂みの中から門の周囲を確認する。

 門のすぐ横、砦を囲む石壁の上に、二人の兵士の姿が見えた。

 じっと様子を窺うと、どうやら彼らはあまり熱心なタイプではないようだ。

 辺りの警戒などせずに、談笑をしていた。


(まあ、戦略上はあまり重要な砦じゃないらしいしな。油断してしまうのも無理はないか。)


 現在いる建物横の茂みから、門までは(おおよ)そ五十メートル弱。

 いくら警戒していないとはいえ、さすがにこの距離を堂々と突っ切ればバレるだろう。

 …………普通なら。


 俺は茂みに身を潜めたまま、門までのルートを考える。

 しかし、別の場所から石壁に向かっても、結局は門の前で丸見えになる。

 それでも、幸いなのは石壁の上にいる二人の兵士だけを警戒すれば良いということか。

 他にも石壁の上に見張りはいるが、そこまで近くはない。

 遠目になら、すぐには気づかれない。…………という話。


(まじで頼むぜ、イールナフのおっさん。)


 予定では、すでに近くまでは来ている。

 俺が門を開け、合図を送るのを待っている…………はず。


 俺は、ゆっくりと深呼吸をし、門を真っ直ぐ見た。

 そうして意識を集中し、【加速(アクセラレーション)】を発動した。


 その瞬間、手足が重くなるのを感じた。

 まるで、水の中を重しを抱えて走ろうとしているかのようだ。


 力を振り絞り、ゆっくり、ゆっくりと足を前に伸ばす。

 意識して手を振り、懸命に前に進む。

 だが、意識では全力で進んでいるのに、まだ十メートルも進んいない。


 スローモーションの世界。

 視界全体が水色がかって見える。

 この【加速(アクセラレーション)】の特徴の一つだ。


 【加速】を発動できるのは、体感の時間では三十秒ほど。

 だが、実際の時間は一秒ほどのようだ。

 つまり、瞬間的にだが三十倍で動いているということになる。

 いや、俺の動きも遅くなっているので、実際は三十倍も動けてないだろうけど。


 この【加速】を発現している間は、身体がとにかく重い。

 自分の動きがゆっくりなのがもどかしく感じるが、周囲はほぼ止まっているようなものだ。

 それでも、自身のゆっくりとした動きに、気ばかりが焦る。


(…………早く、動けっ……!)


 集中力が高まると、周りの景色がゆっくりに見えることがあるらしい。

 スポーツ選手などでは、ボールや相手選手の動きがスローモーションに見えた、なんてのはたまに聞く話だ。


 ようやく石壁に辿り着くと、俺は石壁に背をつけ一息つく。

 その瞬間、水色がかっていた視界が元に戻り、手足の感覚が元に戻る。


「……の店が中々当たりでな。また、今度の休暇で行くつもりでよぉ。」

「お前はそればっかりだなあ。」


 石壁の上から、兵士たちの会話が聞こえてくる。

 どうやら、こちらに気づくことなく、変わらず談笑を楽しんでいるようだ。


(……悪いな。)


