1-5:雨と刺客3
いくら死なないといっても、怪我が完治するまでには時間が必要だ。天使が態勢を整えなおす前にボクらは逃げ出した。ゴミ山を離れて向かった先は砂漠だ。
道中、森野さんから戦闘に至った経緯を聞いた。その話によると、ボクが置いていかれたのは、皆様お察しの通りあの天使のせいらしい。
ボクの朝は遅い。
三度の飯より睡眠が大好きなボクは、今朝もまんまと睡魔に負けて普通に寝坊した。約束のことはもちろん覚えていたけど、布団が離してくれなかったんだから仕方ないよね(それで置いてかれて怒るなんて逆恨みもいいとこだ? 自業自得だろ? あーあーあーあー聞こえないなぁ)。
ボクの遅刻は想定内のことだったようで、約束の時間を過ぎてもしばらくは待ってくれていたそうだ。それでも一時間が過ぎたあたりで見切りをつけたという。イライラしだしたレヴィアさんが扇子をしきりに開閉しているのを見て、身の危険を感じたからだ。雨の日のレヴィアさんは強い。対してボクはか弱い小娘。簡単な二択だ。
手に負えない事態になる前に手を打った森野さんはソファから腰を上げた。その時タイミング良く玄関のチャイムが鳴ったそうだ。これは都合がいいじゃないか。来客に対応するために玄関へ向かう。
市街地に居を構えるのは比較的穏健な住人ばかり。軍人上がりの熊男と沸点の低い魔王様のコンビに、喧嘩をふっかける無謀な輩はそうそういない(多分、渡来さんくらいかな)。とどのつまり、完全に油断していたそうだ。
無警戒な森野さんが外を確かめもせずに戸をあけると、待ち受けていたのは小柄な女の子だった。雨だというのに傘もささず、ぽつりと庭先にたたずんでいる。一瞬ボクと見間違えたらしいが、よくよく見れば、見覚えのない人物だとわかった。そもそもボクは極力水には濡れたくないタチだ。
「よう嬢ちゃん。ここに来るのははじめてだよな? どうしたよ」
いぶかしく思いつつも、森野さんは声をかけた。この街じゃ迷子は日常茶飯事だし、おかしなことばかりが起こるから、免疫がついてしまっている。それが今回は悪い方向にはたらいた。
「……」
女の子が口を開くまで少し間があった。沈黙を雨音が埋めていく。どういうわけかその音に、無性に焦燥感を覚えたらしい。じっとりとした空気が重たくのしかかり、手足の先から体が冷えていく感覚があった。辛うじて冷静さを引き留めてくれていたのが、くわえたタバコの香りだったとか。
ジリリ……燃焼を終えた灰が落ちていくのが、視界の端に見えた。音もなく地面に落ちたそれの行方は知れない。今までもったいぶった沈黙を続けていた少女が、空気をぶち壊してくれたからだ。
「おはようございます。ピザの宅配です」
ようやく口を開いたかと思えば、少女はそんなことを口にした。色々と台無しである。おかげで、森野さんは焦りから解放されたわけだけど。
「頼んだ覚えはねぇよ」
取り出し携帯灰皿にタバコを押し込む森野さんは、やれやれと呆れた顔。またロクでもねぇヤツが現れやがったと確信したそうだ。
大正解。言わずもがな、この少女こそが例の天使だった。
天使は無表情に小首をかしげた。
「この手ならいけると思ったのに」
「なんでイケる思ったんだ」
「じいちゃんが言ってたから」
「とんだタヌキだな」
「じいちゃんは人間だよ」
「そういう意味じゃなくてな……いや、まぁいい」
どうやら話が噛み合わないのは最初からだったようだ。まともな対話は早々に諦め、森野さんは話を切り換えることにした。
「オマエ新入りだろ。オレは森野だ」
「知ってるよ。わたしはフィーネ」
「そうか、よろしくなフィーネ。それで、この家になにをしに来たんだ?」
案外話が通じるんじゃないか? そう思った森野さんの期待はあっさり裏切られた。
「わたしには捜しているものがある。神様から与えられた大事な使命」
「神ねぇ……オマエ神官か? 聖女か?」
「違うよ」
「それじゃあオマエの言う神とやらは、一体どんな神なんだ?」
「そんなの一人しかいないよ。この街の神様に決まってる」
「ほう?」
森野さんは眉をひそめる。
こんな街だから、フィーネみたいな連中はたくさん存在する。だけど彼らはあくまで、自分達の【物語】の中に出てくる神を信奉する人達だ。だからそういった連中には慣れっこだけど、彼女はそのどれとも違う。はっきりと「この街の神」と言ったのだから、それはつまり、ボクらを創造した神様に違いない。
「わたしの使命は、この街にあるはずの【要】を全て破壊すること」
「カナメ? 破壊? なに言ってる?」
いきなり飛び出した不穏な単語に表情が険しくなる。低い声でたずね返すと、天使はその【使命】とやらをご丁寧に語って聞かせた。
