1-2:愚者の塔
沈みかけた夕陽に照らされて淡い薔薇色に染まった砂漠を進む。目的地は市街地。慣れ親しんだ我が家への帰路だ。
「参ったな。すっかりこんな時間だぜ」
結局使わなかった(使わないに越したことはないけど)ライフルを担ぎ直し、森野さんはぼやいた。背中から伸びた影が上下左右に忙しなく踊っている。
「早く帰らねぇと。真珠が待ってる」
太い足が一歩踏み出されるたび、分厚いブーツが砂に沈む。残された足跡を追いかけるボクの斜め後ろでは、背中を丸めた影がとぼとぼと歩いていた。
なにもわからなかった。
傭兵さんや渡会君から今朝の詳細を聞かせてもらったり、穴に戻って周辺を調べ回ってもみたけれど、今回の異変に関する手がかりは一切見つけられなかった。
今日一日が徒労に消えて、残ったのは疲労感と未来への不安だけ。傭兵さんも言っていたけど、いつまた穴があいてしまうかもしれない。仮にそうなったら街の一角が底なし穴に呑みこまれてしまうし、なにより一つ二つでおさまる保証がない。
一寸先も見えない闇を前にブルーになるボクの頬を、乾いた風が撫でていく。
「明日も調査しないといけないわね」
風に泳ぐ海色の巻き毛を手でおさえ、溜息混じりにレヴィアさんは言った。すぐさま前方から同意する声が飛んでくる。
「面倒だがそうするか」
「あら? 今日は珍しく意見が合うじゃない。やめてちょうだいよ、不気味だわ」
「ハッ! また穴があくかもな」
自嘲混じりの冗談を口にしながら、森野さんはくわえたタバコに火をつける。煙たい臭いが風に乗って鼻先を通りすぎていった。
「冗談でもそういうこと言わないでよ。まったく笑えない」
眉を吊り上げて大きな背中に文句をぶつけた。
その時だ。
また地震が起きた。
とてつもない震動が、足の裏から腹へと昇り、そして最後に脳みそを揺さぶる。ぶれにぶれる視界は一瞬で灰色の空に覆われた。
「はぁ……!?」
「嘘だろ!?」
ただでさえ足場が悪い場所で不意打ちを食らったボクは、情けなくもバランスを崩し、思いっきりすっころんだ。
「やってくれたわねクマ!」
「バカヤロー! オレとオマエの共犯だっ」
「それなら私とあなただけの秘密にしましょう! みんなに恨まれたくないものね!」
なんだか意味深な言葉の羅列が頭上を飛び交っている。
そういうの、もっと別のシーンの方が相応しいと思うな……。唯一の目撃者であるボクは、口封じのために消されちゃう感じかな?
現実逃避にバカなことを考えている内に地震はおさまった。上体を起こすと、まとわりついた砂が音もなく落ちていく。
現実逃避のかたわら、頭の隅でしっかり数え上げた秒数は六十秒。またしてもきっかり一分間の地震だった。震央はおそらく街の中心部、ボクらの家がある市街地の方だ。……いや、ほぼ確定と言っていい。
「まさか……そんなバカな」
ボクは愕然とそびえたつゴミ山を凝視する。最早この街のシンボルマークと言っても過言ではない山の中腹に、今朝はなかったはずの巨大な塔が深々と突き刺さっている。塔の先端からは天に向かって太い鎖が伸びていて、なんともいえない異様な空気を放っていた。
「なにかしらあれ」
「なんだろう、錨みたいだ」
わからないけど、嫌な予感がプンプンする。
「真珠……!」
大声をあげたかと思えば、ライフルもヘルメットも放り出し、四つん這いになって弾丸のように駆け出していく森野さん。巻きあげられた砂がもうもうとたちこめる。
流れてきた砂煙を払いのけ跳ね起きたボクは、大慌てでばらまかれた荷物を拾い集め、
「あのクマっ」
悪態を吐くレヴィアさんと共に、豆粒みたいに小さくなった隣人を追いかけ走り出した。
*
「パパ、おかえりなさい!」
汗だくの肩を上下させゼェゼェ呼吸するボクらが見守る中、森野邸をバックに、森野さんと愛娘の真珠ちゃんが抱き合っている。