 俺は心の中で軽く謝り、再び【加速】を発動した。

 石壁に取り付けられた梯子を一気に駆け上がる。

 ……それさえもスローモーションなため、気持ちは焦るが。


 梯子を上がりきった所で、兵士に向かう。

 二人は向かい合っていたが、一人は背を向け、一人はこちらを見ている。

 突然現れた俺の姿に、こちらを見ていた兵士の表情が、僅かずつ強張るのが分かった。


 俺は腰の後ろに左手をやり、装着したナイフを逆手に引き抜く。

 そうして、背中を向けている兵士の後ろから、喉にナイフを突き立てた。

 それを見ていたもう一人の兵士の手が、腰の剣に伸びようとしている。

 俺はナイフを引き抜くと、その兵士の喉にも深々とナイフを突き立てた。

 そこで、【加速】を解除する。


「ぐふ……っ!」

「がっ……か……!?」


 二人の兵士がその場で倒れるのを、腕を掴んで軽く支える。

 なるべく音をさせないようにしてみるが、所詮は気休めだろう。

 体格の差で、どうやっても支えきれるものではない。

 それも、二人同時になど。


「ふぅ……。」


 俺は倒れた兵士の服でナイフを軽く拭うと、腰の魔法具の袋に手を突っ込む。

 魔法具の袋ってのは、まあいろいろ入れられる便利な袋ってところだ。

 そうして取り出した夜光石を、石壁の上から外に放り投げる。

 門の前へと。

 この石は昼間に陽の光を蓄え、夜に放出する。……らしい。

 今回の仕事に必要だということで渡された物だが、詳しいことは知らない。


 俺は素早く梯子を使って下りると、門へ移動した。

 門にかけられた閂を外すまでが、今回の俺のお仕事だ。


 そうして左右の扉に渡されるようにかけられた閂を持ち上げるが、中々に重い。

 まあ、そんな簡単に開けられないためにかけているのだから、厚さも重量もかなりの物だ。


「……ちっ。 【戦意高揚(イレイション )】。」


 思わず舌打ちし、俺は【戦意高揚(イレイション )】を発現した。

 この力は、まあちょっとばかりテンションが上がり、ついでに膂力や体力も上がったりと、そんな感じだ。

 先程の【加速】と同じように、こんな力を俺はある日手に入れることになった。


 そうして少しばかりドーピングして、閂を外す。

 頑張れば素の状態でも外せなくもないだろうが、スムーズに門を開かねばならない。

 というか、門が開く前に侵入者に気づかれたら、俺が死ぬ。

 早く、外の連中に来てもらわなくてはならない。


 全身を使って門を押し、隙間を作る。

 すると、すぐに外から門に手がかけられた。

 いくつかの手が門にかけられ、一気に半分ほどが開かれる。


「よくやった、リコ。」


 一際大きな男が入って来ると、次々と男たちが砦に侵入した。

 そうして砦内に散っていく男たちを見送り、俺は横に立つ大男に話かけた。


「意外に早かったね、イールナフ。」

「思ったよりも時間がかかったみたいだからな。門を開けてくれさえすれば何とかできるように、距離を詰めておいた。」


 イールナフの言葉に、目をぱちくりする。

 時間がかかった……?


(倉庫で腹ごしらえしてたからか?)


 そんな心当たりが、ふと頭に浮かぶ。

 しかし、俺はわざとらしく項垂れ、大変だったアピールをしておく。


「見回りの目がきつくって、きつくって。何度も遠回りして、見つからないように――――。」

「……何か付いてんぞ。」


 イールナフに顔を指さされ、咄嗟に口の周りを拭う。

 だが、特に何も付いてなさそうだ。


「何も付いてないだろ?」

「何で口の周りだと思ったんだ?」

「…………。」


 イールナフは親指で、俺の頬を軽く拭った。

 どうやら、少し返り血が付いてしまったらしい。

 イールナフが指に付いた血を指先で擦る。


「お前の仕事には満足してる。今回の仕事の肝は、間違いなくお前だ。」

「そりゃどうも。」


 俺はそれを聞き流す。

 イールナフはフンと鼻を鳴らすと、門を閉めた。

 そうして、閂をかける。

 やはりと言うか、一人として逃がす気はないらしい。


(……おっかねえの。)


 それでも、すっかりこんな殺伐とした世界に慣れてしまった自分に、肩を竦めてしまうリコなのだった。







 傭兵。

 このアウズ大陸では、メジャーな職業の一つだ。

 なにせ記録で遡れる、今から七百年以上も前からこの大陸では戦乱が続き、常に大陸のどこかしらで戦争が起きていた。

 そんな戦乱の時代が終わったのが五十八年前。

 大陸のすべての国家が結んだ平和条約、通称『大条約』によって、戦乱は幕を下ろした。


 だが、平和な時代は長くは続かなかった。

 二十六年前に魔王が現れたからだ。

 魔物や魔獣が大陸中で暴れ、人々を蹂躙した。


 魔物たちは突然現れた訳ではない。

 元々いるにはいたらしい。

 だが、魔王の出現と同時に活性化、狂暴化したと言われている。


 こうして、戦乱の時代や魔王出現によって、傭兵という仕事がこの大陸には根付いた。

 戦乱終結と魔王出現までの三十年ほど、平和の時代もあったようだが、その間も何だかんだ傭兵は使われていた。


 そして、現在も区分としては平和の時代のはずである。

 なぜなら、三年前に魔王は討伐されたのだから。


 大条約により国同士も争わない、魔王もいない、平和な時代。

 やったね。


(…………そのはず、なんだけどなあ。)