「【要】がなくなればこの街は消滅する。だからわたしは【要】を全て破壊しなければならない。この街の破棄、それが神様の意志だから」
抑揚のない声音が一転して、天使の宣告に威厳と迫力を与えていたそうだ。比喩でもなんでもなく、彼女は正しく【死の天使】だったわけだ。
ふざけてると思わねぇか? 森野さんは憤りもあらわに吐き捨てる。
ボクは目をみはるばかりで、何も言い返せなかった。
神様が、この街を消したがっている──
うまく呑み込めない話だ。
事態の大きさについていけないボクの肩を軽く叩き、森野さんはその後の顛末を語る。
「だから出して。【要】がここにあるのはわかってる」
無表情に手を差し出すフィーネ。破壊の使者が迫ってくる。じりじりじりじりと追い詰められるような感覚があったそうだ。
だけど愛すべき隣人さんは、簡単に怖じ気づくような人じゃない。
「ふざけるな!」
牙を剥きだしにして声を荒らげる。
「どうしたのよクマ?」
怒声を聞きつけて家の中からレヴィアさんが駆けつけてくるけれど、かまわず怒鳴り続けた。
「手前の都合で捨てておいて、今度は居場所を奪うだと? オレ達をなんだと思ってやがる!」
寸分違わず同意見だ。一緒に話を聞いているレヴィアさんとランドグリースもそろって頷いている。満場一致だ。
さすがは【主人公】だね。得体の知れない存在を相手に、よくみんなの心を代弁してくれた。ボクだったらとっとと尻 尾巻いて逃げ出してるよ。
「要だかなんだか知らねぇが、絶対に破壊させねぇ! オレがこの手で阻止してやるッ!」
烈火のごとく啖呵を切った森野さんはライフルを素早く構える。迸る感情の温度に関わらず、照準はまっすぐにフィーネを捉えていた。
しかしフィーネも動じない。顔色一つ変えずに、
「ふぅん。いいねそれ」
そう答えた彼女の背中から、刹那、巨大な翼が伸びる。
「わたしもそっちの方が得意だよ」
細い足で地面を蹴りつけ、一息に空へ飛び上がる純白の少女。鉛色の空をバックに悠々と浮遊する姿は、神々しい天の御使いそのものだった。
そうして戦いが始まったわけだけど、まず森野さんとレヴィアさんがとった行動は「たたかう」でも「どうぐ」でもなく「にげる」だったらしい。戦闘が及ぼす市街地への被害を避けるためだ。その道中に、ちょっかいをかけにきた渡来さんへボクの足止めを依頼したそうな。そういうことだとわかっていたら、ボクもわざわざゴミ山まで来なかったのに。言葉が足りないよ、渡来さん。
……まぁ、いいけど。
全速力で走り出した隣人コンビ。
それを追いかける天使。
彼らが行き着いたのがゴミ山だったというわけだ。
その後のことは推して知るべし。
*
話をしている内に市街地の終わりが見えた。
「ま、ざっとこんなもんだな」
「大変なことになったね……」
「わかってると思うけど、他人事じゃないわよ」
「う……もちろんだよ!」
耳を伏せたボクはおそるおそる後方を確認してみる。だけど、天使の姿は見えない。今はひとまず安心だ。悠長に構えてもいられないけど。
「傭兵と渡会を捜さないとな」
「あんな強敵と戦うんだもの、戦力は必要ですよね」
「まだキャンプにいるんじゃないかしら」
作戦会議をはじめる武闘派三人。非戦闘員のボクは口を挟まず、すみっこで耳を傾けるのみ。
塔が現れたきり、昨日は一度も地震は起きなかった。大穴のことがあるから確かなことは言えないけど、二人は無事にやっているはずだ。そう思いたい。
……だけどそんなささやかな希望は、いともたやすく崩れ去った。
「二人は、大丈夫かな」
目の前に広がる砂漠を眺め、ボクは呟く。
いや「砂漠だった場所」といった方が適当か。
目的地の砂漠に到着してみれば、……なんということでしょう。たった一夜にして、広大な砂地がグリーンランドに早変わり。生命の源たるマナの不足で荒廃したはずの土地が、生命溢れる緑地へと変貌を遂げている。一体全体、なにが起こってるんだ。
本来なら、神子である渡会君が儀式を行うことで救われる世界のはずだ。当然、傭兵さんと渡会君の旅もそこで幕を閉じる。すなわち彼らの【物語】において、【舞台】である砂漠の緑化は【終幕】を意味する。
それじゃあ渡会君が奇跡を起こしたんじゃないか……と言いたいところだけど、はっきり「ノー」だと言いきれる。だってこの街は神様のゴミ捨て場。終わる余地のない人や土地が行き着く最期の場所なんだよ。儀式を行いたくても行えないから、砂漠に囚われた二人はずっと、変わりばえのしない景色の中を旅して回ってるんじゃないか。
「ほんとに終わっちまうのか……この街」
ぽつりぽつり。雨が降り注ぐ中、ボクらはしばし立ち尽くしていた。