「遅くなってごめんな真珠」
いつもは無表情ないかつい顔には安堵の笑みが浮かんでいる。
「どうかしたの?」
首をかしげる真珠ちゃんの頭を、毛むくじゃらの手が乱暴に撫でる。くすぐったそうな笑い声が、雑多な路地にころころと木霊した。
かわいいお隣さんの無事がわかったところで一件落着……とはならない。互いの無事を喜びあう親子に背を向けて、ボクはゴミ山を見上げた。
夜空を背景に山腹に深く突き刺さった塔は、場違いなほどきれいな白亜の構築物だ。精緻な彫刻や黄金の装飾であっちこっちを飾られて、窓にはめ込まれたステンドグラスからはうっすらと光の筋が伸びている。けれど下品な豪奢さはなく、むしろ正反対。纏う空気は静謐で、侵しがたい神聖さを孕んでいる。だからこそてっぺんから伸びる物々しい鎖が、余計異様に見えるんだ。
「昇ってみる?」
レヴィアさんがたずねてくる。
「そうだね。……でも」
頷いておきながら、心は迷っていた。
大穴が砂漠に口を開けたかと思えば、今度は街の中心に我が物顔で仁王立つ塔だ。日常を破壊する闖入者の圧倒的な存在感に足が竦む。目は塔のてっぺんに磔にされていて、まばたきすら許されない。
「あなた大丈夫?」
あのレヴィアさんが心配そうに顔を覗きこんでくる。視界を遮られたボクは、ようやく呪縛から解き放たれた。けれど意識はまだ囚われたままで、真紅の瞳をぼんやりと見つめ返す。
「鎖の先にはなにがあるんだろ」
「え?」
「空の上にはなにがあるんだろ」
ぽつりぽつりと問いかけると、長いまつげがふるりと羽ばたいた。虚を突かれたような顔で、
「そうね……」
ぽつりと呟いて、レヴィアさんは顔を上向けた。
「そうね。なにかがあるかもしれない」
ボクも再び顔を上げる。
塔から空に伸びる鎖の先は、霞んでよく見えない。だけど必ずどこかにつながっているはずで。それはつまり、限りなく高く続いているように見えるあの空にも、限界が存在するってことに違いない。
それじゃあ空を超えた先には、一体なにがある? この街にあんな物をつくり出せるのは、一体誰だと思う?
答えは決まってる。
「きっと鎖の先に」
神様がいるんだ。
*
この街の住人が【神様】と呼ぶ存在は、実のところ神霊の類ではない。呼び方こそ仰々しいが、彼はれっきとした人間だ。
少し他人より空想が好きで、
少し他人より噓つきで、
少し他人より現実が嫌いで、
少しあきっぽい、
どこにでもいる作家志望。
そんな神様に産み出されたのがこの街と住人で、神様に見捨てられて行きつくのがゴミだらけのこの街だ。
「見捨てられる」。それはつまり、
物語から消されたり、
物語ごとなかったことにされたり、
神様から忘れられたり、
かなしいけどそういう感じ。
頻繁に起こる地震は街が広がる前兆……世界ごとなかったことにされた物語が、この街の一部になるってことだ。
この街に放り込まれたら、もう死んだも同然だ。出口はどこにもないし、逃げ場もありはしない。神様が気まぐれを起こさない限り、出ていくことはかなわない。
過去には元の世界に連れ戻された人もいたけど、そのほとんどは、しばらくしたら街に戻ってきていた。中には連れていかれる前と後とで、別人みたいになってる人もいたな。名前や容姿は元より、記憶や性格、設定まで変わってるんだ。神様の方はどうか知らないけど、こちらからしたらホラーだよ。
所詮ボクらは神様の創造物。生きるも死ぬも神様の匙加減次第。生まれてから死ぬまで永遠に振り回され続ける。
その最悪のパターンが「この街にくる」ことってわけだ。
それでも不思議と神様のことを嫌いになれないんだから、ボクらってとっても健気だと思わない?
誰一人として、神様の姿を見たことはないんだけどね。