 リコは怒号の上がる砦内を眺め、もう一度肩を竦めた。







■■■■■■







 傭兵団、眠る赤狼が砦を落とした翌日。昼頃。

 俺は、ずっと砦内で待機を命じられていた。

 どうやら、依頼者(クライアント)に砦を引き渡すまでが、今回のお仕事のようだ。


 傭兵団が砦を落とす。

 それは当然、依頼があったからだろう。

 そうでなければ、こんな危険なことをわざわざやりはしない。


 俺は石壁の上に腰掛け、先程門から入ってきた集団を見下ろした。


「……あれが、今回の依頼者(クライアント)?」


 そうして、すぐ後ろで見張りをしているザダルーダに声をかける。

 だが、ザダルーダはそれには答えず、真面目に砦の外を警戒していた。


(本当、こいつは愛想がねえな。)


 何度か仕事で顔を合わせているが、必要最低限のことしか口を開こうとしない。

 まあ、外様の俺に、依頼者(クライアント)のことを話すつもりはないってことなのだろうが。

 俺は入ってきた集団を見下ろしながら、溜息をつく。


 門から入ってきたのは三百人ほどの集団だ。

 現在は、食料などの備蓄をたっぷりと搬入しているところ。


 全員が武装し、薄汚れた衣服を纏い、悪そうな顔をしている。

 どう見ても野盗か山賊の類。

 でも……。


(…………だからこそ、おかしいよな?)


 何でそんな無頼の輩が、こんな砦を欲しがる?

 それも、傭兵を雇ってまで、だ。


 傭兵はメジャーなお仕事だし、誰でも仕事を依頼することはできる。

 金さえ積めば、だ。


 だが、わざわざ野盗や山賊が、大枚積んで砦を落とさせる。

 まともじゃない。

 つまり、裏があるってことだ。


「……やめておけ。」


 俺が無頼の集団を見下ろし、あれこれ考えていると、ザダルーダが声をかけてきた。

 振り返るが、ザダルーダは相変わらず外の見張りをしている。

 じっと見上げるが、それ以上は何かを言うつもりはないようだ。


「別に口を出しはしないよ。貰うもの貰ったらおさらばするさ。」


 傭兵は信用が第一。

 見合う金額さえ提示されれば何でもやるが、そのことを詮索などしない。

 口外もしない。

 不審な仕事なら、断ればいいだけだからだ。

 まあ、このあたりは個人個人で多少の差はあるが、口が堅いのは絶対条件だろう。


 俺はイールナフと話をしている、無頼の(かしら)らしき男を観察した。


(詮索はしないけど、あれこれ考えさせてはもらおう。)


 こちとら、命を張って仕事をしている。

 自分の関わった仕事に裏があるというなら、それを把握することは自衛のために必要だろう。


 俺は腕を組んで、無頼の頭やその周りにいる男たちをじっと観察した。

 粗暴な振る舞いをしてはいるが、頭やその補佐役などの動きはキビキビしている。


 傭兵団、眠る赤狼の活動拠点はネプストル帝国だ。

 普段、俺も()()は帝国でしている。

 だが、(ここ)は帝国内ではない。

 帝国に隣接する、()()()()()()()だ。


(いくら眠る赤狼が少人数の傭兵団だからって、これだけの仕事の値段が安い訳ないよな。)


 俺だってかなり危険な役割を引き受けたが、それに見合うだけの金額を提示されている。

 だからこそ、引き受けた。

 単独での潜入。

 砦内部から開門させるという、危険な仕事を。


(俺の依頼者(クライアント)はイールナフだけど、その眠る赤狼を雇ったのは……。無頼の輩?)


 そんな訳ない。


 国境の砦。

 立地的に、軍事上は重要度は低そうだが、使い方次第だろう。


 ということは、眠る赤狼の依頼者(クライアント)は…………帝国?

 無頼に見せかけたこの集団は、実は帝国の正規兵か?


 俺は首を傾げながら、んんー……と唸る。


(大条約があるため、大っぴらには侵略できない。そのために、帝国とは関係のない集団に偽装する必要があった……?)


 もし砦攻略が失敗しても、そいつらの身元はただの傭兵だ。

 誰が依頼者(クライアント)かなんて、いくらでも誤魔化せる。

 だが、一度落としてしまえば、そう簡単には取り返されない。

 軍事拠点を落とすってのは、本当に大変だからだ。


(ここの領主がどれだけの兵を持っているか知らないけど、三百の正規兵が守る砦を落とせるだけの戦力を割けるのか?)


 地方の領主軍など、どれだけ多くたって、せいぜい千かそこらだろう。

 辺境伯などは数千の兵力を持っていてもおかしくはないが、ここの領主はどうだろうか?


(然して重要じゃない砦の奪還に、それだけの兵や金を出せるか?)


 おそらく無理だろう。

 それを見越して、帝国はこの砦を選んだ。


(……魔王がいなくなって、平和な時代になったっていうのに。)


 野心を抑えられない猛獣が、涎を垂らしているらしい。


 そんなことを考えていると、無頼の頭がこちらを見上げてきた。

 その目は、イールナフに負けず劣らず、ギラついている。

 折角の平和な時代だというのに、どうやら血に飢えた獣があちこちにいるようだ。


(くわばらくわばら……。)


 俺は、青空を見上げ、この件には深入りしないことを心に誓うのだった。







■■■■■■







「何だ、帝都まで行かねえのか?」


 お仕事からの帰り道。

 帝国領内に戻り、別れを告げる俺に、イールナフが尋ねた。


「お陰様で懐が暖かくなったんでね。しばらくはのんびりするよ。」


 そう言って、俺は腰につけた魔法具の袋をポンと叩く。







 魔法具の袋。

 この魔法具の袋は、見かけよりも遥かに多くの物を収納できる、すっごい道具だ。

 確か、収納スペースは横幅二メートル、高さと奥行きが一メートルくらいだって話だったか。

 当然ながら、そんな便利な道具だから、めちゃ高い。

 そのため、俺が使っているこの袋は、要らない人から()()()()()()物だ。


 戦場で亡くなった、どなたか知らんおっさんが使っていた物を失敬してきたという訳だ。

 この魔法具の袋は、使用者登録というのを購入時に行うものらしい。

 そうすると、登録された人以外は中身を取り出せない仕組みになっている。

 だが、そうなるとグループを組んでいる者たちにとっては少々都合が悪い。

 仮にリーダーが登録して、そのリーダーが戦場で亡くなったら?

 他の仲間は、中身を取り出せなくなってしまう?


 実は、そのための抜け道が一つある。

 それは、使用者登録をしない、という方法だ。

 使用者を制限しないため盗難などのリスクを負うが、誰でも使える便利な状態で使用できる。

 そうした登録のされていない袋を、お譲りいただいた、という訳だ。

 まあ、追い剥ぎや火事場泥棒のような所業ではあるが、たとえ俺が盗らなくたって誰かが盗っていくだろう。

 なら、一つくらい俺が盗ったっていいじゃないか。


 人の物を盗ってはいけません。

 人を傷つけてはいけません。

 そんなのは、そうしなくても生きていける奴が好きに唱えていればいい。

 衣食足りて、礼節を知る。

 倫理や道徳なんてものは、余裕がある奴の道楽みたいなものだ。


 俺は、そのことをこの三年で嫌というほど味わった。

 無闇矢鱈に周りに危害を加えるつもりはないが、必要なら盗みもするし、殺しもする。

 それが、仕事(ビジネス)であろうと、私事(プライベート)であろうとだ。







 イールナフは片眉を上げ、俺の顔をじっと見つめた。


「…………何?」


 そんなイールナフに尋ねるが、軽く首を振る。


「いや、何でもねえ。またな。」

「ああ、また。」

「次も敵にならねえことを祈っとくぜ。」


 その言葉に俺は、眉を寄せ声を上げた。


「祈るぅ? あんたが? そんな性格(タマ)かよ。」

「わっはっはっはっ……!」


 俺が顔をしかめてそう言うと、イールナフは高らかに笑った。


 そうして、北に向かって移動する眠る赤狼から離れ、俺は一人で西に向かった。

 イールナフたちが向かっているのは、帝都ラジブール。

 だが、俺は別の場所に向かうのだった。







■■■■■■







 一日中歩き通し、夜に少し大きな町に着いた。

 俺は食堂を探して、大通りを歩く。

 陽は落ちたが、まだまだ通りには人が多い。


 中世ヨーロッパ。

 実際にそんなものを見たことはないが、まあイメージとしてはそんな感じの町並みだ。

 通りの両側の店のいくつかは閉まっているが、食堂や酒場の類はまだまだ閉まる気配はない。


 俺は混んでいる食堂の一つに入り、きょろきょろと空いている席を探した。

 ガヤガヤと騒がしい店内はほぼ満席だ。

 おそらく肉体労働者と思しき、がたいのいい男どもが安酒片手に食事を楽しんでいた。

 俺は奥の方に空いている席を見つけ、そちらに向かう。

 テーブルの間を歩いて行くと、「何で子供が?」と言いたげな視線が集まる。

 そんな視線を無視してテーブルに着くと、俺は壁にかけられたメニューを見る。


(肉肉肉……、肉料理は……。)


 俺はパイ料理以外の、できればしっかりと肉だと分かる料理を探した。

 普通の食堂でも、パイのような中身がよく分からない料理では、どんな肉が使われているか分からない。

 屋台ほどではないが、普通の食堂ですら腐った肉を「混ぜりゃ分からんだろ」と使う店があるのだ。

 腐りかけ程度は、ごく当たり前。

 ひどい店だと、完全に腐敗して腐臭を放つ肉を入れてくる店すらある。


 混んでいる店を探す理由は二つ。

 旨いから人が集まるというのもあるが、そういう店は食材の消費が早い。

 腐る前に提供してもらえる可能性が高い、という訳だ。


 そうして素材の味を活かした、つまりは味付けの足りない料理を平らげる。

 塩は結構いい値段がするし、香辛料の類は贅沢品だ。

 田舎にある町じゃ、味なんか大して気にしていられない。

 一応魔法具の袋にどちらも入れてあるが、こんな注目された中で、余計な関心は集めたくない。

 さっさと食事を腹に収め、支払いを済ませる。


 何かの肉の炙り焼き、パン、スープ。

 これで八百シギング。

 俺は銀貨一枚を出し、大銅貨二枚を受け取る。


 シギングというのは、ネプストル帝国での通貨だ。

 通貨はすべて硬貨で、種類は六種類。

 銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨。

 銅貨一枚で十シギング。

 銅貨、大銅貨、銀貨……と十倍ずつの価値になる。

 銀貨は千シギングで、大銅貨二枚で二百シギングのお釣り。

 つまり、大金貨は百万シギングという、とんでもない価値の硬貨ということだ。


 笑ってしまうのは、銅貨と大銅貨の価値は十倍だが、本当に体積が十倍ありそうなのだ。

 銀貨と大銀貨、金貨と大金貨も同様だ。

 そうでもしないと、硬貨を溶かして儲けようとする奴が出てくるからかもしれない。

 金貨五枚で大金貨が作れれば、それだけで大儲けできてしまうから。


 俺は食堂を出ると、宿を探した。

 安宿の中でも、少しだけマシそうな宿を選び、チェックインする。

 この、宿選びも大事だ。


 あんまり安い宿だと、安心して眠ることさえ困難だからだ。

 普通の宿でも、荷物を部屋に置いてどこかに行くのは御法度。

 戻って来たら、荷物が無くなってたなんてことにもなりかねない。

 ある程度の宿にさえ泊まれば、気をつけていればそれなりに安全だが。


 まあ、それでも心配なら、ドアの内側に椅子とテーブルを置いたりして、多少の時間を稼げるようにしておくのがいいだろう。

 とにかく、警戒するにし過ぎるということはない。

 自分の生命と財産は、自分で守る。

 それを当たり前のこととして考えれば、自ずと行動もいろいろ変わってくるというものだ。


 そうして宿では、湯場で汗を流す。

 当然、この時も脱衣所に荷物を置いておくような真似はしない。

 盗まれたくなければ、大事な物は肌身離さず、が基本だ。


 この世界では、まだ入浴という習慣はない。

 そのため、湯場でも清拭するだけである。


 さっぱりして部屋に戻ると、俺は短剣(ショートソード)と魔法具の袋を抱え、眠るのだった。





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